見事に晴れ渡った週末。最低気温零度。最高気温10度。
太陽の日差しが春を感じさせてくれる。
私は書店が好きだ。新刊本の“紙のにおい”が知的好奇心を大いに刺激するのだ。
おととい(17日)ソウル市の中心部である鐘路(チョンノ)の街を歩いていて、懐かしい看板を見つけた(写真)。それは「鐘路書籍(チョンノソジョク)」の看板だ。写真の「SK Telecom」の大きな広告の右下に青地に白い文字で「BOOKS」と書いてある小さな看板がそれだ。今まで何度も歩いた道なのに何故いままで気がつかなかったのだろうか?
ソウルには大型書店がいくつかあるが、その先駆けとなったのが「鐘路書籍」だった。
「教保文庫(キョボムンゴ)」や「栄豊文庫(ヨンプンムンゴ)」など大型書店の進出により書店間の競争が激しくなり、「鐘路書籍」は2002年6月4日に2千8百万ウォン(280万円)の不渡りを出し、95年にわたる永き歴史にピリオドを打った。
1907年に「イエス教書会」として木造二階建ての店舗で営業を始めた「鐘路書籍」は1931年に地下一階地上四階のビルに衣替えをした。それ以降、韓国における「書店のメッカ」として70年代末から80年代にかけて最盛期を迎えたのである。現在のように携帯電話も無かった時代は待ち合わせ場所と言えば「鐘路書籍」前か、通りを挟んで向かい側にある「YMCA会館」の前と相場が決まっていた。私が初めてソウルを訪れた頃(88年)も沢山の人たちで溢れかえっていた。今はキオスク(売店)や露店が軒を連ねている歩道には電話ボックスがずらっと並んでいて、順番待ちの人たちで一日中長い列が途切れることはなかった。
80年代中盤、韓国に民主化運動の波が押し寄せてきた時、鐘路にある「パゴダ公園(現在のタプコル公園)」周辺では連日デモが頻発した。周辺の商店が門を閉ざす中、「鐘路書籍」だけは営業を続け、戦闘警察(戦警=日本の機動隊に該当)から逃れて来た学生運動家達を受入れ、「避難場所」としての役割も果たしたそうだ。また社長の計らいで、彼らに簡単な食事なども提供したというエピソードも残っている。
私は学生時代、大学が休みに入るたびにソウルへ行った。ホテル代を安く上げるのと、地の利の良さから「YMCAホテル」が定宿(じょうやど)だった。 「国際学生証(ISICカード)」をもっていれば、宿泊代の割引もきいた。その当時から「長い歴史を感じさせる古いホテル」だったが、ハウスキーピングも毎日入り、設備は古いが清潔だったので快適に過ごせた。「鐘路書籍」は「YMCA」と大通りを挟んで向かい側にあったので、ソウルにいるときは毎日のように足を運んだ。
お店の中は、人がようやくすれ違えるだけの幅の狭い階段と、同じく狭くてすぐに満員になってしまうエレベータがあって、「栄豊文庫(ヨンプンムンゴ)」がすぐ近くにオープンするまでは、決して広くない店内はお客さんで賑わっていた。東京の新宿にある「紀伊国屋書店」の本店を一回り小さくした感じといえば、わかっていただけるだろうか?
元々「キリスト教書店」としてスタートしただけあって、キリスト教関係の本の品揃えはソウル一を誇っていた。2001年9月に留学生としてソウルにやってきて一番最初に行ったのも「鐘路書籍」の聖書売り場だった。「日韓対訳聖書」を十冊ほど買って、母教会に小包で送ったのだ。
学生時代、韓国語がほとんど喋れなかった私に、従業員の方々がとても親切に応対してくれたのが今でも忘れられない。また、あるとき店頭に並んでいた本をレジに持って行ったら、「この本は汚れているから、倉庫から綺麗な本を持ってきますね」と、忙しい中わざわざ倉庫まで本を取りに走ってくれたこともあった。欲しい本の書名を言うと、すぐに探して持って来てくれたり、担当のフロアにすぐ連絡して、私がそのフロアに行くまでの間に本を準備しておいてくれたりもした。
「鐘路書籍」には「教保文庫」や「栄豊文庫」で発行しているような、買った金額に応じて特典が得られる「会員カード」のようなものは無かったが、従業員の親切なサービスが気に入っていたので、営業を休止する直前まで足繁く通った。
「鐘路書籍」には、本と顧客を心の底から愛している人たちが大勢働いていたと思う。「キリスト教書店」としての“血脈”は最後の最後まで大事に受け継がれていたようだ。
今年の四月にはサムソン証券が入っている鐘路タワーの地下一階に「ソウル文庫」がオープンするそうだ。鐘路周辺の大型書店競争は再びその激しさを増すことだろう。
今日は天気があまりに良かったので、洗濯と布団を干した。オンドル(床暖房)も明け方以外はほとんど必要なくなった。
太陽の日差しが春を感じさせてくれる。
私は書店が好きだ。新刊本の“紙のにおい”が知的好奇心を大いに刺激するのだ。
おととい(17日)ソウル市の中心部である鐘路(チョンノ)の街を歩いていて、懐かしい看板を見つけた(写真)。それは「鐘路書籍(チョンノソジョク)」の看板だ。写真の「SK Telecom」の大きな広告の右下に青地に白い文字で「BOOKS」と書いてある小さな看板がそれだ。今まで何度も歩いた道なのに何故いままで気がつかなかったのだろうか?
ソウルには大型書店がいくつかあるが、その先駆けとなったのが「鐘路書籍」だった。
「教保文庫(キョボムンゴ)」や「栄豊文庫(ヨンプンムンゴ)」など大型書店の進出により書店間の競争が激しくなり、「鐘路書籍」は2002年6月4日に2千8百万ウォン(280万円)の不渡りを出し、95年にわたる永き歴史にピリオドを打った。
1907年に「イエス教書会」として木造二階建ての店舗で営業を始めた「鐘路書籍」は1931年に地下一階地上四階のビルに衣替えをした。それ以降、韓国における「書店のメッカ」として70年代末から80年代にかけて最盛期を迎えたのである。現在のように携帯電話も無かった時代は待ち合わせ場所と言えば「鐘路書籍」前か、通りを挟んで向かい側にある「YMCA会館」の前と相場が決まっていた。私が初めてソウルを訪れた頃(88年)も沢山の人たちで溢れかえっていた。今はキオスク(売店)や露店が軒を連ねている歩道には電話ボックスがずらっと並んでいて、順番待ちの人たちで一日中長い列が途切れることはなかった。
80年代中盤、韓国に民主化運動の波が押し寄せてきた時、鐘路にある「パゴダ公園(現在のタプコル公園)」周辺では連日デモが頻発した。周辺の商店が門を閉ざす中、「鐘路書籍」だけは営業を続け、戦闘警察(戦警=日本の機動隊に該当)から逃れて来た学生運動家達を受入れ、「避難場所」としての役割も果たしたそうだ。また社長の計らいで、彼らに簡単な食事なども提供したというエピソードも残っている。
私は学生時代、大学が休みに入るたびにソウルへ行った。ホテル代を安く上げるのと、地の利の良さから「YMCAホテル」が定宿(じょうやど)だった。 「国際学生証(ISICカード)」をもっていれば、宿泊代の割引もきいた。その当時から「長い歴史を感じさせる古いホテル」だったが、ハウスキーピングも毎日入り、設備は古いが清潔だったので快適に過ごせた。「鐘路書籍」は「YMCA」と大通りを挟んで向かい側にあったので、ソウルにいるときは毎日のように足を運んだ。
お店の中は、人がようやくすれ違えるだけの幅の狭い階段と、同じく狭くてすぐに満員になってしまうエレベータがあって、「栄豊文庫(ヨンプンムンゴ)」がすぐ近くにオープンするまでは、決して広くない店内はお客さんで賑わっていた。東京の新宿にある「紀伊国屋書店」の本店を一回り小さくした感じといえば、わかっていただけるだろうか?
元々「キリスト教書店」としてスタートしただけあって、キリスト教関係の本の品揃えはソウル一を誇っていた。2001年9月に留学生としてソウルにやってきて一番最初に行ったのも「鐘路書籍」の聖書売り場だった。「日韓対訳聖書」を十冊ほど買って、母教会に小包で送ったのだ。
学生時代、韓国語がほとんど喋れなかった私に、従業員の方々がとても親切に応対してくれたのが今でも忘れられない。また、あるとき店頭に並んでいた本をレジに持って行ったら、「この本は汚れているから、倉庫から綺麗な本を持ってきますね」と、忙しい中わざわざ倉庫まで本を取りに走ってくれたこともあった。欲しい本の書名を言うと、すぐに探して持って来てくれたり、担当のフロアにすぐ連絡して、私がそのフロアに行くまでの間に本を準備しておいてくれたりもした。
「鐘路書籍」には「教保文庫」や「栄豊文庫」で発行しているような、買った金額に応じて特典が得られる「会員カード」のようなものは無かったが、従業員の親切なサービスが気に入っていたので、営業を休止する直前まで足繁く通った。
「鐘路書籍」には、本と顧客を心の底から愛している人たちが大勢働いていたと思う。「キリスト教書店」としての“血脈”は最後の最後まで大事に受け継がれていたようだ。
今年の四月にはサムソン証券が入っている鐘路タワーの地下一階に「ソウル文庫」がオープンするそうだ。鐘路周辺の大型書店競争は再びその激しさを増すことだろう。
今日は天気があまりに良かったので、洗濯と布団を干した。オンドル(床暖房)も明け方以外はほとんど必要なくなった。