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徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

10、ニュージーランドを歩く-5

2010-05-10 06:56:27 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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10、ニュージーランドを歩く-5

・天気1-1

 このニュージーランドは雨が多かった。風が強かった。
オーストラリアでは暑かったので温度を何時も気にして、明日は温度が下がってくれと願っていた。
このニュージーランドでは毎日のように雨が降るので雨よ降らないでくれと願っていた。
しかし、雨が多いから、その分緑が多く、晴れた時の景色は絵に描いたかのように美しく見えた。
世界的に美しい所では雨がないとその様にはならないと思うと雨が降らないように願うのは無理があった。

だから、テントを張るときは雨を避ける為に出来たら橋の下でテントを張りたかった。
人家が余りないので、橋の下にテントを張っても見つかることはなかった。
また彼らニュージーランド人は人がテントを橋の下で張っても気にはしないようだ。
それでも、橋が見つからず、木の中でテントを張った時などは雨が降らないことを祈った。
あくる朝、雨や朝露でテントに水がつくとテントが重たくなった。だから、テントをたたむ時に苦労をし、拭き取った。
それまでしても、その後で担いでいくのが重く辛かった。

 この雨が多いニュージーランドでも歩く時はポンチョなども着ていないので、頭から靴の中までビショビショになった。
それはポンチョを使っても歩くと汗をかくので内側も濡れるから、ポンチョを使いたくなかったのである。
それだから、もちろんパンツの中まで水浸しであった。
それでもバックパックは中にビニール袋の大きいのを入れてすべての物をその中に入れた。
だから雨が降っても中の物は濡れなくてすんだ。
ただ、持っている服があまりないし、雨の時は乾いた服を着ても雨に当りすぐに濡れるので、毎朝、前日着た濡れた服をまた着るのであった。
毎日、テントの中では服を乾かすが、朝までには乾かなかったから濡れた服をまた着なければならなかったのであった。
この朝に濡れた服を着る辛さは普通ではなかった。
まだ冬ではなかったのであったが、摂氏0度ぐらいの温度ぐらいの時もあった。
その温度の時に服を着るのは堪らないものであった。
また、朝の準備をして、雨の中に第一歩を踏み出す時は大変な決意が必要であった。
これも特に温度が低い時は大決意がいった。
かえって雪が降ってくれれば、ポンチョを着て歩くのだが、その様な温度でもないので困ったものだ。




10、ニュージーランドを歩く-4

2010-05-09 06:27:21 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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10、ニュージーランドを歩く-4

 イースターの時であったマオリ人の人々が集まり、祭りをしているようで、前を通った時、私を歓迎してくた。
彼ら南太平洋の人々特有の料理でハギというものがあるのだが、それを皆で料理するのだった。
その様子は一つのイベントであった。
そのハギを作る時は朝から穴を掘り、焚き木を作りそこに石を入れ、石を熱くするのであった。
掘った穴に焼けた石を入れ、その上に金属のバスケットに野菜、肉を入れた物を置くのであった。
その上に濡れた布で被い最後に土をかけるのだった。



 (ハギと言う料理)

この状態で5時間待つというのであった。全部で7時間がかかる大イベントであった。
待っている間、人々はラグビーやビリヤードで時間をつぶした。また、いろんな物を食べた。
ラグビーではさすがにニュージーランドは強いようだ。若いそれほど大きくない人が私を簡単にタックルで倒すのであった。
それに腹を立て、私がタックルをするのだが、体に触っても彼らは倒れないのであった。
だから、私は2重に悔しい思いをした。ラグビーとは難しいものだとその時に思ったものだった。

 さて食べ物である。彼らはうなぎを非常に多く食べるのには驚き、感激もした。
私が日本ではうなぎが高いのだと言ったら、嫌と言うほど食べさせてくれた。
西洋人などは自分が腹一杯になったら私もお腹が一杯なのだと思い食事をそれ以上勧めることはない。
だから、このマオリ人のこの様にもっと食べろという勧めには感激したのだ。
また、このうなぎは非常に大きかった覚えがある。
うなぎの食べ方は開いて焼くのだが、ただし、塩焼きであった。
塩焼きも良いのだが、あれだけ多くのうなぎを食べたのだから、日本のタレもあればよかったのになとも思ったものだった。



10、ニュージーランドを歩く-2

2010-05-07 08:08:55 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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10、ニュージーランドを歩く-2

 Bluffから西海岸に出るまでにミルフォードサウンドという美しいフィーヨルドの景色をどうしても見たかった。
そこは縦断するコースから離れていたのでヒッチをしてそこまで行き、バスでヒッチをした場所まで帰って来た。
 バスを降りる時、何もない所でどうして降りるのかとバスに乗っていた人たちが不思議がっていた。
ミルフォードサウンドは綺麗だったが、そこでテントを張って寝ていたら、雨に降られサンザンであった。
 しかし、綺麗な緑景色だから、それには十分な水が自然に行き届いているという事であった。
即ち、雨が非常に多く、常に雨で濡れていた。あの景色を作るには雨がなくてはならないのであろう。

 また、この南島ニュージーランドでは蚊ではなくサンフラーイという黒い小さな虫に悩まされた。刺されると蚊よりかゆく、後に残った。このサンフラーイの対策は虫除けスプレーによって行った。

 ニュージーランドの西海岸には2つの氷河が残っている。フォックス氷河とフランツ・ジョセフ氷河である。
そこを通りたかったので、西海岸を北に上がって行った。
そこを歩いていたら、何回となく同じ自転車野郎によく会ったし、よく話しをした。
彼のアドバイスで縦断の道を外れマウントクックへ登る登山道の始めての山小屋へ行った。
その山小屋は山の中腹にあり、近くの山の棚のような所には自然の温泉が涌いているのであった。
私が一番早くその山小屋に着いたので、目の前に見える山を見ながら一人で温泉に浸かったものであった。
その時は素っ裸であったが、後から登ってきた人々は水泳着を着て入っていた。
やはりこの様に自然のすばらしい温泉では素っ裸が一番であるのに。。。



9、ニュージーランドを歩くまで-7

2010-05-05 06:43:59 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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9、ニュージーランドを歩くまで-7

 オーストラリアは7年間の干ばつで、あまりにも乾燥し景色の変化もない徒歩の旅で厳しく大変なものであった。
だから、景色の良い豊かな緑の中を楽しく、また、ゆっくり歩きたかった。
そんな訳でニュージーランドを歩くことに決めた。
オーストラリアを歩いた自信があることからニュージーランドは本当に楽な気持ちで、遊び心を持って出かけて行った。
その為か? ニージーランドのクライストチャーチへの飛行機の旅で隣の席の人と気軽に話しかけ、仲良くなった。

 その人のおかげでニュージーランドの初日の夜をその彼のクライストチャーチの家で過すこととなった。
即ち、彼の家に泊めてくれたのであった。本当にニュージーランドは親切な人が多い国だ。
また、何と旅の初めから幸運な事かと感激をしたものだった。



 泊めてくれた家の人たち

 クライストチャーチはイギリスのような所であり、綺麗で気持ちが良い町であった。
その様にニュージーランド人に「ここはイギリスみたいだ。」と言うと彼らは喜ぶようだった。
だから、彼らはイギリスに憧れているのだろうなと思った。
これはばかげているのではないかとも少し思った。
イギリスはイギリスであり、ニュージーランドはニュージーランドなのにな、、、、

出発するまでクライストチャーチのユースホステルに泊まり準備を3日間した。
それは燃料やマットを買うことであった。
登山靴はオーストラリアで駄目になり既に準備をしていたが、他のもの特に燃料などは現地で準備しなければならないからであった。
また、オーストラリアでは寝る時に下に敷いて使うマットが重要ではなかったが、これから寒くなるので厚いマットが必要だったからであった。

 最南端Bluff という所まで行くのに、クライストチャーチから電車でInvercargillまで乗り南下して行った。


9、ニュージーランドを歩くまで-6

2010-05-04 06:57:45 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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9、ニュージーランドを歩くまで-6


火事ではコアラも木から落ちるのである、カメラが良くないので綺麗に取れなかった。

 山火事が一段落してゆとりが出来て、State Forestの様子を見に行った時であった。
木がすべて焼けてしまったわけではないが、煙はそこらじゅうに上がっていた。
山火事の被害の様子を伺っていたら、何と!焼けた木の中から息絶え絶えの火傷したコアラが落ちていたのを見つけたのであった。
その後、そのコアラをナントか連れてきて世話をした。餌としてユウカリの葉を与えた。
それは元気になったら、裏の林に返してあげようと思ったからであった。
しかし、与えたユウカリの葉を食べることなく、2日目ぐらいに死んでしまった。
死んだコアラを裏の林に返しに行った時に皮肉にも木の上にいた生きたコアラを見つけた。
この山火事で死んだもの、生き逃れたものがいたのであった。
それにしても、コアラも自然の山火事では火傷をしてしまい、木から落ちてしまうのだ。

 Shane の弟のGaryとのペンキ塗りは続いた。その後山火事はなく無事に2週間は過ぎた。
その間、昼間はペンキを塗り、夜はビールを飲みながら彼と話しをした。
Gary は私の下手な英語を気にせず話しをしてくれた。
彼はこの時にしては先見の明があった。それは中国に中国語を勉強しに行く準備をしていたからであった。

 その他、牧場では競馬馬にも乗ったりもした。
なかなか競馬馬は頑固で、乗り手が素人だとビクともしなかった。
馬に馬鹿にされているようだ。最もそれでこの「馬鹿」という言葉ができたのだろうが、、、?