野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

はい。落ち着いて。

2019-10-26 19:56:00 | 美容

便秘です。

わかってる。わかってる。わかってる。

忙しくコンを詰めていて、ヴァータを乱している。

あああ。瞑想にきちんと取り組むか、ゆったりペースを落とさないと。

便秘、だからといって
頭痛、だからといって
風邪、だからと言って、わたしは薬を飲まない。

薬を飲んだら負けた気がする。

体調崩した時点で負けてるんだよ。

以前、友に言われた。

だから、ちょっと己れを振り返える。
そして、ムリをしていないかな、とチェック。

物事が、どん詰まった時も同じ。
わたし、エゴがたってる?

子育て繁忙期には、わたしがママゴンになった瞬間に子らが反発してきたもの。
いまは、全部自分に返ってくる。
便秘。とかね。

ゆったりしよう。

でも、漫画描こう。







久しぶりです

2019-10-25 22:21:34 | 日記
ここには、わたしのホントの気持ちを、書きたいと思っていて、
そう思えば思うほど、なかなか逆に筆が進まず。
ブログ更新頻度低めはそういうわけです。


今日は、頭が痛くて、目が痛くて。
遺跡発掘調査事務所での細かい作業。
時計を何回も見てしまった。

早く家に帰って、制作している漫画の続きを描きたい、とウズウズ。

11月24日に同人誌即売会のイベントがある。そこで売る為の漫画を描いている。
絵があんまり得意じゃないのだけど、言いたいことが漫画になって出てくるから仕方ない。星占いでは絵の才能はないとでている。重々承知。それでもやりたいの。そういうサガって事も星占いでちゃんと出ている。

あした明後日は休日。
漫画を描く。
ブログも書こう。

誰の為じゃなく、よくわからないけれど、そればっかりになっちゃう。
まるで、近頃のわたしは子供のころのわたしが帰ってきたみたい。

ホントにどうでもよいことには関心なくて、とことんな事へは執拗にとことん。

ちょっと前は、人に嫌われちゃうからもうちょっと丸い人、みたいな顔ができたんですけど、
いまは、ホント、すみません。しばらく自分にこもります。
(そして、ここに心の内をちょいちょい書くことにします。)

ワンピース事情

2019-08-04 09:22:44 | 日記
暑い。タンスを探る。一番涼しそうな、ワンピース。

二年くらい前、だと思っているが、四年は経っているのかもしれない。

長女と不意に入った東京の雑貨屋で、角にセールのシャツやワンピースが下がっていた。

中でも、レモンイエローの薄手のワンピースが目についた。
かわいいし、お値段も手頃になっているし、一緒に着ようか、と購入。

今年、あまりに暑いので、それを手に取る。
もちろん部屋着。派手だし、生地が薄いし、膝が出る丈だしで、外には着ていかれない。

二年だか四年だか前のわたしは、本気でコレを外に着て行こうかと考えていたんだからどうかしてる。
先日、美容院で髪もずいぶん短く切ってもらった。刈った、と言ったほうがいいかも。

断捨離だかミニマリストだか、シンプルに暮らしたいと願う気持ちは相変わらずなのに、なくなってきたのは、オシャレ心、とか、女らしさとか心の中のそっちの部類。

オッさんみたいな短髪に、レースのついたレモンイエローのワンピース。
涼しい。確かに、コレはいい。

しかし、オシャレ心からでなく、実用一点張りで着ているわたし。一人、困惑気味の猛暑である。

漫画描きました。

2019-07-27 09:37:55 | お仕事話


漫画を、描いて、noteのほうにあげました。

あれ?リンクが貼れない!奮闘中!
https://note.mu/shokorunrun/n/n8ca40b8a390d


文章や絵を人様に見せる。

全然うまいと思っているわけじゃなくて、
人にブザマなわたしを見られても平気になってきたのかも。
つまり、おばさん力が上がってきたのね!

でも、気づいた。
ひとつ作品をちゃんと完成させると、ちょっと自分が好きになってる。

だから、楽しい感じより、小さな小さな充実を積み重ねていっているのかも。

スーパーコンセントレーティドビヨンドカレーDays

2019-07-09 21:10:23 | 日記
あのバッグが欲しいなあ、と思った途端、街を歩くそのバッグを持った人が増えたように思いだし、
例えば妊娠した途端、やたら他の妊婦さんが気になってくる。

と、いう現象は確かにあるらしい。

アンテナが立つやいなや、脳がその情報を収集し始める、ってヤツ。

そこで、カレーだ。

フリーマガジンkokohada の次の特集がカレーだと決まるやいなや、世界はカレー一色に!!

どの店を取材しようかと、店を訪ね、
誌面構成を考えるので検索しまくり、常にカレーの事を考えるので、自然と我が家の夕飯もカレーがちになる。

そんな事をしていると、さらに引き寄せ力は加速して、職場の方に瓶詰めのカレーの素をいただいたり、
スーパーウルトラ美味しいカレーを作るのに、たまにしか出てこない友人がカレーを作るイベントが催されたり。

尋常じゃないカレーミラクルが巻き起こり、ただのわたしの脳内カレーアンテナ現象じゃないぞ、こりゃ。

結論

カレーの魔力。カレーの神様。は、いるね。こりゃ。
カレーの事ばかり考えるとカレーミラクルは起こる。

考察

それは、多分カレーだけじゃない。他の事にもそういう事が起こる。
だって、カレーをわたしに次々具現化してくれた人たちの、わたしに差し出されたお気持ち。それがまさに、フォースであり、パワーなんだよ!

と、言う事で、フリーマガジンkokohada。よろしくです。


遺物に触れながら思う事

2019-07-07 15:35:50 | お仕事話

部屋中のテーブルの上に、土器を広げて接合という作業をする。
現場から上がってきた土器を洗って地点の記号を書いて、そして復元を試みるのだ。

すごくくっつきそうだし、似てるのに全然くっつかなかったり、
一日中やってひとつもつかない時は時給もらってすみませんという気持ちになる。

しかし、ひとつの土器片を手に持って、なにげなく無意識に拾った一片とガッチリくみあった時には、びっくりして興奮する。

土器と土器が呼び合う。と、わたしは確信しているのだが、人に言ったら笑われるから言わない。

でも、ある日、縄文時代の小さな甕で、上半分と下半分が毛色の違う文様をしていたのをくっつけたとき、素人のわたしの頭や感覚で成し得ないことだと思った。
大きさも形も他とはちょっと違っているその甕を、
「ひょっとして骨の入っていた、骨壺のようなものだったのかな」
と、呟いたら、専門の先生が、
「うん。本当にそうだった可能性がある土器だよ。」
と言った。

だけど、と思った。
骨壺だとしたら小さすぎる。
赤ちゃんの!?

手の上の土器の細やかできちんとした文様。その中に入っていたかもしれない赤ちゃんの骨。胸のあたりがズシンときた。

何千年前の人との共感をしたと思っているのはわたしだけ。全てはわたしの想像。
あるのは縄文後期の小型の甕だけだ。

遺跡発掘調査の仕事というと、幽霊、とか怨霊。とか大丈夫ですか?と聞かれる事があるけれど、わたしが思い煩わされる事があるとしたら現世の人々の思い違いからくる諍いのほうが圧倒的で。

先生たちは土器を前にして、形式と型式を見分け、文様のパターンを読み取り使われた道具を判別する。
使った人の潜在意識も顕在意識も、誰かの心象印象もない。
先生たちの行為は、事実を述べる事に徹する。
それはまるで、神様に近づく術みたいで面白い。

(イラストはわたしの好きな水煙土器。文中の骨壺甕とは関係ありません。縄文中期後半。長野県あたりの土器です。)

インテリア考

2019-06-15 17:01:05 | 子育ての事
リビングが最悪だ。

コタツをしまった。
しかし、また寒くなったので、コタツ布団を出してきて、くつろぐ人(つまりわたし)が包まる。

リビングのテーブルで、わたしは作業する。
フリーペーパーの記事を作ったり、漫画を考えたり、遺跡の資料も手元に出しておきたいから、ひと山、本の山がある。
パソコンもよく出して使うからしまうべく所定の位置にまで帰れない。

ご飯の時だけそれらの山をテーブルから下ろして、食卓にし、
食事が終わると、パソコンをテーブルに戻し、また資料をひっくり返す。
コタツ布団にくるまりながら。

21歳の娘に、「ママお母さんやってないじゃん。」と言われて、
は!?と思ったけど、この悲惨なリビングの状態を言っているのか。

じゃあ、アトリエとか個室をくれよ!

お母さんの前に一人の人間としての尊厳をくれ!




ええと、、、なんの話しだっけ。

とにかく、お母さんイコールお手伝いさんと思っているのなら、改めていただきたく、

しかし、このリビング、どうしようかな。

そうだ、リビングの話しだった。



子育てって言うか、子と、共生しとります。

2019-06-14 09:44:02 | 子育ての事
秘密の特訓だから、秘密なんだけどね。

末っ子中学二年男子と、夕飯後に広場に行く。
彼がサッカーボールをボコボコ蹴るからその球拾い。

でも、最初に、「行くか」と。声をかけるのはわたし。

だって夕飯のあと、テレビが嫌いなわたしは、結局ダラダラスマホしちゃう。つまりは暇、な、わけ。

で、帰ってきて、風呂に入って、末っ子が数学の宿題なんぞを始めるから、

ちょっとやらして。

と、横から首を突っ込むと、数学合戦みたいになる。

我が家の父親は仕事仕事仕事で家庭不在だし、20歳を超えた大きい子三人は夜なんて日にちをまたいでも帰ってこないし、
つまり、家族の団欒は、末っ子と二人が常でありまして、

そんな話しを仕事仲間に言うと、

サッカー特訓と数学合戦、
よく末っ子くんが付き合ってくれますね〜〜

と。

なるほど。ホントだ。

反抗期のこない末っ子は、
まだまだ子どもか、逆に
「うちのマミーは、仕方ねぇなあ」
と達観しちゃってんのかも。

京都わずらい

2019-06-02 18:30:56 | 日記
5月の最後の方の日曜日。
京都に行ってきた。

それからずっとちょっと、京都わずらい。

地下鉄乗り継いで、編集の先生に会って、創作の道をゆく仲間に巡り合い、語り話し、教えていただき、励まされた。

そして、夜は同志のように勝手に思わせていただいている仲間と乾杯。

夜は、趣きのある和風の木造建築に宿泊者はわたし、ただ一人。
トイレや風呂に行くときに何かが漂っている。幽霊、ではない。
気配、ではある。

なんの?

次の朝、トイレの手前の暖簾をくぐって見てびっくり。
おびただしい数の本、本、本である。キチンと本が種類別、作者別に分類されて並んでいる。
偉い編集者の方の元自宅だった家だそうで、私設図書館みたいなその部屋に足を踏み入れてなるほど、昨晩感じたのは、この活字たちの疼くような気配であったか。

しばし、その部屋で過ごす。

寺や神社とは真逆の、濃く渦巻いているそれは、しかし、静まり返ったその部屋で、人々が自分の物語と格闘してきたその迫力に囲まれる。

本。
すごいなあ。

わたしはなににこんなに惹きつけられているのだろう。

しかしながら、道は始まっている。行ってみよう。

宿を後にして、京都駅で親戚のおじさんに会い、帰宅。

たったの一泊二日。
もっと歩いてみなきゃ、と思うばっかり京都。しばらく生活してみたいもんだ。くらい行きたい、嗚呼京都。



#文学フリマ東京

2019-05-06 22:35:22 | 日記
文学フリマ
というものに行った。

初めて行ったのに、出店した。

お店屋さんごっこは大好きである。
漫画家にも随筆家にもなりたいわたしが好きに作った本を売る。最高でしかない。

しかし、ウルトラど素人である。
事前に検索すると、みなさん素晴らしい本や店構え。ビビる。落ち込む。どうせわたしなんて、と、いつもの癖がでる。

しかし、

買ってくださる方々がいた!
いたのである。

20人くらいの方々が買ってくださって、3冊出していた全部ください、なんて方もいたから、嬉し涙が出ちゃう。

そして誓った。
今日買ってくださった方々の為にも、わたしはもっとマシな本を作れるように精進しよう。
勉強をして、感性を磨いて、そして突進するのだ。これ最高にいい本でしょう!って差し出せる本を作ることに。

課題は多々多々見つかった。
書籍のデザイン、紙の選び方、フォントなどの見せ方。本自体の構成。

ただありがたいことに、文章やネタはいくつもある。これからは出すカタチの勉強だ。

さあて、さてさて、出版進行!!





夢のお仕事。

2019-03-28 10:51:06 | 日記


大きくなったらなんになる?なにをやりたいの?
と、聞かれて、明確に答えられる子どもじゃなかった。
でも、白い紙を前にすれば満足で、さあ、何描こう!と、ワクワク気持ちが高まった。

だけど、いざ描きだすと、描きたいものがわからない。

14、5歳で自分の進む方向を決めるとき、全くどうしたらいいのか見当もつかず、
22歳からは子どもをじゃんじゃん授かり、子どもの事ばかりで忙しくて、描くなんて事さえ忘れていた。
しかも、社会的にはなんにもしてない。焦る!そんなわたし。

長いことそんなだった。

しかし、その間、まるで色々な事が熟して発酵したかのよう。

今、フリーペーパーココハダで1ページもらって、自分の書きたいこと書いて絵を描いている。
ときには、街に出て人に話を聞いて文章にまとめる。

なんか書きたい。かつて、そう思っていたわたしだが、今は、描きたい題材が山ほどある。

いまや、こんなに恵まれた環境。

なにが、いつ、どう運ばれるかわからないよ。
夢見る夢子ちゃんのわたし。変わる事はできなかった。でも。わたしなりの道があるみたいな気がしているぞ中年期。

肉体労働と運命の考察

2019-03-18 21:47:27 | 日記
お仕事が肉体系の年度末である。

先週の金曜日、300冊の報告書という厚い本の郵便業務。
テン箱という箱に入れて職場から歩けば五分の郵便局へ。
車出す?とボスは言ったが、近いので、台車を押して行ってみましょう!と、いう事になった。
軽く考えていた。
舗装が悪いところは地獄みたいに辛かった。任務を終えて事務所に帰ってきたら、心臓がバスケットボールやった後みたいにバクバクしていた。
しかし、一緒にやり遂げたボスと仲間3人とは妙な結束力が生まれた。
互いに助け合って地獄エリアを超えたのだ。当然と言えば、当然。


今日は、テン箱という土器の詰まった箱100箱を5階から下ろして、エレベーターのない建物の4階へ運ぶという作業。
肉体は使えば使うほど良くなる、とわたしは信じているぞ。
またもや共同作業者8人と共に、いい汗をかく。

明日は、貝にリボンをつける仕事だよ、若い社員に言われて楽しみにしているのだが、、貝の入っているのはただの土囊袋だよ!山のように土囊袋が積まれている倉庫に行くよ。と、他のボスはわたしにささやいた。どうも想像しているようなファンシーな作業ではないらしい。

実は、今は事務所勤務だが、遺跡発掘の現場に出ていた2年間で、手相が変わった。

ずっとスコップや移植ゴテを握りしめていたら、マスカケ、という線ができた。
肉体労働でできた大切な線だ。

肉体労働は運命を変える。

面白いじゃないの。





初めての日本画

2019-03-16 18:51:47 | 日記


昨年末、デッサンからちゃんと絵を描いてみたいと思って、美大予備校に潜りこんだ。

そこは美大予備校というか、アトリエというか、創作の熱と真剣さが息づいていて、とても居心地がいい。

しかし、今月は、年度末。ウィークディの遺跡発掘調査事務所のお仕事は締め切りが何物件も重なり、残業ばかりしている近頃。
のんびりしたい休日。絵を描きに行こうかどうしようか、迷った。

昨晩、迷いながら自分を観察すると、力が湧いてきた感じがした。

よし!行こう。

今日行ってみると、月に一回の日本画の先生の日だった。

初めて日本画を描いた。
色々教わりながら、恐る恐る、だ。

「日本画は段取りが全てです。最初に墨をすりながら、30分くらい集中して、どんな絵にするか心を落ち着けます。」

先生が最初におっしゃって、ガチャガチャ生きてきた自分が、近頃ヨーガや瞑想で向かっている方向とリンクして、心の底から面白い!となにかがムクッとした。

印影で形を描く西洋の絵画とは違って、まず線で骨描きという輪郭を描く。これは、漫画や遺跡の仕事で描く土器の図面と同じ。一本の線を描きながら、全体のバランスにも気を配る。ワオ!
それを筆で墨で描くのだから集中。

日頃の仕事で、土器に出土地点の記号を筆で書く注記という作業があるのだけれど、こちらは平らな紙に書ける分いい。

それから顔料にニカワを指で練って色つけ。
金色紙の上に描くらしい。
「はみ出して描いてもいいですよ」
先生が言ってくれたので、安心して描いて出来上がったら、だいぶはみ出してる。
はみ出してるというより、金色の部分に納める気がない。

最高に面白い。
最高に面白い!!!

人生って不思議だなあ。
わたしにもちゃんと面白いって夢中になれるものがあった!

18歳とか、22歳とか、あの頃やりたい事がさっぱりわからなかった。

大丈夫。ちゃんと用意されていました。出会う時に出会う。大切に育てよう。

300円の都会的贅沢。

2019-03-14 21:31:28 | 日記
ふわふわなのである。
幸せなのである。
10分100円を30分ぶん。

夜のコインランドリー。

乾燥機にお世話になる。

すごいシステムだ。
前からの人の乾燥機が終わっていたらカゴに出していい。そんなルールらしい。

これ、現代日本ですか。

他人の終わった乾燥機から、パンツを取る事もできちゃうでしょ。

でも。なんだかルールとマナーとデリカシーで成立している不思議な空間。

来ている人たちも不思議。
止まった乾燥機から、洗濯物を取り出して、その場でちゃっちゃと畳んで足早に去る。みんなそう。

息子と二人。ふわふわだね!幸せだね!なんて、ホカホカタオルに顔をうずめて、コインランドリーを堪能している人なんて他にいない。

でも、暗闇にポッカリ浮かんで見えるコインランドリー。都市生活者の密かな愉しみ。うふふ。

2018の思い出

2019-01-05 08:36:18 | こころ
もう昨年の話になってしまうけれど、夏に瞑想合宿に行ってきた。

職場のホワイトボードにこっからここまで休みます。と、長い線を引いて、自分の名前を貼り付けた。

10日もの間、本や携帯電話、人と一切のコミュニケーション、目を合わすのさえ禁止。本当の意味での自分だけの時間を持つのは生まれて初めてだ。

暇すぎて死にそうじゃない?
何人かに聞かれた。

いやいや。元来テレビが大嫌い。近頃は器械からなる音楽も苦手になってきている。
会社に行けば人、家に帰っても四人子供のいるガチャガチャした生活。土日もお母さんとしての役割。

ちょっと。ちょっと。おやすみをいただきます!!

瞑想合宿中の事は、夢かウツツか、個人的な出来事だしちょっとまだ披露するほど昇華されていないので、飛ばしますが、

帰ってきて、久しぶりに出勤したロッカーの前で、
全然変わってないじゃん、とちょい年下の男に言われて、それまで穏やかだったわたしの心がざわめいた。

あ、あー。

あ。

ざわめいた、のに気がついた。

いままでは、心がわたし、で、まさにわたしの感情そのものに没頭していたのだ。

心。はただの気分で、変幻自在。
こんなものに舵を取られて人生を消耗していたのか!

とは言え、まだまだ世界は色とりどり煌びやかにわたしを誘う。
悟りなんてまだまだ遠そう。

さあ、さて、さて。

わたしはどうなる事でしょう。

と、いう事が、あったのが、八月。

ちょっとはマシになりたい年明けての心持ちでございます。