=========================================================================================
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
=========================================================================================
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-129
6)バングラデシュを歩く
日記から-9
2月21日 (火曜日) 快晴
朝は昨夜遅くまで歩いていたので、ゆっくり出発したかったが、このFeniの町を早く出発したい気持ちになり、朝食も食べず出発。
それで朝食を取ろうと食堂を探していたら、家が2~3軒だけの小さな村に食堂がありそこで食べる。
そこでは人々が俺にあまり冷たく当たらない。その代わり俺が彼らに気を使い和やかに話をする。
10時ぐらいにお茶を飲み、その後すぐにイランで日本の企業で働いていたことがあるという男がまたお茶を奢ってくれる。
その人とはフレンドリーに別れる。この様に昼は昨日と同じように良い状態である。
昼食に入った所では1人の老人が大変親切であったが、その食堂に後で入って来た男が分けの分からない英語で俺にからんできた。
その男がうるさいので無視してその店を出てきた。この時も老人が助けてくれたので、店を出れたのである。
また、昨日の様に午後は運がついてないのかと思った。
食堂の中、釜はバングラデシュのパン、ルティーを焼く穴が開いている。
夕方食べに入った食堂で泊まれる所があるか聞いたら病院の前に泊まれる所があるというのである。
彼の話ではビルの1階を泊まれる様に貸してくれるというのである。今日は昨日のようではないかもしれない。
このビルを貸してくれた老人にありがとうと言いたい。
彼は何の躊躇もなくすぐにそこの鍵まで出してくれた。寝る所が確保できたので、また先ほどの食堂に行く。
食堂に集った多くの人と分からない言葉で話していたが、結構楽しかった。
その後が大変であった。このビルの1階はこの村の人々の為に解放しているテレビを見る場所である。
人々はしばらくすると多く集って来た。俺は疲れていたので、寝るように努力していた。
人々は俺に集まってくるかと思ったが、寝ていると思ったからか人々は集らず助かった。
それでも眠りながら荷物が気になり、完全に寝ることが出来ずうつらうつらしていた。
そんな状態で夜中の12時ぐらいだと思うが、誰も村の人がいなくなったようだ。
出費 24.20タカ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます