不遜にも仏像のことなど、ほとんど知らないまま賢治解釈を試みている。
ところが、三回目にして法隆寺・釈迦三尊像(鍍金/中尊、薬王、薬上。聖徳太子と穴穂部間人(アナホベノハシヒト)妃の追善のために推古31年、止利仏師によって制作されたと習った。(三尊/三体一組の仏。本尊(釈迦如来or阿弥陀菩薩)とその左右の脇侍二菩薩。
ああ、そうだったの。
今頃になって気付いた。
『水仙月の四日』は、三日月の形が地上から垂直に舟型になることから、三尊が乗っていると考えたところまでの解釈。
《目には見えない三尊が、現世(臨終の人を)から来世(極楽浄土)へと、お迎えにくる》そういう日だった・・・。
だからこそ、「おや、をかしな子がゐるね、さうさう、こつちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの、一人や二人とつたつていゝんだよ。」というセリフが活きてくるのだと思う。
常識の範疇、でもすっかり欠落していた重要な解釈のポイント。
全てに耳を澄まし、教えを乞うことの大切さを知って、しみじみ感謝の授業でした。
ところが、三回目にして法隆寺・釈迦三尊像(鍍金/中尊、薬王、薬上。聖徳太子と穴穂部間人(アナホベノハシヒト)妃の追善のために推古31年、止利仏師によって制作されたと習った。(三尊/三体一組の仏。本尊(釈迦如来or阿弥陀菩薩)とその左右の脇侍二菩薩。
ああ、そうだったの。
今頃になって気付いた。
『水仙月の四日』は、三日月の形が地上から垂直に舟型になることから、三尊が乗っていると考えたところまでの解釈。
《目には見えない三尊が、現世(臨終の人を)から来世(極楽浄土)へと、お迎えにくる》そういう日だった・・・。
だからこそ、「おや、をかしな子がゐるね、さうさう、こつちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの、一人や二人とつたつていゝんだよ。」というセリフが活きてくるのだと思う。
常識の範疇、でもすっかり欠落していた重要な解釈のポイント。
全てに耳を澄まし、教えを乞うことの大切さを知って、しみじみ感謝の授業でした。