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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『実験工房展』の感想。

2013-02-05 06:51:19 | 日常
神奈川県立近代美術館/鎌倉で開催されている「実験工房展」を観ての感想を少し・・。 

 若い頃チラッと聞いたことのある名前・・・思えば四十年以上の空白、専門に勉強していたわけでもなく単に社会現象として記憶にあるといった程度である。

 時代を駆け抜けた作家たちの足跡・・・模索の空気が否応なしに伝わってくる展覧会に、わたしの中でかすかに記憶の風が吹き、やがて濃密な時代の沈黙のエネルギーを感じざるを得なかった会場での体感。


 メンバーの活躍は記録でしか読んでいない。ただ、わたしの若い頃はその余韻を感じる時代でもあったので、自らの記憶を持ってこの展覧会に臨むことができたのかもしれない。


「抽象(芸術)とは何か」の時代である。
 具体的に対象を写し取ることからの脱却。もっと違う何か・・・本質への希求。どこまでも追えば、宇宙論になり、存在は原子や分子の見えない物理的思考にまで発展する。思考が必ずしも表現という視覚にまで移行しないもどかしさ。
 二次元の静止から立体へ、作動のリズム、言葉や音響のメッセージ性、色面の移行(流出)から演劇、映像へと総合的装置を試行錯誤した時代の前衛をになった作家たち。


 切り拓いた作家たちがみんな同じ方向を向いて並んでいるわけではないけれど、新しい本質を追求する方向性に関しては一致している「実験工房」という新しい風・・・。
 描くことの呪縛、ありのままを並置することの野暮、《見えない世界を切り拓いて見せてみよう》という眼力を秘めた冒険心に富んだ時代の息吹。


 二次元から三次元(空間)、静止から作動、回転、転移へと『相を変えていくプロセス』への礎となった作家たちの熱い空気を感じることのできた展覧会は、わたしを郷愁へと誘うものだった。

『洞熊学校を卒業した三人』84。

2013-02-05 06:37:11 | 宮沢賢治
 それかた丁度二ヶ月たちました。ある日、狸は自分の家で、霊のとほりありがたいごきたうをしてゐますと、狼が籾を三升さげて来て、どうかお説教をねがひますと云ひました。
 そこで狸は云ひました。


☆定(決まった)図りごとは、字の異を合わせ、化/形、性質を変えて別のものにして、離す。
 自(わたくし)の文は、何れかの霊(死者の魂)を労う。
 紅(モミ)の太陽は照(あまねく光を当てる=平等)の雷(神なり)。
 説(話)は経/常に変わらず運(めぐる)理(宇宙の根本原理)の運(定め)である。

『城』1174。

2013-02-05 06:11:28 | カフカ覚書
もちろん、いいことばかりつづくものではなく、わたしは、働きすぎてからだをこわし、心臓をわずらって、いまではこんなお婆さんになってしまいました。

 ein→ahn/先祖。
 お婆さん/alte→art/やり方。
     /Frau→frei/自由。

☆結果は明かに、その際に滅ぼされたのです。心は傷つきましたが、先祖のやり方を止めるものがなかったのです。