LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

心配症さんへ

2011-03-24 23:54:03 | イベント


一体何を信じればいいのか、そんなため息があちらこちらから聞こえてきます
良くも悪くも、いろ~んな情報が交錯していてもう頭パンク状態
知ることで、大切なものを守ることができるのなら、守りたい。でも、知ったら不安になるだけの情報で、状況が変えられないのなら、なんかもう知りたくないなあ・・・。大量の情報に疲れてきた

テレビは受け身で洗脳されやすいから、見ないに越したことはないなあ、と思う今日この頃。ニュースは事実を流してると思われるけれど、伝える側の偏った角度からしか写らない。よりセンセーショナルな内容で、スクープを撮り、他局よりも印象づけたいとか
政府をはじめ、見るとイラっとくるから(笑)もう見ませ~ん。私の場合、持ち前の(?)批判精神ムクムク、毒舌が止まらなさそうですし。いかん、いかん。

ところで、私の周りには元々原発に反対してた人が多いから、マスコミが流さないさまざまな恐い情報も次から次へと入ってきます。関西より西へ逃げろ!と。でもね、なんかずーっとスッキリしない思いがあったんです・・・

流れが変わったのは、

「原発がさびしがってます」

というメールが来てから。いままで無償の愛で、私たち人間が快適な生活を送るためにエネルギーを供給してくれた原発に皆で一緒に愛と感謝を たくさん、花束のイメージとともに贈りましょう、って
モヤモヤから一気にあったかい気持ちなりました
ちなみに、こういうメールを送ってくれた人たちはみなさん原発反対派です。でも、「だから言ったじゃないか」、じゃなく、「いままでありがとう」なのです。なんだろ、ただ、原発は実はこんなに恐いんです!知ってください!というメール受け取ったときよりも、より未来を変えていこうという気持ちになれたから不思議


さらに、ほっとさせてくれたのが、おなじみ神の木クリニック(日記はコチラ)のY先生のお言葉。先生を訪ねた方の許可得て、言葉を転載します↓

「ヨウ素剤もホメオパシーも何もいらない。
すべての出来事に感謝と畏敬の念を持ってほしい、
ただそれだけでいいんです。」

ホメオパシー処方してるクリニックなのに~。 もうからないクリニックです(笑)。

また、こうもおっしゃっていたそうです。

「自然育児をしている人は、日頃から食生活に
気をつけているので
体を守るパワーもちゃんと蓄えている。
そして、必要なときは体の回りにバリヤ(オーラみたいなもの)ができて
守ってくれる。だから、すべてのことに感謝と畏敬の念を持って
安心して過ごしてほしい。」

なんだか、ほっとしたんです。楽観主義と受け止める人もいるでしょう。こういうスピリチュアル系の発言に抵抗を覚える人もいるでしょう(私もどちらかというと抵抗覚える方)。でも、この先生に言われるとなんか納得しちゃうんだなあ。

冷静に考えてみたら、微量放射能よりももっとこわいことっていっぱいあるよなあ、と。
カップラーメン、スナック菓子しか知らない子供たち、安いからと農薬満載、抗生物質だらけの肉・卵・・・もはや命ではなく工業製品と化した食。こういうことは知らされないんだなあ、だってテレビや雑誌の大手スポンサーだものね

食だけじゃあない。フラの先生が書いてたけれど、子供がゲームをやり続ける世の中のほうがこわい、って。
・・・確かに。

また、別の方は、こう言ってました。

物質よりも強力なのは、思いのエネルギーです。
出来ることを備えたら、心安らかに過ごしましょう。

そうよね、そうよね。何もしない楽観主義ではなく、できることはしてあとは、でーんと構えてネ
根が心配性なので、ともすると不安になってしまうけれど、そんな自分のために今回のブログを書きました。
うん、なんか元気になってきたぞ~

さて、殿の大阪臨時勤務の目途がたったので、来週には鎌倉に戻りまーす


※写真:なごむ絵&これからも素っ裸で遊ぶことのできる海を子供たちに・・・


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共感疲労?&停電時のおすすめグッズ

2011-03-22 23:38:12 | イベント
 

エンロハ@愛知県です。こちらは平和すぎて、恵まれ過ぎてていいのかなあ・・・。感謝と罪悪感の入り混じった日々です。電気使うたびに罪悪感。本気で生き方考えなければと思うけれど、かといって具体的なイメージも浮かばず・・・

今回の震災で共感疲労というのがあるそうで、私の場合はそれとはちょっと違うけど、やっぱり「何の役にも立たないのに私が存在する意味あるのかな・・・」とか投げやりな気持ちになったりもしました。命さえあればありがたいことなのに、こんな状況下でも家族に小さなことでイラついたり、そんな自分に嫌気がさしたり。

こちらで、そんな考えごとしながら、ぼーっと自転車に乗ってたら、車にひかれそうになったり、子供も飛び出してハラハラしたり。ああ震災でなくてもいつどこで死ぬか分からないし、人はみないつか死ぬ、そんな当たり前のことしみじみ感じる毎日です。だからこそ、今を思いっきり楽しんで味わえばいいと頭では分かってはいるのだけれど、気力がついていかないんだなあ。落ち込んでるわけではないです。むしろ、変わらずひょうひょうとしていられる自分にガッカリのほうです。もっと変われよ、自分、みたいな。

宮城で大地に根差したユートピアを築こうとしていた元同僚、退職後福島(25km避難地域内)の古民家に移住して半農半Xをはじめてまだ1年半の親戚。私なんかよりよっぽど行動的で意味あることしてた人たちの夢が流されていく。理不尽で、いたたまれない。

そんな中、元気な気持ちにさせてくれるのが、関東に残ってる知り合いたち。計画停電、一日2回めぐってくることも多くて、みな小さな子供もいるし、こわかったり不便だったりすることもあるだろうに、文句を言ったり、誰かを責めたりする人がいないんです
「蝋燭でお鍋を子供と楽しんだぁ~」「室内キャンプが楽しくて子供興奮」とか「月や星がよく見えてきれいだった」とか。そういう風に感じられる人ばかり。ブラボー。同じ暗闇をこわいと思うか、そこに星の輝きを見出しうっとりできるか、同じ状況でもその人次第なんだなあ。

さて、そんな停電時におすすめなのが、ソーラーランタンです。我が家はちょうど2月に買ったばかりだったのだけれど、外用を我が家は家の中で日頃から使用していました。
家の中で使う場合、太陽が出るたびに充電するために外に出す手間があるのだけれど、その作業もまた楽しい
「さあ、おひさまエネルギーチャージしてください!」
って毎回おひさまとつながれることが意識できて

スイッチ一つ押せばつき、どういう犠牲のもとに成り立っているかつながりが見えない電気と違って、毎回お日様に当てに行く(充電)不便さがあることでつながりが見える。
こちらのソーラーライト、本当は外用で、明るさとしては何かをするには不十分(拝借したネットの掲載写真より暗い)。蝋燭風のチラチラ揺れる明りが、「安定しろー」って思うこともあるけれど、我が家の場合、夜中トイレに起きる長男が明るすぎても暗すぎてもダメで、そんな
とき廊下でほのかにお日さまが分けてくれた光がぼおっと道を照らしてくれるのが活躍していたんです。

キャンドルナイトって、小さい子がいると、蝋燭って危なかったりするんですよねえ。かといって、懐中電灯照らして食べるのは光がドギツイ。ソーラーランタンを食卓におけば、まあ何ということでしょう(快適ビフォーアフター風に)、自宅がムーディーな大人のレストランに早変わりですロマンチックナイトですよ~

あと、ソーラークッカー(太陽熱調理器)もおすすめです!節電うんぬん以前に楽しすぎるっ
ソーラーライトもクッカーも太陽が出ていないと無理という欠点もあるけれど、それがかえってありがたみを増す。ちょっと取り入れてみるのもおすすめです。我が家のサンオーブン日記はコチラ

前の日記にもつながりのことを書いたけれど、うん、キーワードはつながりなのかも。医療にしても何にしても専門分野化され、個々が部分化しか担わず、全体のつながりが見えない。全体が見えないから何がおかしいか、本質が見えなくなってしまう。蛇口ひねればきれいな水が流れ、でも下水がどこにどうやって流れていくかつながっていたら合成洗剤あんなに売れないと思う。何を買うか、食べるか、全体が見えればどういう暮らしをしたらいいのか答えはそこにある気がするのです。極端じゃなくていい、できるとこからベターなほうへ少しずつシフト。

あ、やっぱり今日も自分の気持ち整理するためのようなブログになっちゃった。ブログは軽い感じが好きなのだけれど、しばらく真面目なブログが続くと思います。根が生真面目なんで~~~。読んでくださって、ありがとうございます。


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お手手とお手手

2011-03-19 01:08:49 | 徒然日記
 

ただいま愛知の殿の実家に帰省中。殿の会社が大規模停電に備えて臨時の(あくまでも臨時よ!・・・と願いを込めて)第二マネジメントチームを大阪に設置し、急きょ殿もそのメンバーに。それにあわせて、私たちもバタバタと荷造りし、一足早い春休みにしたのです。終了式まで幼稚園に通わせてあげたいな、とか殿抜きでの帰省はしたことなかったので、色々不安もあったし躊躇していたのだけれど・・・今回は流れに乗ってみようと。自分の判断が迷うとき流れに身を任せるのがベストかな、って最近は思うんです。疎開って言っちゃうと、じゃあ残してきた大切な友人たちは?という気分になるので、あえて流れに乗った春休み。大丈夫な人たちは、どこにいても大丈夫なのです
というわけで、私たちの場合は、今回は普段なかなかできない愛知のおじいちゃんおばあちゃん孝行の機会を天からいただいた、そう思うことにしました。

両親との違う価値観、友達もいない慣れない環境で、よしっ!ここはひとつストレスで痩せる作戦♪と思ってたら~~~。ああ、なんていいお姑さんなんでしょう。理解できない私たちのこだわりを、一生懸命受け入れてくれるのです。理解できないのに否定しない。これってすごいことです!お義母さん、見習いたいと思います!リスペクトです。ブラックユーモアなご近所さんにそのことメールしたら、「お義母さんを(気遣いさせすぎて)痩せさせないように」って。はは、私はのびのびしすぎて、逆に太らないように注意!?

慣れない環境で子供たちはどうかな?と思ったのですが、予想通りイキイキしています。プロ並に器用なおじいちゃんは、黙々と廃材であっという間に電車を作ってくれて子供たち大喜び。図書館でいっぱい絵本を借りてくれば、子供たちはとても安心感に包まれるようです

あ~、絵本。小人や魔女や不思議がいっぱいの絵本を被災地の子供たちに送りたいです。ファンタジーの世界がどれだけ救いにつながるか。過酷に見える現実を前にしても、ファンタジーの世界に飛んでいける空想力があれば、精神的に折れることはないのです。一見現実逃避しているように思えるかもしれないけれど、見えないものを信じられる子は実は情緒が安定して、逆に現実に強くなれるのです

こんな話しがあるそうです。ある両親が非現実的な絵本は全く読むことをせず、現実的な科学絵本しか見せなかったらその子供はおかしくなってしまったとか。専門家に相談にいき、言われたとおり非現実的なファンタジーあふれる絵本を読んだらその子の情緒は安定したんだそう。突然動物たちが話したり、小人が出てきたり、そういうのがものすごく大切なんだそうです。グリム童話や昔話の効果も絶大。生きる上で大切なことを知らず知らずのうちに体得させてくれる。だから、週末里子のKちゃんが来たときは不思議の国と行き来するような児童文学ばかりを選んで読んでもらいました。そこに彼女の居場所があって、何かつらいことがあったときいつでも空想の世界へ飛んでいけるように・・・

ところで、被災地の子供たちがおもちゃがなくて、退屈しているという報道があるそうです。・・・子供は遊びの天才でモノがなくても本来何でも楽しめるはずなのに、とちょっと違和感を覚えてたら、こんなブログを見つけました。芸能人の新山千春さんのブログ。普段読んだことないのに、なぜか偶然(いや、これが必然なのかしら)目に止まった。彼女はこんな時期に批判されるのを覚悟で、予定通り青森に帰省するそうです。孫の顔を見せ、おばあちゃんたちに元気になってもらうために。今、子供をいつも以上にハグハグしたりして、手の持つパワーを実感しているそう。物資も手から手へ・・・と。でね、おもちゃがなくても伝統的遊びがあるから大丈夫って。言葉遊びや手遊び・・・おばあちゃんたちはいっぱい知ってるから避難所で聞いてみて、って。温かくて柔らかいおばあちゃんたちのお手手に触れて、少しでも笑顔がリレーされますように!って。

ああ、そうだ。いつの間にか手遊びでつながっていたお年寄りと子供のつながりがとだえてしまっていた。電車に乗ったら、知らないお年寄りもまずお菓子をくれようとする。ちょっとした会話や手遊びなんかのほうが本当は子供は喜ぶのに。まるで飴がないともう交流できないくらいの雰囲気。いつの間にか大人が子供にテレビの商戦に乗っかったおもちゃを買い与え、お菓子をあげ、人と人とのつながりが人とモノのつながりにすり替わってしまっていた・・・。おばあちゃんの知恵袋は重宝されていたのに、いつの間にか孤独死を迎えるお年寄りが増え、核家族のママたちは育児ノイローゼに陥る。人の代わりにモノが介入したら、ただそこにいるだけで心強かった存在が、使える、使えないで区分され始めた。

いまこそ、モノに頼らず、目に見えない世界を大切にしたいなあ、って思いました


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大地に歌を

2011-03-15 15:12:01 | Nature


こんな状況下でも日常は流れて行きます。笑って過ごせることを無情(不謹慎?)と取るかありがたいと取るか・・・。根が心配性なのですが、子供たちと遊んでいると気が紛れるのはありがたいことです。しかし、家族の大切さを実感したのもつかの間、相変わらず子供たちに雷を落としたり、殿にイラリと来たりする自分が・・・情けない
いや、でもこれがある意味平和というか幸せなことなのかも。イラリとできることすら愛おしいのかも?

放射汚染に関する身震いするような公にはならない情報が次々に入ってきて、ちょっと自暴自棄な気持ちにもなったり、色々ぐるぐるぐるぐる。外にはできるだけ出ないほうがいいのかな、とか、殿の実家(愛知)に疎開したほうがいいのかな、とか色々考えました。

が、土曜日は素晴らしく気持ちのいいお天気。不安に押しつぶされそうになりよりも、子供たちを室内に閉じ込めるよりも、と外遊びをしちゃいました。9時前から17時過ぎまで近所の子供たちとピクニック。これが楽しくてキラキラしていて。もし、今日で全てが終わるとしたら子供にとっては間違いなくキラキラしてる1日のほうがよかったのかな、って強い風にドキドキしながらも思いました。
とはいえ、また考え変わるかもしれませんが・・・

そのとき昔見た、チェルノブイリで汚染された小さな美しい村を撮ったドキュメンタリー『ナージャの村』という映画を思い出したんです。たんたんとした映画なので、途中記憶が飛んでたりもするのだけれど、心のどこかで、なぜ村人たちが逃げないでそこに暮らし続けるのか当時はイマイチ分かりませんでした。でも、いまはなんとなく分かる気がします。汚染された現実をうらみ、逃げるのではなく、いま目の前にある美しさ豊かさを味わう人生・・・。いまもう一度見てみたいなあと思いました。

ところで、今回節電や募金やプラスのエネルギーを念じる以外に何をしていいかイマイチ分からなくて、子供からのリクエストもあって下手なピアノを弾いたりしていたのですが、これが心が落ち着く
リクエストがあったのは長男が幼稚園の誕生会のときに園長先生がプレゼントしてくれた讃美歌で、「やすかれ、わが心よ」という歌詞。無意味にも思えたけれど、被災地に意識を向けて弾いてみたりしました。そしたらね、mixiのとあるコミュニティにこんなことが書かれていたんです。
以下は抜粋です↓


歌える方は歌って下さい
ハミングでも棒読みでも構いません
大地に音を聞かせて下さい

大地に感謝を届けて下さい
母なる地球が目覚めれば全ては止むと

歌は
大きな欠落を小さな可能性が支えると書きます

今こそ魂を目覚めさせる祈りを地球に下さい




きれいごとに聞こえるかな?
でも、そうか。気持ちを送るのは人だけじゃない、大地にもでした!

あれ、おかしいな?私こういうの苦手なはずなんだけどな???

スピリチュアル系の人たちは今回のことを地球の浄化だという人もいます。さらなる次元へとか言われると正直違和感あるのだけれど、でも今は苦手な祈りとか気を送るとかそういうことが、なんだかしっくりきてしまうのです。

また、別のところではこの地震も実は人が作った地震兵器とも聞きます。そうかもしれません。でも、人体実験を操作している人たちを批判してるひまはな~いっ。

昔大学で勉強し、惹かれたネイティブの人たちのことを思い出しました。
ネイティブアメリカン、マオリ、ネイティブハワイアン・・・
彼らだったらきっと大地に祈りを捧げるでしょう。母なる大地は意思を持って生きてるものだから。
ちっぽけな人間なんかの想像を超えて、沈黙してた大地は突如怒り、静まり、また受け入れてくれるのかも。心が通じなくなって嘆き悲しんでいる大地に歌を届けるときなのかもしれません。
そのとき、仮に悪いことを操作している人がいるとしても、心ある人々の思いと大地の懐の広さは、その人たちの心をも溶かし、許し、包み込むのかもしれません。
すぐにイラついたり、非常食を食べたがる子供を怒ったりするちっぽけな私だけれど、でも歌なら歌えるぞ

今度の復興は、単に経済的な復興ではなくて、日本人の奥の奥にある大切な忘れ去られていた何か気高くて美しいもの・・・その復興になる?そんな気もするし、そうでありたいです。


こんなときだからこそ

2011-03-13 22:37:59 | Nature
上手な言葉が見つかりませんが・・・

被災地の方にみんなでポジティブなエネルギーを送りませんか?

テレビをはじめとする映像を見たら恐怖心に負けてしまいそうです。見ないほうがいいかも。私も連絡のつかない知り合いが宮城にいるので心配でたまりませんでした。でも、こわがっていてもいい方向にはいかないんですよね。強運な彼女が生き延びて、他の人を助けているところをイメージしています。そうしたら不安な気持ちが緩和されました。

原発も心配です。原発には反対だったので、「ほら、やっぱりこわい!」とついつい思ってしまったけれど、そんなとき以前通っていたお料理教室の先生からこんなメール(抜粋)がありました。

「今現場の方は被爆しなから、死にものぐるいで働いてくださって
います。
なのに、私たちが「だから反対してたんだよ。」とか、「正確な
情報がないから信用できないよ」とか、マイナスのエネルギーを
送ったら、どうなるでしょうか。

どうぞ、みんなで、大した事なくことが済みますようにと念じ続
け、責める思いを取りあえずわきにおきましょう。
困ったとおおあわてしている時に責められたら、ますます失敗し
てしまう経験はありませんか。」

はっとさせられました。どこかで責めてました。政府やマスコミを心の中で批判しまくっていました。ネガティブなこと思い描くひまがあったら、ポジティブなイメージを生み出したほうがよっぽどいいですよね。一生懸命救助に励んでくれている現場の人たちに感謝の念を送り、みんなが助かって喜び合う場面をイメージしたいと思います

スピリチュアル系は苦手なのですが、ポジティブなエネルギー(気)を送ること・・・それは、つまり“祈る”ことなんだと思います。みんなの祈りがあわされば、それは想像をはるかに超えた力になるし、いま必死で助けを待っている人たちの心にも届くのかもしれません。
物質的なことも大事だけれど、それ以上に祈りがいま必要な気がします。うまく言えないけれど、心と心がひとつになり、つながること、みなが実践したらすごくポジティブな方向にいくと思うのです。

こんなときだからこそ、被災地の方たちの不安が少しでも取り除かれて、心が休まるよう、ポジティブなエネルギーをみんなで送りたいと思います。