書ける時間のあるときはドンドン更新
させていきたいと思うのですが・・・
ということで
今回はYMOヲタネタです。
高橋ユキヒロが亡くなった
という記事を書いた途端
今度は「教授」こと
坂本龍一力尽くの悲報
結構ズシンと心に…
コレは時代のひと区切りなんだなと
初めて自分の小遣いで買った
レコードがシングルドーナツ盤の
このテクノポリス。
当時の価格にして600円ナリ
当時、この曲は今は無き
富士カセット(カセットテープ)の
CMソングに使われていたが
このCMに多くの人間が衝撃を受け
どれほど多くの人の「音楽観」とか
人生観まで変えてしまったことか。
♪TOKIO~TOKIO~の
ボコーダーを使った
あの有名すぎるフレーズは
当時、あまりに衝撃的すぎた。
ビートルズ以来の音楽革命が
始まった!と確信したもの。
YMOの代表曲は高橋ユキヒロ作曲の
ライディーンだと言う者が
結構多いが私、潮風太子としては
絶対的にこの「教授」作曲の
テクノポリスがテクノポップの
火つけ役的曲だと思っている。
この曲の衝撃に始まり
次のライディーンの大ヒットに
つながり細野晴臣作曲の
コズミックサーフィンを知ることに
なったワケだから。
更に衝撃的だったのは
このイエローマジックオーケストラが
世に知られるようになって間もなく
すぐさまロンドン→ニューヨークと
海外公演を敢行し、
これまた世界に衝撃を与えたこと。
当時、日本人ミュージシャンが
ヨーロッパやアメリカ
いや全世界中において
ガチウケするなんてことは
まぁありえないコトで
それこそ野茂英雄やイチローが
メジャーに行く前の我が国の野球界と
似たような状況だったのだから。
日本人が世界の音楽界を
けん引する時代が
遂にやってきた!と当時思ったのは
潮風太子少年だけじゃなかったハズ。
中でも「教授」は当時から
超スーパーヒーロー的存在で
特にキーボード小僧たちにとっては
神の領域のお方だった
キーボード小僧御用達の
キーボード専門雑誌キーボードランド
1986年2月号では1985年年間
人気キーボーディストランキングにおいて
2位の小田和正より
倍以上の票を獲得しての
ダントツ第1位。
このうちの1票に潮風太子が
あることは蛇足情報。
ちなみに1985年とはアメリカで
We Are the worldの
USAフォーアフリカ、
イギリスでも
クィーンの映画でお馴染みの
あのライヴイベントとなる
ライブエイドという
歴史的大イベントがあった年だ。
この頃の日本のキーボード関係の雑誌は
軒並み「教授」を特集していて
とにかく「教授」を記事にすれば
発行部数が確実に伸びた時代。
こうなると自分も少しでも「教授」に
近づきたいと思うようになり
レコード買ってスコア譜買って
コピーしつつ「技」を盗もうと
必死になっていたほどに
心酔していた者数知れず。
これがYMOヲタの始まりだったか。
その中の一人に私、潮風太子(^_^;)
LP新譜発売→スコア譜も発売は
当時の音楽業界においての
「王道的」販売スタイルで
「スコア譜が出て初めて一人前」
なんてプロミュージシャンの間でも
よく言われていたもの
そんなイケイケの調子なので
挙句に果てには更にマニアックな
「教授」の資料・分析本まで発売されることに。
こうして「教授」の手書きのスケッチを見ながら
「この曲はこういう風なカンジで書かれていたのか…」
などと学習していった者が
当時どれだけいたことか・・・
余談ながら
1991年12月に発売された当時
5800円だったこの本がAmazonで
「教授」死去直後にはなんと
27920円に高騰していてビックリ!
いやはやこれは「高騰必至」かと
思いきや最近では
約半値に「暴落・・・」(笑)
儲けそこなっちゃったか?
いやいや私メもうチョイ
保管しておくとします。
まさしく箪笥の肥やしですが…
閑話休題
かくしてYMOに衝撃を受けた面々が
やがて教授ヲタとなり
さんざんコピーをしまくったのち
オリジナル作品制作へと進み
のちに大勢の超人気ミュージシャンを
輩出していく流れになったのは
皆さんご存じの通り。
YMOそして「教授」が誕生していなければ
TMNも電気グルーヴも槇原敬之も
絶対に登場していなかったに違いないし
髪型ファッションにおいても
当時、皆が真似しまくった
テクノカット(今で言うツーブロ)も
登場しなきゃその後の
マッチカットやフミヤカットにも
派生しなかっただろう。
とにかくすべてが先進的だった
YMOそして「教授」。
これほど多くの民衆の
ファッションまで感化させた
ミュージシャンを知らない。
さて今の若い世代には
YMOや「教授」ってどんな風に
見えているんだろう?
チョイと興味深いところ。
さて「教授」の仕事について
もうひとつ書き残しておきたいことが。
発売された1983年当時は
郷ひろみとYMOファン以外には
それほど評価されなかった郷ひろみの
比呂魅卿の犯罪というアルバム。
坂本龍一プロデュース作品で
当時、まだ若手人気アーティスト枠だった
中島みゆきや忌野清志郎、
矢野顕子、一風堂の見岳章
(川の流れのように~を作曲)、
当時すでに大御所作曲家だった
「筒美京平」や
売れっ子作詞家だった三浦徳子に
コピーライターの糸井重里らが
歌詞や楽曲提供しているという歴史的名盤。
これも改めて教授の「偉業」の一つとして
お聴きいただきたいなと。
今改めて聴いてみたら
名曲佳曲揃い至高の一品ナリ
かくして来月で54歳になる潮風太子。
「教授」がヴォーカルの
YMOのPERSPECTIVEを
聴きながらこうして
「教授」についてブログなんぞ
生意気にも書いている
♪Everyday,I write my diary♫
♪Everyday,I go to sleep ♫
YMOそして「教授」を知って
かれこれ45年・・・
「教授」の影響を多分に受けた
大勢の中の一人として
今宵もコッソリ一筆
そして合掌。