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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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ユーゴスラビアの中部・後半の経路
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ユーゴスラビア)-516
16)ユーゴスラビアを歩く
日記から-24
5月18日(土曜日) 晴れ
今朝は歩きたくなかった。
この民宿は宿泊料が高いが、この町で前から2泊しようと思っていたので、泊まることにする。
その連泊することを民宿に伝えると、また観光案内所(ツーリストビーロー)へ行って手続きをしろと言う。
この家で宿泊料を払った方がこの家の利益になるのであろうが、このおばあちゃんはそんなことは如何でも良いのであろう。
また、このおばあちゃんはここの宿泊料をいくらで出しているのかも知らないのではないだろうかとも思うのである。
昼間は街を歩き回る。それで夕方と言うかそれより遅く、9時ぐらいにこの民宿に帰って来た。
そしたら、僕の破れかけた半ズボンは綺麗に裁縫されていた。
その半ズボンは普段バックパックに当たり、その部分が薄くなっていたり、破けたりしていたのであるが、それをミシンで丁寧に縫ってくれていたのである。
何と暖かい家なのだろうか。
この民宿の人々は宿泊料が高いか安いか知らないようだ。
昨日までと違い僕もこの民宿の価格は今、高いと思わない。
出費 2196デナール
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