昨晩、祖父が急に息を引き取りました。
あと1ヶ月で102歳になるという直前のこと。惜しい気もしますが、本人も「そろそろ迎えが来てほしい。みんな仲間は天国に行ってしまってさびしい」と常々口にしていたので、静かに安らかに逝ってくれて、本人も幸せだったと思います。
5月に家族で会いに行っておいてよかったあ。最後に涙を流して「ありがとう」と言っていたおじいちゃん。最後に聞いた言葉が「ありがとう」というのもいい思い出になりそうです。
うちの祖父は、絵に描いたようなおじいちゃんでした。子&孫煩悩で、大きなおなかに薄い頭、白い上下のステテコ姿が妙に決まっていて、耳が遠くていつも「ほうほう」と見当違いなことにニコニコ笑顔。それでも若い頃はおしゃれさんでかなりもてたんだとか。
とにかく手先が器用で、料理をはじめ、手仕事が得意。祖父との食べ物の思い出はたあくさん。戦後の貧しい時代でも、お鍋でケーキを作ってしまうというくらい料理好きでした。
そんな祖父の得意料理は中華とロシア料理。満州鉄道に勤めていたことがあり、ハルピンに住んでいた頃は人望厚く、敵であったロシア人にもよくしてもらって料理を教えてもらったそうです。ロシアも人宅に呼ばれたパーティーの思い出話なんかもしてもらって、なんだか素朴ながらに映画の一場面のように情景が目に浮かんだものでした。その祖父の作るピロシキは絶品だったなあ。
もうひとつ祖父の絶品料理といえば餃子!
皮はもちろん粉から作るので半日がかりの作業。頭にタオルを巻いて、テーブルは粉で真っ白。大きな大きなボールには色んな野菜の具が入って、幼い頃の私にはポンポンと次々と作られる餃子はまるでマジックのように見えたものでした。カリっと餃子を焼くコツを教えてくれたのも祖父。一緒に作業した楽しい思い出は自分の子供にも受け継いでいきたい場面だなあ。
こうして祖父との楽しい思い出を振り返ってみると、いかに一緒に何かをして過ごしたことが影響が強いことかと思い知らされます。お金をかけずに一緒に何かをした思い出ほど思い出深い。これって最近の親子関係に足りないものなんじゃないかとふと思いました。子供のため、子供のためといって、お稽古事や習い事など他人と過ごす時間にお金をかけるだけじゃなく、親子で一緒に作業をもっともっとしていかなきゃなあ、とわが身を振り返って反省。
一緒に作業する思い出作り・・・それは特別な日ではなく、ふとした日常の一場面でありたいな。
いろんな思い出を残してくれたおじいちゃん、ありがとう。
あと1ヶ月で102歳になるという直前のこと。惜しい気もしますが、本人も「そろそろ迎えが来てほしい。みんな仲間は天国に行ってしまってさびしい」と常々口にしていたので、静かに安らかに逝ってくれて、本人も幸せだったと思います。
5月に家族で会いに行っておいてよかったあ。最後に涙を流して「ありがとう」と言っていたおじいちゃん。最後に聞いた言葉が「ありがとう」というのもいい思い出になりそうです。
うちの祖父は、絵に描いたようなおじいちゃんでした。子&孫煩悩で、大きなおなかに薄い頭、白い上下のステテコ姿が妙に決まっていて、耳が遠くていつも「ほうほう」と見当違いなことにニコニコ笑顔。それでも若い頃はおしゃれさんでかなりもてたんだとか。
とにかく手先が器用で、料理をはじめ、手仕事が得意。祖父との食べ物の思い出はたあくさん。戦後の貧しい時代でも、お鍋でケーキを作ってしまうというくらい料理好きでした。
そんな祖父の得意料理は中華とロシア料理。満州鉄道に勤めていたことがあり、ハルピンに住んでいた頃は人望厚く、敵であったロシア人にもよくしてもらって料理を教えてもらったそうです。ロシアも人宅に呼ばれたパーティーの思い出話なんかもしてもらって、なんだか素朴ながらに映画の一場面のように情景が目に浮かんだものでした。その祖父の作るピロシキは絶品だったなあ。
もうひとつ祖父の絶品料理といえば餃子!
皮はもちろん粉から作るので半日がかりの作業。頭にタオルを巻いて、テーブルは粉で真っ白。大きな大きなボールには色んな野菜の具が入って、幼い頃の私にはポンポンと次々と作られる餃子はまるでマジックのように見えたものでした。カリっと餃子を焼くコツを教えてくれたのも祖父。一緒に作業した楽しい思い出は自分の子供にも受け継いでいきたい場面だなあ。
こうして祖父との楽しい思い出を振り返ってみると、いかに一緒に何かをして過ごしたことが影響が強いことかと思い知らされます。お金をかけずに一緒に何かをした思い出ほど思い出深い。これって最近の親子関係に足りないものなんじゃないかとふと思いました。子供のため、子供のためといって、お稽古事や習い事など他人と過ごす時間にお金をかけるだけじゃなく、親子で一緒に作業をもっともっとしていかなきゃなあ、とわが身を振り返って反省。
一緒に作業する思い出作り・・・それは特別な日ではなく、ふとした日常の一場面でありたいな。
いろんな思い出を残してくれたおじいちゃん、ありがとう。
両親の父親は写真でしか知らずに幼少期を過ごし、今に至った。そう、僕にとって初めてのお祖父ちゃんだった。
チビ助は幸運にも曾お祖父ちゃんとして接する機会があったけど、大きくなって写真を見て記憶が甦るかな?
大往生だ!
自分自身もお金で作られた思い出よりも
一緒に過ごした何気ない時間の方が思いが強いものだったりするなあ。これを読んで私と祖父の思い出より
モナと私の父の関係を思い返しました。
モナはじいじの言う事を一番聞くんだよね。
じいじは私達夫婦よりいろんなことを
モナにじっくり教えてくれるから。
普段そうやってじっくり接することを避けているかもと反省します。ばあばは幼稚園に3年も行かせることに反対されました。一番かわいい時に一緒にいてやらなくてどうするの?とね。
あなたのブログでいつも考えさせられ反省する私です。。
おじいさまのご冥福をお祈りします。
おじいちゃんの手作りピロシキと餃子、君にも
食べさせてあげたかったなあ。出会った頃は既に
老齢でもう作らなかったものね。
でも、90の手習いの粘土細工には目を見張ったよね!土曜日はおじいちゃんとのお別れにいきましょう。
≫MaoMaoさん
それがね、料理好き、子煩悩の祖父と正反対の
外出好き、自己中だった祖母にそっくりだと私
は常々言われてますのよ、ほほ(^_^;。
祖父のハルピン時代の話とか面白かったなあ。
人って誰にでも歴史があるんだね。もっと聞いて
おきたかったなあ、ってしみじみ思います。
≫モナママさん
そうそう、じじばばはじっくり向き合ってくれるよね。
でも、うちの母はいつも「そりゃ、母親には無理よ~。主婦はいろんなことで頭いっぱいだもの。そのためにじじばばがいるのよ!」って言ってくれてるので、その役割分担に甘えちゃってます~。しかし、私はもっと我が子に向き合わなくてはいかんな、反省反省ですわ~。
≫さくらんぼさん
ふふふ、たくさんのお孫さんに囲まれてるさくらんぼさんを思わず想像しちゃいました!
ホント、子供たちに何を残せるかですよね~。あ~、いまは子供から教わることばかりで何一つ親として教えてることはないようなワタクシでした・・・(^_^;。
おじいさんのご冥福をお祈りします。
102歳とは、本当に大往生だったんだね!
私も去年の9月におじいちゃんが、98歳で亡くなり
思い出してしまいました。当日元気だったのに急に
亡くなったのでショックだったけど、最後まで
傍にいれたので、幸せな最期だったと
みんな言ってくれます。
偶然にも私のおじいちゃんもハルビンにいたことが
あります。よく話して聞かせてくれましたよ。
おじいさんとの料理の思い出素敵
一緒に過ごせた月日は何よりもかけがえがない
宝物よね
あら~、この時代の人はハルピンにいた人
多いですよね!もしかして、知り合いだったかも?
生きてたら聞いてみたかったですね~。
戦後の家族写真を見せてもらったのですが、昭和を
感じてとっても面白かったです。もっと色々話を
聞いておけばよかったなあ。