goo blog サービス終了のお知らせ 

徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1015

2016-01-20 09:24:47 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ポルトガル)-634

24)ポルトガルを歩く

日記から-7

9月 27日(金曜日) 晴れ

 このY.H.は朝食付であり、それが食べられるのが、9時からである。
だから、朝食を食べ終わって出発するのが非常に遅い。結局、Y.H.の会員カードを返してもらって、出発したのが9時20分になってしまった。

 リスボンの中心地からしばらくはフリーウェイーなどの大きな道路で非常に騒がしい。
早く通り過ぎたいからか、自然と歩きが早くなる。まず、目標はSintraという所へ向かって歩く。

 今日はこの長い歩きの最後の日なのにあまり寂しくも嬉しくもない。
何故だろうかと考えたら、僕の歩きの旅はここで終わったとしても、僕の人生はまだ終わらないし、まだ、ヨットもやりたいからだろう。

 Sintraを過ぎ、山の中を歩く。
この辺は木が多く、影があるのであまり暑くないのは助かる。

 夕方の6時に僕の最終目的地・ヨーロッパ最西端のCabo Da Roca(ロカ岬)に着く。

port-7.jpg
ヨーロッパ最西端のロカ岬に着いた僕。旅の終わりである。

 ここは断崖絶壁だが、どうにか海水に触れたいと思い、下に降りる所を探す。
下りる所を何とか探し、断崖から降りて行く。

 それで、1985年9月27日(金曜日) PM 6時15分に大西洋の海水に触れることが出来た。
これで1983年10月10日にシンガポールから歩き始めた長い旅が終わった。
またこれで、日本縦断、アメリカ横断、オーストラリア横断、ニュージーランド縦断からの長い旅が一時、終わったのである。
、、、、、、、

続く

================================================================================
筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

================================================================================


世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1014

2016-01-19 08:16:59 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ポルトガル)-633

24)ポルトガルを歩く

日記から-6

9月 26日(木曜日) 晴れ

 今日は歩かず、中央郵便局G.P.O.に行き、手紙が来ていないかチェックする。
がっかりした事にそこには手紙が来ていなかった。

 その後、大きな川沿いの桟橋でワインを飲んでいたら、えび取り屋さんが来た。
この桟橋に集まるえびを取っているのである。彼はえびを取ってレストランに売っているのである。
その人と少し話をしたら、えび1kgが1000エクスードで売れると言うのである。
他にも、彼は昨年この仕事ではなく、フランスのボルドーにブドウ取りの出稼ぎに行ったそうだ。
その時の日当は200フランで宿と食事付だそうだ。

 夜、10:00から闘牛が始まる。
Y.H.に泊まっているベルギー人と一緒に見に行く。思ったより人が多く、ギュウギュウ詰めの状態で見る。
スペインの闘牛とはやはり違いこちらの方が見ごたえがある。
それは始め元気のいい牛が出てきた時には馬に乗った槍士が牛の急所に早い動きで短い槍を突き刺すからである。
その素早い馬の操りが見所である。
ところが、スペインの闘牛は馬にプロテクターを着けて牛に近づき、素早い動きがなく、牛の急所を長い槍で痛めつけ弱らせるからである。
とにかく、どちらも馬を使い急所を狙い、牛を弱らせるのであるが技術などは格段にポルトガルの方が上である。
馬をあれだけ使いこなせるものだと関心をする。だから、ポルトガルの方が見ていて気持ちがいい。

 次に勇敢な闘牛士たちが馬に乗らず、小さな槍だけを持って駆け出して、牛の急所に突き刺すのである。
これも闘牛士の素早さを見せてくれるもので勇敢なところを強調している。

 その後が闘牛士の中でも一番勇敢な人が出て行き、牛を頭の方から後ろにさがりながら押さえ込むのである。
これが最後のクライマックスで下手をすると牛の角に刺されてしまう。角と角の間の頭だけを押さえつけるのである。
その後は多くの闘牛士で牛全体を押さえつけ終わりである。
話にはこの牛も後では使い物にならないので、殺されていくそうだが、スペインやメキシコでは人々の前で殺すので残酷に見える。

================================================================================
筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

================================================================================


世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1013

2016-01-18 08:48:37 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

map of portgal
スペインとの国境を越えリスボンの近くのロカ岬までの最後の道。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ポルトガル)-632

24)ポルトガルを歩く

日記から-5

9月 24日(火曜日) 晴れ

 今日は昼にBarのような所に入り、サンドイッチを食べる。
それとワイン、他には魚のフライである。ワインの価格は180mlで65エスクードである。
それでも3杯目からはどういう訳か50エスクードになるのである。それは安い。

 夕方は道の周りに工場や人家が多くテントを張る所を見つけるのが大変である。
少ない空き地を見つけ、テントを張る!日の暮れる前にすばやくテントを張ったのである。
やはりここでは近所の人が行ったり来たりしている。
犬を散歩しにこの近くまで来ている人もいるのである。

 テントを張り、クッキングをしている時にもう旅が終わるのだという実感がわいてくるのである。
何だか寂しい。



9月 25日(水曜日) 晴れ

 今日はリスボンまで25kmである。この距離は短いが、今日は長く感じる。
このリスボンまで来ると後はこのヨーロッパの最西端の岬まで一日の距離である。
そう思うと今までの事がよみがえり、長く感じるのである。本当にこの旅がもう終わるのである。

 1時前にリスボンのY.H.に着く。
宿泊の手続きをした後はツーリストインフォメーションに行く。
そこでは明日の夜にポルトガルの闘牛があるので、それを見ることにする。
それは今まで見て来たメキシコ、スペインの闘牛とは違うと聞いているからである。期待をする。
それでこの旅を早く終わらず、Y.H.に2連泊することににする。

 Y.H.の近くに市場があり、新鮮な魚が多く売られている。
それでその市場で魚の煮込みとポテト、サヤエンドウの煮込みで価格が285エクスードである。
また、ワイン中ビンは60エクスードである。

================================================================================
筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

================================================================================


世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1012

2016-01-17 08:08:33 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ポルトガル)-631

24)ポルトガルを歩く

日記から-4

9月 23日(月曜日) 快晴 晴れ

 今朝は朝露がテントに降りている。
もう、ここは乾燥地帯ではないのだ。今までのスペインとは違うことをこんなことでも感じる。

 Santaremという所に着く少し前のレストランで昼食を取る。
ここではワイン720mlとサラダ、チーズ、バター、オリーブの実で285エクスードと思ったより安い。
昨日はあまり良い食べ物ではなかったのに530エクスードは高かったように思う。

 今日はCartaxoという町でホテルを探してみる。
それでやっとこのポルトガルで初めての宿を見つけることが出来た。
このホテルは結構綺麗で部屋には3人まで寝れるようにベッドが3つある。その上、部屋はバス・トイレ付である。
その宿泊料が1000エクスードで朝食付である。

 夜に飲みに出る。2軒目のBarでは英語を話せる人がいた。
そこでしばらく、話をして横にレストランがあるので、そこで夕食をとる。
そのメニューは魚とポテトそれにサラダ2皿、ワインなどで、その価格が450エスクードである。

 話はお昼のことになるが、レストランでワインを一本720mlを飲んだ時に、そこの周りの人々が驚いていた。
彼らは僕を見て「酔っぱらってしまうぞ!」という様なジェスチャーをし、その様なことを話しているのが分かる。
また、周りの彼らを見ると2人で720mlのワインを空けていないのである。
スペインでは昼に1ℓを飲んで歩いたこともよくあったのである。
僕はアル中なのかも知れない。

 この辺りはワインの有名な所であるらしい。
そして、今はワインを作る時期でもあるようだ。
何故なら、道を歩いている時にワインのブドウを運んでいるトラクターを見かけるからである。
それで、このワイン工場を見に入って行った。
施設は簡単なもので、本当に素朴に作っているのが良い。

port-4.jpg

port-5.jpg
ワイン工場の様子。

================================================================================
筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

================================================================================


世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1011

2016-01-15 07:41:38 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

port-3.jpg
田舎の飲み屋。


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ポルトガル)-630

24)ポルトガルを歩く

日記から-3

9月 22日(日曜日) 霧 晴れ

 やはり、昨夜は夜中の間、アリが体中を這い回り、あまりよく寝ることが出来なかった。
その他にも夜中にはテントポールが完全に折れた。これは今朝起きて分かったことである。
僕のテントはポールで作った大小半円の物を両方に引っ張りテントを張るのである。
その小さい方の半円に使っているポールを以前から修理していたが、昨夜完全に折れたのである。
今まで2年間使い、グラスファイバーで出来ている筋にテープを巻いて騙しながら使ってきたが、駄目になってしまった。

 昼過ぎに、ただ一軒しかなく、周りに何もないBarに入る。
そこにはソルジャー(軍人)がいた。彼らの一人が僕に声をかけて来たので、それに答えてあげた。
そうしたら、彼がビールを一杯奢ってくれた。
このヨーロッパでは人に奢るというようなことが少ないので、驚いてしまう。
ここは人々も素朴で何だか、アメリカの田舎を思い出す。

 Chamscaという所にはホテルか、ペンションぐらいはあるだろうと思ったが、とんでもない。宿所がないのである。
この町ではレストランで食事をしただけである。
このBarの様なレストランでは魚の料理一皿で370エクスード。その他、簡単に食べ、合わせて530エクスードである。
これはどう見ても高いように思える。その上、小さなパン4つとワイン720ml、トマトを3つで150エクスードこれも高いように思える。
ポルトガルの方がスペインより物価が高いとは思えないのだが、、、、
このポルトガルの人が僕からお金を騙し取ろうとしているとは思えないし、、、、

 今日も結局、テントを張ることになったが、今日は近くにある木の枝を使いテントポールの代用にする。

================================================================================
筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

================================================================================