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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三日遅れの悲痛。

2014-12-08 06:48:34 | 日常
 年をとると、その日の疲れはその日に出ず、遅れ遅れに疲労が露呈してくる。
 今回の「歩こう会」がまさにそうだった。

「何とか・・・無事に」そう思ったのは楽観にすぎず、日を追って膝に痛みが、というか膝に体重が乗っからないという現象。
 以前悪くしたのは右足、今回は右足は何でもないのに左足に不具合が出た。
 右足は出る、けれど左足を出すと、その上に体重を乗せることが出来ない。三日目に出た病症は歩行を極めて困難にし、博物館講座の帰りは牛歩の歩みどころか停止状態。
 道路脇の壁に手を当てながらほうほうの態で少しづつ前進。


 つくづく無理は禁物。
 でも、「歩こう会」の仲間はみんな優しくて「あなたがいなくては・・・」などとお世辞を言って辞めようとする気持ちを強く遮ってしまう。(ありがとう)つぶやきながら、(やっぱり)と反問する。

 今朝は起き抜けにごみを集積場に置きにいった。午前五時半、まだ暗いうちにびっこを引きひき・・・。若干上向き調子。でも油断は禁物。20日のアートテラーさんのイベントもキャンセルを入れた。(明日は治る!)という若いころの自信はすでに消失。(明日も明後日も・・・ずっとダメ)という悲観がわたしを当たり前のように左右する。
 情けないわたし、歩くことをもっと気軽に考えなくては!
 家の中に閉じこもって、突然のように十数キロの山道(アップダウン)を歩けば、当然の結果。先日の博物館で同席した人に聞いてみた。
「もしかして、馬堀からここ(深田台)まで歩いて来たの?」
「そう」彼女はにっこり。
「・・・」

 歩くことを厭っていてはいけない。何時もいつも言い聞かせていること・・・だらしないわたし。(頑張れ!)

『畑のへり』(了)

2014-12-08 06:15:05 | 宮沢賢治
『畑のへり』という作品、賢治は何を言おうとしたのか。
 考えるに、『空』(あらゆる事象は因縁によって生じる仮の姿で不変の実体はないということ)に尽きるのではないか。

 蛙の目から見た景色、畑のへり→ハタ(二重)のへり(縁/つながり)、二重のつながりを暗示した景色である。人間の眼差し、当たり前だと思っている観念的な見方をカリカチュア的に遊びを入れて眺めている。

 基本は『平等』『仏の教え』であり、随処に《照/平等=あまねく光があたる》という暗示がでてくる。太陽、日の光によって生き、その下における絶対の平等を叫んでいる。すべてが、雷(神なり)=尊厳を持った存在であるという主旨を貫いている。


《すべて二重の風景》である。賢治はそれを套いながらも、自分の主張を真直ぐに述べている。自由な録(書き記したもの)である、語(言葉)の翻(形を変えて作り変える)によって二つの説が見えてくる。仄めかす平等の法(仏の教え)を激(感情が昂ぶるほどに)記している。
 ユーモアのある短編は少し分かりづらい。しかし、そこに垣間見えるのは賢治の熱烈な信仰(絶対平等)への強い信念である。

『城』1818。

2014-12-08 05:53:30 | カフカ覚書
事実、彼女の思惑は、何度か効を奏したが、Kは、それを不愉快に感じた。全体としては、ほとんどなにも訊きだすことができなかった。ハンスの母親は、いくらか病身だということであったが、さてどんな病気なのかということになると、いっこうにはっきりしなかった。ブルーンスヴィック夫人が膝に抱いていた赤ん坊は、ハンスの妹で、フリーダという名前であった。


☆それは多くの汚点として訴えられていたが、Kは立腹していた。全体としては、人間としてわずかには満たされていたが、先祖の気分はいくらか病んでおり、先祖の不快がどういうものかはよく分からなかった。ブルーンスヴィック夫人(情熱/自由)の子孫は、ハンス(国/地方の団体)の仲間でありフリーダ(平和)という意味であった。