大切なことっていつもシンプルだなー、って思う。
言葉は多くいらない。
しかし、私の場合は・・・はい、簡潔なブログ書けない連盟会員でーす。
なんかついどうしてそうなったか経緯という過程の気持ちまでつらつら書きたくなってしまうのよね~
先日、図書館で育児雑誌クーヨンをぱらぱらめくっていたのですが、ちょうど俳句特集でした。
五七五の世界、まさにシンプルの極致!
ちゃんと読んでないけど、俳句こそまさに日常の中にきらめきを見つけるってことなんだなあ、としみじみ思う今日この頃なんです。かといって私には思いつかないのだけれど。
うちの場合は両親が短歌と俳句をしていました(父は継続中)。母は還暦のときにいままで作った短歌の自選ベストをまとめていたのだけれど、それらを読んでいると、不思議と写真よりも遥かにそのときの情景や心境が目に浮かんでくるのです。短文の中にぎゅっとエッセンスが閉じ込められていて、ひとつひとつの言葉自体の持つ深さがとてつもない存在感を持って語りかけてくるとでも言うのかしら・・・。小さな箱を開けたら、ぱぁっと中の光が輝き放たれる感じ?
思い出の小箱たち。
単純で、深い。
祈りが、こもる。
母は理想とする生き方を一ページ目に書いていたのだけれど、辞世の歌となりました。
それに対する父の返歌に、ちょっとうるっときてしまった。死んだ直後はもう俳句も作れないと落胆していた父だったけれど、詠むことは供養になると仲間から言われて復活したのです。
母の辞世の歌
静かなるみやこわすれの花に似て
清楚に深く一生(ひとよ)ありたき
父の返歌
つつましきみやこわすれの静けさを
わが身と生きし君を忘れじ
なんかうらやましい関係だなー。
美しいモノが好きで、音楽はクラシック、美術はヨーロッパのもの、複雑な飾りのほうが好きだったように思えた母。バラのほうを好んでいるかのように見えたけれど、根底は常に野の花があった。モノのない時代に育った母にとって、初めてみた海外の美術品やクラシック音楽は心揺さぶる衝撃だった。でも、短歌を通し、日常のきらめきに目を留めていたら行きつくところは結局シンプルだったんだなあ。
私の好きなマオリやネイティブハワイアンなどの先住民族の人たちの言葉もすべてシンプルなんです。語彙が少ない、けど深い。
日本もどちらかというとそちら寄りなのかな、なんて。
短歌・俳句の世界、日本の美、残していきたいなあ。
どなたかー(笑)?
※ 写真はダイコンの花です。大好きな野の花のひとつ。
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