続・笑う蜘蛛の糸

1969年生まれの私、
潮風太子が第2団塊世代特有の視点で書く
コッソリ系ブログです。

ユキヒロと呼べる世代の嬉しさよ

2023-01-21 00:45:54 | 日記
そういえばYMOについて
これまであまり書いていなかった。
ちと中2病風情で書いてみようかと…

YMO(イエローマジックオーケストラ)
のドラマーでありボーカルだった
高橋幸宏のことを「ユキヒロ」と
呼べる世代って
意外と狭い範囲だったとは
今まで気づかなかった。
確かに案外と活動期間の
短かったバンドだから
そうかもしれない。
ユキヒロが亡くなった・・・
享年70歳
あぁユキヒロもそんな歳だったのか。
確かに自分とて現在53歳、
今年で54歳だ。
人生で初めて
自分の小遣いで買ったレコードが
このテクノポリスのシングル盤。
かれこれ43年前のハナシ。
このレコードのライナーに
「ユキヒロ」の文字。
このときすでに
芸名をユキヒロにしていたので皆、
高橋幸宏のことを
尊敬と親しみを込めて
「ユキヒロ」と皆で
呼ぶようになったのだろう。
当時、
小学4年生の潮風太子クンも
その一人だった。

この「ユキヒロ世代」は今でいうと
50歳以上70歳未満といったところ。
それ以外の世代ではまず聞かない。
70歳以上は概ねビートルズ、
ベンチャーズ、ストーンズ世代であり
テクノを小バカにしていた連中層で、
49歳以下となるとBOØWYからの
X(あえてこう書く)、TMN、
ZIGGY以降と書けば分かり易いかと。
またこれに属さない「尾崎豊」組に
始まった近代フォーク層の
アンチテクノ派が派生した時期とも
追記しておきたい。

念のため補足で書くと潮風太子の
50歳代はYMOからのBOØWY、
ハウンドドッグ、佐野元春、
初期ユーロビート世代にあたる
とも書いておこう。
次に買ったレコードが
お年玉で購入したLPの
パブリックプレッシャー
というライヴアルバム。

連日何度も繰り返し聴き
アドリヴフレーズや
僅かなミストーンまで
完全記憶できるほど聴き倒した。
かくしてYMOをキッカケに
シンセサイザーに興味をもつと
ドイツのクラフトワーク、
冨田勲、喜多郎、
ワルターカーロスと聴きまくり
シンセサイザー音楽という
無限の魅力に取り憑かれていった
音楽小僧がどれだけいたことか。

そしてYMOの成功は
音楽テクノロジーの
急速発展にも比例し、
今で言うビンテージシンセ
巨大シンセのムーグⅢから
MIDIデジタルシンセへ
完全移行するまで
僅か数年で
飛躍的進歩発展を遂げた。
ちょうどPC-8001から
PC-9801やMacintoshへと
コンピューターの世代交代が
起きた時期に重なる。

と同時に「シンセ」の廉価化も
劇的に進みバイトを頑張れば、
61鍵盤(5オクターヴ)シンセが
高校生でも入手可能な
レベルまでになり、
どこのバンドでも
シンセキーボーダーが
いるのが当たり前となった。
キーボーダーはこの当時独特の
言い方で最近は聞かない。

ちなみに、
この頃にはもう
シンセサイザーという言葉は
死語に分類されている。
超人気お笑いコンビだった
ギャグシンセサイザー
から「とんねるず」に人気が
シフトしていった時のように。

はてさていざシンセを買ったら
当時必ず最初に
コピーする曲といえば
高橋ユキヒロ作曲のレガシー的
神曲「ライディーン」がお約束。

この曲はまさにテクノポップの
入り口に位置する曲で、
バイトしてシンセを買って
必ず最初に弾いてみる曲
それがライディーン。

その次にテクノポリス、
コズミックサーフィン、
東風の順…
そこから泥沼に嵌まるかの
如くYMOコピー地獄へと
引き込まれていくことになる。
ヤマハのFM音源デジタルシンセ
DX7が登場するまでは
アマチュアの間では
セミアナログのローランドJUNO
が再現性の高いキーボードと
されていて皆がこぞって
バイトして購入したもの。
ちなみに
潮風太子は中古で購入(笑)
また
こんなセッティングつきの
楽譜も飛ぶように売れた時代
でもあった。
こういうのを見ながら
波形や音作りの基本を
マスターしていった。
今の若い世代には到底
理解不能な世界だろう。
YMOとまったく同じ音源を
手にして再現した時の感動は
今でもハッキリと覚えている。
やがて廉価なリズムマシーン
(ドラム音符を打ち込む)が
発売されては購入し
廉価なシーケンサー
(音符を記憶させることで
複雑なフレーズでもミスなく
自動演奏してくれる補助マシーン)
まで手に入れると
完コピを目指すようになる。
とにかく手間のかかる
気長な作業だったものの
睡眠時間を削ってでも
楽しくてしょうがない!
次々と「課題」を
クリアしていくうち
すっかりYMOヲタへと
なっていくが、

もうその頃になると
すっかりテクノポップも
終焉期を迎えていて
誰もコピーバンドとして
やる者もいなくなり、
演奏を披露する場を失っていた。
なんせメンバーが集まらない(笑)
今どきテクノポップかよ…と。
気付けばヲタク系音楽などと
揶揄も始まっていた。
折しも空前のバンドブームが
迫っていた時代。

少しハナシを戻して
1983年潮風太子が中2のとき
ユキヒロのメインボーカル曲、
君に胸キュンがヒットすると、
この曲がYMOいや、
ジャパニーズポップスにとって
ひとつの決定的転換期となる。
この曲は当時賛否あったものの
今にして思えばこの曲こそ
アンチテクノ派と打ち込み派の
イデオロギー対立から
融合へと融和させていく
キッカケを作った気がする。
現在のジャパニーズポップスの基本が
ぎっしり詰まっている作品だ。

同時に、
この曲以降完全に
「テクノポップ」の制作手法が
現代の音楽づくりの
基本メソッドとなり
進化発展していっていき、
デモテープはもっぱら
シンセを使った
オーバーダビング(重ね撮り)で
作り数パターンを
カセットテープに録音して
それをバンドに持っていき
みんなで仕上げるという作業が
当たり前のようになった。

当初こそピコピコサウンドと
笑われたりしたテクノ系歌謡も
ほどなくテクノロジーの飛躍的
かつ劇的進化と先述したように
音楽的融合発展から
のちに小室サウンドが誕生し、
それをパクるいや競うかの如く
追いつけ追い越せで更なる
音楽面、技術面ともに
一連のバンドブームとも相成って
プロアマ問わず
世界の音楽シーン自体が、
爆発的進化を遂げることとなり
結果として今もこうして音楽が
進化を続けてきて現代に至る。

ちなみに
カラオケボックスの
カラオケ伴奏曲などは
まさしくテクノポップの
末裔そのもので、
歌番組でのビッグバンドの
伴奏が無くなり
MTRカラオケ伴奏へと代わった。
やがてそれが庶民のカラオケへと
フィードバックされていった。

この歴史的な流れも
テクノポップの産物のひとつだ。

YMOから
ロックやポップス、
ジャズフュージョン、
クラブミュージック系へと
テクノで育った子供たちは
それぞれに大人となり
巣立っていくことになった。

やがてそれぞれに
あちこちで華開くと、
大物アーティストが続々と現れ
幾多の名曲が生まれ
その曲たちを聴いて育った
そのまたチルドレンたちが、
追いつけ追い越せとあとに続く。
これが日本のいや世界の
音楽シーンを作っている構図
といっても過言では
ないだろう。
日本ではじめて
全世界で通用したバンド、
それがYMOであり
後にも先にも恐らくもう
YMOを越える日本人バンドは
出てこないだろう。
それ故に
一時代の音楽シーンを
日本人バンドYMOが席巻した
テクノポップ勃興期の
あの時代をリアルタイムで
見ることができたことは
本当にラッキーだった。

1993年東京ドームで行われた
いわゆるテクノドンライヴで
久々に3人がステージに上がった。
この時、
潮風太子は一階アリーナ席の
端っこの席から
ユキヒロ~!と絶叫した。
キョージュー!は何度叫んだか
記憶してない(笑)

新作テクノドンという
正直よくわかりずらい
アルバムだったことと、
まだ出来て間もない頃の
東京ドームの音響は反響音で
ズレて山びこみたいに
聞こえるわで途中まで
いまいちノリが悪かったが、
後半のBehind the Maskの
イントロが聞こえてくると
突然全体のテンションが上がり、
次の中国女でユキヒロの
歌声が響くと
そうそうコレよコレ!
とばかりに会場は一気に
ハイテンションなステージへと
変わった。
ユキヒロ~!

そしてこの時以来私メは
ユキヒロ~!と叫んでいない。
叫ぶ機会もなかったが…

この東京ドームのライヴ後、
地元のデニーズで止めどなく
久しぶりにYMOについて
真夜中まで長々と語り合った。
10年前の中学生の頃に
戻った気さえしたほどに。

ただこの半年後、
潮風太子のバンドが解散。
潮風太子こと私メは
フツーのオッサンへの道を
行くことになり今日に至る。

一緒に東京ドームの
ライヴに行った
中学時代の同級生の
メンツが面白いのだが
そのハナシは取っておこう。

そして最後に今一度叫ぼう
ユキヒロ~!
と、
そしてありがとう!

週末はSpotifyで
YMOを久しぶりに
聴きまくろう…

そして時間が出来たら
久々キーボードいじりをして
ライディーンのコピーなど
やってみようかなと。

いや、
もはや単なる年寄りの
ボケ防止の為の
リハビリそのものか(^_^;)

ユキヒロに合掌。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アレなんかヘンだぞ?

2023-01-14 01:21:19 | 日記
我が国のwithコロナ政策とやらが
なんとか功を奏したか
みんなが旅行ができるほどまで
「正常化」してきたことで
経済活動も活発になってきた。
あ~やれやれ(*´-`)
と言いたいところも、
我が勤務先では連日のように、
濃厚接触確定者そして
コロナ感染者が次々と・・・
ただでさえ人手不足の状況下で
違う意味でアタマが痛い。

そういえば早朝昼夜問わず
クルマで街中を走っていると
やたらと緊急走行の
サイレンを鳴らす救急車に
何度となく道を譲るケースが
間違いなく増えた。
いやこんなに救急車って
あったっけ?と思うほどに。
そりゃそうだ
連日300人、400人、
500人近くの死者が
出ているのだから
フル稼働は当然だろう。

この1ヶ月ほどで
かれこれ約1万人の人が
コロナウィルスに殺された。
連日、
大型旅客機が墜落して
乗客乗員全員死亡みたいな
状況なのに、
どこか皆一応に呑気というか
以前ロックダウン
したときのような
切迫した緊張感がナイ。
なんでだろう?

マスメディアが大騒ぎしないと
大体こんなカンジなのだ。
ちなみに我が国の
交通事故死者数を紐解くと

2020年が2839人で

2021年は2636人


今年の年明けに発表された
昨年2022年が2610人
大体2600~2800人あたり
というのが平均死者数となるか。
いや!

実際にはもっといて
3000人は超えているハズ
という向きもあるが
これとて年単位のハナシで
僅か1ヶ月あまりで
約1万人の死者数は異常。

例のロックダウン
していた時でさえ
ここまで異常な死者数は
出ていなかった。

現在の我が国は
かなり危険な状況
ということになるのだが
今や死者数も
数字だけ淡々粛々と
読み上げられるだけで、
いちいちひとつひとつ
ニュースとして
取り上げるまでもナイらしい。

ならば海外で我が国は、
さぞや危険な国という評価
なのかと思いきや
どうしても我が国に来たくて
しょうがない国があるとは
これまた驚くところ。

あの国は危険だからと
例によってクソミソに
言うのかと思いきや
入国審査を甘くしろ!
さもないとお前らの入国を
認めんからな!と
理解不能な対応に
これまた驚いた。
いやいや逆だろ
フツーに考えたら。

まず日本人はコロナに
汚染されてるからお断り!
というのがこれまでの
ゼロコロナ政策中における
中国共産党のお決まり台詞
だったハズが
日本への入国を緩くしてくれたら
お前ら来てイイヨ!
とはこれ如何に?

それともそちらの
汚染具合に比べたら
日本国は全然クリーンです!
とお墨付きをいただいたと
理解したら良いのだろうか。

そんな中、
中国とは一蓮托生の関係である
ユニクロ・GUを展開する
ファーストリテーリングが
ユニクロの従業員賃金を
最大幅4割アップ!と景気のいい話。
これをマスメディアがこぞって
嬉しそうに大々的に報道。
企業CMさながらに
しっかし
円安恩恵をモロに受けてる
ハナシはあまり詳しく
報道されないし、
だいたいこういう会社なんだし、
そっちの方をちゃんと
報道するのが先のような気が
するのだがどうなんだか?

コロナウィルスによる
死者の激増と医療体制の
深刻な状況よりも
芸能人の暴露話でメシを
食ってる国会議員の方が
ニュースの優先度として
そんなに高いもんなのだろうか?

だいたい「逮捕」されたって
こんな程度じゃ
まぁたいした罪に
ならないことは
よほどの馬鹿でもない限り
わかるだろうに。
失礼ながら
所詮は下衆な芸能ネタだ。

刑事事件的には
本人に事実確認だけして
結局は起訴猶予相当で
あとは民事でどーぞ!
ってな程度だろう。
ガーシーとかいう国会議員の
思わせぶりで大げさな演出が
非常に巧いのもあるが
それにしてもバカ騒ぎし過ぎ。

そんなおめでたくも
危険度満載の国の地べたを
今日もまた這いつくばって
なんとか生き延びている
今日この頃に
守護霊様と神に感謝…です。

ま、何はともあれ
皆さんなんとか
コロナとインフルエンザに
気をつけてとにかく
生き延びましょう!!
それにしても
この違和感というか
リアル世界とのギャップ。
なんかヘンじゃありません?
最近特に。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹賀新年にて

2023-01-02 01:13:25 | 日記
新年あけましておめでとうございます
m(_ _)m
すみ渡るほどの青空の元旦
前日の大晦日23時まで
仕事をするハメになるとは…(^_^;)
感慨深い思いで青空を眺めながら
正月をなんとか無事に
迎えることができたことに
まずホッとホッと一息(*´-`)

とも言ってられない
まさかのコロナ禍の嵐直撃!
の我が勤務先(;゚д゚)
緊急異常事態発生も
別に世間に知られるでなし
この約2週間は連日
まるで人狼ゲームの如く
一人また一人と
「また欠員追加です」との
報告に明日は我が身か?
と従業員皆が思いながらも
なんとか人員配置をやりくりし
連日ピンチをギリギリのところで
回避の日々(笑)
なんて会社ウチだけじゃナイと
思うんですケドねぇ

経済を動かすことを最優先に
コロナ禍の報道を最小限に
しているかのような今の現状を
どれだけの人たちが
見て見ぬフリをしているのやらと・・・
ついつい思ってしまう悪い性分が
ホトホト嫌になるところ。

嫌なジジイになってきてしまいました( ノД`)

さて御年今年で54歳になる私メ
最近、老眼が段々と酷くなってきて
標準型のメガネでは書類など手元の
直視が困難になってくる有様。
いちいちメガネを外して確認
あるいは
ハズキルーペにいちいち毎回
掛け直すのも面倒になってきたため
とうとう遠近両用メガネとやらを
「眼鏡市場」にて購入することに。

いろいろ遠近両用メガネ派の
「先輩方」の面々に聞いて
・大き目のフレームを選ぶこと
・慣れるまで時間がかかるのを覚悟
などとアドバイスを受けた上で
いざ店に購入に行ってみて感じたのは。

思っていたよりも
「大き目のフレーム」の種類が
如何せん少ない上、
さらに「年寄り風」のフレーム
ばかりで若々しいイメージの
大き目のフレームがまぁなかったこと。
確かに遠近両用とはいうものの、
所詮は「老眼鏡」なので、
お年寄り相手の商品ではあるが、
いまは令和の時代。

ピンクレディーが大流行していた
昭和53年の53歳と令和4年の53歳では
明らかに「お年寄り度」が違います!
これはもはや近代常識の基本中の基本。
なので、もっと若々しいデザインの
フレームがたらふくあるのかと思いきや、
これには正直驚きましたな。
念のため他社の遠近両用メガネの
フレームに関しても
一通りチェックしましたが、
やはりイマイチという印象。

まだまだこの国に
新たなビジネスビッグチャンスが
埋もれていることを知った次第。
さて眼鏡業界の御偉いさん方
(間違いなく潮風太子と同世代)
いつ頃それに気が付くのか?
ちと楽しみにしとりますハイ。

さて実用面において少々書くと、
確かに購入してスグは正直なハナシ
なかなかピントが合わせにくいです。
ハッキリ見えたりピンボケしたりが
交互に起きるので目や肩が
非常に疲れます。
なので、最初の数日間は
今まで使っていたメガネと
場面場面にて併用で目を慣らし
使用頻度、時間を延ばしていきます。

3日くらいすると
ようやく階段の上り下りでも
フワフワとしたカンジが徐々に
解消し小走りするコトにも
怖さが無くなってくれば
目にシックリくるようになります。

ただしクルマの運転に関しては
ピーカンの昼間時は
ハッキリと見やすいものの
朝方や夕暮れ時から夜のときは
どうもオートフォーカスのピントが
なかなか合わないようなカンジで
非常に運転に神経を使います。

一週間程度では慣れない印象で
高速道路や大型系のクルマを
運転するには正直なところ、
ピンボケ度が通常使用時より
頻繁に発生するので
まだ改善の余地がありそうです。
もっとも一か月もすれば
慣れるでしょうとのこと。
ですがやはり装着早々時の
リスクは間違いなくあります。

ただ今後メガネのフレームと
レンズの大きさが現在の最大幅の
1.3倍程度大きくなり
通常部の視野が大幅に増え
おしゃれなデザインのモノが
登場すれば
これらの問題点も相当に
解消されていくかと思いますが
果たしてどうだか?
などと言いながら
遠近両用メガネをかけながら
このブログを書いております。

といきなり新年一発目から
ジジイのグチとは・・・
と呆れられそうですが
こんな風に本年も
多忙ではありますが、
こうしてのらりくらりと
更新させていただきますので
今後とも宜しくお付き合いのほど
お願い申し上げます
m(__)m

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする