続・笑う蜘蛛の糸

1969年生まれの私、
潮風太子が第2団塊世代特有の視点で書く
コッソリ系ブログです。

遠き日のバブルの思ひでに乾杯

2016-11-04 10:39:15 | インポート
一旦書き直すとなると、
どうしても中1週のペースになってしまいます・・・
困ったもんですスミマセンm(__)m

さて今週はチョイと昔の話をば。

今を遡ること約23~5年ほど前、
当時、潮風太子は「新入り」と呼ばれる立場のルーキー。
この頃まだ日本はバブル景気の中で、
この後に起きることのコトなんざ、
まったく考えもしないで毎晩のようにみんなで「どんちゃん騒ぎ」、
いや冗談抜きなハナシ。

以前書いた寿司屋のハナシしかり、
まぁ仕事が終わると、行きつけの居酒屋や寿司屋へ。
家にまっすぐ帰るなんてことは、まず許されない状況。
今の時代なら完全なるパワハラも、
この時代は先輩が「行くぞ!」と言えば「ハイ」以外の返答は、
絶対的にありえない。
多忙で過労死者続出のニュースが、
連日報道されていたにもかかわらず、
激務のあとの一杯。
ほぼ拷問に近い。
が、酒好きの人達にはパラダイスな毎日だった。

しかし、こういう考え方についていけない人は、
結局のところ会社を辞めるしかなかった。
ただ会社を辞めたとて、
すぐにイイ就職先にありつけた。
これがバブル景気というヤツである。

さて、そんなバブルな雰囲気の中、
部長や重役クラスの人の「お供」をするときは2次会で、
湯島のクラブなどに連れていってもらえたものだったが、
課長クラスの上司が「大将」のときは、
ちょっとランクが下のクラブ風キャバクラへ・・・
このクラブ風キャバクラというのが実に厄介だった。

太い客かつ「常連」である「大将」には店のナンバー1もしくは、
ナンバー2クラスのホステスがつき、
側近クラスには、その下のクラスのホステスがつき、
潮風太子のような枝客のなかでも末端の「小モノ」には、
ヘルプと呼ばれるバイトのホステスがつくというカンジ。

ただ、これにもお約束があってバイトのホステスでも、
可愛いあるいは美人だと上司や先輩へ・・・そして、
ぶっちゃけブス系やアジア系外国人のホステスだったりすると、
潮風太子のような「小物」へ…。
という暗黙の了解があった。

特にアジア系のホステスがヘルプで来た時には、
100%潮風太子担当。
彼女たちの強烈な香水のニオイと、
なかなか噛み合わない会話に耐えることに。
かといって邪険には出来ない。
店長はちゃんと遠くから見ている。
上客かクズ客かを…

ここで書いているアジア系ホステスとは、
主にフィリピン人女性をさす。
タイの女性たちが大挙来日する前の頃であり、
フィリピンパブも、まだ出始めの頃のハナシ。

この当時フィリピン系ホステスのことを、
フィリピーナなどと呼んでいた。
また潮風太子の少し前の世代の連中は、
彼女たちのことを「ジャパゆきさん」という
蔑視した呼び方をしていたもの。
もちろん今では「トルコ風呂」同様、
差別禁止用語となっているので、
若い世代の人達には馴染みのないコトバかもしれないし、
ともすると、
コレ「問題発言」と顰蹙を買いかねないが、
実際この時代は、そう呼んでいたので、
今回は、あえて当時のコトバで書かせていただく。

そんな調子のある時、
酔った勢いで無礼にもフィリピーナのヘルプの娘に
「アキノとマルコスどっちが好きだ?」などという失礼極まりない質問を、
先輩たちの目を盗んで英語でコッソリしてみた。

すると、このホステスは「マルコス!」と、
小声ながらしっかりとした口調で即答。
これには正直驚いた。
「えっマジで?」と言うと、
近くにいた同じ仲間のフィリピーナのヘルプの娘も、
すかさず「Me too」と真顔で頷いたので、
呆れたというかビックリしたのを記憶している。

当時の日本では「フィリピン革命」(いわゆるエドゥサ革命)から間もない頃で、
もっぱら日本のマスメディア(特に朝日)はマルコスに天罰、
くたばれイメルダの大合唱。

アキノ=正義、マルコス=悪の極み 
という構図で大々的に報道されていたので、
潮風太子も何の疑念もなしに、
それらの報道をすべて鵜呑みにして理解していたため、
「だからフィリピン人はバカにされるんだよ・・・」と内心思ったもの。

理由を聞けば「アキノは都会の金持ち、貧しい人や地方を知らない」という。
続けて「モットワルクナルヨ」と、
例のカタコト風ニホンゴで付け加えた。

それでもマルコスよりはマシだろう?
と「教えて」やろうかとも思ったが、
酒席がシラけるので、この話はそこで切り上げた。
今にして思えば、もっと彼女たちの話に耳を傾けるべきだった・・・

事実、その後フィリピンは更なる混迷の中に突入していく。

アキノ政権以降、
ドラッグの中毒患者は激増し、
共産ゲリラの台頭に内戦が勃発、
やらなくてもいい戦いの末、
多くの血を流す結果となった。

マルコス政権時には弾圧の対象だった共産ゲリラが、
「民主化」により地方で幅を効かせるようになった。
皮肉にもテロの脅威に晒されるハメに・・・

そして脱アメリカ、親中国路線に舵を切ったら、
アメリカ軍を追い出すことには成功したものの、
すぐさま中国に南シナ海を奪われるコトに・・・
なんて有り様。

結局のところ当時の民衆が望んでいたであろう、
日本のような民主的経済大国には残念ながら、
なることができなかった。

いつまでたっても貧富の差が縮まることもなかった。
出稼ぎ大国と揶揄され続けた。
治安も悪いまま。
それでは、まともな観光立国にはなれない。
同じ親中路線を敷くタイやシンガポールとは、
随分差がついてしまった。
今やベトナムやミャンマーにも抜かれる勢い・・・
外貨は主に女たちが外国で稼ぐ、
こういう体質から、なかなか脱却できずにいる。

そして月日は流れて20数年が過ぎた最近、
こういうニュースを見てハッとさせられた。

先日フィリピンのドゥテルテ大統領が
訪日というニュース。
検察官を経て地方の市長を歴任したのち、
圧倒的な人気にて選挙で大統領まで上り詰めた人物とのこと。

反アメリカを掲げ、麻薬の撲滅と治安の正常化を公約に、
麻薬患者や売人を次々と「虐殺」するなど強権的な政治手法ながら、
劇的にフィリピンの治安を回復させたという。

国民支持率は今や86%というから、
もう完全なる独裁政権の樹立である。
ちなみに韓国の大統領の支持率が5%というから、
いかに「異常」な人気かが伺える。

しかしながら国連を中心、
いやキリスト教系先進国を中心とする、
「世界の国々」ではドゥテルテ大統領に対して総じて批判的だ。

だが、フィリピンの女性たちは「俗に言う欧米先進国」の方々とは、
まったく異なる視点でドゥテルテ大統領を評している。

元々、共産主義者であるドゥテルテ大統領は、
揉め事のタネだった共産ゲリラたちと対話し、
無期限の停戦合意調印に成功。
内戦を収束してみせた。
治安は劇的によくなったという。

とかく派手で過激な言動ばかりが目につく、
ドゥテルテ大統領ではあるが、
その一方で、中国や日本から産業(企業)協力を、
チャッカリとりつけ「援助費」なんのとか言って、
大金をせしめることに成功!
なかなか、したたかなヤリ手のようだ。

この先、
フィリピン国内での産業システムの再構築が進み、
やがて自国で「仕事」が出来る様になり、
異国の地で蔑んでみられるコトもなくなる。
と彼女たちは考えている。

フィリピンの未来はドゥテルテ大統領の手に!
といった感じか。

確かに皆が言うように独裁者かもしれない。
しかし、それでもイイ!
知的な家庭の出自から役人(検察官)になりながらも、
貧しい町(市)の市長となって市を立て直し、
そして次に「国」を立て直して見せると・・・
ならばこの先、常識的で「まともな国」になるのなら、
たとえ独裁政権であってもかまわない。

まさしく救世主現る!
こういう人を長年待っていた!
ということらしい。

あの日、「彼女たち」は水割りのグラス越しに、
浮かれた日本人のアホな酔っ払いどもを眺めながら、
フィリピン(自分たち)の未来を見ていたのだろう。
当時はまったく気がつかなかったが、
彼女たちの方がよっぽどアホな日本人より、
政治に関心があり、
また絶対的な政治信念を持ち合わせていた
愛国者だったのだ。
自国で穏やかな毎日を送りたい。
望みはただそれだけだと、
笑いながら言っていた。

能ある鷹は爪を隠す。
である。

彼女たちは今頃どうしているのだろうか?

でもドゥテルテ・バブルなんてことにならなきゃイイのだけれど。
内政干渉、余計なお世話か・・・(笑)

遠き日のバブルの思ひでとフィリピンの未来の幸に乾杯。
また来週。


コメント (2)
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