関東にいるのに疎開~!?!?
って思う人いるかもしれません。でも、まわりには結構いて、某教授がブログで夏休みに1カ月だけでもいいから子供たちを避難させて身体を休ませてあげてください、なんて書いてるのを読んじゃったら母としては揺れますよね。
もともと旅好きだし。どこか滞在型で長く行きたいし。働いている殿を残して母子だけで行くのには罪悪感を覚えるけど、疎開という名のもとなら行っちゃう???・・・不謹慎ともとれる思い。いや、でも私の中では関東にいるのに「疎開」という言葉を使うほうが北のほうにいる人たちに失礼な気がして、チャンスがあったから行ってきまーす、くらい軽く考えたかったのです。うまく言えないけど
というわけで、元々農家ステイに興味があったこともあって、MMちゃんが春にお世話になった広島の自然農の農家さんのところにまたまたステイに行くと聞いたので、便乗させてもらうことにしました~~~
・・・の、ハズだった。
実は、不思議なことに今回はどうしても行くイメージが持てなかったのです。殿置いてということに後ろめたさともずっとあった。
だから、かな?出発前々日くらいになって、次男が手足口病に!!!
行くなというメッセージですね、ハイ。
それは分かった。迷いもあったし。ただ、もっと意味が知りたいと思って、いざ不思議クリニックへ~。
私は人見知りで、特にお医者さんとかとは構えちゃって話せないので、殿に話しを聞きに行ってもらいました。やっぱり神の木クリニック面白いなー。以下は殿からの報告メール(原文まま)です↓
K(次男)は手足口病。成長過程で物事ができるようになる(受肉の過程)と発症するもので、なる方が良いと言われた。例えば僕がかかったら仕事ができるようになると。
R(長男)は小学生になる準備を身体かしていると言われた。
広島行きは悪くはない、その意向を支えてくれるご両親や御先祖がいるから。ただ謙虚になる必要があると。疎開という目的以上に、感動する体験や発見があるようにすると良いと言われた。放射線の影響は広範囲に及んでいて、自然農は放射線に対して無力と言われた。逃げようと考えている人々により強く影響が出ていて、福島の人々で県外には影響を及ぼしてはいけないんだと意気込み福島で飲食している人々には影響は出ていないと言ってた。
先生・・・どうしてバレちゃうんだろう。私に謙虚さが足りないってこと!
疎開という目的以上に・・・というところにはうんうん。私もそう思ってたから。
けど、最後の一文は衝撃的だったなー。福島で地消地産をいまだに推奨してることに唖然としてたのです。特に学校給食。学校給食に関してはいまでも避けてもらいたいと思うけれど、でも、「県外には影響を及ぼしてはいけないんだ」という意気込みで飲食している人々がいただなんて。そんな志の高い人々がいただなんて、自分の浅はかさが恥ずかしかった。
逃げようとしている人々により強く影響が出ているは、うすうす感じていました。警戒している人々は不安からちょっとの症状で「あ、低被爆だ!」とか。食べ物を見る目も人を見る目も疑いになっていきがちで、責める気持ちが先にたち、感謝から遠ざかっちゃうのかな、って感じてたので納得。
放射能は恐ろしいし、子供を守ることはもちろん必要。だけど、逃げる気持ちは何かを否定する気持ちにつながっちゃうんだね、きっと。あー、うまく言えないなあ。放射能を恐れてる母たちを批判してるつもりはないのです、私も恐れてるし。ただ、なんて言うのかな・・・日々の輝きも見失いたくないというか・・・
一方いまいる場所で、大地に根をしっかりはって「全ては気づき」と捉えてる人たちの前向きで強いこと!
福島のかっこいい友人で書いた大西くんの新プロジェクト『こめらの森』ブログを読んでいると色々と考えさせられます。
特にこの日の日記の最後のほうに書かれてること↓
http://yajin.jugem.jp/?eid=980
たとえ脱原発が実現して、エネルギーの元が変わっても使う側の意識が変わらなければ同じ、ということ。
安全な食を求めて血眼になって産地確認をしながらスーパーをいくつもはしごする不安でいっぱいの母たち。都会に住んでいれば仕方のないことかもしれない。けれど、福島の地にいて日常を丁寧に紡ぎ、日々気づきの中で感謝しながら暮らしている大西くんたちとの違いにがくぜんとしてしまう。
商品としての食と、命の糧である食。
私は頭では分かってるつもりだけれど、実際にはまだまだ前者だなあ。
せめて、ありったけの感謝の気持ちをこめて、気合いを入れて毎回言おう。
いただきます
ごちそうさま
を。
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