わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

キャンドルを暗くして・・・

2011-03-21 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

大瀧詠一「恋するカレン」

本日この曲を含めたアルバム「A Long Vacation」がリリースされ、30年を迎えます!!

今まで音楽祭ではロンバケから「カナリア諸島にて」、「さらばシベリア鉄道」、「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」、「君は天然色」を紹介しましたが、

一曲一曲が名曲で、30年もの間色あせることもなく、CMタイアップに使われたりし聴きなじみがあると思いますが、

この曲は、2007年にはトヨタ・アリオンのCMに起用され、本楽曲はアーサー・アレキサンダーの「Where Have You Been All My Life」とメロディラインが酷似しているが、大瀧の楽曲は意図的に既存の曲を下敷きにすることが多い。

元ねたは1979年にスラップスティックに提供した「海辺のジュリエット」が原曲だが、サビのメロディーが新たに付け加えられた(「海辺のジュリエット」の作詞は小林和子)。

後に稲垣潤一、CHEMISTRY、BEGINがカバーする。


このアルバムは1981年3月21日に発売。

1970年代までは一部のマニア受けしかしておらず、ほぼ無名に近かった大滝詠一の名が世の中の人々の間にも広まった。これは、音楽業界で「(ナイアガラでのソロ活動開始から)5年も売れなかったアーティストが突如売れるのは奇跡」と言われるほどの出来事だった。

ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』等とともに、CBSソニーから発売された初のCDアルバムのひとつ。日本のミュージシャンとしては初のCDアルバムでもある。(1982年10月1日。CD番号:35DH1、値段:3500円)。

発売1年で100万枚を突破した。これは2006年の音楽市場規模に換算すると400万枚に該当する。しかし本人はレコードに思い入れがかなり強かった為、「結果的にCD普及を早めた」と自責の念に駆られた状態(本作の初CD化は、本人の意図ではなかった。)になり、1985年3月に「どうせなくなるなら早い内に」と言う事で、自身の全アナログシングル盤を廃盤にしてしまう。

1989年に最初のリマスター盤を発売。さらに、発売から10年経過した1991年3月21日には廉価盤CD「CD選書」シリーズの中の1枚として1,500円でリマスター盤を再発。CD選書版はオリコンでは6.9万枚の売上だが、実売では10年間で45万枚を売り上げたという。

発売から20年が経過した2001年3月21日には20周年記念盤のCDも発売された。最新リマスターを施し、ボーナストラックとしてアルバム『Sing ALONG VACATION』から全曲が収録されている。この再発盤は2001年4月にスタートしたオリコンのカタログ・アルバムチャート(発売から2年を経過したアルバムのみのチャート)の第1回の1位に輝いている。こちらもオリコン集計で10年間で9.3万枚の売上を記録。

さらに、2011年3月21日には30周年記念盤を2枚組で発売。改めて最新リマスターを施したDISC 1と、純カラオケ・バージョンと未発表テイクを収録したDISC 2で構成されている。

これらのアナログ、CD、リマスター盤を含めた総売上は200万枚に達するという。

発売から30年近く経過しているにもかかわらず、現在でもなお「君は天然色」や「スピーチ・バルーン」、「恋するカレン」などはCMタイアップがついたり、多くのアーティストがカバーするなど、名実ともに『名盤』と呼ばれるアルバムである。

全楽曲の作詞は、大滝本人による「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」を除いて、すべて松本隆が担当している。大滝と松本の2人がコンビを組むのは、ファースト・アルバム『大瀧詠一』以来のことである。本アルバムは、アルバムタイトルのイメージである夏、7月にリリース予定であったが、作詞を担当する松本隆の妹が逝去したため、松本が詞を書くことが困難になり、「作詞を降りる」と大滝に告げる。大滝は「発売を延ばす。待つよ」と松本に返答し、9月に延長、さらにリリースは伸び、結局3月の発売となった。

  大滝曰く、このアルバムで初めて自分のボーカルにキーを合わせて作曲した(はっぴいえんどもナイアガラ時代も全て楽器に合わせて作曲していた)。

そんな皆藤愛子と同じ潜在能力の大瀧さんの音楽性として、

海外の音楽についての豊富な知識をもち、それを駆使して制作される音楽は、時として極めてマニアックであり、本人が「シュミシュミ音楽」と呼ぶような、独特であり、かつ、閉じた世界を形作ることが多い。作品によっては、パスティーシュとも言えるような作品もあるといわれるが、海外の音楽に詳しくないと(あるいはある程度詳しくても)、どの作品に由来しているのか、よくわからないことが多いようである。そのせいか、本人の楽曲は他の音楽作品(特に洋楽)と似通った部分がいくつかあり、しばしば指摘されることもあるが、そのことについては本人も言及している。

一例として、大瀧の部下がその引用(盗用)の多さに気づき、いたずら心を出して大瀧に「あの曲は3つの曲からの剽窃ですね」と訊ねたところ大瀧は「その3つとあと2曲の5曲から出来てるけど、君は3曲しかわからなかったんだ」と言ったところ、件の部下は緘黙(かんもく)してしまったという

また、定期的に自身の作品群をマスタリングするなどし、多くの「バージョン違い」が存在することでも有名である(下記記載の「シングル」「アルバム」「プロデュース」の項についてもその詳細は大瀧詠一著『All About Niagara』(増補改訂版、白夜書房、2005年)に委ねられる)。

彼の理屈を持ったマニアックな路線、他方面的な音楽性、多趣味なところは筋肉少女帯大槻ケンヂと共通するところが多い。


この曲を作詞した盟友松本隆さんですが、

昨年は作詞家生活40年を迎え、韓流ドラマ、オンラインゲームにはまりつつ第一線で活躍してますが、

彼の最近の近況として(Twitterより;takashi_mtmt)3/20分

「東京に戻り、品川駅で鏡のような月を見た。美しく発光する円の中にぼくたちの未来が映っていた。」

涙が知らず溢れてくるのさ

2011-03-21 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
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加藤和彦と北山修「あの素晴らしい愛をもう一度」


本日はトノバンこと加藤和彦さんのお誕生日ということでアップしました。

「トノバン」という愛称で呼ばれることもあるが、これはライブでドノヴァンの楽曲をカバーするなどしたことに由来する。


そんな平野レミさん(おたんじょうびおめでとう)と同じ潜在能力の彼ですが、


1947年、京都市伏見区生まれ。生後すぐに神奈川県鎌倉市に移り、鎌倉と逗子市で小学校4年まで育つ。その後1年間京都で、その後は高校卒業まで東京都で育つ。

ボブ・ディランの「Don't Think Twice, It's All Right」 を聞いた影響でギターを始める。

東京都立竹台高等学校卒業後、仏師だった祖父の後を継ぐ気持ち半分で京都市伏見区の実家に近い仏教系大学龍谷大学に入学。アマチュアフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の解散記念に制作した自費製作アルバム(インディーズではない。)『ハレンチ(破廉恥)・ザ・フォーク・クルセダーズ』中のオリジナル曲「帰って来たヨッパライ」に対するリクエストがラジオ局に殺到し、プロデビューの話が持ち込まれる。加藤は難色を示したが、北山修による毎朝の説得を受け入れ、1年限りの約束でプロの世界に入った。

シングル2作目に予定していた「イムジン河」が発売中止にされた。

「水虫の唄」(作詞・作曲:山田進一、補作詞:足柄金太、補作曲:河田藤作) ザ・フォーク・クルセダーズが1968年7月1日にアルバム『紀元弐阡年』の先行シングルとして発売した。彼らは曲に合わせていろいろな名前を使い分け、このシングルは「ザ・ズートルビー」という名前で発表した。

フォーク・クルセダーズ解散後、愛称「トノバン」に現されるように、ドノヴァンの影響を色濃く漂わせた楽曲も垣間見える(初期のソロ活動では、イベントで当時より20年近く日本で未発売だったドノヴァンのアルバム『H.M.S. Donovan』中の曲をカヴァーしたりもしていた)。この時期、頻繁にロンドンと東京とを行き来した。自ら本格的な料理を作る事を好んだ。

1971年には「あの素晴しい愛をもう一度」を、作詞・ボーカル(デュエット)を担当した北山修との連名で発売した。

その後、当時の妻・福井ミカをボーカルにしたサディスティック・ミカ・バンドを結成。ロックバンドによくあるグループ編成の形態ではあるが、そのサウンドもロンドンポップ、グラム・ロック、レゲエから、今でいう「ワールド・ミュージック」、琉球音階の導入など、実験精神に溢れたもので加藤の先取の気質がよく顕われている。クリス・トーマスプロデュースによるアルバム『黒船』を発表後、ロキシー・ミュージックのオープニング・アクト(前座)としてイギリスツアーを敢行するが、福井ミカとの離婚をきっかけに解散(ミカ・バンドは、1989年に、新ヴォーカリストに桐島かれんを迎え再結成し、のちに解散コンサートを行った。その後に、三代目ボーカルとして木村カエラを迎え、サディスティック・ミカエラ・バンドとして再々結成)。

1977年に安井かずみと再婚。1994年に死別するまで、安井との作詞作曲コンビで数多くの作品を発表した。1980年代は「あの頃、マリー・ローランサン」などを発表。

1990年代からは歌舞伎音楽を手がけ、「歌舞伎史上初めて洋楽オーケストラを歌舞伎に取り入れた」と市川猿之助 (3代目)に言わしめた。この縁から、後の「ザ・フォーク・クルセダーズ新結成解散コンサート」は市川猿之助と共に歌舞伎の口上で幕を開けることになる。

1996年、フジテレビ系『ポンキッキーズ』挿入歌として西田ひかるとのデュエット曲「メロディー」を発表。

1995年中丸三千絵と再々婚するが、2000年に離婚。

2005年発売のプレイステーション2用ゲームソフト『天外魔境III NAMIDA』の音楽を担当。指揮に佐渡裕、演奏に新日本フィルハーモニー交響楽団、歌手にサラ・ブライトマンを起用した。

2007年に坂崎幸之助とのユニット、和幸(かずこう)を結成。2007年・2009年にアルバムリリース、ライブを行った。

「同じことは二度とやらない」をモットーとしており、サディスティックミカバンドやフォークルを新結成することがあっても過去とは全く異なるアプローチで臨んでいる(フォークルは「再結成」ではなく、「新結成」であると加藤は語っている)。また、サディスティック・ユーミン・バンドなる企画もあった。

2009年10月17日、首吊りによる自殺で他界。享年63(満62歳没)。最近になって鬱病を患い、死の直前にはそれが悪化していたという。

公の場では2009年10月2日、東京国際フォーラムでの松任谷由実のライブにゲストとして登場したのが最後であった。

『和幸』としてのステージは2009年9月20日『南こうせつサマーピクニックフォーエバーinつま恋』でのゲスト出演がラストステージとなった

今のJ-POPシーンにおいて、ジャンル総称して、フォークソング、ロックなど彼の残した功績は大きい。


で、シンガーソングライターとして、以上の楽譜提供を行っている。


アグネス・チャン「妖精の詩」「いじわる雨の日曜日」「雪」「TWINKY」「ふたりの日記」「二人だけのコンサート」「It's a beautiful day」「雨の月曜日」「愛のハーモニー」「愛がみつかりそう」(作曲)
浅香唯「Stay with me」(作曲)
麻倉未稀「マジカル・サマー」(作曲)
アンドレ・カンドレ「花にさえ鳥にさえ」(作曲)
飯島真理「愛・おぼえていますか」(作曲)
石川セリ「ジャングル」(作曲)
石川秀美「あなたとハプニング」「今・愛になる」「恋はエゴイスト」「しあわせが半分だけ」「振られた気分」(作曲)
石野真子「コートダジュールで」「幸せの振りして」「光の中で振り向くわたし」「ミモザの季節」「柔らかい夜」(作曲)
泉谷しげる「春夏秋冬」(プロデュース・アレンジ)
伊藤かずえ「ぼっくん!キミがいなきゃ」「ジュリエットにさせて」(作曲)
伊藤つかさ「夕暮れ物語」「アリスの恋人」「少女のままで」「ノウ!ノウ!ガール」「ミスターキャロル・マイアリス」「野外コンサート」「夢の中のアリス」「四つ葉のクローバー」「リボン飾りのXマスプレゼント」「わたしの友だち」(作曲)
いとうゆうこ「がんじがらめ」「フォークソング」(プロデュース・作曲・アレンジ)
稲垣潤一「ブルージン・ピエロ」「愛のスーパーマジック」「エンドレス・ラブ」(作曲)
岩崎良美「愛してモナムール」「どきどき旅行」「私の恋は印象派」「マルガリータガール」「カメリアの花咲く丘」「初めてのミント・カクテル」(作曲)
Wink「いつまでも好きでいたくて」(作曲)
大原麗子「花火」(作曲)
岡崎友紀「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」(プロデュース・作曲・アレンジ)
小野和子「不思議な日」(作曲)
オフコース「夜明けを告げに」(作曲)
柏原芳恵「恋のD-DAY」「ショックかくして大人する」(作曲)
鹿取容子「どうして欲しいの…」「思い出を作りながら…」(作曲)
かまやつひろし「サンフランシスコ」「三人組」(作曲)
加山雄三「ちょっとだけストレンジャー」「愛と未来のために」(作曲)
神田正輝「アーバン旅情」「思い出のキーラルゴ」「サンセット物語」「時にセンチメンタル」「バラと新聞」「半ぱでロンリー」「BLUE MOONLIGHT」(作曲)
熊谷真美「グロリア」(作曲)
倉沢淳美「絶対好きと云うために」(作曲)
コスモス「冬の日記」(作曲)
小林麻美「微熱」(作曲)
酒井美紀「あなたの声が聞こえる」「乙女の祈り」(作曲)
沢口靖子「ひとりうす化粧」「夢からたち」(作曲)
沢田聖子「卒業」「あなたへのバースディ・カード」「ひとりぼっちの昼下り」(作曲)
シブがき隊「君にジーレジーレ」「地球最初の嵐のように」「ラブ・チェイン」(作曲)
シモンズ「思い出の指輪」(作曲)
少年隊「ヴギウギ・キャット!」「ペパーミント夢物語」「APRIL HURRICANE」(作曲)
J-FRIENDS「届くといいね just wishing」(作曲)
高岡早紀「真夜中のサブリナ」「眠れぬ森の美女」「悲しみよこんにちは」「薔薇と毒薬」「フリフリ天国」「セザンヌ美術館」「M」「カ・ル・ナ・バ・ル」「寒い国のジゴロ」「ペテン師バッドムーン」「哀しいサーカス」「哀しみのヴェニス」「ジプシーを踊ろう」「女優マリアンヌ」「太陽はひとりぼっち」「天使失格」「パーティーはパニック」「×××のデザート」「不思議の森のアリス」「プリマヴェーラ」「NON!NON!NON!」「ROSE」「SLEEP WALKER」「DANCING IN THE SUNSET」「見知らぬ彼女への伝言」(作曲)
高田みづえ「愛のイマジネーション」「真夜中のテレパシー」「DOMO DOMO」(作曲)
高橋真美「もう少しだけ」「片想いのX’mas」(作曲)
高橋ユキヒロ「La Rosa」(作曲)
高見知佳「ジャングル・ラブ」「ボーイ・フレンド」「今夜がその時」「CALL ME TONIGHT」(作曲)
多岐川裕美「女ごころはボサノバ」「マイタイとため息と」(作曲)
竹内まりや「戻っておいで私の時間」「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風」「おかしな二人」(作曲)「不思議なピーチパイ」(プロデュース・作曲・アレンジ)
武田久美子「噂になってもいい」「林檎が落ちた日」(作曲)
田原俊彦「愛のブロンズ像」「君はイエスタデー」「禁じられた朝」「クラブ☆パッショナータ」「SWEET ジャクリーヌ」(作曲)
千葉裕「西伊豆海岸」「旅の前夜」(作曲)
チッチとサリー「チッチとサリー」(プロデュース・作曲。サリー役でデュエット。チッチ役は一般公募で選ばれた翁玖美子)
トワ・エ・モワ「初恋の人に似ている」(作曲)
中井貴一「あの頃、青春のど真ん中」「思い出のアンティックチェア」「俺だけのマドンナ」「俺たちのLOVE SONG」「君はトロピカル」「中古のジャガー君とアネモネ」「二人だけのラブ・コール」「リタ・デジャネイロ」(作曲)
中川勝彦「白いアンティック・ドレス」「ナンシー・Chang!」「メロメロメロウ」「PLEASE UNDERSTAND ME(作曲)
中島はるみ「恋のアンテナ・右廻り」(作曲)
中山ラビ「甘い薬を口に含んで」(プロデュース・作曲・アレンジ)
西田ひかる「私のNO.1〜You're the only one〜」「メロディ」「なくしたくないのあなたを」「好きで・・・好きで・・・好きなの」「光の天使」「I'M ALRIGHT〜優しくなりたい〜」(作曲)
西村知美「わたし・ドリーミング」「イメージの中で」「雲の形・ハートしてる」「この愛クリスタル」(作曲)
萩原健一「ブルージンの子守唄」「少年の魂」(作曲)
原田知世「カトレアホテルは雨でした」「午前10時の誘惑」(作曲)
樋口可南子「噂のランデヴー」「別れの肌ざわり」(作曲)
兵藤まこ「風の中の少女」(作曲)
広田玲央名「だいじょうぶマイ・フレンド」(作曲)
ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」(プロデュース・作曲・アレンジ)
ブレッド&バター「夢がとぶ」「ONE AFTERNOON IN THE BAR」(作曲)
増田恵子「アクトレス」「ひとり暮らしの恋」「ラブマジック」(作曲)
松任谷由実「黄色いロールスロイス」(プロデュース・アレンジ)
真鍋ちえみ「ロマンティックしましょう」「ハートがピッピッ」(作曲)
宮崎美子「土曜日のパーティー」「ひとりぼっちのビューティフル・デイ」「わたしの気分はサングリア」「わたしのメモリー」(作曲)
森尾由美「ガラスの箱」「9時までCHA CHA CHA」「恋レジスタンス」「ショコラとレコード」「少女たちはどこへ行った」「だからタッチ・ミー」「だんだんジェラシー」「ちょっとフランス」「優しいギャングスター」「夢の宮殿」「夢チャイナドール」「EUROMANTIQUE」(作曲)
森下恵理「ブルージン・ボーイ!」「わたしは街のバレリーナ」「サマータイムグラフィティ」「中古のムスタング」「秘密のダイアリー」「ふられて・フー・フー」「ちょっぴりボーイフレンド」「」「KISS ME TONIGHT」(作曲)
森進一「夢・ステファニー」(作曲・アレンジ)
森山良子「遠い遠いあの野原」(プロデュース・作曲・アレンジ)
薬師丸ひろ子「不思議よセ・ラ・ヴィ」(作曲)
吉田拓郎「ロンリー・ストリート・キャフェ」(プロデュース・作曲・アレンジ)「結婚しようよ」(プロデュース・アレンジ)
吉田真梨「恋の街をかえして」「みんな愛されるため」(作曲)
若林志穂「テレフォン・キッス」「夏のバルコニー」「恋の1・2・3」(作曲)
ジュディ・オング 「愛のめぐり逢い」(作曲)


この曲は、作詞北山修、作曲加藤和彦で、

1970年7月30日、加藤の光子(ミカ)夫人との結婚祝いとして北山が詞を贈り、その年のクリスマスに加藤が曲を付けて夫人にプレゼントした。

それからは北山、加藤とその仲間内での愛唱歌となっていたが、1971年になり加藤と北山が25才を迎えるということで仲間内から「記念にレコードを出したらどうか」という話が持ち上がり、加藤の了承によりレコード化となった。

後年NHK-BSで坂崎幸之助と久しぶりにギターを抱えて出演したときに「15分でできた」と加藤自身が発言している。

この曲のオリジナル録音(1971年)のきっかけは、東芝音楽工業がフォークルの再結成を図って加藤・北山の両人にはたらきかけたものであるとされる。当時、フォークルの再結成はあり得ないと明言していた2人は、ジャケットでもカメラを全く無視している。これには東芝に対する抗議の意味を込めていると加藤・北山ともに当時のラジオ番組で語った。

オリジナルヴァージョンでは加藤による変則スリーフィンガーが展開されるが、「北山修25ばあすでい・こんさあと」に於いては「弾きながら歌える自信がない」とのことで通常のスリーフィンガーで演奏された。

第3番の歌詞の「あの時風が流れても変わらないと言った二人の」という一節は、「北山修青春詞歌集『ピエロの唄』」(角川書店)では「あの時星になりたいと夜明けまで泣いた二人の」となっている。ただし、この歌詞で歌われたことはない。


その後の北山さんは、1972年、京都府立医科大学卒業。札幌医科大学内科研修生として2年間勤務した後、ロンドンのモーズレイ病院およびロンドン大学精神医学研究所にて2年間研修。

1980年、北山医院(北山研究所を経て、現・南青山心理相談室)を開設。精神分析家・心理療法家として活動する。

1991年、九州大学教育学部助教授に就任。1994年、同教授。1998年、九州大学大学院人間環境学研究院教授。2001年より同大学院医学研究院教授を兼任。2010年3月、九州大学を定年退職。

2010年4月より南青山心理相談室顧問。

『みんなの精神科』『みんなの深層心理分析』(講談社+α文庫)、『劇的な精神分析入門』(みすず書房)など著書多数。特に、イギリスの小児科医で、後に小児精神分析家に転進したドナルド・ウィニコット(Donald Winnicott)に関する研究では、本邦の第一人者。


2009年は忌野清志郎、マイケル・ジャクソンなど音楽界において重鎮たちが天国に行ってしまった波乱な年となり、加藤さんも同様な状態になったのも大きい。


2009年加藤さんが死去した時の北山さんのコメント。

朝日新聞と産経新聞に「きたやまおさむ」名義で追悼コメントを寄せ、それらの中で「すべてが一流のプレーヤー」と評し、一人の人物の中に音楽家と演出家という、2つのあり得ない役割が両立できるがゆえに、なかなか自身は満足が得られない天才の不幸を指摘。老後をともに過ごす楽しみを失った友人として、また病を食い止めるべき精神科医としての無念を記している。10月19日に関係者だけで行われた加藤の密葬では出棺前に挨拶し、「加藤君には2人の人間がいた。1人は楽しく明るく前向き。もう1人は厳しく完全主義で怒ると怖い人。今回はそのもう1人が自分を殺してしまったんだと思う。曲を制作する時は人の意見も聞いてくれたんだけど、最後の幕引きでみんなの意見を聞いてくれなかった」と述べた。

この曲でのYouTubeよりtetu492002さんのコメント。

「この歌を訊くたびに、胸が締め付けられる。初々しかったあの頃が­あったのに、どうして今はすれっからしになってしまったのか。あ­の頃に戻ってもう一度やり直したい。加藤さん、ありがとうござい­ます。心より感謝申し上げます。団塊の世代として、理由はどうあ­れ、生き抜いて欲しかった。生き抜いた者のみが勝ち得る笑みを共­有したかった。」

今震災で多くの犠牲者、不自由な生活を送っている人たちが想像以上の状態で出てきて、連日の報道で積み重ねる形で、周りの雰囲気を暗くし、その地点で立ち止まり失望状態に陥っている人もいるわけで、この曲を通じ、彼らのために生き抜き、みんなの力で「あの素晴しい愛をもう一度」で再建していきましょう!

目を開ければ明るい未来がある!

2011-03-20 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
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Asia「Open Your Eyes(永遠の輝き)」

この曲は1983年2枚目のアルバム「Alpha」に収録されたナンバーで、アメリカで6位、イギリスで5位、オリコン(日本)で4位を記録している。

本日はドラム担当のカール・パーマーのお誕生日ということであっぷしました。


このバンドは、

1981年結成したが、

メンバーを紹介すると(現在のメンバー)、

綾瀬はるかと同じ潜在能力のジョン・ウェットン(ベース&ボーカル;元キング・グリムゾン→ロキシー・ミュージック→U.K.)、

潮田玲子と同じ潜在能力のスティーブ・ハウ(ギター;元YES)、

篠田麻里子と同じ潜在能力のカール・パーマー(ドラムス;元EL&P)、

永作博美と同じ潜在能力のジェフ・ダウンズ(キーボード;元バブルス)

という

「プログレッシブ・ロック」を築き上げたバンドの面々という腕利きらで結成したベテランだけど新人のつもりで、1982年アルバム「Asia(詠時感-時へのロマン-)」でデビュー。

このアルバムは、9週間全米アルバムチャート1位を獲得し、年間でも1位となる大ヒットとなり、商業的好スタートとなり、2枚目のアルバム「アルファ」をリリースすることとなる。


で、貼り付けたのは1983年12月6日日本武道館より。

この模様のエピソードとして、

ワールドツアーが日本より開始され、MTVの企画で、同年12月7日の日本武道館公演の模様を全世界に衛星生中継するという歴史的なイベント『ASIA in ASIA』も行われた。この公演はアメリカ向きの放送時間に合わせて(アメリカでは同年12月6日)日本では平日の昼間に行われ、この日のみ演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。

この模様は国内でも、テレビ神奈川(現 tvk)で、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA IN ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された。(この特別番組の司会は、当時テレビ神奈川で放送していた洋楽を多く扱う番組の「ファンキートマト」での司会の植田芳暁。ゲストとして白井貴子。

生中継の公演の模様が14:05頃-14:38頃迄放送された。又、ニューヨークで生中継の模様を観ている、日野皓正の国際電話でのインタビューもあった。

番組終盤の 14:45頃-14:50頃にも生中継の模様が放送された。番組提供スポンサーはソニー。この特別番組の直前の「おしゃべりトマト」でも同出演者にてエイジアの紹介がされていた。)後に、この公演の模様は「エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館」としてビデオ化されビデオテープ、レーザーディスクで市販された。

また、この時来日したメンバーが若干変わっていて、ベース&ボーカルが小椋久美子と同じ潜在能力のグレック・レイク(元EL&P)である。

それまでのいきさつは、

セカンド・アルバム『アルファ』は全米アルバムチャート6位となる。

しかし記録的ヒットを収めた『Asia』の売上の1/5ほどに留まってしまい、ツアーの観客動員数も減ってしまった。

バンド内で軋轢が始まり、中心メンバーのウェットンが1983年の初来日ツアー前にアルコール中毒になっていたという理由で突如と解雇されてしまう。ウェットンの代わりとしてベースもリードボーカルも兼任できて声質も似ているグレッグ・レイク(vo.b/元EL&P)に代役を依頼。

歌詞をじっくり覚える時間もなかったグレッグはツアー中、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌うことになった。グレッグの声域の方がウェットンより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労したが、長年同じバンドにいたカールを始め他のメンバーとも息が合い、コンサートは成功した。

以後はメンバーの入れ替わりを繰り返したが、

2008年初期結成メンバーが集結、ワールドツアーを行っている。


で最近の近況として、

Asiaのオフィシャルページより。

3/11に起きた東北・関東大震災のことは世界中の音楽アーティストにも広がっていて、彼ら一同、日本の皆さんに対し地震から立ち直って再建を日々願っているとのことです。

原文のままアップします。

Tsunami Statement
Saturday, 12 March 2011
All of us in the Asia family send our hearts out to those affected by this week's historic earthquake and tsunami, in particular to those in Japan. We have always been warmly welcomed by the Japanese people, and our thoughts will be with you as the recovery and rebuilding efforts move forward.

これからの予定は北南アメリカでのライブを控えているとのこと。

ひとりひとりの腕利き振りをごらんあれ。

ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたい

2011-03-20 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
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竹内まりや「人生の扉」

本日は竹内まりやさんのお誕生日ということであっぷしました。


この曲は35枚目のシングル「チャンスの前髪」と両A面としてリリース、2007年アルバム「Denim」に収録したナンバー。

作詞作曲は本人、編曲は夫の山下達郎とセンチメンタル・シティ・ロマンスが手がけている。

時間の経過とともに美しく色あせていく"デニム"から発想を得たというタイトルどおり、本作には50代(!)を迎えた彼女の心境・視点の変化が深く織り込まれている。

それをもっとも端的に表しているのが、「長い旅路の果てに 輝く何かが誰にでもあるのさ」というフレーズを持つ「人生の扉」だろう。50、60年代のポップ・ミュージックを基本としながら、新しい要素をさりげなく取り入れることで、しっかり2007年のポップスとして成立させるサウンド・メイク(アレンジ・プロデュースはもちろん、山下達郎)もさらに質を上げている。


2/27にJFN系「山下達郎サンデーソングブック」に夫婦放談・番外編と題し、出演をしましたが、


竹内さんのオフィシャルページより。

3/11に起きた東北・関東大震災で被災された方、安否を心配している方、被害現場で闘っている方へ竹内さんからのコメントを紹介します(原文)。


このたびの大地震によって被害を受けられました皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
 多くの尊い命が奪われ、大切に築いてこられた家庭をたくさんの方々が失われたことに、
 言葉にできない深い悲しみを感じています。
 犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、
 いまだ行方のわからないご家族やご友人が一刻も早く見つかることを願っています。
 そして今現場で救助・援助活動にあたっていらっしゃるあらゆる人達と、
 外国からの救助隊員の方々に心からの敬意と感謝の意を捧げます。
 どうか一人でも多くの人が救われますように。

                                竹内まりや



アップしたのは東京八王子から群馬高崎まで走る鈍行列車JR八高線で、丹荘の駅を降りて、神流川CR経由で利根川CRへ上流の渋川の白井の宿の風景より(YouTubeからheisan333さんによる投稿)。

僕が側にいるから・・・

2011-03-19 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
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鈴木雅之「もう涙はいらない」

本日は俳優の鈴木正幸さんのおたんじょうびということであっぷしました。


今年をもって「3年B組金八先生」シリーズが終焉を迎えることとなり、


博多弁炸裂の金八先生とともに津軽弁炸裂の警察官大森巡査、


今までお勤め「お疲れ様でした。」



彼の経歴として、

TBSのドラマ「金八先生」や「仙八先生」などの、いわゆる『桜中学シリーズ』に出演者で唯一、全シリーズに出演しており、津軽訛りの大森巡査役で有名であり、Flowの「贈る言葉」のプロモーションビデオにも「大森巡査」役で出演している。(楽曲が第1期「3年B組金八先生」の主題歌のカバーであるため。)

特撮宇宙刑事シリーズには、3作通して大山小次郎役(フリーのルポライター→ペットショップ経営)で出演している。

この2作品ですっかりコミカルなおとぼけキャラが定着した。大森という役名ではないが、映画『ミンボーの女』には大森巡査的な役柄の警官役で出演している。

槇村正の芸名で、日活ロマンポルノに数本出演している。

趣味は料理で、売れないときに魚屋や小料理屋の厨房でアルバイトをしていたこともあり、プロ並みの実力を持つ。『スタジオパークからこんにちは』にゲスト出演した時も、自ら魚をおろしてにぎり寿司をつくって、料理の腕前を披露した。また、『どんど晴れ』の加賀美久則役ではこれを生かしたシーン(加賀美屋の板場で料理の腕前を披露するシーン)が放送された。

現在は栃木県の那須高原に住んでいて、自宅の自家菜園で無農薬野菜を作り、収穫した野菜をドラマの共演者などにおすそ分けしているそうである。


で、この曲は1992年5月にリリースし、オリコンチャート最高8位を記録、鈴木雅之ソロでは最大の売り上げを記録。56万枚の売り上げた。

本作で、前年に引き続き(デビュー曲「ガラス越しに消えた夏」を歌った)2年連続で第43回NHK紅白歌合戦に出場。

5thアルバム『FAIR AFFAIR』の先行シングル。

日本テレビ系『刑事貴族3』の主題歌。

刑事貴族3にゲスト出演した12回の終盤で、「さよならいとしのBaby Blues」をノーカットで歌った。

で、刑事貴族3(全26話)の出演者概要。

本城慎太郎:水谷豊(第1話~最終話)
パート2からの続投。基本的には前作と変わらないが、「あ、ラッキーラッキーラッキー」「こわいね」「ホントかよホントかよぉ(実際は"っとかよっとかよぉ"と聞こえる)」「喋る前に考える癖つけな」等、幾つかの口癖が増える。
ベテランが減り若手が増えてきた為か、怒りっぽくなっている。村木刑事を快く送り出し、芝刑事に刑事の資質を説くなど、よりリーダーシップを発揮する場面が増える。(なお、芝に対するアドバイス内容は宮本課長と同じであった)。
使用拳銃:デトニクス.45オート(脚本の都合上、拳銃の使用頻度が減っている)
使用車両:バンデン・プラ・プリンセス1300

原田実:田中実(第1話~最終話)
パート2からの続投。中盤、出演が激減し姿を現さず、第18話にて、「秋だから…」と言う理由でスポーツ刈り姿になる(実際は戦争映画「月光の夏」に出演するためであった)。パート2最終話で南刑事が抜けた為、刑事課一の長身となる。その他、病弱な姉がいることが判明する。
使用拳銃:前期コルト・ローマンMK3 4インチ、後期:コルト・ローマンMK3ニュータイプ 2インチ

村木拓:宍戸開(第1話~第17話)
パート2からの続投。藤村刑事に加え吉本刑事という曲者の後輩によってさらに存在が沈みがちに。本シリーズではまたしても親友が関わる悲惨な事件に遭遇してしまうが、その解決後古巣の新人時代世話になった上司の誘いを受け、浅草南署へ異動する。2年間のレギュラー出演は、本城刑事よりも長い。
使用拳銃:コルト・ガバメントMKⅣシリーズ70

芝夏美:鳥越マリ(第1話~第17話)
パート2からの続投。前作と変わらず口うるさい。第17話で一度は結婚退職に傾きかけるが、管内で発生した婦人警察官(現在の名称は女性警察官)襲撃事件をきっかけに警察官を続ける決意を固め、海外研修へ参加するため、代官署を去る。
使用拳銃:S&W M36チーフ

藤村亮:寺脇康文(第1話~最終話)
パート2からの続投。前述のように占いを信じ込む等、相変わらず思い込みが激しいところがあるが、逆恨み事件の経験からか、職務に責任感を増した言動が多くなる。第18話で代官署へカムバックしてきた青木刑事とは、当初は考え方ややり方の違い等で対立していた。
使用拳銃:コルト・ガバメントMkⅣシリーズ70フレームカスタム ステンレスモデル

吉本和彦:彦摩呂(第1話~最終話)
パート2最終話で降板した南刑事の後任。
当初は新人刑事で2晩連続で宿直させられる等色々とこき使われていたが、緒形刑事が加入すると態度が大きくなる。村木刑事、原田刑事とは同い年ではあるが、警察学校では後輩に当たる。
普段は標準語で話しているが、大阪府大東市出身(実際にも彦摩呂の出身地)であるため、話言葉に時々大阪弁が交じる。OPと第1シーズン前半ではPOLICEロゴのキャップをかぶっていたりアメリカ警察のレイドジャケットを羽織っている事が多く、第1話で犯人の追跡中、特殊警棒を使用するシーンがある。
使用拳銃:ニューナンブ M60 3インチ

田辺しのぶ:中山忍 (第1話~最終話)
パート2最終話で降板した渡辺早苗の後任。宮本課長の姪だが、かつて逆恨みで殺された宮本の妻の妹の娘との事で、宮本と直接的な血の繋がりはない。
内勤の警察官だが、なぜか制服を着ることがない。あまり現場に出る事はなかったが、課室でのやり取りによく関わっていた。「勉強になるなぁ」が口癖。後に現場での過酷な場面に遭遇することにより、警察官として成長を遂げていく。

青木順子:高樹沙耶(第18話~最終話)
第17話で海外研修に旅立った芝刑事の後任。
本庁捜査一課の第一線で働いている内に、「人間らしい捜査」ができなくなり、それを取り戻す為に代官署に戻ってきた(18話サブタイトルの「氷の女」とは順子の事を指す)。だがその設定がクロースアップされることはなく人間らしさを取り戻していく。
代官署へ再加入した際、藤村刑事とは対立していた。
使用拳銃:S&W M60 2インチ(番宣写真ではワルサーPPK)

緒形大輔:前田耕陽(第18話~最終話)
第17話で異動した村木刑事の後任。
本城刑事の事を目標・理想とする人物として尊敬している。出身地は瀬戸内の小さな町で高校までは野球部でピッチャーだった。家族は千葉に姉夫婦がおり、千葉県警の警察官でもある義兄の薦めで高校卒業後に警察官になる。登場直後に番組の打ち切りが決定されたため、出演期間は約2ヶ月、9本と短いが、主役エピソードは2本描かれている。
また若手刑事の中では本編中に発砲シーンが無かった(OPでは発砲している)。
使用拳銃:MGCハイウェイパトロールマン41


最近の鈴木さんの近況として、

2011年2月26日、ソロデビュー25周年を記念して『ガラス越しに消えた夏』~『キミの街にゆくよ』までのソロ期全シングル(カップリング・インストゥルメンタルノーカット、33枚)と裏ベスト2枚をボックス化した『Martini Box』とデビュー30周年を記念して開催されたツアーのDVD『Masayuki Suzuki taste of martini tour 2010 THE ROOTS 〜visit your town〜』を同時リリース。

また、リリース翌日にファンクラブイベント『Lovers Affair 2011 in Tokyo』が開催され、スペシャルゲストとして槇原敬之が飛び入り参加し、槇原が鈴木に書き下ろしたという新曲をピアノの弾き語りで披露。さらに親交のある女優の鈴木杏樹やお笑いコンビの矢野・兵動の兵動大樹も祝福に訪れた。

鈴木さんのオフィシャルページより。

3/12スタッフによるブログ。


明日のラジオ番組生出演を予定しておりました、「中村こずえのみんなでニッポン日曜日!」ですが、

昨日の地震による各方面からの状況も考慮をさせていただいた結果、ゲスト出演に関しては見合わせる運びとなってしまいました。

楽しみに待っていただいているファンの皆さんには大変申し訳ございません。ご理解の程何卒よろしくお願いいたします。

改めてスケジュールを調整させていただきますが、それまでお待ち頂きたく思います。

被災者の皆様におかれましては心よりお見舞いを申し上げると共に、一日も早い復旧を願っております。





どうかこの涙をしおれかけの花に・・・喜びの彼方でもう一度咲けるように

2011-03-18 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

コブクロ「ここにしか咲かない花」

本日は日本の男性音楽アーティストで最も背が高いボーカルの黒田俊介君のお誕生日ということであっぷしました。

音楽祭シリーズでは初登場です。


身長差の激しい二人組といえばお笑い界ではナインティナイン、爆笑問題など浮かぶが、音楽界においては、率直「コブクロ」を思い浮かべるでしょう。


紹介すると、

松下由樹と同じ潜在能力の小渕健太郎(身長168.2)と、

菅野美穂と同じ潜在能力の黒田俊介(身長193.4)の

身長差25.2cmの二人組である。


出会いは、

1998年5月、サニックスのセールスマンの傍ら毎週土曜日に路上ライブをしていた小渕とストリートミュージシャンをしていた黒田が、堺市の堺東銀座通り商店街で出会い意気投合。

同年9月に小渕が黒田に楽曲を提供する事になったが、黒田本人のギターがあまりにも下手だった為小渕が隣でギターを弾きコーラスをする事になる。

これがきっかけで黒田から小渕に一緒に組もうと声をかける事になった。

小渕はこれを「できちゃった結成」であると『森田一義アワー笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」出演時に話している。この結成エピソードの曲が後の代表曲となる『桜』である。

なお、『桜』を路上で披露した際に観客から「誰の歌ですか?」と問われた小渕は、オリジナル曲というのが恥ずかしくてとっさに「ミスチルのインディーズの曲です。」と答えてしまった(後に本人に謝罪済み)。

ユニット名は2人の名字、小渕(コブチ)と黒田(クロダ)から名づけた。後にそのネーミングのアイデアはお笑いコンビのFUJIWARAから来ていることを明かしている(過去に心斎橋筋で演奏中に原西孝幸にからまれたことがあるらしい)。ちなみに、

小渕が黒田に初めて作った曲の歌詞カードに「コブチとクロダでコブクロでええか」と書いていたのがきっかけで、それが今もなお使われている。SPOON(スプーン)という候補もあった。フォークデュオだけどナイフ(ロック)みたいに鋭くなく人の心を掬うという意味。

彼等のファンを「コブファミ」と呼ぶ。これはFM802のDJ・ヒロ寺平が命名した。また、コブクロはファンのことを「スタッフ」「チームコブクロ」ともいう。

所属するワーナー・ミュージック・ジャパンの代表取締役社長・吉田敬が芸能事務所研音の代表・野崎研一郎と親交を持っているため、研音所属の俳優・女優を起用したドラマの主題歌を手がける事が増えている。


で、この曲は2005年11枚目のシングルで、成海璃子主演ドラマ『瑠璃の島』の主題歌として書き下ろされた曲で、ドラマの舞台である八重山諸島の鳩間島に実際に行き、その中で感じたことを曲にした。

また歌詞の中に「瑠璃」という言葉や沖縄の古語である「あけもどろ」を入れるなど、『瑠璃の島』を意識した曲となっている。

彼らにとって、2001年デビュー曲「YELL」、前作「永遠にともに」に続き、3作目のオリコンTOP10入りし、最高記録となるオリコン初登場2位を記録、100位以内に51回チャートイン、累計で40万枚を超える売上となり、一躍人気アーティストとなり以後のシングル、アルバムではチャートの上位に入るほどとなり、ベスト盤では300万枚以上の売り上げを記録した。

8週連続TOP10入りはシングルでは2010年リリースした「流星」と並んで自己最高タイとなっている。

ドラマ主題歌として書き下ろされた曲としては初であるが、2001年リリース「miss you」が『科捜研の女』の主題歌となっているので、コブクロとして2曲目のドラマ主題歌となった。


最近情報では、

シングル「あの太陽がこの世界を照らし続けるように。」を4月27日にリリースします。

八重山諸島の瑠璃色の海と森の緑が鮮やかな風景より

あなたが生きている今日はどんなにすばらしいだろう

2011-03-17 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

ザ・ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN 」

本日はボーカルの甲本ヒロトさんのお誕生日ということでアップしました。

主観を排してザ・ブルーハーツを語ることは難しい。

ブルーハーツは多くの人にとっての青臭い青春そのものであり、あらゆるものの意味を説いた先生であり、夢であり憧れであり……、なかには“彼らはオレの人生そのものだ!"と後ろ向きな意見をこれ見よがしに誇示する輩もいるだろう。彼らの音楽を聴くと、ホロ苦くて切ない「アノ頃」の想い出が走馬灯のように頭のなかを駆け巡る。

まだ見ぬ恋人を想像してひとり興奮したこと、システマティックな社会に対して怒り、しかし敗北感を味わったこと、怖いもの知らずで、理想の未来を想い描いたこと……。彼らほど若者の人生に影響を及ぼしたロック・バンドを、少なくとも筆者は知らない。

コーツとして活動していたヒロト(岡山県出身:法政大学中退)とかつてブレイカーズを結成していたマーシー(武蔵野周辺出身:多くのソロ作もリリース)が出会い、1985年に組織されたブルーハーツ。1987年リリースの実質的なデビュー・シングル「人にやさしく」は、無関心から熱情へ、破壊から再構築へ、逃亡から対峙へ、そしてネガからポジへの変遷を示していた。そんな彼らが、局地的ではなく、全国的に熱烈なプロップを獲得したのは、1988年の『TRAIN-TRAIN』からだろう。

深く、扇動的な詞世界、スター性溢れる歌声、マーシーによるシンプル&メロディックなギター・プレイ、そして(パンク・)ロック・バンドとしての存在感……。それはなに物にも代えられない、聴き手の心を貫くような魅力でいっぱいだった。

1990年代に入っても(つまりは初期3部作をリリースし終えても)、混ざり気のない純度100%なロック・アティテュードはそのままに、多様な音楽的アプローチで『BUST WASTE HIP』『HIGH KICKS』『DUG OUT』『STICK OUT』など、名作を次々にリリースしていったブルーハーツ。メンバーのひとりが宗教活動に走ったため(?)、1995年に惜しまれつつも解散。しかし、偉大なる彼らの作品群は、今もなお猛烈な輝きを放っている。


この曲は、1988年3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』と同時発売。

シングルでは、アルバムに収録されているものと同じテイクが使用されているが、ブルースハープとドラムで奏でる列車が疾走するような前奏部分が収録されていない。

学園ドラマ『はいすくーる落書』の主題歌に起用された。また、フジテレビ放映『クイズ!ヘキサゴンII』内の「仲間を救え!底抜けドボンクイズ」など、鉄道に関連するゲームでもしばしば使用される。さらに現在でも、高校野球の応援歌として定番となっており、また読売ジャイアンツの鈴木尚広の登場曲として使用されている。

プレイステーション2ソフト「鉄1〜電車でバトル!〜」ではゲームのデモ画面で流れたり、三共から出されたパチンコ台「フィーバー電車でGO!2」では大当たりしたときの曲として流れる場合がある。またPSP用ソフト「喧嘩番長3 全国制覇」では、ゲームのデモ画面とタイトル画面で流れている(タイトル画面はメロディのみ)。

2007年にはNTT西日本のフレッツ・光プレミアムのCMソングに、この曲の替え歌が使われていた。ちなみに同時期のNTT東日本のBフレッツのCMソングには同じTHE BLUE HEARTSの「夢」の替え歌が使われていた。

作詞作曲はヒロトさんにとって特別な存在のマーシーこと真島昌利が担当。

ピアノを全面に加えた初めての曲でもあり、真島作曲の初のシングルA面である。ジャケットに書かれてある歌詞は、真島の手書きである。歌詞カードではサビの最後は「行け」となっているが、曲中では「行く」と歌われており、ライブでも常に「行く」と歌われた。アルバムver.以降はサビの部分の歌詞が記載されていない


そんな半井小絵さんと同じ潜在能力のヒロトさんですが、

幼少時代のあだ名は、ボケ作(小学校の担任教師が名づけた)。

高校時代は剣道部。

『一生、親に養ってもらって、テレビとお菓子の生活をする』のが小さい頃の人生設計。

実家はクリーニング店・ドライ甲本を経営していた(現在は閉店)。父について、「父親はアイロンを握っている姿が一番かっこ良かった」と語っている。

自らカスタムする程のバイク好き(ハーレー・トライアンフ乗り)。また、 プロレス・格闘技や映画が好き。アニメでは、ドラえもん、いなかっぺ大将を好み、タイムボカンシリーズにおいて、再放送が観たくバンド練習を休みたく駄々をこねていたほど好きである。

ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズやガンビー等のフィギュアを収集している。

ツアー中の体脂肪率は「6.5ぐらい」とのこと(NHK-FM『ミュージック・スクエア』/2002年11月)。

真空管アンプを自作している。

明るく優しい性格だというパブリックイメージが定着しているが、歌詞の端々でそんなイメージに対する反発を感じさせるフレーズがある。ちなみに、2005年放映の日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」に弟・雅裕が出演した際、明石家さんまが雅裕に「兄貴(ヒロト)は、荒くれ者でしょう」と問うと、雅裕は「いや、僕より謙虚ですよ」と語っていた。

パンクやロックだけでなくブルースも好きで、インタビューや歌詞にブルース・シンガーの名前がよく出てくる(マディ・ウォーターズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスンなど)。

インタビューなどで雑誌に写真が出るときは、大抵ロックTシャツを着ている。ファッション雑誌の表紙を何度か飾っている。

2007年10月には急性疾患にかかり、予定していたライブを延期する事態になった。

豆が好き。

平成最初の大晦日ライブより。寒い季節ながらもハートで顔面汗だらけで猫背姿でも結構の身長があるヒロトさんの欽ちゃん走りに負けない「ヒロト跳び」は弾けるものだ!

金色のサクセスストーリー

2011-03-14 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
正直のところ3/11に起きた東日本での震災で、音楽アップを自粛するか迷いましたが、JFN系列での震災特番で震災についてのニュースを交えながら一日中音楽を流していて、音楽の力は時に喜び、時に共感、時に悲しみ、時に励ましあう要素を感じました。一曲でもひとりがハッピーになることを信じアップしていきますのでよろしくです。


お届けするのは

杉真理「Nobody」

本日は杉真理さんのおたんじょうびということであっぷしました。

この曲は1982年3月21日に大瀧詠一アルバム「A Long Vacation」リリース一年を記念し、大瀧、佐野元春と一緒にリリースしたアルバム「ナイアガラトライアングルVOL.2」に収録したナンバーで、ビートルズフリークで有名な杉さんならではの初期のビートルズを彷彿させるメロディラインとコーラスワークと微妙にずれる拍子の絡みは実力の現われだと感じるナンバー。

ちなみにコーラス参加しているのは、この曲のタイトル通りのユニット「Nobody」。

「Nobody」は相沢行夫、木原敏雄からなるロックバンド。かつて矢沢永吉とバンド「ヤマト」を組んだことがあり、矢沢バンドのメンバーに一時期在籍、矢沢が海外を拠点としてから、バンドから抜け、二人を中心にロックバンド「Nobody」を結成、シンガーソングライターとして吉川晃司、田原俊彦、アン・ルイス、浅香唯など提供をしている。矢沢とは今でも交流があり、互い呼び捨てで言い合う関係でもある。

しょげないで

2011-03-13 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

佐野元春「シュガータイム」

本日は佐野さんのお誕生日ということでアップしましたが、

この曲は1982年3枚目アルバム「SOMEDAY」のオープニングを飾るナンバーで、その前に大瀧詠一、杉真理と一緒に出したアルバム「ナイアガラトライアングルvol.2」がオリコンアルバムチャート1位を獲得、佐野さんの音楽にも注目されてのリリースとなり、「SOMEDAY」はオリコンアルバムチャート4位まで上昇し、当時の若者のハートをつかむきっかけとなった。

この曲は完全なJ-POP的な仕上がりで聴きやすい内容となっている。



JT桃の天然水飲んでいた彼女は今どうしてるのかな・・・

2011-03-12 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

ジェームス・テイラー&J.D.サウダー「Her Town Too(憶い出の町)」

本日はジェームス・テイラーのお誕生日ということであっぷしました。

ビートルズの設立したアップル・レコードと契約しデビューするが、交通事故やアップル社内での混乱ゆえに契約を打ち切られる。1970年にワーナー・ブラザーズと契約し、移籍第一弾のアルバム『Sweet Baby James』(1970年)がヒットした。

1971年、映画『断絶(Two-Lane Blacktop)』に主演。ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンと共に、賭けレースに参加しながら旅を続けるドライバーを演じた。しかし、映画には彼らの楽曲は一切使用されず、難解な内容のために興行的にも失敗に終わった。

それ以降、本人のプライベートな体験を題材にして作曲したり、人々の悲哀を描き出すという独特の作風で、数々の名盤を残しアメリカを代表するアーティストにまで登りつめた。代表作「ファイアー・アンド・レイン」は本人の実際の体験を綴った作品であるとされている。また、グラミー賞獲得やロックの殿堂入りなど、輝かしいキャリアを積み重ねて来た。

また、日本の1970年代のアーティスト、特に小坂忠、細野晴臣らにも多大な影響を与えた。


この曲は1981年ジェームス・テイラーアルバム「ダディーズ・スマイル」に収録されたAORを代表するナンバーで、

彼をはじめとして、イーグルス、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタントなどウエストコーストサウンドにおける兄貴的存在のJ.D.サウダーとの絡みは逸品である。

1991年にフジテレビとホイチョイプロが製作したした映画「波の数だけ抱きしめて」でも挿入歌として使われた。


3/6にピンクフロイドのデヴィッド・ギルモアの劇的ビフォーアフターを取り上げましたが、

その2弾としてジェームス・テイラーの劇的ビフォーアフターを紹介します。


before

after

前者は1977年彼が29歳の時のアルバム「JT」のアルバムジャケット

後者はウィキベティアから携帯写メで間接撮影した最近の顔ですが、

注目は後者の写真に注目していただければわかりますが、彼の左肩に人の手が・・・彼の後ろに人がいるか確認したが誰もいない・・・もしかして。。。

詳細はウィキベティアの彼の写真をごらんあれ!!

災害安否情報は171へ

2011-03-12 19:14:48 | Weblog
3月11日に起きた東日本大地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

一日でも余震が収まり一日でも早く復興を祈るばかりです。

九州からですが私のブログを読んでいただいてるみなさんはみなさんが持っている娯楽をわずかでも捧げ、日本全国、世界へ広くつながりがあることを観覧数、アクセス数から感じるばかりであります。


どんなに季節が過ぎても・・・

2011-03-11 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」

本日は織田哲郎さんのおたんじょうびということであっぷしました。

1990年代のヒット曲の仕掛け人であり、長戸大幸とともにビーイングの創立に関与する。1990年代に同じくヒット曲を量産した小室哲哉と並ぶ作曲家として知られてますが、

この曲は、織田さんが1990年作曲編曲プロデュースに関わったB.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」での社会的現象になるほどの大ヒットで一躍実力を魅せた音Pとして話題になりましたが、1992年自身が作詞作曲編曲と12弦ギター、シンセサイダーを担当、ポカリスエットCMソングで起用されたこの曲が話題となり、シングル発売後のオリコンチャートで初登場15位、徐々にチャートを上げて、ついに1位を獲得し、大ヒットしたナンバー。

一般にはラブソングとして定着しているが、実は、

中学時代の兄は通信簿がオール5の優等生で、織田にとっては身近にいる憧れの存在だったという。ところが受験戦争の精神的重圧から引きこもりになってしまい病院に通院していたとのことで引きこもりになり29歳で心臓発作のため他界、天国の兄にささげるナンバーである。

2007年に河村隆一がカバーアルバム『evergreen anniversary edition』、2010年にコブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーした。

エピソードとして、2007年5月に出演したフジテレビ「Dのゲキジョー」にゲスト出演した際に様々なエピソードを明かしている。

番組放送時点で筒美京平、小室哲哉に次ぎ日本の作曲家別シングル売上第3位を誇る。

多くのミュージシャンに楽曲を提供しているものの、提供したミュージシャンに会うことは殆ど無く(自他のサウンドプロデュース、レコーディング参加を除く)、曲を渡した後はおまかせだった。それゆえ、渡した曲を聞くのも一般人と同じタイミングで知る。

ヒットした曲はあまり苦労して作ったものではない。かつてのインタビューで、「楽曲提供は楽しい。ゲーム感覚でやれる」と言ったことがあった。また楽曲を提供する時は特に何も思わないが、ヒットした曲を聞いた後に「もったいなかった」と感じることはあると正直に告白した。

中学3年でイギリスから帰国後、帰国子女という事で、孤立し自殺まで考えたが、エルトン・ジョンの『Your Song』を聞いて心を救われた。

長戸大幸には「たいへん世話になった」と袂を分った今も感謝の気持ちを持っている。デビュー当時全く売れずに悩んでいた織田に「好きにやっていいから」と励ましてくれたことで挫けずに頑張れた、と語った。

2000年、スペイン滞在中に強盗に襲われ、その際に首を絞められ声帯を痛めてしまう。その結果声帯の骨が歪んでしまい、満足な声を出せなくなった。それ以後リハビリを続けて回復しつつあるが、それでも全盛期の40%程でしかない。普段は作曲家としての活動が多い織田であったが、この事件以後、改めて歌うことへの情熱を思い出したという。

番組内で司会のみのもんたから「番組のために1曲作って欲しい」と要求され、「難しい事に立ち向かうのは嫌いじゃない」と快諾とのこと。

最近の近況として、

本人WEBサイトの日記

3/7

今日は昼から某番組の収録。
正直目が覚める前にすべて終わってしまいましたわ。
うーむ。

それにしてもYOUTUBE。
子供の頃に好きだったアーティストの当時の映像を観られるのは
ひっじょ~に有り難くも面白い。
なんせ昔は相当に珍しい洋楽番組かフィルムコンサートなんてものに
出かける位しか映像を観る機会はなかったもんでな。

だが自分の昔の映像ってのはなかなか冷や汗が出るっての。
いやあお恥ずかしい。

正直『GROWING UP』をまとめるまであまり自分の歴史に
きちんと向き合った事がなかった。
つーか思い出すと恥ずかしい事しんどい事ばかり過ぎて避けて通ったと言いますか。
でもあれはすごく大事な作業だった気がする。
もともと様々な“許せない”という事自体が本質的には当時の
しんどさやら恥ずかしさの元凶だったとも言えるわけで。
ちなみに“許せない”という思いは結局全部自分に対してですぜ。
一見外向きの“許せない”部分も鏡の中の自分の首絞めてるだけだからな。

最近は昔の自分の映像も許せるよ。
冷や汗はでるけど。

そんなある意味根っからの鬱気質の俺だが現実に対しては
底抜けの楽天家でもあるのだよ。
言い方を変えれば現象にさほど興味がないとも言える。
そこで起きている現象は常に象徴でしかないわけで。
実相と仮相は実相が仮のものであると実感すれば仮相こそが“実”である
というややこしい話になるのは云々ああもうやめやめ。

グダグダ書いてたけどここから先は消しちまった。
10年位前にはこのダイアリーでグダグダ書いたりしてたっけなあ。
単に自分の思考を整理するための順路を残してただけっつうか
エンターテイメント性意識的に無視っつうか。
たまにはこんなんも良かろうて。

まあ昔の映像を観てあの頃は良かったとかカケラも思わず
恥ずかしくてたまらんのは基本的にハッピーな人生と言えるんだろうな。

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マリコ様の部屋でいつまでも…

2011-03-11 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

AKB48「桜の栞」

2010年AKB48がキングレコード移籍後初となる、15枚目のシングルで、オリコンチャート1位と彼女たちが大活躍する先陣のナンバーとなった。

キャッチコピーは「いつまでも…」

表題曲「桜の栞」はテレビ東京系ドラマ『マジすか学園』の主題歌。

アイドルの楽曲としては異例の合唱曲の体裁をなしている。

作曲は上杉洋史が手掛け、「Baby! Baby! Baby!」以来、1年8か月ぶりにAKB48のシングル曲を手掛けることになる。またテレビ放送での初披露は2010年1月7日、日本テレビ『AKBINGO!』エンディングのスタジオライブにて。同日フジテレビ系『とくダネ!』の生出演時にも披露。その際同局アナウンサーの中野美奈子に「テレビ初披露」と紹介されたが上記の通り関東地方ではすでに放送されており、「テレビ初披露」という表現は誤りである(「全国放送では初披露」が正解)。またPVは「大声ダイヤモンド」以来の全員参加であり、冒頭部分にAKB48劇場スタッフやマネージャーが映り込んでいる。終盤には前作の「RIVER」をフロントメンバーが踊る模様が収録されている。衣装である袴は全員違うものを着用しており、メンバーの板野友美は黒髪のかつらを使用している。監督は岩井俊二。

ちなみに本日はメンバー最年長で最も背が高い篠田麻里子氏のお誕生日ということでアップしましたが、

AKB48のこの曲以降の出来事を概要で、

2010年2月21日 - 7月27日、組閣(チームシャッフル)の実施(後述)。

5月26日、16thシングル「ポニーテールとシュシュ」を発売し、女性グループとして9年5か月ぶりとなる初動50万枚超えを達成。

5月 - 6月、『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』(第2回選抜総選挙)を実施し、大島優子が初のセンターを獲得。

8月18日、17thシングル「ヘビーローテーション」を発売し、女性グループとして初となる2作連続での初動50万枚超えを達成したほか、2010年8月25日発表のレコチョク週間ランキングで、着う
た・着うたフル・ビデオクリップ・着信ムービー・着信メロディの各ウィークリーランキングで5冠を獲得。

9月21日、日本武道館で『AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会』が開催され、内田眞由美が初のセンターを獲得。

10月15日、『AKB48のオールナイトニッポン』に出演した秋元才加が、一連の騒動の責任を取りチームKキャプテンを辞任することを表明、以後チームKはキャプテン不在となる。

10月27日、18thシングル「Beginner」を発売し、グループ初のミリオンセラーを達成。ならびに日本における女性アイドルグループ5作連続1位、シングル年間1位、および21世紀最大の初動売上を記録。

11月18日、『ギネス・ワールド・レコーズ』により「世界一人数の多いポップグループ("Largest Pop Group")」(正規メンバー48名)として認定される[1]。

12月31日、『第61回NHK紅白歌合戦』に2年連続3回目の出場。研究生、SKE48、またまだ公演を行っていないNMB48メンバーも含めた、1グループ名義としては史上最多の130人で出演。

2011年1月10日付のオリコン週間シングルランキングにおいて、女性グループ初となる4曲同時トップ10入りを果たす。さらに4曲同時トップ10入りは計3週間続き、オリコン史上初の記録達成。

2月22日、同月16日に発売されたシングル「桜の木になろう」の初週売上枚数が94.2万枚に達し、発売1週目売上で歴代6位、女性アーティストの楽曲としては宇多田ヒカル「Addicted To You」に次ぐ歴代2位となると同時に、同曲以来11年3か月ぶりの初週売上90万枚超を記録。

同時に女性グループとしてピンク・レディー以来となるシングル7作連続首位を達成。

2月28日、東京マラソン2011でフルマラソンを完走したミック・ジャガーと同じ潜在能力の秋元才加、秋元康プロデューサーからのメールによりチームKキャプテン復帰を告げられる。

3月4日、「桜の木になろう」の同日付累計出荷枚数が115万枚となり、18枚目のシングル「Beginner」以来2作品目のミリオンセラーとなる。


そんなヒクソン・グレイシーと同じ潜在能力の彼女でありますが、

特技は、「エアーオカリナ」。元々は『AKBINGO!』で披露したのがきっかけで、以降定番化した。

デビュー以来ショートヘアであったが、2008年から2009年にかけてはミディアムヘアになっていた。2009年2月25日に再びショートに戻している。「ポニーテールとシュシュ」では、エクステを装着している。

好きな食べ物はカレーライスで、給食のカレーのような懐かしい味が好きらしい。カレーハウス CoCo壱番屋の豚しゃぶカレーが特にお気に入りである。

自身のブログなどで度々そのことが
取り上げられていたり、各メディアの取材等においても、ことある毎にカレー好きを強調している。そのほか手羽先、たこ焼きも好物。

iPhone 4を愛用している。

T-BOLAN、BIGBANGのファン。

愛し合う喜びに涙こぼれる

2011-03-11 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

UA「甘い運命」

本日はUAさんのお誕生日ということであっぷしました。

この曲は1997年化粧品のCMソングとして起用され、オリコンチャート10位を獲得したナンバー。

作詞UA、作曲朝本浩文が担当。

大阪府吹田市生まれ。大阪府立北千里高等学校を経て、嵯峨美術短期大学卒業。短大卒業後の1995年、シングル「HORIZON」でデビューする。2000年、BLANKEY JET CITYの浅井健一と、バンドAJICO(アジコ)を結成。

1995年、藤原ヒロシ、朝本浩文のプロデュースのもと、ソロシンガーとしてデビュー。ハスキーボイスで、R&B、ロック、ジャズ、ダブ、民謡等、ジャンルにとらわれない音楽を歌う。

また、コラボレーションも多く、UAと浅井健一が中心となりロックバンドAJICOを結成したり、またサックスプレイヤー菊地成孔と組んでジャズアルバムをリリースしたりしている。

また、女優として主演した映画、『水の女』が、2002年(平成14年)10月に公開された。さらに、2003年(平成15年)から2006年(平成18年)まで、NHK教育テレビ『ドレミノテレビ』にレギュラー出演し好評を博す。

そんな川平慈英さんと同じ潜在能力の彼女ですが、

名前の「UA」には、スワヒリ語で「花」という意味がある。 母方の故郷は奄美大島。

学生時代、お笑いコンビのダウンタウン ・松本人志の追っかけをしていたことを、初共演の際に明かした。

しかし追っかけをしていたのは、彼らが地元関西で本格的に知名度を得る以前までであり、帯番組などを担当し始めると「嫌になり、やめた」と語った。しかし、これが縁となり、後述のように松本の初監督映画に出演した。

1996年に、俳優の村上淳と結婚して、男児を1人をもうけるが、2006年に離婚。 2008年に、元モデルでマルチクリエイターの長谷川大樹と再婚し、女児を一人をもうける。

2010年9月25日、相模原市にある木造2階建て自宅兼レコーディングスタジオ延べ約300平方メートルを全焼するが、当時屋内にいた全員が無事だった。



何だかんだ関係ない

2011-03-10 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

藤井隆「ナンダカンダ」

本日は藤井隆さんのお誕生日ということであっぷしました。


芸歴19年で今やお馴染みのタレントとしてご存じでしょう。

そんな柴咲コウと同じ潜在能力の彼ですが、

ハイテンションで明るく、ややオカマっぽい口調のキャラクターを常に演じている芸風であるが、実際の性格は全く正反対で、非常におとなしく礼儀正しい。

テレビ出演初期は、その素の部分との落差を先輩に指摘されるというのもネタのひとつとしてあり、ブレイクのきっかけにもなった。ブレイクとともに芸風をスライドさせていったため、現在ハイテンションになることはめったにない。

趣味は音楽鑑賞・プラモデル作り・移動などの待ち時間の読書。特に氷点シリーズを愛してやまない。好きな写真集にちんかめシリーズがある。

Perfumeの大ファンであり、妻の乙葉が妊娠している最中、胎教として同グループの歌を聞かせていた程である。2008年4月13日放送分の「MUSIC LOVERS」で初共演を果たした。

持ちギャグは「フォー!!」など。2001年ごろまではテレビでの登場の際、ほぼすべての出演番組で「HOT!HOT!」といいながら出演することが多かった。

2007年7月21日放送のIQサプリで今田耕司と共に持ちギャグ「ウェウェウェ…フォー!!」を披露するが、スタッフが無知だったためにテロップに「レイザーラモンHG?」と表示された。

同局では過去にも他のバラエティ番組で「HOT!HOT!ダンス」を真似する関西の小学生のビデオを紹介した際にも藤井の持ちギャグではなく当該小学生のオリジナルであるかのような内容で放送したことがある。


かなりの人見知りで、プライベートではスイッチが切れたように大人しくなる。結婚するまでは、仲のいい友人はココリコの田中直樹、ロンブーの田村亮、YOU程度に限られていた。吉本新喜劇で共演していた未知やすえも乙葉との結婚発表時、普段の藤井は居るか居ないのか分からない程大人しく、聞き取れないほどの小声で喋っていたと語っている。


非常に几帳面な性格で、きれい好きで有名な今田耕司からも「家政婦みたいや」と絶賛されるほどである。

また、礼儀正しく、腰が低い性格で、取材でも記者との待ち合わせ時間に遅刻することがなく、相手の記者がたとえ5分でも早く来ていたときは「お待たせして申し訳ありませんでした」という。吉本新喜劇の共演者からも「藤井くんはみんなに好かれているから、いいフリがたくさん来るんや」と評されていた。


この曲は2000年にリリースした藤井さんの歌手デビューシングルで、作詞はGAKU-MC、作曲は浅倉大介が担当し、第51回紅白歌合戦に出場した。


衣装をきた藤井のフィギュアが海洋堂(原型製作・寒河江弘)で作られることになったが、「サイズ通りのバランスで作ると頭が大きくて倒れてしまうのでサイズを修正してよいか」と言われてショックを受け、藤井はこのことについて番組で「隆はこれで生きているんです!」と絶叫した。

この曲の振り付けは2007年、サンミュージック所属のブーメランパンツを履いたへたこいたマッチョな小島によってパクられ「そんなの関係ねぇ」で片付けれるのだった…