LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

誕生と死

2008-08-30 22:36:15 | 子育て


昨日は『地球交響曲第五番』のDVD上映会@Cさんのマンションサロンでした~。子連れなので、それはそれはにぎやかで音が聞こえないこともあったり、子供を追いかけて見れない場面もたくさん。それでも、やはり心にグッとくる場面はそれぞれあったようで、特に出産のシーンではみな自分のときのことを思い出してウルウル。分娩台で産まない自然出産という選択を初めて見た人にとっては、いい意味でカルチャーショックだったようで、やってよかったわ~。

さてさて、この第五番のテーマは「誕生と死」だったので、いつか書こうと思っていたことを書いてみたいと思います。こういう個人的なことは本来人に言うようなことではないのかもしれません。でも、自然出産があるように、流産にもやはり「自然排出」という選択肢があることを知ってもらいたくて・・・。

おなかの中に二人目の小さな命が宿っていると知ったのは今年の3月。ところが12週くらい(?)でわずかな出血。念のためと行った病院で言われた言葉は、
“残念ながら育っていません。初期流産ということです。”

頭の中が真っ白。

え?え?え???
流産だったらおなかの中の子が何かサインを送ってくれると思っていたのに、それずら感じることができなかったダメな母親の私。
実感がわかないので出ないと思っていた涙が止まらず、その後はお医者さんが何を言っているのか聞き取るのもやっとでした。
そして、みなが楽しそうに赤ちゃんの成長ぶりを検診に来ているかたわら、私はひとり流産の手術をするための血液検査をソファーで待つ。なんて、病院って残酷なところなんだろう、って思いました。

お医者さんの説明は非常に淡々としたものでした。まだ心音も確認できる前の初期流産は珍しいことではなく、10人に1人の割合であるもののこと、理由のほどんどが染色体異常であることなどなど。
悪いお医者さんじゃありません。でも、その事務的な口調と説明の内容にどこか釈然としないものを感じてしまいました。けれど、そのときは、それが何かは分からなかったし、このくらい淡々と言われたほうが自分も悲しみに暮れなくて済むのでは、とさえ思いました。説明されたことで自分を説得しようとしていたのです。

帰宅後、泣いて泣いて最初は自分を責めました。私が自己中だから、こんなうちいやだ、と思って赤ちゃんくるのを辞めちゃったんじゃないか、とか。でもね、友達がこうメールしてきてくれたんです。

「誰かに罰を与えるための命なんてない。命は誰かを幸せにするためのもの。短すぎるから悲しいかもしれないけど、立派に生きたんだよ。命の長さは人には計り知れないもの・・・」

はっとしました。私に罰を与えるためと考えたなんて、小さな命に対してなんて失礼なことを思ったんだろうって。私ってば命に対して傲慢だったんだろう、って。
そう思い、少し落ち着いてきたら今度は1週間後に迫った手術のことで頭がいっぱいになってきました。お医者さんの説明では手術をしないと次の妊娠時に胎児に影響がいったり、危険とのこと。
でも、待てよ?
本当に手術って必要なんだろうか。手術の内容は、金属で子宮内のものを掻き出すというもので、お医者さんが
“まあ、中絶と同じようなもんですな”
と軽く言ったのもひっかかりました。
昔の人は手術なんてしてたんだろうか?
手術をしないという選択肢はないのか、ということはお医者さんにはとてもこわくて聞けませんでした。だって、素人が何を言ってる、って怒られたら何も言えないもの・・・。
それからネットで色々検索してみるもののたいして情報は出てこず・・・バーストークを主宰されてるAさんに思い切って相談してみたところ、ほしかった情報をいただけました。
そして、そのメールの中に池川クリニックの池川明先生のところに行ってみてはどうかと書かれていたのです。

相当長くなりそうなので続く・・・