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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

与えられている。

2014-12-03 06:30:33 | 日常
 年を経、近隣では闘病生活に明け暮れている方を多く見かけるようになった。
 昨日、Yさんの娘さんに会ったので「お母さんは元気にしておられますか」と声を掛けたら「おかげさまで、何とか無事にしています」という。Yさんが脳溢血で病院に運ばれたのは二十年近く前、十年ほどは自宅でご主人が介護なさっていたけれど、ご主人は急逝、その後は施設に入居している。
(大変だなあ)と思う。介護されるYさんの無念は推して余りある。
「わたしねえ、若い頃からずっと働きっぱなしだから、年金が愉しみなの。もう少し、もう少し経ったらね」と笑ったYさん。
 それから間もなくの難儀・・・いつも身ぎれいにして出かける姿は元気そのものだったのに。

 誰しも明日は分からない。
 そして、それでもなお生き続ける覚悟。わたしはYさんから教えられているし、今日の糧を与えられてもいる。見舞った病室のベットの中から差し出された細い手、話すこともままならない様子の彼女の眼差しは何を語ろうとしたのだろう。微笑んで肯いた彼女の淋しさが胸を衝いた。

 自分は自分の意思で動いていると思っているけれど、わたしを取り巻くすべての人たちから勇気や感謝が湧き出す因子をもらっている、与えられている。動かされていると言ってもいいかもしれない。

 わたしはわたしで生きているのではない。与えられて生きていることの意味を自覚し、謙虚に地道に今日という日を愛しんでいきたい。

『畑のへり』27。

2014-12-03 06:23:42 | 宮沢賢治
「どう、ちょっと、さうだよ。あれは女の子だよ。ほういまねえあの女の子がたうもろこしの娘さんの髪毛をむしってねえ、口へ入れてそらへ吹いたよ。するとそれがぱっと青白い火になって燃えあがったよ。」


☆叙(思うことを述べる)私を助ける詞(ことば)を帖(書き付け)に発し(明らかにする)、望む講(はなし)を新しく遂げている。照(あまねく光があたる=平等)を吐く(言う)のは化(教え導く)念(思い)からである。

『城』1813。

2014-12-03 06:05:21 | カフカ覚書
その話ぶりからわかったことだが、ハンスは、まだまるっきり子供にすぎないくせに、ときおり、とくに彼が質問をする場合にそうなのだが(これは、彼の質問が未来を予感しているためだったかもしれないが、あるいは、不安な気持ちで緊張している聞き手の錯覚のせいにすぎないのかもしれなかった)、ほとんど男ざかりの、聡明な見通しのきく大人が話をしているのではないかとおもえることがあった。


☆ひょっとしたら、未来を予感し、あるいは不穏な気がよぎったのは、先祖の勢力ある賢い予見者の話のようにも見えた。そしてすぐに、先祖の罪過の新しい存在の幾多の質問をしたのだが完全に理解できず、誤解による子孫の容赦ない声がかすかにした。