わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

憂いの風吹く心の中で謝々

2011-03-22 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

サザンオールスターズ「君だけに夢をもう一度」

この曲は1992年30枚目のシングル「シュラバ★ラ★バンバ」のカップリング曲として、11枚目アルバム「世に万葉の花が咲くなり」に収録された、歌詞がひと夏の恋をテーマにした切ない内容のナンバーである。

1991年内には完成しており、同年末の年越しライブでは未発表の新曲として初めて演奏された。

元々はシングルA面曲として1992年3月にリリース予定になっており、各メディアに告知がされていたが、「A面曲として売り出すにはインパクトに欠ける」という理由でA面曲としての発売は取り止めとなり、本作のc/wとして改めて収録された。

発売当初は未タイアップであったものの、CD発売直後の1992年8月にフルモデルチェンジされて発売された新型トヨタ・カリーナ「“丘の上のカリーナ”編」のCMソングに起用され、CMにはサザンと同じアミューズ所属の富田靖子が出演していた。

このころのサザンは後にMr.Childrenなどにプロデュースを手がける小林武史さんが編曲とプロデュースに関わっていたころで、

きっかけは、キーボードの原由子が産休からカムバックし、本格的バンド活動を再開し、1988年6月25日、デビュー10周年の記念となる日に24thシングル「みんなのうた」をアレンジ、プロデュース業を共に行うことからで、前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。

「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。

この時期から楽曲製作に関して「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマー・マニピュレーター+レコーディングエンジニア」という図式が見られるようになり、桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。

小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた。

1991年にはベースの関口和之が病気療養で休養に入るが、1992年7月21日に30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31thシングル「涙のキッス」を2枚同時発売し、サザン、そしてオリコン初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。

「涙のキッス」はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザンでは最高記録となる7週連続オリコン首位を獲得するなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した。

11thアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。

このはっきりした理由はファンに明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており、蜜月の終わりを示唆している。

この「危ないヤツ」という表現は人間性を否定しているものではなくアレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したものである。

その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林と桜井和寿(Mr.Children)が中心となって活動するap bank fesへの出演など作品面以外での交友が続いている。


近況として、オフィシャルページ「SAS応援団」より。

3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震にて、

メンバー、スタッフ一同、

皆様のご無事と地震の沈静化ならびに一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

所属事務所アミューズでも義援金を開設してます。

「http://www.amuse.co.jp/amuse_bokin/」

桑田さんのラジオ番組「やさしい夜遊び」(毎週土曜夜11時JFN系)のネタ掲示板より。

3/26放送分のお題急遽変更

「サザン・桑田佳祐を聴いてもっと元気になろう!!」


みなさまのメッセージ・リクエストお待ちしてます。


1992年中国北京で行ったライブ「南天群星北京で逢いましょう」より。

サンバですばい

2011-03-22 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

矢沢永吉「SOMEBODY'S NIGHT」

この曲は、1989年25枚目のシングルとしてリリースし、矢沢出演のカセットテープCMソングとして起用され、戦場カメラマン渡部陽一さんが好きな曲としてあげているナンバー。

作詞は矢沢永吉をはじめ、中森明菜、チェッカーズ、堀ちえみ、荻野目洋子、河合奈保子、ラッツ&スター、稲垣潤一、影山ヒロノブなどなどアイドルからロック、特撮、アニソンまで手がけている売野雅勇が担当。


何でも百科事典ウィキベティアでの「矢沢永吉」の概要は、

愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)が表示されている。

ファンが熱狂的であることで知られている。

ほぼ全曲にわたる作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」等他のアーティストに楽曲を提供する際には「五大洋光」名義を使用することもある。

俳優として映画やドラマの主役を務めたこともあり、CM出演も多数にのぼるが、デビュー以後、特にテレビ媒体に露出することは少ない、『ザ・ベストテン』などの歌番組にノミネートされても、ほとんど出演しなかった時期が長かった。

プロデューサーとして自身の多くのアルバムを手がけ、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る。

2010年現在、楽曲数約300曲・ライブ総数約1500本・総動員数約550万人を超える。

オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録

オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初となる。

日本武道館最多公演記録は112回と更新中・・・


矢沢の最新情報として、オフィシャルページ「YAZAWA'S DOOR」より。

4/13にDVD「THE LIVE HOUSE ROOTS in Zepp Tokyo」「New Standard~Blue Note Style~」をリリースするが、

その売上金は3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の被災地へ義援金として寄付するとのこと。


矢沢コメント。

「この2枚の作品は本当に最高のものを作ったと自負しております。

が、しかしそれよりもこのたびの大震災にとにかく役に立つのであったらと思います。

皆さんにお願いがあります。

この2枚の作品を買ってください。

どうぞよろしくお願いします。」

この作品が「作品」というものを超えて今回の被災地の力となりますことを、そして、一日でも早い復興、一人でも多くのご無事を祈ってます。

このたび、被害に遭われた多くの方々に、心からお見舞い申し上げます。


彼の自信あるロック魂を被害に遭われた方々に前向きに光をともす力の現れを感じるコメントで、狭いライブハウスからデカイ東京ドームまでどれを当てはめても「矢沢永吉」はぴったり合うんですよね。それなりのスタイルで挑んでも矢沢は矢沢、最高に盛り上がりますし、矢沢の顔を見ると元気が出ます!


でアップしたのは

2009年7月に行った「ap bank fes」シークレットゲストとしてつま恋に登場!

矢沢が出るきっかけは、スポーツクラブのプールで、偶然出会った音楽プロデューサーの小林武史氏から、いきなりオファーを受けた。

ステージに立ったときに矢沢は「出たかったよ~」と一言、

「止まらないHA~HA」、「アリよさらば」、「SOMEBODY'NIGHT」、「いつの日か」を熱唱。

他の出演者(いきものがかり、キマグレン、倖田來未、JUJU、秦 基博、一青 窈)は矢沢から学ばされたことがあったはず・・・

Bank Band:小林武史(キーボード)、櫻井和寿(ボーカル、ギター、コーラス)、小倉博和(ギター)、亀田誠治(ベース)、河村"カースケ"智康(ドラムス)、山本拓夫(サックス、フルート)、西村浩二(トランペット)、藤井珠緒(パーカッション)、四家卯大(チェロ)、沖 祥子(ヴァイオリン)、田島朗子(ヴァイオリン)、菊地幹代(ヴィオラ)、登坂亮太(コーラス)、イシイモモコ(コーラス)

の豪華な面々が、矢沢のために全力を尽くし汗水たらし演奏している姿が印象的です。