鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

コメント5・「推理小説を解読するように」

2005年12月28日 | 「考える宗教」へ

~~SAITOHさんからは、とても考えさせられるコメントをいくつかいただいています。今回、少し前ですが、Vol.5「聖句に不明瞭なところがあるから“解読“が出る」についていただいたものを、掲載させていただきます。

コメントの後に、ご意見に関する鹿嶋の見解も述べさせていただきます。


                  




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聖句の探求とは (SAITOH) 2005-11-27 21:52:18

春平太先生

聖句を探求する姿勢、方法を明確にしていただきありがとうございます。

前提として、聖書という書物全体に、創造主の発信したメッセージが織り込まれているという「信頼」がなければならないということがよくわかりました。

「信仰」というより、むしろ、日本語だと「信頼」の方が近いという指摘も納得できます。

わたしは、もう一歩進んで、創造主への「信頼」はもちろんなのですが、すべてを、大いなる仮説と考える姿勢もあるのかなと考えています。 
聖書には、創り主の発信したメッセージが詰まっているという仮説に立って、それの検証を進める態度です。

つまり、聖句の探求は、仮説を立証するための検証作業ということになります。
不完全な形で随所に埋め込まれている聖句を、聖書のあちこちをひっくり返しながら拾って、つき合わせて、創り主の伝えようと
したメッセージ、真理の全体をつかもうと試みる作業ですね。

なにやら、思考実験とも、論理思考トレーニングとも、壮大な推理小説を読むようなイメージともいえるでしょうか。
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~~鹿嶋は心情的にはもう一つの信頼感があるといいと考えています。

それは「創り主は人間を、この世での生活においても幸せにしたいと願っている」ことへの信頼です。

 その意図は創世記のはじめのところ、アダムとイブを造るところに明示されています。かれらを住まわせたエデンの庭園を楽園に造ったのですから。この庭園はこの世での生活の場ですから。

 ここに呪いを入れたのは、創り主ではなく悪魔だと聖書は記しています。そして二人はルールに沿って苦難の世に出されるのですが、それ以降においても創り主は人間を幸せにするように、ルールの中で出来ることをしています。

 イエスは病の苦しみから人を解放し、飢えたものには食べ物を出現させて与えています。そのイエスがすなわち父なる創り主の具現体だというのですから、創り主は人をこの世でも幸福にしようという仕事をしているわけです。

                


 この世で、人の幸福のためにいことをしてあげる人がいます。その人がクリスチャンでなくてもこれは「創り主の仕事をお手伝いしていること」にもなりそうです。

 「人を幸せにするように働くと、自分にもいいことがある」というこの世での経験知識があります。これはクリスチャンでない人でも経験することです。それも「創り主の仕事のお手伝いをしたことへのご褒美」だとも解せます。聖書的には、天使が褒美を与えるように動くことになるでしょうか。

                


~~ともあれ、メッセージを送る存在が、人間をこの世でも幸福にしたいという意図に満ちている。そのことへの信頼感が、人間の聖句探求のモチベーションを大きく左右すると鹿嶋は考えています。

 SAITOHさん、いいコメントを、ありがとうございました。
             
               



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1 コメント

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この世での幸福 (SAITOH)
2005-12-30 09:21:40
「創り主は人間を、この世での生活においても幸せにしたいと願っている」ことへの信頼があった方がよいというご指摘、ありがとうございました。

このごろは、ややもすると、「この世」の価値観や欲望を否定するような聖書の言葉にとらわれがちでしたが、まず第一に、「この世」でしっかり地に足をつけた生活を、創り主が望んでおられるということを忘れてはいけませんね。

その信頼感がないと、ただの読書感想文に終わってしまうおそれがありますし、何よりもモチベーションを維持できない気がします。

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