おはようございます。
都内の桜もピークを過ぎ、今日明日がラストチャンスだと思いますが、
最近は週末になると天気がパッとしませんねぇ・・
今回は、前回に引き続き1976年3月の松本駅での写真を紹介します。
まずは、
初めて生で見た『海坊主』こと、クモユニ81003です。
今までにも何回かUPしてきたこの車両、当時の鉄道雑誌で、その存在を知ってはいましたが、
やはり生で見たインパクトは、かなりのモノだったと思います!
いま思えば、この車両と出会った事が『旧国好き』になる『きっかけ』だったようです。
こちらは、親父が撮ったモノです。
自分の『ペトリ』のカメラと、親父の『ミノルタSRT-101』では、
腕の差を引いても、これだけ写りに差があったのですねぇ・・・
この2枚の写真を見てからか、それからは自分が鉄道を撮りに行く時にも
『ミノルタ』を貸してくれるようになりました(笑)
『旧国好き』と『一眼レフ』。
その後の鉄道撮影に大きな影響を与えてくれた、愛すべき『海坊主』です。
都内の桜もピークを過ぎ、今日明日がラストチャンスだと思いますが、
最近は週末になると天気がパッとしませんねぇ・・
今回は、前回に引き続き1976年3月の松本駅での写真を紹介します。
まずは、
初めて生で見た『海坊主』こと、クモユニ81003です。
今までにも何回かUPしてきたこの車両、当時の鉄道雑誌で、その存在を知ってはいましたが、
やはり生で見たインパクトは、かなりのモノだったと思います!
いま思えば、この車両と出会った事が『旧国好き』になる『きっかけ』だったようです。
こちらは、親父が撮ったモノです。
自分の『ペトリ』のカメラと、親父の『ミノルタSRT-101』では、
腕の差を引いても、これだけ写りに差があったのですねぇ・・・
この2枚の写真を見てからか、それからは自分が鉄道を撮りに行く時にも
『ミノルタ』を貸してくれるようになりました(笑)
『旧国好き』と『一眼レフ』。
その後の鉄道撮影に大きな影響を与えてくれた、愛すべき『海坊主』です。
コメントありがとうございます♪
>こんなに奇麗に写せてませんよ。
いえいえ、L特急さんのブログを拝見しますと素晴らしい写真ばかりではないですか^^
やはり腕の差だったようですねぇ・・(溜息)
クモユニの松本駅等での荷扱い作業を遠目に見た覚えがありますが、
歩くのもひと苦労の中での作業だったとは知りませんでした。
貴重な乗車談をありがとうございました♪
お世話になっております。
海坊主!いいですね。
私は当時Nikonのカメラを使ってましたが
こんなに奇麗に写せてませんよ。笑。
この車両、中に乗せてもらったことがありました。
割と大きな溝が床一面に切ってあって
手摺もないため実に歩き難かったでしたよ。
関西のクハ76は『茶坊主』とも呼ばれていたようですね^^
『茹でダコ坊主』ともども、実物を一目見てみたかったものですね。
そういえば、1980年代まで東武熊谷線にも湘南顔クリーム一色の気動車がいましたね。
そちらも『あだ名』とかがあったのでしょうかね?(笑)
ナイス!もいただきまして、ありがとうございました♪
この種の湘南面の1色塗りというと、古くは京都―西明石間に“チョコレ-ト饅頭”のようなクハ76が走っていたようですし,西日本のある非電化路線では朱赤色1色で“茹でダコ坊主”のようなキハユニ15も出現したこともあったと、かつて月刊「鉄道ピクトリアル」のTOPIC PHOTOSのページで見たことがありました。
このユニークさと希少性で、こちらの方に「ナイス!」を1票。
>皆、そんな感じでしょうか
そうかもしれませんね(笑)
うちの親父の場合は、『友達からの借り物だからダメだ!』みたいな事を言って、
なかなか貸してくれませんでした(笑)
湘南顔のクモユニは実物を見たことがありませんでした。
残ってもいないのですよね、きっと。
自分も父親のPENTAXと自分のOLYMPUS PENの写りの違いを思い知って、
借りて(奪って)使わせてもらうようになりました。
皆、そんな感じでしょうか(笑)。