goo blog サービス終了のお知らせ 

続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』1633。

2014-05-25 06:42:19 | カフカ覚書
 それに、いろんな点から考えて、助手たちをお払い箱にしてやれば、彼らにたいしてもひとつだけでも親切をほどこしてやることになるんだよ。だって、彼らがここにいて得られる生活上の利点なんて、そうたいしたものではないし、これまで彼らがたのしんできたのらくら生活にしても、ここにいたら、すくなくとも一部はあきらめなくてはならなくなるだろう。


☆助手(脳、知覚)を振り払えば、先祖は我慢するだろう。偉大な存在の腐敗、少なくともここにいたら一部(与えること)は諦めなくてはならない。

心弾めば歌も出る、でも・・・。

2014-05-24 06:58:55 | 日常
 粟田の夢庵で午前十一時に月イチで待ち合わせる四人会。わたしはいつも通り、焼木坂から一停留所の間だけを徒歩。

 五月の空は晴れているし、車の往来は頻繁でも人通りはないし、聞えてくるのは鳥の鳴き声ばかり。なんか弾むような嬉しい気分。
 と、そこへ前からジョギングの男性、年の頃はアラフォーか・・・。すれ違ったのを確かめて、わたしは下手な歌を歌い始めた。(誰にも聞かれないし、家の近所でもない)

 ♪~(何を歌ったかは恥ずかしくてとても言えない)~♪

 愉快、愉快、いい気分~♪


 と、ところが、その男性、も、戻ってきたのだ!(こんな天気のいい日にお婆さんが歌を歌って悪いか!!)

 ひょっと、わたしの顔を一瞥して走り去っていった。《ショック》
(今ごろ笑っているな、可笑しなもの見ちゃったって感じで・・・)

 油断も隙もない・・・まぁいいか、どうせ見ず知らずの人だし。(しょんぼり)
 誰に誘われても決して人前で歌うなんてありえないわたしなのに、Ah・・こういうことってあるのね。あちらは呆けたお婆さんだと思って心配したかもしれない。とにもかくにも用心にこしたことはない。

『ポラーノの広場』347。

2014-05-24 06:47:09 | 宮沢賢治
「こゝだよ、こゝだよ。早く。」と云うひながら真摯は左の眼の下を指しました。親方のアーティストは、大急ぎで、フラスコの中の水を綿にしめしてその眼の下をこすりました。


☆双(二つ)の運(めぐりあわせ)は、新しい試みである。
 詐(つくりごと)を含む化(形、性質を変えて別のものになる)の詞(ことば)は、真(まこと)の法(仏の教え)である。
 題(テーマ)を究/つきつめ、注/書き記している。
 推しはかることを綿(細く長く続けるよう)に願い、解(問題をとく)ものである。

『城』1633。

2014-05-24 06:24:25 | カフカ覚書
そのほかにも、もしかしたら、彼らをばっさり厄介ばらいする簡単な方法があるかもしれない。きみは、この土地の事情によく通じているから、ひゃっとしてその方法もちゃんと心得ているかもしれないね。


☆もしかしたら、直ちにすべての事情から自由になれないのは、すべて先祖の愚行にあるのかもしれない。
 フリーダ(平和)を知っているなら、この土地(冥府)の状況に頼ってもいいかもしれない。

前を向く!

2014-05-23 06:35:11 | 日常
 雨上がりの少しひんやりした朝である。大気が不安定なため昨日に引き続き、にわか雨や落雷の恐れがあるとの予報。

「春雨じゃ、濡れて行こう」も、土砂降りでは絵にならない。突然の豪雨、抗すべくもなく雨宿りした店先で購入した薄地のコートを何年も擦り切れるほど着用。お金がなかったというより、衣類を買いに行く暇もなかった多忙を極めた日々。

 シンプルすぎるほどの数を着回し、人から着衣の綻びを指摘されたこともあった子育ての時期。仕事と介護・・・若かったから出来たのだと思う。
 母の付き添いでは医療関係の方々に「娘さん」と呼ばれる気恥ずかしさ。もうそんな年ではないと落胆あるばかり・・・三十年も前の事・・・十分若かったのに目先のことばかりに追われ、洋服などにはまるで無頓着。ひたすら《今日生きて明日につなぐ》ただそれだけの余裕のない生活。


 まさか自分の時間が持てる、こんな日が来ることなんて予想もしていなかった。ただ今度は自分自身が老いて、あらゆる機能に支障を来している。
 老眼、健忘症、膝痛・・・体力の衰退、壊れかけの身体を持って《今日生きて明日につなぐ》状態である。


 お婆さんになってしまったけれど、悲観で自分を哀れむのは止めよう。疲れきった自分を嗤うまい。
《まだ大丈夫》

 五月の、こんな心地いい朝には愚痴は似合わない。白紙の今日を新しい色で夢想し塗り替えてみたい。鳥の声に新緑に・・・今日の四人会には徒歩で行こうか。前だけを向いて歩いていきたい。

『城』1632。

2014-05-23 05:57:46 | カフカ覚書
いったい、きみは、助手どもが日ごとにあつかましくなっていくのに気がついていないのかしら。彼らは、きみがいるとよけいにつけあがって、きもの眼のまえではぼくがいつもみたいに彼らに手きびしく食ってかからないだろうと安心していやがるみたいだよ。


☆いったい、きみは助手(脳、知覚)が不敵になっていくのに気がつかないのかね。それに実際の禁錮も元気づけるから日ごとに安心しているみたいだよ。Kのために死の入り口で大空の方へ手をのばすことはできないけれど、なにか方法が他にあるかしら。

表裏。

2014-05-22 06:54:32 | 日常
 《いかに生きるべきか》は潜在的な指針だった。けれど、最近では《いかに死すべきか》に入れ替わっている。何をするにも基準は「死/Xデイ」にある。

 総ては、より良く満足に死んでいくためにかかっている。
 以前は自分の向上心に基点があったのに、今では、来世で待っている人たちの反応が気になって仕方がない。自分自身はカヤの外、賢治やカフカ、独歩やマグリットなどのご機嫌である。
「あれでよかったの?」
「足りないけどね」などと言いながら、笑いあう妄想・・・(おかしいよね)現世の人には殆どまともに相手にされないような仕事をしている。仕事というより趣味、きわめて個人的な繰言に時間を費やしている。

「こんなこと考えているの」などとは決して言えないような作業である。(罰せられることもないだろう)というほどの消極的な気持ちを、ブログに載せている。


「毎日(仕事もしないで)何をしているの?」と、聞かれることがある。
 食べ放題、運動能力ゼロの日常。怠慢は火を見るより明らか・・・だらしなくボォーッとしている人の印象かもしれない。取り得といえば《無害》であることくらい。
「毎日暇で退屈」などと応えると「それならカラオケに」と誘われるので、うっかり暇だとも言えない。


「表と裏の仕事で、毎日手一杯なの」とも言えない。というか、言う必要のない、誰から見てもすでに黄昏生活のど真ん中にいる。こんな報告は失笑を買うだけの戯言に過ぎないかもしれない。


*「あれでよかったの?」という言葉、おれおれ詐欺にかかった後、改めて息子に電話して「お母さんありがとう」を期待する。もちろん返事は「何言ってるの?」
 驚愕の落胆地獄・・・。

「あれでよかったの?」と、お伺いを立てるわたしに、落胆の驚愕が待っているかもしれないけれど、「いいの」と自分を肯定するよりほか術はない。

『ポラーノの広場』345。

2014-05-22 06:44:29 | 宮沢賢治
「どこへさはりましたのですか。」さっきの親方のアーティストが麻のモーニングを着て、大きなフラスコを手にしてみんなを押し分けて立ってゐました。

 親方はシン・ホウと読んで、深、法。
 麻はマと読んで、真。
 着てがキと読んで、記。
 大きなはダイと読んで、題。
 手はシュと読んで、趣。
 分けてはがブンと読んで、文。
 立ってはリュウと読んで、留。

☆深い法(仏の教え)の真(真実)を記している。
 題(テーマ)の趣(考え)に応じ、文(文章)に留めている。

『城』1631。

2014-05-22 06:17:48 | カフカ覚書
だって、この学校に住みこんでいるのは、あまり愉快な暮らしになるようにはおもえないからね。ただね、ここに住んでいるのも、そう長いことはないだろうが、それにしても、助手どもがいなくなって、ふたりきりで静かに暮らせるよういなれば、いろいろ不自由はあっても、あまり気にならないですむだろう。


☆だって、この罪過の一族の滞在は、予言者から受け取った小舟のように見える。ただ、ここにいるのは企みではなく、なにもかも不思議だが脳(知力)が絶えず存在し、一族への抑圧もほとんど気づかないだろう。