松本城を見学した後は、歩いて旧開智学校へと向かいました。
この時はまだ紫陽花が咲いています。
マンホールが可愛かったのでパシャ☆(松本てまり)
別の種類のも見かけたのですが、雨が降り出したりしてバタバタしてたので撮り損ねました(+_+)
見えてきました。旧開智学校。
もとは廃寺を仮の校舎として開校(明治6年)し、
その後、明治9年に新設され90年間使われた、日本で最も古い小学校のひとつです。
この校舎、明治初期らしく洋風も取り入れたお洒落な造りになっていて、
工事費は相当巨額なものだったらしいですが、なんと!7割が松本市民(当時は町民)の寄付だったそうです。
窓などに舶来のギヤマン(ガラス)が取り付けられているのでギヤマン学校とも呼ばれたとか。。
明治天皇は明治5年~18年の間、維新後の国情視察のため全国を御巡幸されていて、
松本に立ち寄った際に、ここの2階が休憩所として残されています。
中に入ります。
当時の教室を再現した部屋にはオルガンも置いてありました。
大棟鬼瓦。
風見 東西南北。
だるま型の石炭ストーブ。
昔の教科書や教材、卒業証書、それから建築資料等たくさんのものが展示されていて見ごたえがあります。
(第1展示室~第12展示室+特別展示室)
2階の講堂。レトロな中に華やかさを添えるステンドグラスが素敵♡
扉にある竜の彫刻が素晴らしいです!
木目は塗装だと書いてあってビックリしました。
充実した見学を終え、外に出てきた時には青空も見えていました。
1961年(昭和36年)に重要文化財に指定され、1965年(昭和40年)に博物館として生まれ変わったそうです。
☆-----★-----☆-----★-----☆-----★-----☆
大正時代開校だっけ
新しい時代を創造する学びの場に相応しい雰囲気があったね
この時代はこういう和洋折衷のような建築物が多かったんじゃないかな
他に役場や銀行など、欧州テイストを足した建築物ができていたようだ
松本城正面から埋の橋を過ぎ裏門ぬけて行きました。ジャリジャリと音をたてながら。
本当に良く行きました。
松本城も開智学校も中に入ることは余りなかったですが、いま振り返ると西日とジャリジャリはベストな組合せでした。
最近なんか疲れを感じるので、秋口になったら四柱神社から開智までブラブラしてみます。
ここは明治時代開校です。
明治期に日本の職人が西洋建築を真似て建てたものを
「擬洋風建築」と呼んだらしいですが、
旧開智学校は、その擬洋風建築が現存する建物としても有名なんだとか。。
「西洋館」とは区別されているみたいです。
役場や銀行などにも洋風を取り込んでいたんですね。
文明開花の時代らしいですね(^.^)♪
記憶の中の風景は古いほどノスタルジーを感じます。
前にも話したことあるかもしれませんが、
「古き良き時代」って、その人にとっての子供時代なんじゃないかと思います。
いつの時代も。。それぞれに。。
体調に気を付けて、この暑い夏を乗り越えてください。
住所が先で学校の名前になったのか、学校が先で住所の名前になったのか?どちらか判りません。
明治初期のこのあたりがどんな状況だったかわかりませんが、多分わら屋根の時代だったんでしょうね。
そこにこの建物が建ったらびっくりですよね。
今見てもすばらしい外観の建物を見ることが出来た周辺の方は幸せだったのかな。
確認するのを忘れましたが、開智学校からは松本城が見えるんですよね?
だから当時有った所は開智で無いからどうなんでしょう???
ちなみに前の場所の住所は大手になります。
明治4年の廃藩置県で松本藩が松本県になり、その後筑摩県になりました。
開智学校はその2年後に開校となっています。
(更にその後、統合して長野県になるのですが…色々複雑なので割愛★)
松本市は明治の終わり頃に市制施行で発足しています。
その時に地名も一新したのかな~、と思ったのですが、
開智という地区が設定されたのは1965年9月1日になっていました。
意外と新しかったですね(^-^;
調べてはみたものの要領を得ない回答になってしまいスミマセン。
この辺については、ヒロさんやてつさんの方が詳しいかもしれません。
> 開智学校からは松本城が見えるんですよね?
あの距離だし見えるようですから、せっかくなので確認すれば良かったですね♪
雨さえ降らなければ、その余裕もあったかも(笑)
僕は、埋橋が本籍で旧地名みたいなのが源池で住所は中央でしたから。
昔は片原町とか分銅町とか旧名で呼んでました。
開智からお城見えますよ。
松本城周辺の建物の規定は、「松本城天守からどこまで見えるか」ではなく「この範囲から松本城天守が見えなくてはいけない。」だったと思います。
ヒロさん、松本の人たちは松本城が見える景観を大事にしてるんですね。
はのやさん、私が開智の地名に関して見たのは以下のサイトです。
「学校由来地名」で検索したら「松本市開智」もあり、
〇1963年より現校地、1965年北深志、蟻ケ崎、桐の各一部を統合し町名変更
…と、ありました。
またWikipediaにも、
〇町名の由来は開智学校にちなむ。開智学校は女鳥羽川沿いの旧藩校(崇教館)跡地にあったが、戦後に現在地に移された。俗地名として鷹匠町、御徒士町などがある。
…と書いてあるのを見つけました。
いかがでしょうか?(^^♪
ありがとうございます。
校名が先で、それが町名になったということですね。
「・・・智を開き才芸を・・・」素敵な言葉ですよね。
つまらないことに皆様のお時間をいただき申し訳ありません。こういうことを調べるのが好きでして、でもすぐ忘れちゃうんですよね。
ついでにもう一つつまらないことを。
今日、8月1日は二の丑です。
これは四立(立春、立夏、立秋、立冬)の前18日間を土用といい、夏の土用はウナギを食べる習慣ができ、18日間あるので丑の日が2回ある年があるのです。ちなみに土用の最後の日が節分で立春の前の節分と、夏の土用が有名になりました。
なんてことを調べるのが好きです。
全然関係ない話題で失礼。