形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

弘法浜漂流記(2)

2011-09-02 18:54:18 | Weblog

アロハのオヤジのところに、私たちは夢中で「やる!やる!」と
叫びながら走り寄っていった。 さいわい、大島まで遊びに来て、
アルバイトなどする人がいるはずもなく、4人全員をその場で雇って
くれた。 バイト代もありがたいことに日払いでくれるという。 
いくらだったか記憶にないが、東京で土方のバイトをするより、
なぜかずっといい額だった。

すぐ用意をしてくれというので、テントで服を着替え、車に乗せられて
三原山に向かった。 仕事は山の中腹に作る、牛舎の基礎をつくる
仕事だった。 その日は根切りをするという。 根切りというのは、
コンクリートの基礎を打つために、地面に凹型に溝を掘っていく作業だ。

さほど大きくない牛舎だったが、土の中には、三原山の火山岩らしい
大小の石がつまっていて、掘るのは容易ではない。 スコップの先が
石にガチガチ当たって入らないのだ。 手でいちいち石を除いたり、
ツルハシを使って作業をしなければならなかった。 
向こうの人はのんびりしているのか、まだじゅうぶん陽のあるうちに、
作業は途中で終わって町に帰り、オヤジからバイト代をもらった。 
私たちは待望のお金を手にした。

突然金持ちになったような気分で、どこに食べに行こうかと、うれしい
相談をして、まず銭湯に行こうということになった。 オヤジから伊豆
七島で唯一の銭湯が、波浮(はぶ)の港にあると聞いていた。

バスに乗り、ささやかな成金一行は波浮の港に向かった。 銭湯はすぐに
わかった。 小さいがこぎれいな銭湯で、流木で湯を沸かしているという。 
私たちは番台のおばさんから、タオルと小さな石鹸を買い、久しぶりの
風呂に入った。 それまでは海水浴場にある水道で体を流すだけだった
から、最高の風呂だった。



銭湯から出た私たちは、すぐ近くにあった鮨屋に入った。 
目の回りそうな空腹をかかえて、鮨を腹いっぱい食べた。 
オマケで出してくれた、地の物だといういろいろな海草の盛り合わせ
に舌鼓を打ち、たらふくビールを飲み、また弘法浜のテントに帰った。

その日から二週間ほど、基礎工事の続きや漁礁をつくるアルバイトをして、
私たちは東京に帰ることができた。 帰る前の日に、アロハのオヤジから、
自分の店で飲ませてやるから来いと招待され、出かけていった。
それがまさかの大きな民謡酒場だったので驚いた。  
舞台までついている広い畳敷きにテーブルを並べ、客に飲ませるのである。

アロハのオヤジは手配師でも何でもなく、土建屋の友だちに頼まれて
アルバイトをさがしていたらしい。 土建屋のおやじさんから聞いた
ところによると、私たちに払っていた日当も、ピンハネもせず、全部
渡してくれていたそうだ。 酒場にたまたま遊びに来ていた、浅草で
ヤクザをしているというオヤジの弟と、その兄弟分という人相の悪いのが
4、5人いたのにも驚いた。 弟にはオウッとアゴの先で挨拶された。


その数年後、風のたよりにオヤジが何をしでかしたのか、
警察に捕まって東京に送られたと聞いた。

     ― 続く ―
                      

形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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