LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

誕生と死

2008-08-30 22:36:15 | 子育て


昨日は『地球交響曲第五番』のDVD上映会@Cさんのマンションサロンでした~。子連れなので、それはそれはにぎやかで音が聞こえないこともあったり、子供を追いかけて見れない場面もたくさん。それでも、やはり心にグッとくる場面はそれぞれあったようで、特に出産のシーンではみな自分のときのことを思い出してウルウル。分娩台で産まない自然出産という選択を初めて見た人にとっては、いい意味でカルチャーショックだったようで、やってよかったわ~。

さてさて、この第五番のテーマは「誕生と死」だったので、いつか書こうと思っていたことを書いてみたいと思います。こういう個人的なことは本来人に言うようなことではないのかもしれません。でも、自然出産があるように、流産にもやはり「自然排出」という選択肢があることを知ってもらいたくて・・・。

おなかの中に二人目の小さな命が宿っていると知ったのは今年の3月。ところが12週くらい(?)でわずかな出血。念のためと行った病院で言われた言葉は、
“残念ながら育っていません。初期流産ということです。”

頭の中が真っ白。

え?え?え???
流産だったらおなかの中の子が何かサインを送ってくれると思っていたのに、それずら感じることができなかったダメな母親の私。
実感がわかないので出ないと思っていた涙が止まらず、その後はお医者さんが何を言っているのか聞き取るのもやっとでした。
そして、みなが楽しそうに赤ちゃんの成長ぶりを検診に来ているかたわら、私はひとり流産の手術をするための血液検査をソファーで待つ。なんて、病院って残酷なところなんだろう、って思いました。

お医者さんの説明は非常に淡々としたものでした。まだ心音も確認できる前の初期流産は珍しいことではなく、10人に1人の割合であるもののこと、理由のほどんどが染色体異常であることなどなど。
悪いお医者さんじゃありません。でも、その事務的な口調と説明の内容にどこか釈然としないものを感じてしまいました。けれど、そのときは、それが何かは分からなかったし、このくらい淡々と言われたほうが自分も悲しみに暮れなくて済むのでは、とさえ思いました。説明されたことで自分を説得しようとしていたのです。

帰宅後、泣いて泣いて最初は自分を責めました。私が自己中だから、こんなうちいやだ、と思って赤ちゃんくるのを辞めちゃったんじゃないか、とか。でもね、友達がこうメールしてきてくれたんです。

「誰かに罰を与えるための命なんてない。命は誰かを幸せにするためのもの。短すぎるから悲しいかもしれないけど、立派に生きたんだよ。命の長さは人には計り知れないもの・・・」

はっとしました。私に罰を与えるためと考えたなんて、小さな命に対してなんて失礼なことを思ったんだろうって。私ってば命に対して傲慢だったんだろう、って。
そう思い、少し落ち着いてきたら今度は1週間後に迫った手術のことで頭がいっぱいになってきました。お医者さんの説明では手術をしないと次の妊娠時に胎児に影響がいったり、危険とのこと。
でも、待てよ?
本当に手術って必要なんだろうか。手術の内容は、金属で子宮内のものを掻き出すというもので、お医者さんが
“まあ、中絶と同じようなもんですな”
と軽く言ったのもひっかかりました。
昔の人は手術なんてしてたんだろうか?
手術をしないという選択肢はないのか、ということはお医者さんにはとてもこわくて聞けませんでした。だって、素人が何を言ってる、って怒られたら何も言えないもの・・・。
それからネットで色々検索してみるもののたいして情報は出てこず・・・バーストークを主宰されてるAさんに思い切って相談してみたところ、ほしかった情報をいただけました。
そして、そのメールの中に池川クリニックの池川明先生のところに行ってみてはどうかと書かれていたのです。

相当長くなりそうなので続く・・・

『聖地巡礼』ツアー

2008-08-29 00:00:41 | 
 

明日はまたまた『地球交響曲』のDVD上映会。
前回その後に、先住民族エコツアーのことを書いて、続きは明日書きまーすと書いてから3週間以上経ってしまった・・・。いや、別に読みたい人がいるとは思えないけど(笑)、いい加減な自分にケジメをつけるために書いてみようっと

知床での2日目。
ちょっとハードなコースという『聖地巡礼』に父と相方が参加(といっても参加者はまたまた二人だけという贅沢なツアー)。ミーハーな私は、“聖地かあ。行ってみたいなあ・・・”なんて思ってたのだけれど、アイヌのガイドのHさんは、実はこのネーミングに違和感を覚えているそうなんです。

アイヌの人にとって、自然はどこも聖地であり祈りの場、特定の場所を聖地とすることには違和感があるようで・・・なるほど、って思いました!そうよね、森は神殿だものね。ただやはり興味を持ってもらえるようなツアータイトルにという協会の方針らしく、そのほうが多くの人に興味を持ってもらえるかと思うと、う~ん、なかなか難しい

さてさて、知床で熊の話を聞くたびに、星野道夫さんと彼のアラスカのことを思い出していました(行ったことはないけれどね)。相方も同じでそれをHさんに話してみたそうです。そうしたら、やっぱり風景も似てるんですって。そして、Hさんたちのアイヌグループと『地球交響曲第三番』に出てくるクリンギット族の人たちは交流があり、祖先の写真を見せたら「先祖は一緒なんじゃないか」って話になったそうです
なんて壮大で素敵なのぉ。目の前がぱあっと開けて、思いが太古にまでひとっ飛び。今のような科学技術が何もない時代に、星や風を頼りにカヌーだけであの広大な海原を渡り、祖先がつながってたと思うと感動します。ホクレアを思い出すなあ。そして、いまHさんたちはアイヌの伝統的な航海カヌー、イタオマチプを製作しているそう。こういう話を聞くとなんだか私涙が出そうになるんです。私は彼らにとってはヨソ者ではあるけれど、大切な方向性を教えてくれる彼らの伝統、失われてほしくないです。

ちなみに、相方に美瑛、サホロ、知床と8日間旅して、一番気に入った景色はどこ?と聞いたら、この『聖地巡礼』で山の上から見たオホーツク海だそう
ただ写真向きのきれいな風景だったら、きっと他にもっといっぱいあったと思う。けれど、自分の足で歩いて、アイヌのHさんに案内してもらったから、目に見える景色以上のものを相方も感じ、心に残ったんだと思います。

いろんなツアーがあるけれど、北海道に行くならぜひアイヌの人々の世界観に触れてみてはいかがでしょう?
きっとそこには、心を動かすような北海道が待っていることでしょう。私たちにそれを共有してくれる、アイヌの人たちに“ありがとう”と言いたいです。


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『愚者の智恵』

2008-08-28 03:03:43 | 本・映画
  


夏休みの読書感想文、チビ昼寝中に色々読みましたがほとんどが読み直した本だったので、新しく読んでガツーンときたコチラをご紹介
といっても、書かれたのは1990年なので、もう18年も前の対談集になります。久々に宮迫千鶴さんの『かぼちゃの生活』(立風書房)の中で紹介されていたのが、

  今田求仁生対談集
  『愚者の智恵 杜の心の語り部たち』(柏樹社)

対談相手は
・高橋延清(東京大学林学者)
・山野忠彦(樹医)
・志村ふくみ(染色家)
・西岡常一(宮大工)
・三上晃(樹木と交信:生体感知器発明)
・工藤父母道(自然保護:日本ナチュラリスト協会創設)

と、ちょっと固そうな内容だな~、今のお気楽極楽ふにゃふにゃな私に読めるかしら?なんて思ったのだけれど、インタビューワーである今田求仁生氏自体のエピソードにとっても惹かれたのです

肺癌で余命2,3ヶ月と宣告された今田氏。どうせ死ぬのだからと思い、素っ裸でブナの原生林の中に入っていたら、樹に癒されて末期癌が消えてしまったというもの。そして、彼がいうには人が一方的に自然に癒されるのではなく、樹と人間はお互いに癒しあえる存在だということ。
癌ではないけれど、同じく肺を患っている母が森へ行くと不思議と元気になるので、このエピソードを持つ著者の対談集が今回特に読みたくなったのです。

で、読んでみたら、あらまあ、なんとある意味マニアックなこと(笑)。マニアックといっても、どの人が語っていることも真理なので、とてもシンプル。でも、深くて深くて今の軟弱な私には受け止め、吸収するのに少し時間がかかりそうです。それほどまでに樹のいのちのメッセージは壮大でした

ちなみに内容はとてもスピリチュアル。精神世界ってなんだか地に足がついていないようで苦手なのだけれど、ここで語っている人たちはみな頭じゃなくて、体験を通して語っている地に足が付いている人たちばかり。だからかな?語られてることがすーっと入ってきました。

そして、どの人も口をそろえていうのは、自然の中で“いのちの営み”を見て育つ『原体験』の大切さ。これがあるとないとでは生き方が違ってくる!ほんとだわ、親としてチビにできることはせめてその環境を提供するということかしら。
私自身にはこの原体験がないから、自然が好きといっても自然の言葉が分からないんだと思います。しょせん頭から入って大人になってから実体験を求めて自然に繰り出していった派。いま、チビを通して遅まきながらその原体験をさせてもらっているのかも。ありがとう、チビ

こういう本を読むと、自分はこのままでいいのかといつも自問自答してしまいます。あ~ん、このままだとただいたずらに日々が過ぎていってしまうという焦り。将来の方向性、今のあり方もっと真剣に考えて行動に出なくっちゃ。
この本をきっかけに樹の声に耳を傾けたいな


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レンジいらずの冷凍ご飯

2008-08-22 15:29:40 | レシピ
 

昨日の泥んこの会も、夏休み中だったので大きい子もいてにぎやかでした~
ヤマボウシも木によって多少種類が違うのか、色も味も違くて、奥深い。子供たちも帽子の中にい~っぱい拾って飽きることがないようでした

ところで、泥んこの会のときご飯を温めるのにレンジを使っちゃうということが話に出たのだけれど、我が家はレンジを使わなくなってから数年たちますが、慣れちゃうとこれが不自由ありませ~ん。冷凍ご飯はたいていおかゆか蒸して戻しちゃいます。そのときに野菜も一緒にやればそれで一品できあがり
そんな話を思い出し、昨晩はチビが夕方からそのまま寝てしまったので、自分用にリゾットもどきを作りました~(アツアツを一気に食べちゃったので写真はありませぬ)。


【土鍋deアボカドリゾット】

1、トマト&アボカドをざくぎり、玉ねぎをみじん切りにしておく。
(トマトは冷凍しておくと便利。水にさらすとすっと皮むきができます)

2、土鍋にオリーブオイル(好みでニンニク)を入れて火をつけ、玉ねぎは塩をまぶして軽く炒めたあとはフタをして蒸し煮。

3、途中でトマトを入れてさらに蒸し煮にして、玉ねぎが透き通って甘くなったら冷凍ご飯と水を適量入れる

4.グツグツいったらアボカドを入れ、塩、コショウ
(塩は岩塩が断然美味しい!出来上がったあと、ハーブソルトやクリスタルソルトで足りない分を味付け)

5.最後に豆乳をお好みの量入れて、クリーミーに仕上げる


ん~、美味美味。ホント、塩だけでこれ美味しいです。ただし、こだわった塩を使うのがポイント。チビにあげるときは和風のおじやにして、野菜やもずくなどをもっと入れて煮込んでいます。最初にちょっと刻むだけで、あとは基本的に放っておけばいいし、土鍋ひとつで作るので洗い物も簡単。おすすめです。

さてと、明日は料理好きだった祖父の葬儀に名古屋まで行ってきます。もっと料理習っておけばよかったなあ。
写真は祖父が95歳過ぎてからの手習い、紙粘土細工。やっぱり私とは元の器用さが違うか


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祖父との思い出

2008-08-20 17:54:05 | 徒然日記
昨晩、祖父が急に息を引き取りました。
あと1ヶ月で102歳になるという直前のこと。惜しい気もしますが、本人も「そろそろ迎えが来てほしい。みんな仲間は天国に行ってしまってさびしい」と常々口にしていたので、静かに安らかに逝ってくれて、本人も幸せだったと思います。
5月に家族で会いに行っておいてよかったあ。最後に涙を流して「ありがとう」と言っていたおじいちゃん。最後に聞いた言葉が「ありがとう」というのもいい思い出になりそうです。

うちの祖父は、絵に描いたようなおじいちゃんでした。子&孫煩悩で、大きなおなかに薄い頭、白い上下のステテコ姿が妙に決まっていて、耳が遠くていつも「ほうほう」と見当違いなことにニコニコ笑顔。それでも若い頃はおしゃれさんでかなりもてたんだとか。
とにかく手先が器用で、料理をはじめ、手仕事が得意。祖父との食べ物の思い出はたあくさん。戦後の貧しい時代でも、お鍋でケーキを作ってしまうというくらい料理好きでした。

そんな祖父の得意料理は中華とロシア料理。満州鉄道に勤めていたことがあり、ハルピンに住んでいた頃は人望厚く、敵であったロシア人にもよくしてもらって料理を教えてもらったそうです。ロシアも人宅に呼ばれたパーティーの思い出話なんかもしてもらって、なんだか素朴ながらに映画の一場面のように情景が目に浮かんだものでした。その祖父の作るピロシキは絶品だったなあ。

もうひとつ祖父の絶品料理といえば餃子!
皮はもちろん粉から作るので半日がかりの作業。頭にタオルを巻いて、テーブルは粉で真っ白。大きな大きなボールには色んな野菜の具が入って、幼い頃の私にはポンポンと次々と作られる餃子はまるでマジックのように見えたものでした。カリっと餃子を焼くコツを教えてくれたのも祖父。一緒に作業した楽しい思い出は自分の子供にも受け継いでいきたい場面だなあ。

こうして祖父との楽しい思い出を振り返ってみると、いかに一緒に何かをして過ごしたことが影響が強いことかと思い知らされます。お金をかけずに一緒に何かをした思い出ほど思い出深い。これって最近の親子関係に足りないものなんじゃないかとふと思いました。子供のため、子供のためといって、お稽古事や習い事など他人と過ごす時間にお金をかけるだけじゃなく、親子で一緒に作業をもっともっとしていかなきゃなあ、とわが身を振り返って反省。
一緒に作業する思い出作り・・・それは特別な日ではなく、ふとした日常の一場面でありたいな。

いろんな思い出を残してくれたおじいちゃん、ありがとう。

森と電気料金と

2008-08-17 08:51:21 | Nature
  

昨日は帰省中の私のいとこの子供たち(4歳、6歳)と遊ぶため、平塚の川原へ。以前デイキャンプをした場所で、外から通っただけでは全然分からない魅力がある穴場なんです。周りは工場だらけだし、木陰なんてなさそうなのに、一歩散策路に入ればそこは小さな森。沼地にはメダカやザリガニ、クワガタもいて、大きな子供たち(パパs)の目がキラキラしてくるのが、見てて面白い

実はこのいとこの子供たち、都会育ちで自然の中で遊ぶ機会がほとんどないということで、楽しめるか心配してたんです。でも、心配無用でした!子供たちはちゃあんと遊び方を知っていました。あっという間に荷物番の私の視界から消え去り、草むらの中から“見つけたよ~。あったよ~。”と楽しそうな声。カニ、ザリガニ、タニシに色んな種類のバッタ。
よくよくそれらの動きを観察してみるとオモシロイ。でもね、正直やっぱり私は男の子たちほど夢中にはなれず、荷物番であることをいいことにシートにゴローン。あ~、気持ちいい。風が吹き抜けて、ここだけ別空間。緑の葉っぱの天井を眺めていると、やっぱり私はインドア派なんだなあ、って思ったりして。ただ、その室内は自然が作り出した、柔らかな緑と光のシャワーを浴びれる室内。ここで本読んだら気持ちいいだろうな~、なんて思ってました。
そして、寝転んでいると何やら上から実がコトンと落ちてきました。お~、木の実やっぱり私は昆虫よりこっち。何の実だろうと思っていたらオニグルミですって(興奮!)。クルミの食べ頃はやっぱり秋よね?でも、淡い期待のもとに割ってみるとひとつは中身はひからびて、カラカラ。もうひとつは、いや~ん、腐ってるぅ~。やっぱり自然は甘くないのね。秋になったら宝探しに来よう、って固く決意。

毎日暑いと、日焼け止め塗ったりするのも暑苦しくて、それだけで外に出たくなくなってしまうのだけれど、こうやって、えいやと木のあるところに来てみれば本当に涼しい。エアコンいらないね
エアコンといえば、昨日相方が会社の飲み会で電気料金のことが話題になったそうです。なんて家庭的な男性陣。私なんて電話料金見ないと把握してないくらいなのに・・・(え、私がダメ主婦なだけ?)。我が家のこの夏の電気料金が2~3,000円といったら驚かれたとか。それでも、無駄をなくせばもっと減らせると思ってたくらいだったんだけど。エアコン入れるうちは1万超えるとか。さらに子犬を飼い始めたうちはお犬さまのために2万円超え。でもね、一番驚いたのはとある会社のExpat(外国人駐在員)のおうち。バケーションで国に帰ってる間、なんとエアコンつけっ放しで行くんですって~。じゃないと、部屋が傷むからって管理会社の意向なんだとか。目が点です。月8万円ですって。何か頭悪いような・・・。

あ~、やっぱり夏は森かな。節電とか以前に森林浴で心身共にリフレッシュ。自然から離れて不自然にならないようにしたいです。


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木の実に夢中

2008-08-15 21:03:50 | Nature


最近ネットをあまりしないので、ブログを更新することもなく、読書三昧の日々でした。チビは一日2,3時間昼寝をするのですが、隣にいないと起きちゃう。ホントはこの隙に家事すればいいんだけどね、子供を寝かせるのも仕事ですから~、という嬉しい口実のもとにひたすら読書~。夏休みの読書感想文は追々・・・。

ところで、昨日は泥んこの会でした。お盆でお休みの連絡が次々と入り、全然人が集まらないかな~、と思いきや9組の親子が集まり、夏休みでお兄ちゃんたちもいるのでいい感じ。この日子供たちがおにぎりも忘れて夢中になっていたのはやまぼうしの実。秋に赤くなったら食べられると聞いていたので、まだまだお預けかな~、と思っていたのだけれど、食べてみたらこれがイケル なるほど、みなおにぎりも忘れるわけです。秋になったらもっと美味しくなるのかな。うちの母なんかが見たら、洗わずに汚い、おなか壊すと言うんだろうな~、と思いつつこうやって野生のまま食べれる醍醐味を満喫。おなか壊して本望ですわ
大自然じゃなくても、こうやって身近なところで自然の恵みをいただけることが嬉しい。自主保育にかよっているお子さんが夕飯の食卓に並んだワカメを見て、“これどこで買ってきたの?”ではなく、“これどこで採ってきたの?”と聞いたと言っていたけれど、それって素敵だなあって思いました。
いつから食べ物は買ってくるものになっちゃったんでしょう?材料だけならまだしも、できあがったおかずまで“どこのを買ってきたの?”ではやっぱりねえ。そこに命を感じることが難しいのも無理ないなあって。
食べ物に限らず、遊びも“買う(お金を払う)”ものになってきている今日この頃。自然の中で遊ぶ代わりにテーマパークにお金を払い、川や海で遊ぶ代わりにプールにお金を払う・・・。お金を使わなくて生きていける“生き力”のようなものをこれからの子供には身につけてもらいたいな。母はへなちょこなので、子供についていかせていただきますわ~。子供に育てられる毎日です。

・・・と、ここで終わらず、木の実ついでにもう一つ~
写真に写っている茶色っぽい実、これなんだか分かりますか~?
基本的に食べられない実は興味のない食いしん坊の私ですが、これは楽しい。これ、むくろじって言うんですって。英語でSoap nutsと呼ばれるこの実はインドでは石鹸に使われていて、水をつけてこすると、泡あわになるんです~。これを教えてくれた友達はムクロジを配合したシャボン玉作りに日夜研究を重ねてました。
めんどくさがりの私は友達のような研究はしないけれど、もうこの半透明の実の美しさ自体にウットリ。中には黒くて固い種が入っているのですが、これ羽子板の羽根の先端についているあの黒い玉なんですって。楽し~い。これからも木の実に夢中になりそうです。


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ソーラークッカー!

2008-08-07 20:32:30 | 体験
 

今日は泥んこの会。帰省のためお休みの連絡が多数入ったにも関わらず夏休み限定参加の人がいたこともあって、集まったのは13組の親子、子供は18人だ~れもいない、いつもの素敵な公園が少しにぎわいました。滑り台などの遊具なし、ボールやおもちゃなしのところで工夫して、葉っぱや木の枝で遊ぶ子供たちは本当にかわいいです。しかし、時代をタイムスリップ!?小汚い子供たちはみな昭和初期の子たちみたいで、ぷぷぷ

ところで、今日はちょっとしたお楽しみがあったんです。それは、ソーラークッカーソーラー・クッカーの詳細は既にMMさんが日記に書いてくれていますが、私のほうでもご紹介。

『ソーラー・クッカー』、それはその名のとおり太陽の熱を利用してエコクッキングができるという画期的なもの。
茅ヶ崎のフェアトレードショップあぱあぱさんが『ソーラー・クッカーを作ろう』という素敵なワークショップを企画してくださったので、はりきって参加してきました~
エネルギーのことを考える今日この頃、とても身近なところから簡単にできるエコということで、日本ソーラー・クッキング協会西川豊子さんが指導してくださったんです。エコうんぬん以前に、これ、楽しいっ 日常生活がキャンプ気分。放っておけばいいだけなので、ものぐさな私にぴったりじゃないのぉ~
西川さんが持参したのは本格的なパラボラ型のもので、私たちが到着してから仕込んだお赤飯が30分程度でもうできあがり。え、レトルトを温めただけですかぁ~?と思ったら生米から。しかも、ちゃあんとふっくら美味しい。ポップコーンは2分くらいでポンポーンと弾け始めるし、お湯だってすぐ沸騰しちゃう。う~ん、これは魔法ですか!?

しかし、こちらは2,3万円する本格派(写真右)。私たちは材料費数百円からできる簡易型(写真車の下に並んでいるの)を習いました~。でも、こちらでも十分!まずは、ガスレンジ下敷きシートをチョキチョキ。クリップで留めて形を作るだけ(=折りたたみOK!)。そこにビール缶(アルミ缶)を油性マジックペンで黒く塗り塗り。密閉できるガラスビンにアルミ缶を入れて完成。全日本不器用連名所属のMMさんと私でもできました(あは、MMさん勝手にブッキー仲間にしちゃった)!
西川さんはソーラー・クッカーを日常的に取り入れていらっしゃって、これで煮豆やケーキまでできるとか。太陽が出てきた頃に仕込んでのんびりお掃除や洗濯をしてたらお昼には出来上がってるなんて、素敵すぎるぅ~
惚れました

さらに、さらにこれらはアフリカの大地で活躍しているそうです。灼熱の大地。砂漠の地で燃料となる薪が必要ない。そこにある太陽の恵みで料理をする・・・未来への明るい希望を感じます。写真を見せていただいたのですが、楽しそうに料理をするみなさんの笑顔が印象的でした
素敵なワークショップを開催してくださった、あぱあぱさん、ありがとうございました

で、今日です。MMさんはカボチャを、私はサツマイモとじゃがいもを仕込みました~。カボチャとサツマイモは少し固かったけれど、じんわり優しいお味。ジャガイモはホックホク~。一人半口ずつくらいしかなかったけれど、楽しいね、これ
子供たちにはね、こういうこと教えていきたいです。お金でエネルギー買うんじゃなくて、お日さまが料理してくれるってこと。頭じゃなくて、身体で感じてほしい。
ひと遊びしておなかが減った頃にできあがってる。みんなで毎回作ろうか、なんて盛り上がりました。次回は何を仕込もうかな。


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今日は何の日?

2008-08-06 20:48:55 | 徒然日記
今日は何の日でしょう?

ショックです。朝、市の黙祷の放送があるまで私自身忘れていました。

そう、今日は63回目の広島原爆の日。数年前から少しずつテレビの放送からこの日のことが消えはじめ、ひどいなあと思ってたのに、自分だって忘れかけてた。
うちは父が広島出身なので、原爆の日は広島と縁のない人たちよりかは思い入れが強い。なのに・・・。

今日はフラのレッスンだったのだけれど、広島に住んでいたことのあるMMさんが小さなハート型で9と書かれたTシャツにわざわざ着替えて踊っていました。9条のTシャツよね?その話はしなかったけれど、そこにMMさんの静かな主張、平和への祈りを見た気がしました。

そして、夕方実家に寄ったら、案の定父が憤ってました。ニュースを見ても、見ても広島のことが出てこないのです。最後のほうにチラっと毎年の恒例行事としてだけ放送されていました。NHKよ、お前もか。怒りでは解決しない、でも声もあげないと消されてしまう、広島出身の父は黙っていることはできずNHKにお願いメールを送っていました。

テレビはとても影響力があります。なので、一年のうち広島、長崎、終戦記念日くらいは私たちに今一度平和を思い、祈る気持にさせてくれるような番組作りをやっぱりしてもらいたいです。自分自身忘れていた私には、テレビ局を責める資格はないけれど、だからこそやっぱり私みたいな人のためにもそうあるべき番組を作ってほしい。

ところで、広島といえば、昨年の6月ホクレア号が横浜に寄航して、ナイノア・トンプソン氏の講演を聞きにいったときのことです。チビもいて、うろ覚えなので誰かちゃんと覚えている人がいたら訂正してほしいのですが、彼が広島の町を訪れたときに感動した、と言っていました。
広島という町は原爆ドームを残しています。恨みとしてではなく、二度とこのようなことが起こらないよう胸に刻むため、忘れるのではなく原爆ドームと共に歩み、平和の祈りを持って町を再建した、と。だから、とても広島の町は美しい。アメリカが相手への怒りを忘れるなと、懸命に大衆を奮い立たせているのとは大違いだ、と。それを聞いたとき、とても感動しました。そして、日本人であることを誇りに思いました。

先日のブログに書いたアイヌのHさんの言葉ではないけれど、恨みの文化では継承すべきではないけれど、でも忘れてはいけない過去、そして過去から学ぶべきことがある。日本のそれは“平和”なのではないでしょうか。このことを自分自身のこととして捉えて、何ができるのかを考えていきたいと思います。




先住民族エコツアー

2008-08-04 11:12:54 | 
  

かれこれ北海道旅行から1ヵ月経ち、もう知床のことは書かなくていいや~、な気分になっていたのですが、先日『地球交響曲第三番』の中で、アラスカで星野道夫さんと熊を見ていたら、知床でのツアーのことを記したくなりました

知床に行ったら、ぜひおすすめしたいツアーがあります
それが、『先住民族エコツアー(by 知床ナチュラリスト協会

個人的にはね、ツアーって好きじゃないんです。マイペースでいきたいので、こう団体でぞろぞろと歩くところが。
でも、ネイチャーツアーは別。自分だけじゃ見逃してしまう風景、知識、智恵があるので、感動が違う。知床にもネイチャーツアーはどれを選んだらいいか分からないくらいたくさんあるのだけれど、やはり北海道はアイヌの地。アイヌの人に案内してもらえる機会があると知ったときは、鳥肌が立つかと思うくらい嬉しかったなあ。学生時代ニュージーランドでマオリの勉強に行ったくらい先住民族の人たちの持つ智恵に魅かれるんです。マオリ、ネイティブアメリカン、ネイティブハワイアン、そしてアイヌの人たち、彼らの持つ世界観は共通していて、人間も自然の一部で全てに神を見るというもの。この世界観を知っていたら絶対に間違った方向にはいかない、今の世の中に必要な世界観だと思うんです。そんな彼らの話が聞きたくて参加しました~

ところで、こういうツアーは熊やハチに出会う可能性が大きく、その対応策ができない乳幼児の参加は禁止。なので、自分のエゴかな~、と思いつつもチビは今回交替でみることに。私と母が軽いコース、フレペの滝まで行く『先住民族と歩く知床の自然』に、父と相方がハードコースの『聖地巡礼』に行ってみました。結果参加者は私たちだけだったので、とてもよかったです

さてさて、ガイドをしてくださったアイヌのHさんは、HPで見ていた人とは違う人で、30代後半のすらっとした好青年(中年?)。お父様が日本人、お母さまがアイヌだそうです。同じ日本語を話す人から“日本人”という言葉を聞くと、ちょっと不思議な感じ。生まれや育ちは旭川で、このツアーのために知床に来ていると聞いたときはちょっと意外。地元のアイヌの人で案内できる人がなかなかいないそうなんです。

ツアーでなければなんてことのない遊歩道ですが、ここに入るときにアイヌの人たちはまず森に祈りを捧げます。手をゆらゆらさせる無言の静かな祈り。手に何も持っていないことを表し、森に入る許可をもらうんだそうです。ただ、伝統慣習としてやっているのではなく、そこに本当に祈りが込められているのが伝わってきて、短く素朴な動作でしたが感動。

当たり前のことですが、日本人から見た北海道の歴史とアイヌのそれは全然違う。「開拓」は「侵略」。つらく、悲しい歴史がそこにはありました。
いまでも道内にはアイヌに対する偏見が根強く、学校では陰湿なイジメが絶えないそうです。
 「今にして思えばそれが親心だったんですけどね、当時は寂しかったですよ」
とHさんが語るのは、授業参観に母親が一度も参加してくれなかったこと。一目見てアイヌと分かる母親は自分が行くことで息子がアイヌであることがばれ、いじめられるのを避けようとしたそうなんです。私なんて、先住民族の人たちに尊敬と憧れすら持っているのに・・・今でもそうなんだとびっくり。
そんなふうに育ったので、彼がアイヌとしてのアイデンティティーに目覚めたのは30歳を過ぎてから。そこからアイヌの伝統文化を学び、今はトンコリのミュージシャンそして木彫り職人として活躍されています。
ところで、自由に発言できるようになったいま、年配のアイヌの人たちは抑圧され、差別にあったことを一生懸命訴えているそうです。当然のことですよね。でも、Hさんはそれが新しい世代をこわがらせ、自分がアイヌであることを余計に隠したくなるようになってしまっているといいます。

 「悲しい歴史から目をそむけるわけじゃないんですけどね、でもうらみの文化は継承すべきではないと思うんです。もっと自分たちの文化に誇りを持てるような、未来に希望を持てるような、そういうことを継承していきたいんです」

そう静かに語るHさんの中に、優しさと強さを感じました。ちなみに、今の30代はHさんのように目覚めてる人が徐々に増えてきているそうなのですが、次の世代が育っていないそうです。

Hさんからさまざまなアイヌの話しを聞きながら歩けば短いフレペの滝への道のりもとても充実したものに。滝に到着したら、お手製というトンコリを演奏してくださって、これがまた素朴でじわじわと心に染み渡るかのようでした。そう、素朴、でも深い。アイヌの人たちのことを、ますます知りたくなりました。

相方のほうもとても興味深い話をたくさん聞いてくれたので、それはまた明日書きまーす。


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