前々回にUPしました『三本の橋の風景』ですが、
その12年前の同地点の画像がありました。
1993年3月27日、早朝の大糸線平岩駅付近です。
列車が邪魔ですが(笑)、平岩バイパスの橋は
影も形もありませんでした。
さて、その邪魔な列車とは・・・
DE10のプッシュプルによる20系客車を使用した
『シュプール号』でした。
当時は復鉄後間もない時期で、大糸線にはDD16しか入線出来ないと
思っており、この時もDD16のプッシュプルを期待して待っていたのに、
現れたのがDE10でガッカリしたのを覚えています。
ここからは余談となりますが・・・
この当時は、リバーサルフィルムについても試行錯誤していた時期で、
この時はコダクロームのEPPというiso200のフィルムを使用していました。
iso200という事で、粒子が若干粗く、さらには自分のNikonとの
相性なのか全体的にピンク色+黄色が強いように感じ、その後はあまり
使う事もありませんでした。
その12年前の同地点の画像がありました。
1993年3月27日、早朝の大糸線平岩駅付近です。
列車が邪魔ですが(笑)、平岩バイパスの橋は
影も形もありませんでした。
さて、その邪魔な列車とは・・・
DE10のプッシュプルによる20系客車を使用した
『シュプール号』でした。
当時は復鉄後間もない時期で、大糸線にはDD16しか入線出来ないと
思っており、この時もDD16のプッシュプルを期待して待っていたのに、
現れたのがDE10でガッカリしたのを覚えています。
ここからは余談となりますが・・・
この当時は、リバーサルフィルムについても試行錯誤していた時期で、
この時はコダクロームのEPPというiso200のフィルムを使用していました。
iso200という事で、粒子が若干粗く、さらには自分のNikonとの
相性なのか全体的にピンク色+黄色が強いように感じ、その後はあまり
使う事もありませんでした。
かつては大糸線にも臨時とはいえこんな立派な寝台列車が乗り入れていた時期があったのですね。
近年、長野市内ではスキーのツアーバスでさえ、とんと見かけなくなりました。
20系の「シュプール」もあったのですね。大糸北線というとキハ181を連想していました。いまとなっては、DE10のプッシュブルでも貴重な記録となりましたね。冬景色を往くブルーの車体もまたいいですね^^
当時は、他にもJR東日本側とJR西日本側から、それぞれ多彩な車両による
『シュプール号』が入線していましたが、最近ではツアーバスでさえ
減便となってしまったのですね・・
『シュプール号』の設定自体がなくなってしまうのも仕方ないようですね(寂)
20系の最晩年ではありましたが、この後数年見られたように思います。
キハ181系も大糸北線の風景によくマッチしていましたね^^
仰って頂くように、今となってはDE10でも撮っておいて良かったと
思うようになりました♪
西日本からのシュプール号はバリエーション豊かで良いですね。往年のブルトレのエースの晩年の姿を記録されていて羨ましく思います。
キハ181のシュプール号は乗り鉄中に見掛けましたが20 系は見ることもなく終わりました。
そうですね、西日本からは14系リゾート車やキハ65の改造気動車?など
ホントに多彩な顔ぶれが入線していました^^
嘗て東京駅や上野駅で撮影していた頃には、まさか大糸線で20系を
撮影する事になるとは夢にも思っていませんでした^^;