四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

2月6日(金)のつぶやき

2015年02月07日 02時20分11秒 | 日毎起こること

豚やネズミはある一定の数に増えると集団自殺するという。人間も同じである。しかも、受験のような一定の内容を総ての若者に果たす日本の教育制度そのものが既に集団自殺の証である。それぞれの個人というようなものは死滅したのである。


10万円でも売れない“負動産” ゴーストタウン化を招く「空き家予備軍」 (SankeiBiz) - Yahoo!ニュース bit.ly/1zU2za5 湯沢は水道料金も馬鹿高い。インフラも見極めて住まないことには田舎暮らしは地獄である。


田原総一朗:「イスラム国」人質事件で政府批判を許さないのは危険だ (nikkei BPnet) - Yahoo! bit.ly/1zU2YZW ネゴシエーションできない政府が如何に馬鹿であるか、今回の人質殺害で判明した。和歌山の小学生殺害がイスラム国の犯行か?


■■気象庁情報■■06日 10時25分頃 徳島県南部(N33.7/E134.4)にて 最大震度5強(M5)の地震が発生。 震源の深さは10km。( j.mp/1KwyS00 ) #saigai #jishin #earthquake

阿呆かもね!さんがリツイート | RT

大多数の人間はこの世のことも知らずに死んでいく。例え長生きしても同じである。自分自身のものは何も残さないで死んでいく。写真それは何であろうか?


神と人間が関わったのは万物の創造の起因を作った時である。しかしそれは時空とは関係しない。臭い人間のことになど関わることはない。何もしなくとも人間の幸不幸は決まっていく。愚かなのは進化の最終段階の人間である。狂った脳みそがこの世界を作っていく。

1 件 リツイートされました

生きるとは死を前提にしているから言えることである。世の中の阿呆たちはいつまでも生きていられると悠長な事を考えている。あるのは個人で社会や国家は幻想的な存在である。個人のために生きるのか、国家のために生きるのか? ソ連のために生きた人はソ連が消滅した今何を讃えられるのか?


国家のための戰争というが国家そのものは戰争はしない。やるのは国家の中にある政府である。それも政府の人間であって、多くの個人が国家に属するとは言っても個人として国家と戦うこともできるのである。例えば日本政府を選んでいるのは万民ではなく、一部の選挙民である。十分に反抗し得るのである。


山本太郎氏のテロ非難決議棄権 民主・榛葉氏「決議の意味、分かっているのか?」 連携見直しも… (産経新聞) - Yahoo!ニュース bit.ly/1zeHamL 政党名として正当で無いのだから、阿呆な連中の集まりにしか思えない。原発反対で当選するのだから楽だね!


イスラム国は日本人を標的にすると言っても、ほとんどその動きは見えない。空爆されてほとんど息の音が止まったように靜かである。


チーズバーガー | メニュー情報 | McDonald's Japan bit.ly/1vvIQxj マックは値段も高くなってサービスも低下したのだから当然客離れが進む。


ファミリーサービス | ハッピーセット | McDonald's bit.ly/1vvISFx 喫煙ブースをやめるなら排気ガス規制もやって貰いたい。自動車でのご来店はご遠慮ください。ついでにビール販売はいかが!


プロントは17時以降はアルコールタイムである。コーヒー客は追い出される。さすがサントリー、南アルプスの水を独り占めして地元住民を追い出している。そうだプロントもサントリーだった。クローズアップ現代もその辺を取材すればよい。NHKは企業の味方である。安倍晋三首相と変わらない。