日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

鞆の浦の寺社・史跡めぐり(16)圓福寺・大可島城跡

2015-12-04 | 史跡

圓福寺の前身は、釈迦堂と呼ばれ、沼名前神社の南に位置していたそうです。




1342(康永元)年、城主の桑原重信一族が、足利氏に敗北した後は村上水軍の手に渡り、戦国時代には毛利元就の水軍の軍事拠点になりました。





大可島は、以前は独立した島でした。
慶長5年(1600年)頃の鞆城建造に伴い陸続きとなり、圓福寺は、慶長15年(1610年)頃に大可島城の跡地に移転し、建造されたと伝えられています。



江戸時代は真言宗明王院の末寺となり、朝鮮通信使が来日した際には上官が宿泊しました。

また、いろは丸沈没事件の談判の際、紀州藩の宿舎に使用されました。

境内には芭蕉の句碑もあります。





桑原一族の墓所







ここからは、島や鞆の港が一望できます。






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2 コメント

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圓福寺の前身は、釈迦堂と呼ばれていた!i。 (willy_tsuguo_shikata)
2015-12-05 08:48:08
>圓福寺の前身は、釈迦堂と呼ばれ、沼名前神社の南に位置していたそうです。
1342(康永元)年、城主の桑原重信一族が、足利氏に敗北した後は村上水軍の手に渡り、戦国時代には毛利元就の水軍の軍事拠点になりました。
変遷の多いお寺ですが、見所一杯で見学したいものです!
返信する
四方さんへ (しずか)
2015-12-05 10:13:46
お寺の変遷を知ると、歴史が見えてきますね。
それぞれの時代に活躍した人の名も知ることができます。
返信する

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