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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

お風呂。

2014-12-10 06:03:40 | 日常
 バードウオッチングのメンバーの一人が「富士見町に住んでいるんです」と言ったので、
「ああ、わたしも三年近くあそこにいました。お風呂屋さんのすぐ傍です」と言うと、
「まだ、あのお風呂屋さんやっています」という。

 長男が一才九ヶ月までを過ごした懐かしい町。眼下にお風呂屋さんがあって、お風呂が開く三十分前にはすでに四五人くらいの年配者が待ちかねたようにコンクリートの段差に腰をかけていたのを思い出す。赤ん坊である息子を連れて行くと、皆で取り合うようにして洗ってくれたので、こちらは大助かりだったのに、「洗わせてくれてありがとうございます」と丁寧にお礼を言われたことがある。普段見かけない人で年のころはアラフォーくらいの美しい女だった。
 呑気な母親がいて赤ん坊を他人任せに洗ってもらっているとでもどこかで聞いたのかもしれない。それっきりその女を見かけることはなかった。

 そんな思い出のあるお風呂屋さん。倹約のために一日おきと決めていたら、近所のママ友に「毎日入れてあげなさいよ、可哀想に。うちなんか、ここがお休みだと他の町まで出かけて行くのよ」と言われてしまった。
 毎日お風呂に入るなんて《贅沢すぎる》と思っていたわたし、年をとって毎日入浴できる幸福を噛みしめている。

 と書いている内、唐突に思いだしたことがある。長男を出産した産婦人科の部屋に20才だという若い産婦さんが入院してきた。無事出産後、見舞いに来た旦那さん(若いお兄さん)に、
「あなた、わたしがここにいたのでは不自由でしょう。お風呂にでも行ってらっしゃい」と、財布から一万円札を差し出したのである。
(・・・一万円もするお風呂って?)
 トルコから苦情が出てトルコという名称が消えかけた頃の話である。

 あれから四十年の月日。どうしているかな、あの若かった奥さん。若いのに苦労人だったんだなぁと、しみじみ・・・。

 関係ないけど歌手の平井堅もあの辺りに住み、お風呂屋さんに通ったらしい。TVで、あの公郷駅(京浜安浦駅~現在は県立大学駅)へ下りる坂道を見て、あそこしかないと直感。(ああ、あの町で、平井堅さんに会いたかったなぁ!)

『まなづるとダァリヤ』2。

2014-12-10 05:57:17 | 宮沢賢治
 この赤いダァリヤは花の女王にならうと思ってゐました。

 赤いはシャクと読んで、釈。
 花はカと読んで、化。
 女王はジョ・オウと読んで、叙、応。
 思ってはシと読んで、詞。


☆釈(意味を解き明かす)の化(形、性質を変えて別のものになる)を叙べ、応える詞(ことば)である。

『城』1820。

2014-12-10 05:37:24 | カフカ覚書
と言っても、ハンスは、もうその仲間ではないがーにとってはこの盥のなかで湯に使ったり、はしゃぎまわったりするのがなによりもたのしみだからである。ハンスは父親のことを口にするときは、うやうやしげに、と言って悪ければ、おずおずと話した。それも、母親のことが同時に話題になっていないときにかぎられていた。


☆ハンス(国、地方の団体)の所有ではなかった。先祖は別々の過去により作られていた。自身の父を口にするときは畏敬にみち、几帳面に話したが、母のことは同時に噂として否定した。