わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

どんなに季節が過ぎても・・・

2011-03-11 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」

本日は織田哲郎さんのおたんじょうびということであっぷしました。

1990年代のヒット曲の仕掛け人であり、長戸大幸とともにビーイングの創立に関与する。1990年代に同じくヒット曲を量産した小室哲哉と並ぶ作曲家として知られてますが、

この曲は、織田さんが1990年作曲編曲プロデュースに関わったB.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」での社会的現象になるほどの大ヒットで一躍実力を魅せた音Pとして話題になりましたが、1992年自身が作詞作曲編曲と12弦ギター、シンセサイダーを担当、ポカリスエットCMソングで起用されたこの曲が話題となり、シングル発売後のオリコンチャートで初登場15位、徐々にチャートを上げて、ついに1位を獲得し、大ヒットしたナンバー。

一般にはラブソングとして定着しているが、実は、

中学時代の兄は通信簿がオール5の優等生で、織田にとっては身近にいる憧れの存在だったという。ところが受験戦争の精神的重圧から引きこもりになってしまい病院に通院していたとのことで引きこもりになり29歳で心臓発作のため他界、天国の兄にささげるナンバーである。

2007年に河村隆一がカバーアルバム『evergreen anniversary edition』、2010年にコブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーした。

エピソードとして、2007年5月に出演したフジテレビ「Dのゲキジョー」にゲスト出演した際に様々なエピソードを明かしている。

番組放送時点で筒美京平、小室哲哉に次ぎ日本の作曲家別シングル売上第3位を誇る。

多くのミュージシャンに楽曲を提供しているものの、提供したミュージシャンに会うことは殆ど無く(自他のサウンドプロデュース、レコーディング参加を除く)、曲を渡した後はおまかせだった。それゆえ、渡した曲を聞くのも一般人と同じタイミングで知る。

ヒットした曲はあまり苦労して作ったものではない。かつてのインタビューで、「楽曲提供は楽しい。ゲーム感覚でやれる」と言ったことがあった。また楽曲を提供する時は特に何も思わないが、ヒットした曲を聞いた後に「もったいなかった」と感じることはあると正直に告白した。

中学3年でイギリスから帰国後、帰国子女という事で、孤立し自殺まで考えたが、エルトン・ジョンの『Your Song』を聞いて心を救われた。

長戸大幸には「たいへん世話になった」と袂を分った今も感謝の気持ちを持っている。デビュー当時全く売れずに悩んでいた織田に「好きにやっていいから」と励ましてくれたことで挫けずに頑張れた、と語った。

2000年、スペイン滞在中に強盗に襲われ、その際に首を絞められ声帯を痛めてしまう。その結果声帯の骨が歪んでしまい、満足な声を出せなくなった。それ以後リハビリを続けて回復しつつあるが、それでも全盛期の40%程でしかない。普段は作曲家としての活動が多い織田であったが、この事件以後、改めて歌うことへの情熱を思い出したという。

番組内で司会のみのもんたから「番組のために1曲作って欲しい」と要求され、「難しい事に立ち向かうのは嫌いじゃない」と快諾とのこと。

最近の近況として、

本人WEBサイトの日記

3/7

今日は昼から某番組の収録。
正直目が覚める前にすべて終わってしまいましたわ。
うーむ。

それにしてもYOUTUBE。
子供の頃に好きだったアーティストの当時の映像を観られるのは
ひっじょ~に有り難くも面白い。
なんせ昔は相当に珍しい洋楽番組かフィルムコンサートなんてものに
出かける位しか映像を観る機会はなかったもんでな。

だが自分の昔の映像ってのはなかなか冷や汗が出るっての。
いやあお恥ずかしい。

正直『GROWING UP』をまとめるまであまり自分の歴史に
きちんと向き合った事がなかった。
つーか思い出すと恥ずかしい事しんどい事ばかり過ぎて避けて通ったと言いますか。
でもあれはすごく大事な作業だった気がする。
もともと様々な“許せない”という事自体が本質的には当時の
しんどさやら恥ずかしさの元凶だったとも言えるわけで。
ちなみに“許せない”という思いは結局全部自分に対してですぜ。
一見外向きの“許せない”部分も鏡の中の自分の首絞めてるだけだからな。

最近は昔の自分の映像も許せるよ。
冷や汗はでるけど。

そんなある意味根っからの鬱気質の俺だが現実に対しては
底抜けの楽天家でもあるのだよ。
言い方を変えれば現象にさほど興味がないとも言える。
そこで起きている現象は常に象徴でしかないわけで。
実相と仮相は実相が仮のものであると実感すれば仮相こそが“実”である
というややこしい話になるのは云々ああもうやめやめ。

グダグダ書いてたけどここから先は消しちまった。
10年位前にはこのダイアリーでグダグダ書いたりしてたっけなあ。
単に自分の思考を整理するための順路を残してただけっつうか
エンターテイメント性意識的に無視っつうか。
たまにはこんなんも良かろうて。

まあ昔の映像を観てあの頃は良かったとかカケラも思わず
恥ずかしくてたまらんのは基本的にハッピーな人生と言えるんだろうな。

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マリコ様の部屋でいつまでも…

2011-03-11 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

AKB48「桜の栞」

2010年AKB48がキングレコード移籍後初となる、15枚目のシングルで、オリコンチャート1位と彼女たちが大活躍する先陣のナンバーとなった。

キャッチコピーは「いつまでも…」

表題曲「桜の栞」はテレビ東京系ドラマ『マジすか学園』の主題歌。

アイドルの楽曲としては異例の合唱曲の体裁をなしている。

作曲は上杉洋史が手掛け、「Baby! Baby! Baby!」以来、1年8か月ぶりにAKB48のシングル曲を手掛けることになる。またテレビ放送での初披露は2010年1月7日、日本テレビ『AKBINGO!』エンディングのスタジオライブにて。同日フジテレビ系『とくダネ!』の生出演時にも披露。その際同局アナウンサーの中野美奈子に「テレビ初披露」と紹介されたが上記の通り関東地方ではすでに放送されており、「テレビ初披露」という表現は誤りである(「全国放送では初披露」が正解)。またPVは「大声ダイヤモンド」以来の全員参加であり、冒頭部分にAKB48劇場スタッフやマネージャーが映り込んでいる。終盤には前作の「RIVER」をフロントメンバーが踊る模様が収録されている。衣装である袴は全員違うものを着用しており、メンバーの板野友美は黒髪のかつらを使用している。監督は岩井俊二。

ちなみに本日はメンバー最年長で最も背が高い篠田麻里子氏のお誕生日ということでアップしましたが、

AKB48のこの曲以降の出来事を概要で、

2010年2月21日 - 7月27日、組閣(チームシャッフル)の実施(後述)。

5月26日、16thシングル「ポニーテールとシュシュ」を発売し、女性グループとして9年5か月ぶりとなる初動50万枚超えを達成。

5月 - 6月、『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』(第2回選抜総選挙)を実施し、大島優子が初のセンターを獲得。

8月18日、17thシングル「ヘビーローテーション」を発売し、女性グループとして初となる2作連続での初動50万枚超えを達成したほか、2010年8月25日発表のレコチョク週間ランキングで、着う
た・着うたフル・ビデオクリップ・着信ムービー・着信メロディの各ウィークリーランキングで5冠を獲得。

9月21日、日本武道館で『AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会』が開催され、内田眞由美が初のセンターを獲得。

10月15日、『AKB48のオールナイトニッポン』に出演した秋元才加が、一連の騒動の責任を取りチームKキャプテンを辞任することを表明、以後チームKはキャプテン不在となる。

10月27日、18thシングル「Beginner」を発売し、グループ初のミリオンセラーを達成。ならびに日本における女性アイドルグループ5作連続1位、シングル年間1位、および21世紀最大の初動売上を記録。

11月18日、『ギネス・ワールド・レコーズ』により「世界一人数の多いポップグループ("Largest Pop Group")」(正規メンバー48名)として認定される[1]。

12月31日、『第61回NHK紅白歌合戦』に2年連続3回目の出場。研究生、SKE48、またまだ公演を行っていないNMB48メンバーも含めた、1グループ名義としては史上最多の130人で出演。

2011年1月10日付のオリコン週間シングルランキングにおいて、女性グループ初となる4曲同時トップ10入りを果たす。さらに4曲同時トップ10入りは計3週間続き、オリコン史上初の記録達成。

2月22日、同月16日に発売されたシングル「桜の木になろう」の初週売上枚数が94.2万枚に達し、発売1週目売上で歴代6位、女性アーティストの楽曲としては宇多田ヒカル「Addicted To You」に次ぐ歴代2位となると同時に、同曲以来11年3か月ぶりの初週売上90万枚超を記録。

同時に女性グループとしてピンク・レディー以来となるシングル7作連続首位を達成。

2月28日、東京マラソン2011でフルマラソンを完走したミック・ジャガーと同じ潜在能力の秋元才加、秋元康プロデューサーからのメールによりチームKキャプテン復帰を告げられる。

3月4日、「桜の木になろう」の同日付累計出荷枚数が115万枚となり、18枚目のシングル「Beginner」以来2作品目のミリオンセラーとなる。


そんなヒクソン・グレイシーと同じ潜在能力の彼女でありますが、

特技は、「エアーオカリナ」。元々は『AKBINGO!』で披露したのがきっかけで、以降定番化した。

デビュー以来ショートヘアであったが、2008年から2009年にかけてはミディアムヘアになっていた。2009年2月25日に再びショートに戻している。「ポニーテールとシュシュ」では、エクステを装着している。

好きな食べ物はカレーライスで、給食のカレーのような懐かしい味が好きらしい。カレーハウス CoCo壱番屋の豚しゃぶカレーが特にお気に入りである。

自身のブログなどで度々そのことが
取り上げられていたり、各メディアの取材等においても、ことある毎にカレー好きを強調している。そのほか手羽先、たこ焼きも好物。

iPhone 4を愛用している。

T-BOLAN、BIGBANGのファン。

愛し合う喜びに涙こぼれる

2011-03-11 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

UA「甘い運命」

本日はUAさんのお誕生日ということであっぷしました。

この曲は1997年化粧品のCMソングとして起用され、オリコンチャート10位を獲得したナンバー。

作詞UA、作曲朝本浩文が担当。

大阪府吹田市生まれ。大阪府立北千里高等学校を経て、嵯峨美術短期大学卒業。短大卒業後の1995年、シングル「HORIZON」でデビューする。2000年、BLANKEY JET CITYの浅井健一と、バンドAJICO(アジコ)を結成。

1995年、藤原ヒロシ、朝本浩文のプロデュースのもと、ソロシンガーとしてデビュー。ハスキーボイスで、R&B、ロック、ジャズ、ダブ、民謡等、ジャンルにとらわれない音楽を歌う。

また、コラボレーションも多く、UAと浅井健一が中心となりロックバンドAJICOを結成したり、またサックスプレイヤー菊地成孔と組んでジャズアルバムをリリースしたりしている。

また、女優として主演した映画、『水の女』が、2002年(平成14年)10月に公開された。さらに、2003年(平成15年)から2006年(平成18年)まで、NHK教育テレビ『ドレミノテレビ』にレギュラー出演し好評を博す。

そんな川平慈英さんと同じ潜在能力の彼女ですが、

名前の「UA」には、スワヒリ語で「花」という意味がある。 母方の故郷は奄美大島。

学生時代、お笑いコンビのダウンタウン ・松本人志の追っかけをしていたことを、初共演の際に明かした。

しかし追っかけをしていたのは、彼らが地元関西で本格的に知名度を得る以前までであり、帯番組などを担当し始めると「嫌になり、やめた」と語った。しかし、これが縁となり、後述のように松本の初監督映画に出演した。

1996年に、俳優の村上淳と結婚して、男児を1人をもうけるが、2006年に離婚。 2008年に、元モデルでマルチクリエイターの長谷川大樹と再婚し、女児を一人をもうける。

2010年9月25日、相模原市にある木造2階建て自宅兼レコーディングスタジオ延べ約300平方メートルを全焼するが、当時屋内にいた全員が無事だった。