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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-111
5)バングラデシュを歩くまで
日記から-1
1984年2月3日
ダッカの町
シンガポール、マレーシア、タイと歩き終わり、タイのバンコクに戻った俺は今日の
午前11時10分の飛行機に乗りダッカへと飛んだ。
これはたった2時間のフライトであった。ダッカは思ったより暑くない。
周りには何も高い建物がない殺風景な飛行場である。
ところで、着いたのは良いが、旅行のガイドブックもないので、これから何処へ行ったらいいのか分からない。
空港のロビーに出てみるとホテルを紹介するという人々に取り囲まれてうるさて仕様がない。
どの人の言っていることが信じられるか分からない。それはこのアーリア系の人の顔立ちが美男だがどこか軽く、お調子者様に見えるからである。
それでとりあえず、皆を振り切り、バス停まで行き市内までバスに乗る。
とにかく、ホテルを探そうと、タイのバンコクで聞いてきたホテルに行こうとするが、詳しく分からず、空港のホテル紹介人の中からもらった名刺の所を尋ねる。
その名刺のホテルの住所を警官や人に聞いた時に人々が集まる。
3回目に道を聞いた時には俺の周りに人垣が出来るほどであった。
彼らは「そのホテルはあっちだ。」「いやそのホテルはこっちだ。」と話しているようで、俺とはまるで関係ない事のように話し合われているのである。
その中の一人が「俺がそのホテルに連れて行ってやる。」と言い、「俺の家がそのホテルの後ろにある。」とも言っていた。
彼は俺を連れて行き、途中でお菓子のようなものまでおごってくれた。
やっと、そのホテルに着きホテルの宿泊料を聞いたところ、このバングラデシュでは高いのではないかと思われる30タカである。
高いとは思ったが、今日はここで泊まることに決める。
その後はそこまで連れてきてくれた人とダッカの夜に出た。
彼と食事をしたり、彼の家へも行ったりした。
今日、タイのバンコクからバングラデシュに着いたのだが、たった2時間の飛行がこうまで2つの国を変えてしまうのかと思うのである。
今までの東南アジアからはかけ離れた感じ、即ち、オーストラリアからシンガポールに着き日本に近づいたと思ったのに、また日本から離れてしまう感じである。
この文化、人間の違いを知るためにも、この2つの間の国ミヤンマーを本当に歩きたかった。
この国、バングラデシュは本当に貧しい。
道路の横の溝はションベンとクソの臭いがすごい。
今、足の状態がよくないが、もしそこに落ちてしまえば、間違いなく化膿してしまうのではないかそう思ってしまうのである。
この国は自動車が少ない。その代わりにリキシャ(自転車の後ろにお客を乗せるタクシー)がすごく多い。
出費 45.50タカ
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