わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

相武キス、だいぶキス

2011-03-05 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

ANDY GIBB「SHADOW DANCING」

本日はアンディ・ギブのお誕生日ということであっぷしました。

ギブ3兄弟からなる「ビージーズ」の弟として、1977年アルバム「Flowing Rivers」で兄たちのビージーズプロデュースでデビュー、このアルバムから「恋のときめき」、「愛の面影」が全米1位と幸先にいいスタートをし、この曲は同じくビージーズプロデュースで2枚目のアルバム「Shadow Dancing」からのタイトルチューンで、7週間全米1位を獲得、1978年度ビルボード年間チャートでは1位、兄たちが手がけたアルバム「サタデーナイトフィーバー」が世界的大ヒットし、総売り上げがギネス認定(マイケル・ジャクソン「スリラー」まで)されるほど超大ヒットで、その中から「恋のナイトフィーバー」、「Stain'Alive」、「愛はきらめきの中に」が1位と年間のTOP10入りとなり、彼自身の「愛の面影」も入り1978年はビージーズファミリーがTOP10の半分を制覇し、このころのディスコブームとともに、彼らも立役者でミラーボールに指をさす(byジョン・トラボルタ)きらびやかな年となった。

この曲が最後の全米1位で、その後はこの曲と一緒に収録されているアルバムからの「永遠の愛」が全米5位、3枚目のアルバムからの「Desire」が全米4位、本業の音楽活動以外でも俳優業まで進出、そのころ付き合っていた女優さんがいたが、1981年夏に、エヴァリー・ブラザースのカバー「All I Have To Do Is Dream」をプリンシパルと共演する頃、彼女との恋愛も終わってしまった。この曲がアンディ最後の公式シングルであり、アメリカのチャートに記録された最後の曲だった。それは最高位は51位だった。

その後はドラッグ中毒で入院し、ようやく病気を克服し、現場復帰し、彼も「ビージーズ」メンバーに入るのではとささやかれた時、1988年3月10日にウイルス感染による心筋炎で30歳の誕生日を迎えたばかりに他界した。

その後は兄3兄弟のビージーズが残り、活動をしていたが、2002年に3番目のモーリスが他界、これがきっかけでビージーズ休止したが、2009年リーダーバリーとロビンで活動を再開した。

ところで余談ですがアンディと同じ潜在能力の彼女とのキスはどんな味ですか?