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徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

9、ニュージーランドを歩くまで-5

2010-05-03 06:42:35 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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9、ニュージーランドを歩くまで-5

 さて、メルボルンから少し離れた牧場でフェンスをペンキで塗る仕事を始めた。
Shaneの弟Garyと一緒にフェンスをペイントして何日か経った時であった。
昼頃から山火事が起こったということで、注意するようにと警察が来て言った。
その後、私が夕食を作っている時、いよいよ火が近づき危ないということで、避難する様にまた警察がやって来た。
私は「夕食を作ったら避難する。」と答えていたら、それどころではなく直に避難をしろと怒られてしまった。
それでも腹が減っていたので、直に夕食を作って一番良い競馬馬を連れ、町の運動場に避難を何とかした。
その避難した町では人々がごった返していた。
町の人々に話しを聞くのだが、あの方向の家は皆焼けたとか言い、まさに小さなパニックの状態であった。
この様に人々の噂は正しくないようだ。

牧場から一番良い競馬馬だけを連れて避難したが、動きが取れないのでスポーツ施設のテニス場にその馬を入れた。
その後、私が作った夕食を食べ、腹がいっぱいになったら少し平常を作ることが出来た。
後で夕食を作って良かったなとShane達に感謝された。
その日は運動場(クリケットグランド)で寝ることになったが、眠れずに夜を明かした。 

 次の日、帰ってくる人々や警察にShaneの牧場のことを聞くが、ハッキリしない、噂だけで本当の事が分からなかった。
とにかく、牧場に帰ってみようという事で恐る恐る帰って行った。
幸いなことに、家は火事に合わず無事であった。
しかし、横のState Forestはまだ火が残っていて牧場の芝生を通して火が移り、人間の歩く速さ程度で火が芝生の上を移動して行った。
その火が家に移ったり、フェンスの木の杭に移らないようにしなければならない。
そのために我々が水で濡らした麻袋を持って、その火が移動して行くところを目指して駆けて行くのであった。
そして、麻袋を叩きつけながら火を消すのであった。
一度、火を消すと牧場の家に戻り、よく牧場全体が見える大きな窓から火が移動しないかまた見ているのであった。
その火の移動が一回でなく、一日の内に数回牧場の芝生を通し、移動するのであった。
気が休まる事がなかったし、真っ黒になりながら火を消した。
危険ではあったが面白い貴重な経験であった。その次の日やっと落ち着くゆとりが出来た。



9、ニュージーランドを歩くまで-4

2010-05-02 04:39:02 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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9、ニュージーランドを歩くまで-4

 一通りユースホステルで情報を得てから、メルボルンに来た目的でもあったShane の家に電話をした。
そしたらShane はすぐに家に来いということで、ユースホステルを引き払った。

 彼に会った日は競馬の馬の競売があった日であった。
彼の夢がその競馬馬を買い、育てて競馬で優勝することであった。
その関係ですぐにその競売を見に行ったのであった。
今までの私では競馬馬を買うなどは考えられないことであった。
だからといって、彼、Shaneが特別な金持ちでもなかった。
その時は彼が安く2頭の馬を買ったが、確か一頭はA$6000ぐらいだったと思った。
それ以下で落札された馬もたくさんあった。
それはオーストラリアが干ばつで馬の餌である藁がないので、競馬馬が安いのだそうだ。
しかし、それにしても安すぎるではないか。
どちらにしても、私にとって競馬の馬の競売を見たのは貴重な経験であった。

 Shane に会った次の日から彼の牧場でフェンスをペンキで塗ることになった。
この牧場は前日に買った競馬馬を飼う所であった。
この牧場には木の杭が同じ間隔で設置されているのであるが、それにペイントをする事で木が悪くなる事を防ぐためのものであった。
どちらにしても次のニュージーランドの旅の前1ヶ月は休もうと思っていたのである。
既に、2週間はシドニーで過ごしたから、後の2週間はこの牧場で過ごすことに決めていた。

 その牧場は横がState Forestなのでユウカリの木の林に囲まれていて良いところであった。
自然が多く残っているから、もちろん、自然のコアラ、カンガルーを見ることが出来た。
特に、一日のペンキ塗りの仕事を終わり、夕方その林に静かに入っていくとその動物たちを見ることが出来るのである。
何と平和ですばらしい光景なのだろうか。感動したものであった。



9、ニュージーランドを歩くまで-3

2010-05-01 05:10:31 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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9、ニュージーランドを歩くまで-3

 何故このシドニーに2週間と決めたかというと、それ以上私が滞在すると老人が気を使い疲れて迷惑がかかるだろうと思ったからだ。
だから次に落ち着ける場所に移りたかった。
そこは、この旅の途中Swan Hillで知り合ったShane の家であった。
彼はメルボルンに住んでいて、彼にもどうしても会いに行きたかった。
またメルボルンという都市も見たかったという理由もあった。
とにかく、彼に会う目的で、シドニーからメルボルンへ行った。

 メルボルンに着き、ユースホステルに2日間泊まった。
そこではオーストラリア人以外の人といろいろな情報交換をした。
特に、これから行くニュージーランドの情報であった。
幸い、そこにはニュージーランド人も泊まっていたので大変よかった。
ところで、どうして次の旅がニュージーランドを徒歩で縦断なのかということを話していなかった。
それはオーストラリア横断があまりにもキツく、辛かったのでユックリ、しかも景色のよい所を歩きたくなったからであった。
その後、シンガポールからヨーロッパまでも歩きたいのだが、それも困難が予想されるから、楽しんでニュージーランドを歩きたかったからである。

 話は変わるが、このユースホステルには日本人の女の子が2人で旅行している人がいた。
彼女たちは英語が話せないからか、隅っこの方で小さくなっていた。
それに比べ私も英語を話せるほうではないのだが、かまわず話しを続けていた。
会話は相手が理解できれば良いのであるから、文法は気にしていなかったからである。
彼女たちは私を見て日本の同じぐらいの年の男とは違い若く見えると言っていた。
これも私は既成の考えをしていなかったので、そう見えたのではなかろうか?
とにかく、若く見てくれて、ありがとう!

 他にオランダ人の女の子がそこに泊まっていたが、彼女とメルボルンの市場を見て回った。
彼女は18歳にもかかわらず英語は完璧で、全部で5ヶ国語を話すことが出来た。
ヨーロッパという所が語学を学ぶに良い環境だからか、若いうちから5ヶ国語を話せるのはうらやましかった。



8、オーストラリアを歩く-43

2010-01-24 08:22:06 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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8、オーストラリアを歩く-43

・日記 12-22

11月22日 (月曜日) 快晴  27日目

 昨日、2日分の食事を作ってもらっった。
この前、せっかく肉を焼いて準備した食糧にウジが発生したので、それに気をつけバックパックにしまった。

 暑い!
ノドが乾き水を一気に飲みすぎる。水のことが非常に心配である。
それでも、昼過ぎにある人から水をもらう機会があった。
この後は2時ごろ昨日のロードワーカーが道路の修理のために出ていたので、その現場を過ぎる時に水をもらった。
ありがたい。昨日のお礼をしたが、また、今日も水をもらってしまった。
彼らには何もしてあげられないのが残念だ。
これで次のロードハウスまで水は何とかなりそうである。

 非常に暑いので、歩いていて何も考えられない。暑いことだけが気になるのである。
だから、時間の経つのが遅く感じる。
何かの思い出に浸っていれば、時間が経つのが早く感じるものであるのだが、暑さのためにそうも行かない。

 朝、そういえば、道路の上にムカデをたくさん見た。だから、草が多いところでは草に入らないようにしよう。

出費 A$0.00



8、オーストラリアを歩く-42

2010-01-23 08:32:33 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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8、オーストラリアを歩く-42

・日記 12-21

11月21日 (日曜日) 快晴  26日目

 全く暑い。35℃は越えているであろう。
今日昼にCocklebiddy に着く。ここで5日ぶりのシャワーをする。
ここでのシャワーは水が塩辛いので塩分用の石鹸を使わないと泡が立たない。
この砂漠では井戸水がこの様に塩辛いのである。

 このところ毎日のように暑さが増していく。
こんな状態では暑くてナレボー砂漠を越えられるであろうか心配だ。

 昼過ぎからロードハウスでビールを飲む。
そこに飲みに来ている人々と意気投合し仲良くなる。
彼らはロードワーカー(道路を修理する人達、2人)、電話の仕事をしている人などである。
彼らは今日が日曜日だから仕事が休みであり、昼から飲んでいるのだ。
彼らとは非常に仲良くなり、楽しく話しをする。久しぶりに良い時を過した。

 ロードワーカーの人々とロードハウスの飲み屋で知り合いになった関係で、その人々が使っている部屋のベッドを使わせてくれるという。
ベッドは久しぶりである。
今日はのびのび寝れそうだ。

出費 A$20.00