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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

夢。

2014-12-30 05:49:20 | 日常
 近ごろ良く夢を見る、気持ちが不安定なのだろうか。そうして、すぐに忘れてしまい思い出すことは難しく(あれは何だったんだろう)という虚無感だけが拭いきれずに残ってしまう。
 夢なんだから、現実ではないんだからと、関係を否定する。(でも、あの感じは何だったのだろう)と自問する。


 昨夜、記憶喪失の人をTVで見たけれど、あんな風に記憶というものは抜け落ちるものなのかと愕然とした。記憶の連鎖の中にも凹凸があり、隠れて見えない過去というものは確かに存在しているに違いない。けれど、自分を忘れるという暴挙には普通は至らない。打ち消しがたく常に自分であり続け自分であるより選択の余地のない自分であるからである。けれど希に何かの衝撃で記憶をつかさどる機能が欠落してしまうという物理的現象があるのかもしれない。

 就寝中見る夢というものは大抵切迫している。トイレに行きたいという生理的現象もあるかもしれないけれど、深層心理に潜む危惧のようなものが、眠っている脳を刺激するのではないか・・・笑って目が覚めるということもなくもない能天気なわたしではあるけれど。
 不思議である。場所(空間)のなかで、対象と向き合う自分はいるのに相手は曖昧なままであることが多い。夢の話を書いておくためには枕元にメモ帳を用意する必要があるかもしれない。時間と共に薄れていく夢には手掛かりになるような痕跡が全くないのだから。にもかかわらず、書いてみようとするには大変なエネルギーと脳の疲弊を覚悟しなければならないという報告もある。
 

 夢という非現実もまた、自分の中の現実である。
(どうか、いい夢を見られますように)と、願う。夢という非現実の中でゆっくり遊べたら・・・浅き夢みし人生だもの。

『まなづるとダァリヤ』18。

2014-12-30 05:38:13 | 宮沢賢治
「まなづるは、向ふのほのじろい霧の中に落ちて行きながらまた声ひくく白いダァリヤへ声をかけて行きました。
「今晩は。ご機嫌いかゞですか。」


☆講(はなし)の謀(計画)の注(意味を明らかにする)。
 絡(つなぐ)講(はなし)の章(文章)を吐く(言う)。
 照(あまねく光があたる=平等)の考えが混じっていて、番(かわるがわる)記(書いたもの)に現れる。

『城』1836。

2014-12-30 05:25:33 | カフカ覚書
ーKは、ちょっと思案してからつぎのように答えた。いまは、助けを必要としない。必要なものは、なんでもそろっている。しかし、力をかしてやろうと言ってくれるのは、非情にうれしい。きみの親切心にたいしてお礼を言っておきたい。


☆Kは、少し考えてから言った。小舟で助ける風習はすべて必要であるという予言者を愛している。ハンス(国)が助けようと言ってくれる和解の意図に感謝している。