わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

愛する人よ 静かな宵に 光を灯し

2011-03-26 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

QUEEN「Teo Torriatte」

この曲は1976年暮れにリリースし、翌年にオリコンチャート1位を獲得したアルバム「華麗なるレース」に収録されたナンバーで、本国イギリスよりいち早く応援した日本のファンのために書き下ろした感謝の歌である。

レコードデビュー間での経緯は、

メイとテイラーの在籍していたバンド「スマイル」がクイーンの母体となった。スマイルは、1969年9月にシングル「Earth」(B面は「Step On Me」)をリリース。

これはまったく成功せず、ヴォーカル兼ベースのティム・スタッフェルが脱退。その後任として、マーキュリーが加入。

1970年7月12日のライヴよりクイーンと名乗り始め、何人かのベーシストが加入と脱退を繰り返し、最終的にオーディションで加入したのが、ジョン・ディーコンであった。1971年2月のことである。クイーンの英公式サイトでは、4人が揃った1971年を正式なバンド結成の年としている。


日本との関係として、

1970年代半ば、日本で最も大きな影響力をもっていたロック雑誌「ミュージック・ライフ」が最大限のプッシュをしたこともあり、そのころ人気のあった池田理代子「ベルサイユのばら」と合い重なって若い女性の間で人気が爆発し、アイドル的人気を博した。

初来日した1975年4月の時点で、クイーンは「キラー・クイーン」や『シアー・ハート・アタック』の大ヒットなどもあり、必ずしも本国に先駆けて日本で最初に人気が出たというわけではなかった。ただ相変わらず本国の音楽評論家からは酷評されていた上に、当時のマネージメント会社とのトラブルやメインアクトとして臨んだ初の全米・カナダツアーがフレディの喉が悪化して途中でキャンセルされるなど、バンドにとっては非常に厳しい状態が続いていた。

そんな中での遠い異国・日本での人気は衝撃だったと後にメンバーも語っている。初来日の際は空港にファン1200人が集結しパンク状態になった。

そしてメンバーは会見を行い芸子らから日本のお茶をいただいたり、ファンからもらったけん玉で遊んだりするなどして日本文化を満喫し、武道館公演では着物を着て演奏し見事成功を収めた。初来日の際、テイラーとメイは2人だけで東京タワーへ観光に行ったところ多くの子供に「クイーン!クイーン!」と言われながら囲まれ、その後結局ホテルで缶詰状態だったという。

日本の歓迎以来、メンバーは親日家となり、5枚目のアルバム『華麗なるレース』には、歌詞の一部を日本語で歌った「手をとりあって」も収録されているほどである。メンバーはツアー以外にも何度かお忍びで来日しており、とくに日本文化に関心があったフレディは伊万里焼きを集めたり、自宅の庭に日本庭園を造らせたりしていた。ブライアンは来日した際、日本の畳が気に入ったが、大きすぎて持ち帰れないことに非常に残念がっていたという。また、新宿にはフレディの行きつけのゲイバーがあり、度々通っていたと思われる)。

2004年には木村拓哉主演のテレビドラマ『プライド』の主題歌にクイーンの楽曲「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」使用され、日本独自のベストアルバム『ジュエルズ』がオリコンチャート1位を獲得するなど、「第2次クイーンブーム」が起こった。

これにより今までクイーンを知らなかった若年層のファンも増え、日本でのクイーン人気はさらに上昇した。これについてメイは「クイーンのベストアルバムが日本で売れていることを聞いてとても驚いているよ。クイーンが日本にとって海外アーティストの中では大きな存在だということは知っていたけれど、日本の音楽史の中ではクイーンは小さい存在だと思っていたんだ。けれども今回のヒットで日本の大物アーティストと肩を並べられてとてもうれしいよ。」と語っている。

またボーカルのフレディが野中英次「魁!クロマティ高校」に登場したり、TVCMで「カップヌードルじゃヤダもん」と駄々をこねている模様。



また日本に対し感謝の気持ちが強い彼ら、3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震について、日本のファンのことを心配し、


3月15日ブライアン・メイ、3月23日ロジャー・テイラーがメッセージを掲載しました。(ユニバーサルミュージックQUEENオフィシャルページより)



疲れ果てた長い眠りから目覚めて、テレビをつけてみると、日本の津波のひどい惨状が目に入りました。
すぐに目に涙が溢れてきました。
ショックで、悲しく、そして非力さを感じました。この凄まじい悲劇によって、生活、家や家族が引きちぎられてしまった、
すべての友人に愛とお悔やみのメッセージを届けたいと思います。

宮城、仙台、クイーンで1976年にツアーしたときのことは、私たちにとって、とても素晴らしい思い出です。
若い日本の人たちは、私たちをまっすぐ心に受け止めてくれました。

私たちと日本のつながりは、とても強いものです。

我々を大きく動揺させた、非情な自然の災害に遭われた友人たちに、大きな哀悼の意を表します。

私と私の家族はあなた方に祈りと愛を送ります。
あなた方がすぐに生活を建て直し、この災害をいつかは遠い過去の物にできるように願っています。




愛をこめて

ブライアン



私たちクイーンには、たくさんの素晴らしい日本の思い出があり、
長年にわたる多くの大切な友人たちがいます。

だからこそ、今回みなさんが体験した、悲惨で恐ろしい災害を、胸を刺すような、非常に痛ましい思いで見ています。

私たちの思いは、常に日本のみなさんと共にあります。

このような出来事が、人々の日常を襲ったという事実は想像を絶します。
多くのダメージや、失くしたものを忘れることはできなくとも、このひどい時期が、ほどなくして終わることを願っています。
この思いは言葉では到底伝えられません。



私たちの思いを、皆さんへ




ロジャー・テイラー


みなさん「手を取り合っていこう!!」

復興の天使

2011-03-26 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

Aerosmith「Angel」

本日はボーカルのスティーブン・タイラーのお誕生日ということでアップしました。

この曲は1987年エアロスミスの第二期黄金期のきっかけとなったオリジナルアルバム「パーマメントヴァケーション」に収録されたバラードチューンで、2005年木村拓哉主演TVドラマ「エンジン」の挿入歌として使用され、それが縁で2010年キムタク主演映画「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」の主題歌「LOVE LIVES」をボーカルのスティーブンがソロで歌うこととなる。

このアルバムは、ボン・ジョヴィ等を手掛けたブルース・フェアバーンがプロデュースを担当。また、エアロスミスは本作で初めて、外部ソングライターを積極的に起用した。

「デュード」「エンジェル」等に関わったデスモンド・チャイルドは、ボン・ジョヴィとの共作経験もあり、「マジック・タッチ」「ハングマン・ジューリー」等に関わったジム・ヴァランスは、ブライアン・アダムスとの活動で有名。


そんな林さやかと同じ潜在能力のタイラーの人物像として、

ボストン・レッドソックスのファン。頻繁に観戦に訪れ、2004年のワールドシリーズ第1戦で国歌を独唱。2010年の開幕戦では7回表終了後に登場し、「God Bless America」を独唱した。レッドソックスのTシャツを着て歌うこともあり、カート・シリングなど選手との親交もある。

ジョー・ペリーとのコンビは'トキシック・ツインズ'(The Toxic Twins)と呼ばれる。

少年時代は、ドラムを演奏していて、ドラマーを志望していた。主に、ザ・ベンチャーズ等を演奏していたようで、現在も、ベンチャーズからの影響を公言しているほどの熱烈なファンである。ベンチャーズのメンバーを東京ドームでのライブに招待したり、楽屋への表敬訪問を度々行っている。

映画『アルマゲドン』で有名なハリウッド女優、リヴ・タイラーの実父である。リヴ本人は、物心付く前に両親が離婚していた為に、スティーヴンの顔を覚えておらず、成長してエアロスミスのファンとなった頃に、スティーヴンが自分の実父である事を知り、非常に驚いたという。

日本通で知られ、たい焼きとポンジュースを愛好する。


パフォーマンスとして、

身であるためか、元々のイギリスのハードロックにはないブルースや、R&Bの独特の解釈があり、1stの『野獣生誕』(Aerosmith)では喉に力を込めた黒っぽさを感じさせる歌い方のせいか、容姿的に似ており、同じR&Bから強い影響を受けたとされるローリング・ストーンズのミック・ジャガーと比較される事が多かった。

しかし、2ndの『飛べ!エアロスミス』(Get Your Wings)、3rdアルバムの『Toys in the Attic』、4thアルバムの『Rocks』と続くにつれて次々と独自のスタイルを確立しロバート・プラントから影響を受けたとされる高音の鋭いシャウトや、独特なスキャットなどを用いるようになった。

高音に達するとのどを嗄らすかのように振るわせ、叫び声のような歌い方も特徴である。 若い頃よりも声の出が良くなっており、特にBack in the Saddle等でのシャウトは40代、50代になってからの方が迫力がある。

母国のアメリカでは、セックスシンボルおよび、ロックアイコンとして今尚多くのボーカリストから尊敬を集めており、モトリー・クルーのヴィンス・ニール、ガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズ、など後のロックボーカルにも強く影響を与えた。ガラガラ声でシャウトするようなイメージもあるが「Angel」等のバラードでは綺麗なハスキーボイスで歌いこなす。

その独特の歌唱法から「悪魔の雄叫び」(The Demon of Screamin)のニックネームが使われるときがある。

派手派手しいステージ衣装とマイクに巻きつけたスカーフがトレードマーク。初期にはジャックダニエルの酒瓶も持って登場していたが、バンドイメージの変遷に伴って現在では取りやめている。


3月12日エアロスミス日本版公式ファンサイトより、東北太平洋沖地震にあわれた日本のファンへのメッセージ。

エアロスミス一同、被害にあった皆様に心からお見舞い申し上げます。

今非常に困難でつらいときを過ごしている皆様を我々全員が応援してます。頑張って下さい。

愛をこめて。

ジョー、スティーブン、トム、ブラッド&ジョーイより。