本日、4月5日は『日付ネタ』で・・・
当ブログで45といえば『サハ45』ですが・・・
もうこのような
残り物しかありませんでした・・・
北松本支所見学中、本線を往く大糸線の編成を1両ずつ撮っており、
その中に標題のサハ45007がたまたま写っていたのですが・・・
この時のショッポー君の行動が全く理解出来ません。
支所には様々な車両が居るというのに、なぜ・・・
1979年3月27日、大糸線 北松本にて。
当ブログで45といえば『サハ45』ですが・・・
もうこのような
残り物しかありませんでした・・・
北松本支所見学中、本線を往く大糸線の編成を1両ずつ撮っており、
その中に標題のサハ45007がたまたま写っていたのですが・・・
この時のショッポー君の行動が全く理解出来ません。
支所には様々な車両が居るというのに、なぜ・・・
1979年3月27日、大糸線 北松本にて。
そう!小生もちょっと今日はサハ45が脳裏をかすめたのです。実は乗車したことはない?と思います。車内の画像を記録したかったですね。身延線組は見たこともないかもしれません。
横須賀線ダブルデッカーサロのご先祖様・・・いまの”ロザ”は
Suicaでホイホイ乗れてしまいますが、当時は逆立ちしても
足を踏み入れることが出来なかった車両、と思うとたとえ
都落ちした姿であっても、どこか威厳を感じますね、
これも今となればなかなか貴重な写真ですね。私は1975年の10月、高校の修学旅行へ向かう途中の塩尻駅で165系急行の車窓から見た記憶があります。当時はまだ身延線から来たばかりで車体色はスカ色でした。
座席は75・85形と同じデザインに変更されていたようですが、1978年の115系1000番代登場まで中央本線や篠ノ井線で走っていた1等格下げのクハ85の窓を「田」の字型のユニット窓に改造するとこうなるのかなという車窓風景を私も見ておきたかったと思っています。
サハ45、食いつきました。
飯田線にもサハ48は有りましたが、レトロなソファーの並ぶ1等格下げのこの形式は、大糸線にしかなかったと記憶しています。
車体四隅の出っ張りやリベットだらけの車体は、モハ32系の特徴を色濃く残していますね!
TBありがとうございます♪
お返事が遅くなりまして申し訳ありません。
この撮影当時は乗車した車両の番号を控えていたようでして、今回新たに見直して
みたところ、この日は画像の007に乗車していたようです(汗)
たぶん松本~北松本間の一駅故、すっかり忘れていたようです(苦笑)
本当、車内画像の一枚でも記録しておけば良かったです(悔)
お返事が遅くなりまして申し訳ありません。
やはり現代の”ロザ”とは、見た目の重厚感ともども”格”が違いますよねぇ。
なぁんて、乗車した事さえ忘れている自分が言っても説得力がありませんが^^;
出来る事ならば南小谷まで乗り通し、優雅な気分で北アルプスの山々を
眺めてみたかったものです。
お返事が遅くなりまして申し訳ありません。
身延線からの転入組は、同じく身延からの41800や43810などと編成を組み、
篠ノ井線や中央西線の上松?までの運用に就いていた時期があったそうですが、
その画像は未だ見た事がありません。
朝晩のみなどの限定的な運用だったのでしょうかね??
食いついて頂けて良かったです^^
サハ45は身延線に居残りが2両いましたが、自分も見た覚えがありません。
青22号塗色でインパクト大の大糸線組の影に隠れてしまったかもしれませんね。
レトロなソファー・・・
一駅だけでも座れたはずなのですが、その感触が全く思い出されません(涙)