鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

一年間ありがとう

2005年12月31日 | 「考える宗教」へ

~~大晦日の夜になりました。
 今年も残り2~3時間となりました。

 みなさん、1年間おつきあい有り難うございました。


                

 年の終わりに近くになってSAITOHさんから、コメントをいただけるようになりました。まるで、鹿嶋と漫才コンビを組んでいるかのように、合いの手を入れてくださいました。

 今回も、もう一つのコメントをここに再録し、鹿嶋の見解を追加させていただきます。こうやって、話を深めることが出来るのを、SAITOHさんのおかげと感謝しています。



                  


 
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この世での幸福 (SAITOH) 2005-12-30 09:21:40

「創り主は人間を、この世での生活においても幸せにしたいと願っている」ことへの信頼があった方がよいというご指摘、ありがとうございました。

 このごろは、ややもすると、「この世」の価値観や欲望を否定するような聖書の言葉にとらわれがちでしたが、


                  



~~こういう言葉も、「これに反したら罰して痛めつける」というのが創り主の意図ではない。「これはしない方が幸せを崩されないんだよ」というのが真意なんですね。人間の「この世の」生活も幸福にしたいという創主の意図への信頼があると、そういう解読になるんですねぇ。


                  


 まず第一に、「この世」でしっかり地に足をつけた生活を、創り主が望んでおられるということを忘れてはいけませんね。


~~つまるところはそうなるかも知れませんが、このあたりが通常の道徳教とちがって、聖書はひと味深いです。

                  


「まず第一に」創り主が人間に望んでおられるのは、やはり、「死後の永遠の幸福」を確保、確認することなんですね。その確信がないと、実は、「この世での」限られた期間の生活が、その意識のベースにおいて不安にさいなまれ続けることになります。

 死んだ後の幸福への確信があってはじめて、生きている今への幸福の精神的基盤が確保される。だからイエスは言うわけです・・・

 「まず(第一に)、天の創主王国とその義を求めなさい。そうすればこの世で必要なものは、添えて与えられます」(マタイによる福音書、6章33節)

                  


 「天の創り主の王国とその義を求める」というのは、肉体を脱ぎ捨てて霊となった自分の「永遠の」幸福を求める、ということですからね。そしてその確信を得ることが、実は、いまの「この世での生活の」幸福を確保するベースになっているんですね。

 聖書ではこの世の幸福は「二番目に大事なこととせよ」と教えているんですね。そうすれば、この世の生活の幸福は、死後の幸福よりも先に「一番目にやってくるよ」というんですね。


                  


 その信頼感がないと、ただの読書感想文に終わってしまうおそれがありますし、何よりもモチベーションを維持できない気がします。


~~この信頼感を持って、聖書を自由に読んでいくと、信頼感はますます深まっていきます。

 みなさん、新しい年も、この信頼感をいっそう深めて、安心して生きていきましょう。


                 

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