特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

神様の“憎い演出”

2005-03-06 17:27:39 | 祈り
 晴れ。最低気温-3.5度。最高気温5.1度。春の足音が聞こえてくるような日曜日。

 今日は何とも不思議な一日だった。

 今朝は久しぶりに9時からの二部礼拝に出席した。ハ・ヨンジョ牧師先生を通して語られるメッセージを聴いて神様の恵みで体中が満たされる。聖餐にも与った。教会内の書店で先週の説教テープを購入。

 十時半過ぎに礼拝が終わったので、一度市内に出て昼食をとる。“抑うつ”さんが久しぶりに顔を覗かせた。一瞬、午後の日本語礼拝をキャンセルして家に戻ろうとしたが「日本語礼拝に出なさい」という神様のメッセージが聞こえたので、教会へ戻り日本語礼拝に出席。礼拝途中から“抑うつ”さんとの“闘い”が始まった。立っていると体がふらつき、吐き気を催す。しかし高見澤牧師先生のメッセージが語られていたので、席を立つわけにもゆかず、我慢、我慢。何とか礼拝を無事終えることが出来た。感謝!
 
 ふと、携帯を見ると着信メッセージがあったので電話をする。見知らぬ電話番号だったので、誰かと思ったら、電話を取ったのは会社勤めしていた時に韓国語を教えて下さったK先生だった。

 2001年9月にソウルに来てから何度か電話でお話したことはあったが、先生が引越しをされ、携帯の番号も変わったので長い間連絡したくとも出来ずにいたのだ。その先生から突然の連絡に驚いた。

 「今ソウルに来ているので時間があれば、会わないか?」ということだった。

 もし私が一学期休学していなければ、先月末に大学院の修了式を終えて日本に戻っていただろう。そして携帯電話を買い換えていたら電話番号も変わって、連絡もつかなかったことだろう。そう考えると再び連絡がとれたということが単なる偶然ではないように感じられた。

 体調は思わしくなかったが、この機会を逃すとK先生に再びお目にかかれなくなるような気がして、光化門(カンファムン)のスタバで待ち合わせることにした。先生とはおよそ五~六年ぶりの再会。以前と全くかわりなく、お元気そうだった。

 私がソウルに留学するに当たって、先生から紹介していただいた日本人留学生のKさんが、実は私が以前から存じ上げている方だったということも判明し、改めて“韓国語に携わっている日本人の世界”の狭さを実感。六時過ぎからそのKさんも交えて先生と夕食を囲んだ。

 三人で積もる話しをして、気がついたら夜の十時を回っていた。まさか会社勤めしている時には考えもしなかった、ソウルでの先生との再会。神様もにくい演出をして下さるものだと、今夜の交わりの時を心から感謝した。

 “抑うつ”さんはK先生とお目にかかっている間は幸いにも、鳴りをひそめてくれていたが、家に戻った途端、一気に襲い掛かってきて、放心の態。何とか着替え、抗うつ薬を口に放り込んで布団の中に潜り込んだ。

 昨日(5日)の深夜、日本にいる親しい友人Kさんから「体調が優れず、辛い!」というメールが届いた。Kさんが体調を崩してから既に一年以上経つ。高校でコンピュータの授業を担当しているKさん。毎日授業があり、学期末ということで一番忙しい時期とのこと。一日も早く体調が回復するように祈るばかりだ。ガンバレKさん!

 写真は「オンヌリ教会」の主任牧師であるハ・ヨンジョ先生。いつも神様の素晴らしいメッセージを熱く語って下さる。