goo blog サービス終了のお知らせ 

続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

帰宅好き。

2013-02-18 06:40:15 | 日常
 昨日の日経に載った「帰宅好き」と題した黒沢清氏のエッセイを読んでびっくり!
 わたしもまったく同じだからである。どんなに楽しくてもどんなに後ろ髪引かれる気持ちであっても、《終了》の鐘が自分の頭の中で鳴れば、即、背を向け、一目散にただひたすら帰宅してしまう。とにかく自分の巣へ帰ることで頭の中はいっぱいになってしまう。もちろん寄り道はしない、ついでに・・・などということは一切考えない。

 家に帰ると楽しいことが待っている、あるいは切迫した用件があるというのではさらさら無い。ただあの場所へ帰りつかなくてはならないという強迫観念にも似た思いである。
 何かのトラウマ・・・それはあるかもしれない。人目を避け、自分自身に立ち返る場所への帰巣本能。

 だから、どこかへ行きたいという欲求がない。旅行への関心が欠片もない。どこにも行きたくない・・・。最近も友人がドイツへ旅行すると言っているけど(わたしも)という気持ちが起らない。むしろ、そんな遠くに出かけて帰ってくるのに難儀するのではないかという危惧の方が強い。


「井の中の蛙」に親近感を感じる、「井の中の蛙」は親友だという気持ちである。

『セロ弾きのゴーシュ』3。

2013-02-18 06:29:46 | 宮沢賢治
 ひるすぎみんなは楽屋にまるくならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。

 町はチョウと読んで、丁(第四)/die、死。

☆学びの奥(深く入ったところ)の根(物事のもと)を拓(未開地を切り開く)。
 死の陰を学び、解(さとる)ことが題(テーマ)である。
 無の考えは経(常に変わらない)極(きわみ、はて)であり、それらを連/並べてつなげ、修(調える)ものである。

*第六交響楽の4はAllegro(雷雨、嵐)(thunderstorm)であるけれど、六=無でもある。

『城』1187。

2013-02-18 06:16:06 | カフカ覚書
「いや、おたがいに頭がおかしくなるのは困りますね。わたしは、あなたが思っていらっしゃるようなところまでは、まだとても考えていなかったのです。もっとも、ほんとうのことを申しあげますと、その途中までは考えていました。

 途中/dortin→dort・・・来世で。

☆「いいえ、わたしたちに混乱はありません。あなたが思うような心配はまだ、まったく考えていなかったのです。もっとも本当のことを言うと、来世への道(彼方)のことは考えていました。