年を経、近隣では闘病生活に明け暮れている方を多く見かけるようになった。
昨日、Yさんの娘さんに会ったので「お母さんは元気にしておられますか」と声を掛けたら「おかげさまで、何とか無事にしています」という。Yさんが脳溢血で病院に運ばれたのは二十年近く前、十年ほどは自宅でご主人が介護なさっていたけれど、ご主人は急逝、その後は施設に入居している。
(大変だなあ)と思う。介護されるYさんの無念は推して余りある。
「わたしねえ、若い頃からずっと働きっぱなしだから、年金が愉しみなの。もう少し、もう少し経ったらね」と笑ったYさん。
それから間もなくの難儀・・・いつも身ぎれいにして出かける姿は元気そのものだったのに。
誰しも明日は分からない。
そして、それでもなお生き続ける覚悟。わたしはYさんから教えられているし、今日の糧を与えられてもいる。見舞った病室のベットの中から差し出された細い手、話すこともままならない様子の彼女の眼差しは何を語ろうとしたのだろう。微笑んで肯いた彼女の淋しさが胸を衝いた。
自分は自分の意思で動いていると思っているけれど、わたしを取り巻くすべての人たちから勇気や感謝が湧き出す因子をもらっている、与えられている。動かされていると言ってもいいかもしれない。
わたしはわたしで生きているのではない。与えられて生きていることの意味を自覚し、謙虚に地道に今日という日を愛しんでいきたい。
昨日、Yさんの娘さんに会ったので「お母さんは元気にしておられますか」と声を掛けたら「おかげさまで、何とか無事にしています」という。Yさんが脳溢血で病院に運ばれたのは二十年近く前、十年ほどは自宅でご主人が介護なさっていたけれど、ご主人は急逝、その後は施設に入居している。
(大変だなあ)と思う。介護されるYさんの無念は推して余りある。
「わたしねえ、若い頃からずっと働きっぱなしだから、年金が愉しみなの。もう少し、もう少し経ったらね」と笑ったYさん。
それから間もなくの難儀・・・いつも身ぎれいにして出かける姿は元気そのものだったのに。
誰しも明日は分からない。
そして、それでもなお生き続ける覚悟。わたしはYさんから教えられているし、今日の糧を与えられてもいる。見舞った病室のベットの中から差し出された細い手、話すこともままならない様子の彼女の眼差しは何を語ろうとしたのだろう。微笑んで肯いた彼女の淋しさが胸を衝いた。
自分は自分の意思で動いていると思っているけれど、わたしを取り巻くすべての人たちから勇気や感謝が湧き出す因子をもらっている、与えられている。動かされていると言ってもいいかもしれない。
わたしはわたしで生きているのではない。与えられて生きていることの意味を自覚し、謙虚に地道に今日という日を愛しんでいきたい。