無断リンク問題でよく見かけます。
自分自身が無断リンク禁止派だったり、あるいは、自分は無断リンク容認だけど「無断リンクを嫌がる人の所に、わざわざリンクするのは、どうなのよ?」という人が持ち出すものです。
「相手は勝手にリンクされることを嫌がってんだぞ、オマエだって自分の嫌な事をされるのは不快だろう」
えーと、これは無断でリンクされることに対して、それを拒否する正当な理由にはなり得ません。
何故なら「相手が嫌がることをしてはいけない」のなら、無断リンク禁止は「リンクする自由を奪われることを嫌がる」ことを全く考えていないから。
「自分がされて嫌な事はしたくないから、私は無断リンクしない」くらいに留めて置きましょう。
……と、こういうことを書くと、予想されるツッコミ。
「検索トラックバックヤメロ、というのは、検索トラックバックを送る自由を阻害している! いやならお前が検索トラックバックを送らなければ済む問題だろ」
これについては、改めて記事にする事にします。
NG word NG word
自分自身が無断リンク禁止派だったり、あるいは、自分は無断リンク容認だけど「無断リンクを嫌がる人の所に、わざわざリンクするのは、どうなのよ?」という人が持ち出すものです。
「相手は勝手にリンクされることを嫌がってんだぞ、オマエだって自分の嫌な事をされるのは不快だろう」
えーと、これは無断でリンクされることに対して、それを拒否する正当な理由にはなり得ません。
何故なら「相手が嫌がることをしてはいけない」のなら、無断リンク禁止は「リンクする自由を奪われることを嫌がる」ことを全く考えていないから。
「自分がされて嫌な事はしたくないから、私は無断リンクしない」くらいに留めて置きましょう。
……と、こういうことを書くと、予想されるツッコミ。
「検索トラックバックヤメロ、というのは、検索トラックバックを送る自由を阻害している! いやならお前が検索トラックバックを送らなければ済む問題だろ」
これについては、改めて記事にする事にします。
![テクノクラフィ タグ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/f6/08684b3512405c7a590f45c4c2658a80.png)
>>Webの恩恵を受けながら、リンクを否定するのは、おかしい
というような
>ウェブの本来のあり方みたいな信仰をベースにしている人たち
ってことだと思いますけど?
昨年otsuneさんが作り出した「モヒカン族」関連用語の「ムラビト」とは意味が違うようだ。
>Webの恩恵を受けながら、リンクを否定するのは、おかしいのではありませんか?
おかしくないという価値観をもってウェブを利用することも制限されていませんので、ウェブの本来のあり方みたいな信仰をベースにしているウェブ村の人たちにとっては正しい価値観かもしれませんけど、一般の人が受け入れなければならない価値観とは言い切れません。
すべての人がウェブ村の住人になって信仰を受け入れなければならいということはないと思いますし、ウェブ村特有の信仰にもとづく理屈によって無断リンク禁止を非難されなければならない筋合いもないと思います。無断リンク禁止に対する非難を正当なものにするためには、非難される側と共有している価値観のもとでの理屈が必要となるのではないでしょうか。
>でも、みんなで同じ試合をしていると考えているあたりに無理があるような気がします。
えーっと、これから書くことは使い古された説明なので、分かっている人達には当たり前すぎてツマラナイことなのですが、あえて書きます。
Webは、ハイパーリンクの技術によって、テキストや画像や音・動画などを自由自在につなげることができます。 できるようになったのです。
Webとは、クモの巣のことです。 リンクの糸がクモの巣状につながって形成されているのがインターネットです。 私達は、その技術を利用してネットに接続しています。
くっぱさん、あなたが見ているこの記事も、Webがあるから、リンクがあるから見ることができるのです。
Webの恩恵を受けながら、リンクを否定するのは、おかしいのではありませんか?
リンクを張るのに、断りは不要です。
そんなに無断リンクがイヤなら、くっぱさんが、自分の理想とする新たなWebの仕組みを作ればいい。
リンクを張る際には必ず承諾が必要となるようなシステムを、あなたが作ればいい。
きっと需要はあるハズです。 特に、無断リンク禁止派の方々には必需品となるでしょう。
がんばってください。
でわでわ。
質問されたので答えますけど、えっけんさんが
・絶対的な価値観が存在していて、その価値観に沿わない人は非難されて当然と考える人
・多様な価値観の存在は認めるけど、自分の価値観に基づく理屈をもって、別の価値観の人を非難してもかまわないと考える人
のどちらなのかを知りたいだけです。それを知ることによって、無断リンク禁止に対する非難が、特定の価値観のもとでのみ有効であって、それ以外の価値観のもとでは何も言えていないことを確認したいだけです。ただそれだけなので、えっけんさんが無断リンクをしようがしまいが、それは気にしていません。もちろん、えっけんさんと私の考え方が違うのもよく理解しています。
それと、またまた、たとえ話が出ましたね。でも、みんなで同じ試合をしていると考えているあたりに無理があるような気がします。価値観の多様性という発想の有無の違いなのかもしれませんけど、学校の昼休みの校庭みたいに、同じ場所で同時に複数のプレーが行われていると考えてみてはいかがでしょう。
「はい終了」はそういう意味だ。
「かっぱ」から「くっぱ」に変わっても全く何も替わっていない。
考え方が違う、という事実確認がしたいのか、当方のリンクに対する考え方を改めさせたいのか、どっちだ。
前者ならとっくに確認終わっているし。後者ならオレイズムの押し付けだ。
>えっけんさんの無断リンク論は、ネット村ローカルな理屈でしかないような
君の「無断リンクマナー違反論」は、くっぱ村のローカルな理屈だよ。
マナーに頼って「不快なことから身を守る」のは脆弱だから、パスワード制でも取れば? といっているだけでしょう。
>ネットには、えっけんさんの所属するネット村の人以外の一般の人が参加することも許されているので、えっけんさんの無断リンク論は、ネット村ローカルな理屈でしかないような気がします。
コレを言い換えてみる。
サッカーをする事は、サッカーのルールを知っている人以外の人が参加する事も許されているので、相手チームに手を使ってシュートをするな、と言ってもサッカー村のローカルな理屈でしかないような気がします。
うわぁ!
あと、「はい、終了。」ってのは、えっけんさんにっとってはOKワードだったんですね。NGワードに入っていそうなテイストがあるような気がしていたのでで、ちょっと意外でした。選定の基準がよく判らなくなりました。
僕は少なくともネット上では、くっぱさんの考えが正しいとは思えないので、コレまで通りのリンクをするまでです。
はい、終了。
「その行為をされることを嫌がることが許されていて、その行為をされるのが嫌だと表明している人に対して、事前の説明なしにその行為をするのはマナー違反」
というのがあると思うのですが、いかがでしょう。
もしこれが本当だとすれば、えっけんさんの言うところのリンクフリー派の「スジ」というのは、あくまでもえっけんさんのローカルな価値観であって、、ローカルな価値観がベースであるえっけんさんのこれまでの説明は、一般に受け入れられるための理屈としては通っていないような気がします。
批判には、引用という行為がつきものです
引用した場合は、その参照元を明示しなければなりません。
よってリンクはあって当たり前です。
参照元の明示には、リンクタグの伴わないURLの記述という方法もありますが、それでは「無断リンク禁止」を主張する人の意図を汲むことは出来ないので、リンクタグで括るか括らないかは、あまり関係ありませんね。
「スジを通す」ということを多用しているようですが、ウェブではリンクの際にいちいち許可なんか取らない、というのもリンクフリー派にとっては「スジ」なので、全く無意味ですね。
批判禁止が横暴だと思うのは勝手ですが、それが無断リンクを解除することなく続行していいという根拠になる理由が判りません。一端リンクを外して、相手に無断リンクが横暴であると伝えて、その後にリンクを貼り直すのが本来のスジではないでしょうか。
たとえ相手の人の価値観や考え方が変だと感じたとしても、その人と接する際にスジを通さなくてもいいという理由にはならないと思います。
もちろん、変な人なんだからスジを通す必要なんてないと思う人もたくさんいるとは思いますが、えっけんさんがどのような考えの方なのかは気になるところです。
「読んでもらえなければ意味は無い」から。
僕はリンクが必要だと思ったら、相手の「無断リンク禁止」のローカルルールに関係なくリンクしますが、その要望により守ってくれる人もいるのなら、目立たない場所にポリシーを謳っても意味は無い。
また、無断リンクされた後に「ウチは無断リンク禁止なのではすして下さい」というのは、相手が書いた物が正当な引用を伴う批判などの場合、要するに「批判するな」になるし、横暴な行為だと思う。
「注意書き」を知ったからといって、何故に文章の改ざんをせねばならないのか。
つかさ、こんな話いつまでも続けていても意味がないよ?
くっぱさんは「俺は無断リンク禁止宣言をしているブログに対しては、相手に失礼だから無断でリンクしない」を実行して下さい。
僕は、それがマナーでもなんでもないと考えるので(バカ晒し的なリンクは除く)、今後も無断リンク推奨と言う事で。
無断リンク禁止宣言の存在を指摘したときに、直ちに無断リンクを解除してもらえるならば、無断リンク禁止の側からの批判は起こらないと思います。注意書きを読む読まないが対立の本質なのではなくて、注意書きの存在を知った後の態度が問題なのではないでしょうか。
ちょっと違うような気がします。
ただ、そのステッカーをめだたない場所に設置している場合、サイドバーの片隅に表示された「ローカルルール」を見てもらえないことに通じるかも知れません。
セールスされるのがいやなら玄関はずしちまえよ。そこに玄関設置しておきながら、お断りなんて言わせない。法的にも禁止されていないし、こっちには訪問する自由があるんだ!
私が気になっているのは、このエントリーのタイトルが、えっけんの所属するムラ社会に限定した上で正しさと主張されたものなのか、ウェブ全体において普遍的に正しいものとの意図で主張されたものなのかという点です。
前者を意図しているのであるならば、
>無断リンク禁止は「リンクする自由を奪われることを嫌がる」ことを全く考えていないから。
は、その正当性を説明するのに十分なのかもしれません。ただし、えっけんさんのムラ社会の外にいる人たちから見たら、タイトルが普遍的なことを主張していると勘違いさせられてしまう部分もあるような気がします。後者を意図しているならば、先のコメントに説明したように、タイトルに書かれている内容の正当性を保証する理由にはなっていないように思います。
まぁ、不毛。
当方は今後も淡々と無断リンクをしていくのみ。
無断リンクが許せないのであれば、利用しているサービスにその機能の実装を求めてください。
僕はリンク無しTBに対して、サービスの方に実装する事を求めています。
また、gooブログにIDコメント許可制の実装を求め、僕が要求したからか否かには関わらず、それが実現しました。
所詮、個人が考える「マナー」に頼るのなんて無理がある。
私が気になっているのは、
>無断リンク禁止は「リンクする自由を奪われることを嫌がる」ことを全く考えていないから。
に「ムラ」社会に特有の発想が含まれているのではないかという点です。つまり、相手に自分の価値観(ムラの掟)を伝えていないくせに、「そのあたりはおまえ自ら察しろよ」と相手に配慮を強要するようなニュアンスが微妙に感じられるあたりにですが。
無断リンク禁止の注意書きを知らずに無断リンクをした場合にも、
「あのー、うちは無断リンク禁止なんですけど」
「えっ、知らなかったんですけど」
「ここに書いてあるんですけど」
「あっ、ほんとだ」
となった後には、リンクを外すか、リンクを残すことによって無断リンクを知った上で無断リンクをしたのと同じ状況にするかのどちらかになるので、知らなかったを理由に無断リンクを続けていいという論理はありえないと思います。
まず、こと、ブログにおいては、エントリの外部に書かれた「お約束」など読まれない事が多いので、『ローカルルール』の効力はきわめて薄い。
単一の記事=意見に対して外部リンクを生成しやすいシステムであるのだから、エントリの中に書かれていない「注意書き」なんか読まれなくて当然。
だから「無断リンクを嫌がる人にリンク」というより、相手が無断リンクを嫌がっている、ということにすら気付かないケースが多いと思う。
もう一つは、無断リンク禁止を主張する人の、ブログの内容。
特定人物や、特定の趣向への批判的な意見を書いておいて、「自分(あるいは自分が含まれる事象)は批判しないで」なんて虫のいい話はない。
自分が批判した人、あるいはその事象に含まれる人が、××でこんな事が書かれていましたが、僕はそうは思わない~(以下反論など」というリンクを伴った批判を「無断リンクだ、ヤメロ」というのは、通せないし、悪意が伴っているとは思えない。
僕はバカ晒し的な「悪意を伴った無断リンク」は認めるつもりはないけれど、悪意のある人に「やめてください」は通じないし、それは逆に相手を喜ばせる事だから、意味がない。
だから無断リンクされたくなかったら、パスワード制にしたら? ということです。
リファラ弾きは、あまり意味がないですし。
えっけんさんの論理にどうにも釈然としないものを感じるので、ちょっと深めに考えてみたいのですが、
>「無断リンクを嫌がる人の所に、わざわざリンクするのは、どうなのよ?」
と
>無断リンク禁止は「リンクする自由を奪われることを嫌がる」ことを全く考えていないから。
では、本質的に違う部分があって、対等には扱えないのではないでしょうか。つまり、後者は脳内で嫌がっているだけで、相手には伝えていないわけで、、
そのあたりについて関連がありそうな文章を書いてみたいので、もしよかったら見てもらえるとうれしいです。
http://www.cnet-sb.ne.jp/zzz/ko.html#g119
おー、それは斬新な発想。
「実質的にしないのに」、無断リンクを「マナー違反だからしないで」は、防御方法として脆弱だから意味がないよ、つー事なんですけどね。
だいたいマナー違反でもなんでもないし。
>法で許されているならば何してもいいということに近いですかね?
近くはないですし、「法で制限されていないからOK」と言っているわけではありません。WEBの仕組上、何の問題もないことではありますが、悪意があって法に触れるリンクもあるでしょう。
そんな乱暴な事は申しません!!
書きたいように書くよ、このウスラボケ、うへへへへ。。。
くらいにしておいてください、げへへ。。。
極端な例では、相手が援助交際してほしがってるときに、「相手が嫌がることをしてはいけません」という言葉がどれだけナンセンスかを考えればわかる。
嫌がらせではありません。ごめんなさい。
たぶん、無断リンクは特定のサイトへの嫌がらせとして成立するのに対して、無断リンク禁止宣言はすべてのサイトに対するものであって、同じものとしては扱えないのではないでしょうか。
無断リンクをするサイトが、Googleみたいに(ほぼ)すべてのサイトに無断リンクをすれば、嫌がらせをするな!みたいな話は出てこないような気がします。
リンクされたくない願望を「技術的な制限」で実現すると、リンクの自由は阻害される。
「お願い」レベルでは、リンクされたくない願望は阻害され、リンクの自由が実現される。
これは二者択一で、両立する物じゃないだろう。
そしてここでは、自衛のためには「お願い」じゃ意味が無く、「技術的な制限」が必要だと推奨している。
私にしてみれば、「無断リンク禁止」の「お願い」をするだけで、実質的にリンクの自由を阻害しない人たちは、すごく良心的に見えるんだけれど・・・
このエントリで問題になってる事だって、「重ねてのお願い」レベルにしか見えないし。
リンクの自由と言う側面からの発言なら、それこそ勝手に言わせて置けば良いのではないだろうか?
なんでこんな事を書くのかというと、ふと「えっけんさんは、最終的にどうしたいんだろうか?」という疑問を持ったからです。
TBについても、リンクについてもそうですが、僕がえっけんさんの主張から感じるのは「変な『常識』を無くして、インターネットを安全に面白く活用しようよ」という事なのではないかな、と思うのです。
そのために、例えば今回のような記事は、どれほど有効なのだろうか、と思うのですよ。
えっけんさんの記事は面白いんですが、変な常識に囚われた人は反発するような記事じゃないですか。
僕としては、例えば学校の先生が子供にインターネットを教える際に参考になるようなwebページを作るとかね、その方が絶対に良いと思う。
まあ、えっけんさんとしては「俺はみんなのためにブログをやってんじゃねえ」ということで、書きたいように書くよバカヤロウ、と言うことなのかも知れないんですけどね。
あと、やっぱりこういう記事の方が、ネット上で広く・早く伝播するというのもあるし。
そうだな、やっぱりえっけんさんは「書きたいから書く」ってことなのかな、という結論に達しました。