徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

アメリカ横断日記-66

2009-09-23 08:04:34 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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アメリカ横断日記-66

2月23日 快晴 (月曜日) 69日目

 本当に良い日である。雲一つない。
しかもそれほど暑くなく、Tシャツ一枚で朝から夜までいられる。最高の日である。

 Oklahoma City から Henryetta までは人々がなんだかんだと話し好きな人が多かった。
そして彼らは親切であった。その後、Henryetta からこちら3日間は人種が違うように感じる。彼らとは余り話さない。
バックパックにはデザイナーがくれたサイン「I’m walking across the U.S.A.」があり、それを見ると割りと人々は話しかけては来るのであるが、、、

 テントを張ったので、手の込んだ自炊をあまりしたくないのだが、今日は牛肉のミンチを買って、ハンバーグを作る。
ハンバーグを作るにはその前に手を洗わなければならないが、そのような所がない。
汚い手で肉をこねる。その後にトイレットペーパーで拭けば手が綺麗になっている。
肉を焼いて食べるのだからまあ良いか?

 Shallisaw を越えテントを張る。
 出費 8.20ドル



アメリカ横断日記-65

2009-09-22 08:11:12 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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アメリカ横断日記-65

2月22日 曇り、風 (日曜日) 68日目

 朝、少しの間は大変良い天気であった。しかし、風が強い。そのためか、だんだん雲が増えて来た。
昨日の夜はにわか雨があった。そして風が強かった。それで昨日は馬小屋を見つけそこで寝たのが良かった。
話を元に戻すと天気はすこし寒い感じさえする。
最高温度が51~52°F(10.6℃~11.1℃)ぐらいであろう。
今日はTシャツだけの格好は止め、上にウィンドブレーカーを着る。

 歩き方はダンダン元に戻ってきた。今日は7時間ほどぶっ通しで歩く。
この様に前の靴の時と同じに歩けるようになって来た。今日は休みを取らなかったから疲れたのに、距離はそれほど出ていない。
何故なら、2マイルほど戻ったり、東に進まなければいけないのに、北に行くだけであったりで前には進んでいない。
また、国道64号はマイルストーンがなく、距離がはっきり分からない。

 Warner を過ぎテントを張る。
 出費 6.10ドル



アメリカ横断日記-63

2009-09-21 06:45:00 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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アメリカ横断日記-63

2月20日 晴れ (金曜日) 66日目

 朝から大変良い天気でもう春を過ぎ、夏を思わせる。
今日の最高温度が82°F(28℃)である。ニュースでは、この温度が1922年の81°Fを越えるものであるらしい。
異常に暑いのでこの2~3日後には雨が降るらしい。

 66日目で初めて金曜日にモーテルに泊まる。
即ち、「花金」花の金曜日にモーテルに泊まるのである。
そういえばサタデーナイトフィーバーである土曜日にはいまだモーテルには泊まったことがない。

 夕方、Henryetta まで後1マイルの所のバー アンド カフェで飲む。
そこは皆が仕事を終わって集まるような所で和やかな雰囲気で良く、人々は大変良い感じである。
しかも、ビールが安い。65セントである。やはり昨日の黒人の「ばばあ」がいたバーでは85セントと高く取っていた。
(昨日のバーでは一本のビールの値段もだましていたのだ。)
そのバーアンドカフェでは人々と少し話をして一緒に飲んだ。皆は奢ってくれるのである。
皆の顔を見ても良い顔をしているのが分かる。
それに、、あ!そうか!今日は花金であった。だから、皆が集まって一週間の疲れをここで解消しているのか。

 そして、今日の夕日は大変美しい。その後、町までの1マイルを歩いていた時にそれが見えたのである。

今日は昨日と違い最高の日である。

 Henryettaまで歩きモーテルを探し泊まる。
 出費 33.00ドル



アメリカ横断日記-62

2009-09-20 09:11:20 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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アメリカ横断日記-62

2月19日 快晴 (木曜日) 65日目

 今日はお金について考えさせられる日である。
一つ目は 
 朝、最初に着いた町がPraque という町である。
そこのスーパーで果物を買っていたら、「昨日あなたを道路で見た。飲み物のたしにしてくれ。」と100ドルをくれる人がいるのである。
その時俺は気持ちだけでありがとうと断わる。この人たちは物も現金も同じなのだろうが、俺は違うように思う。
バーなどでも俺にビール奢ってくれる人がいるが、(結局、最後には俺が奢り返すのが常である。)現金は話が違う。
現金をもらうと何か乞食をしているような気がして嫌だ。
現金をくれようとする人はそのへんは考えていないようだ。
物をくれる時は「ノドが乾いているだろうから」、「お腹が減っているだろうから」など相手に対しての気持ちが非常に強くうかがえる。
だから、返ってその食べ物や飲み物をもらわなくてはいけないような気持ちになる。
現金をくれる人はその辺の配慮は少ない。
俺のノドが乾いている時、水とかジュースは必要なものである。
だから、その物がほしかったものなのであるが、現金は俺も持っているのである。
俺が貧乏でお金がなければ現金は必要なものなのである。だから違うのである。

もう一つは
 黒人の町Boley という町に着く。この名前は今後忘れないだろう。
ルート62の Boley はここに着く前、Meeker という町で黒人の町であると聞いていた。
だからか?何故か?道路沿いにあったバーに昼ではあるが、入って飲みたい気持ちになった。それは黒人と親しくなりたいという意味があってのことである。
そのバーはカフェと一緒になっている。そこには黒人のおばさんが従業員として一人でいたのである。

 お客はいない。おもむろにビールを注文する。
一杯目はちょっと他のところよりか高いと思うが、まあ良いと思う。
そのおばさんは5回結婚したの、どうのこうのと話をし、2杯目のビールを飲むとき、俺が10ドル札を出す。
(アメリカでは物が出てきたと同時にお金を払うのが常である。)
おばさんはつり銭がないと言い、マスターが帰ってくればつり銭を持って来るからと5ドル札分でお釣りをカウンターに置く。
即ち、5ドルは後でもらうことになる。
子供が入ってきて話をして帰るときに、何時になったらお釣りをくれるのかと聞いたら。
「お前は初めから5ドル札しか払わなかった。」と言うではないか。
その後、店のマスターが入ってきて、このばばあのことを言ったが、結局何もならなかった。
俺が何故、この町に興味を持ち、昼からバーなど入り飲む気になったと思っているのだ。黒人と親しくなりたいからだと言うことを知っているのか、、、、
いい黒人もいるはずなのに、、、 これからも俺はある程度距離を置いて黒人を見ることになるだろう。

本当に今日はお金を通して考えさせられる日であった。

 Castle を越えてテントを張る。
 出費 13.00ドル



アメリカ横断日記-61

2009-09-19 14:07:40 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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アメリカ横断日記-61

2月17日 快晴 (火曜日) 63日目

 本当に良い天気である。Tシャツとウィンドブレーカーだけになる。それでも汗をかく。
テントを張るときもTシャツだけ(6時過ぎ)である。
 汗をかいたので今日もシャワーを浴びたい。しかし、ここHarrah にモーテルがない。
次のモーテルまでは2~3日かかりそうである。

 Harrah を過ぎテントを張る。
 出費 10.50ドル


2月18日 晴れすこし曇り (水曜日) 64日目

本当に暖かい日が続く。今日は朝からTシャツ1枚で歩けるけるほどである。昼からは汗が出る。

 人が多くなり人々と話す機会が多くなったような気がする。

 足は少し良くなったようだ。しかし、たまに変な歩き方をするのだろう、大変痛いときがある。
1回それをやると非常に長く痛さが続く。そんな時休みを取り、変な所に力が入らないように改めて歩き直す。

 今日の道路は道が良くない。狭い上に舗装された路肩がない。
舗装されてない所を歩いたので、ガタガタで水ぶくれが出来ている足が痛い。

 Praque の前でテントを張る。
 出費 6.30ドル