山の斜面
水害
水無し
水道水を撒く
その水道水は川から取る
予定会話
昔の隣人
谷のV字に別れた集落
水道水で池を埋める
水道水で川が出来る
将棋:第36期女流名人位戦五番勝負 17歳里見が女流名人 史上3番目の若さ
◇出雲市在住 倉敷藤花と2冠
将棋の第36期女流名人位戦五番勝負の第3局が10日、東京・将棋会館で行われ、131手で挑戦者の里見香奈倉敷藤花(17)が清水市代女流名人(41)を破り、3連勝で奪取した。里見の女流名人獲得は初めて。元女流棋士の林葉直子さんの15歳、中井広恵女流六段の16歳に次ぐ史上3番目の若さで、女流将棋界で最も伝統のあるタイトルを手に入れた。
里見は倉敷藤花と合わせて2冠。10代での2冠制覇は、林葉さん(15歳で女流名人・女流王将)に次いで史上2人目だ。清水も女流王位・女流王将の2冠になった。
里見は第1局で三間飛車、第2、3局では得意の中飛車を採用。19歳で女流名人となって以来、第一人者として女流将棋界を引っ張ってきた清水を、力強い指し回しで圧倒した。
里見は森〓二九段門下で04年10月、12歳でプロ入り。08年に初タイトルの倉敷藤花を獲得し、09年は防衛した。島根県出雲市在住で、県立大社高校3年生。高校時代最後の大舞台で「目標にしていたタイトル」をつかみ、「プロになってからの約5年間は、あっという間だった。あこがれの清水さんと対局でき、さらに結果も出て、うれしい」と喜びを語った。【金沢盛栄】
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林葉直子さん「将棋も私も愛してくれた」
2009.3.12 07:34
林葉直子
過去に中原十六世名人との不倫騒動で世間を騒がせた元女流棋士、林葉直子さん(41)さんは11日、中原氏の引退表明について、サンケイスポーツの取材に事務所を通じて「お疲れさまでした。将棋も私も愛してくださって、ありがとうございました」とコメントした。
2人の不倫交際が週刊誌で報道されたのは98年。週刊誌報道を受け、中原氏は川崎市内の自宅で会見し、92年から5年間にわたった不倫関係の事実を認め、世間を驚かせた。ワイドショーでも連日報道され、林葉さんの留守番電話に録音された中原氏の「いまから突撃しま~す」などの肉声はセンセーショナルに取り上げられた。
林葉さんは現在はタレント、タロット占い師などとして活動している。
方広寺鐘銘事件
方広寺の鐘銘
慶長19年(1614年)、慶長14年から豊臣家が再建していた京都の方広寺大仏殿はほぼ完成し、4月には梵鐘が完成した。総奉行の片桐且元は、梵鐘の銘文を南禅寺の文英清韓に選定させた。
且元は駿府の家康への銘文の選定や大仏開眼供養の導師や日時の報告などを逐次行い上棟は間近であったが、7月29日、家康は家臣の本多正純を通じて、梵鐘銘文の文中に不吉な語句があるとして、大仏供養を延期させた。家康は五山の僧(金地院崇伝ら)や林羅山に鐘銘文を解読させた。崇伝らは、文中に「国家安康」「君臣豊楽」とあったものを、「国家安康」は家康の諱を分断し、「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を願い徳川家に対する呪詛が込められていると断定した。また、林羅山は「右僕射源朝臣家康」(右僕射は右大臣の唐名)を「家康を射る」ものであると解釈している。
この事件は、豊臣家攻撃の口実とするため、家康が崇伝らと画策して問題化させたものであるとの考え方が一般的である。しかし、清韓自身は家康の諱を「かくし題」とした意識的な撰文である(「国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也」)と弁明しており、五山の僧の答申はいずれも諱を避けなかったことについて問題視している[6]。当時、基本的に諱で呼ぶ事が出来るのは両親、主君そして敵であり、通常は名字+官職名もしくは通名等で呼び、諱で呼ぶことは非常に無礼なことであった事を考えると、家康側が全面的にこじつけたものではなく、豊臣側の軽率な行為が付け入る隙を与えたという性格の方が強い。
米大衆紙「豊田社長のお辞儀の角度が浅い」
<2010年2月11日 14:14 > アメリカの大衆紙は、「トヨタ自動車」の豊田章男社長が日本時間9日にリコールを発表した際の会見について、「お辞儀の角度が浅かった」と指摘した。
10日付の大衆紙「ニューヨーク・ポスト」は、豊田社長が謝罪した際のお辞儀について、「上半身の角度は60度だった」とし、「たった40度だった先週末のお辞儀よりも誠意がこもっていた」とする記事を掲載した。一方で、「日本で謝罪の際に必要とされるお辞儀の角度は75度」と紹介、「そこまでまだ足りていない」と指摘した。