わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

2011年に向けて、よいお年を・・・2010年ラストソング。

2010-12-31 23:55:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

THE BEATLES「Rock and Roll Music」

今年のビートルズは、1973年にリリースしたベスト盤「赤」と「青」のデジタルリマスタリングしCDリリースしたり、1969年アルバム「アビイロード」のジャケットで4人が歩いている横断歩道の場所がイギリスの文化遺産に認定されたり、彼らのナンバーをモチーフにした村上春樹「ノルウェイの森」が上映となり、映画、CMに対し版権のうるさい彼らの音楽がリアルに主題歌として「ノルウェイの森」が起用となった1年だった。

来年はデビュー50周年にむけてのカウントダウン、どんなびっくりドンキーな出来事が起きるかな・・・

雑学。

バンドの由来は、ジョン・レノンとスチュアート・サトクリフ(初期メンバーで1962年に脳内出血で他界)が考えた名前で、造語である。自分達の敬愛するロックンローラーバディ・ホリーのバンド名「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」のクリケッツ(こおろぎ)にあやかって、同じ昆虫の名前ビートルズ(BEETLES、甲虫類の複数形)をマーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』の中から思いつき、クリケッツ(こおろぎの他にスポーツのクリケットの意味がある)のように2つの意味になるようにと、BEETLESに音楽のBEATを加える意味でスペルを変えてBEATLESとしたとのこと。

あと5分で2011年になる・・・

大切なものをもっと深く知っていたい

2010-12-30 23:52:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

BEGIN「島人ぬ宝」

オリコンスタイルにおいて、若年層から中年にかけてのモニターアンケートで2010年の顔として福山雅治が選ばれましたが、今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」で主人公坂本龍馬を演じ、好印象を与えたのと、歌手デビュー20周年という節目でベスト盤リリースと大活躍とのことであるが、

その福山雅治と同じ事務所(アミューズ)、歌手デビューした日が同じ(1990.3.21)、上京した年齢、3人の年齢が同じという、「福山に埋もれては困る、俺たちもデビュー20周年」のグループ「BEGIN」。

沖縄県石垣市出身の、幼馴染3人からなる日本のアコースティックバンド。

所属事務所はアミューズ。レコード会社はImperial Records。

沖縄では、嵐もAKB48もSMAPもPerfumeも福山雅治も目じゃない「沖縄の歌の神様」とも呼ばれている。

「イカ天」からデビューしたバンドが次々と解散する中、現在でもメンバーチェンジも無く活動を続けて着実にファンを増やし、安定した人気を保っている。「涙そうそう」、「島人ぬ宝」で紅白歌合戦にも出場。

NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』にも出演している。


メンバーを紹介すると

小沢真珠と同じ潜在能力の比嘉栄昇 : ボーカル、

篠田麻里子と同じ潜在能力の島袋優: ギター、

スザンヌと同じ潜在能力の上地等:ピアノ。

この曲は、BEGINの代表曲のうちの一つである。オリコンでは最高位47位ながら60週チャートインし、ロングヒットとなり、紅白歌合戦で歌ったナンバーである。


2010年みなさんはどういう一年でした?

小学生、大人が選んだ重大ニュースでどちらも多かったのは日本と中国の海上国境あたりの尖閣諸島で、中国漁船が日本の海上保安庁の船に突っ込んだ尖閣諸島漁船追突事件だったが、その事と境界線をめぐり中国と日本の関係がギクシャクしたりしてるようですが、経済情勢、地球環境のこと様々な問題点があります。世間ではちっぽけなことでもその人にとってはかけがえない大きいことだってあります。そんなこんなで東京海洋大学准教授宮澤正之さんが見つけた絶滅したと言われた魚介類「クニマス」を発見したことは地球環境にとって大きな出来事だったと感じます。

宮澤さんが見つけたクニマスのことを考えながらこの曲を聴いてみよう。

この町に新たな生命が・・・

2010-12-30 23:48:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

Eagles「New Kid In Town」

1976年にリリースしたバンド最高傑作、ロック史に残り、問題作であるアルバム
「ホテルカルフォルニア」に収録したナンバーで、バンド出発点であるカントリーロックの面影を残しソフトロック風な感じで、わしやま音楽祭では「ホテルカルフォルニア」、「駆け足の人生」に続き、3作目になります。

この曲のモデルは、ブラックミュージックに影響を受け、ロックに持ち込み、1980年代になると人気がうなぎ登りになるダリル・ホール&ジョン・オーツである。

2004年、ベスト盤を引き下げ来日公演、2006年、27年ぶりとなるオリジナルアルバムを発表、2011年、7年ぶりに来日公演。来年3月にドーム・ツアー開催!


来年結成40周年を迎えるイーグルスが、総勢100名を越すツアー・スタッフを伴い、バンド史上最大のドーム・ツアーを開催する。

イーグルスが来日公演を行うのは、実に7年ぶり。今回は、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットというメンバーで来日を果たす。名曲「ホテル・カリフォルニア」や「デスペラード」などが蘇る。

40周年のメモリアル・ツアーは、3月1日(火)京セラドーム大阪、3月3日(木)ナゴヤドーム、3月5日(土)・6日(日)東京ドームに開催。

メンバーの合計年齢251歳、2004年ライブで来日最後と言われたが、また彼らがやって来て新たな形でやってくれることに期待!


一番星みつけた

2010-12-30 23:44:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

菅原文太&愛川欽也「一番星ブルース」

この曲は、1975年映画「トラック野郎」シリーズの主題歌。

この映画の主演はプライベートでも大親友という菅原文太、愛川欽也。

煌びやかな電飾と極彩画に飾られた長距離トラックの運転手、一番星桃次郎とヤモメのジョナサンが巻き起こす、アクション・メロドラマ・お色気・下ネタ・笑い・人情が渾然一体となった大衆娯楽活劇である。

内容として、

日本全国津々浦々を走る長距離トラック運転手(白ナンバー)の主人公、一番星・星桃次郎(菅原文太)と、子沢山の相棒、やもめのジョナサン・松下金造(愛川欽也)が、各地で起こす珍道中。シリーズ全10作に通ずる基本的なストーリーは、桃次郎が目の前に現われたマドンナに(たいてい便所や情けない姿をしている時に遭遇)一目惚れをし、相手の趣味や嗜好に合わせて(見当違いの)付け焼刃の知識で積極的にアタックしていく。

また、個性の強いライバルトラッカーが現われ、ワッパ勝負(トラック運転での勝負)や一対一の殴り合いの大喧嘩を展開する。そして、「母ちゃん」こと松下君江(春川ますみ)を始めとするジョナサン一家、女トラッカー、ドライブインに集う多くのトラック野郎達等を絡ませ、人間味あふれるキャラクター・桃次郎を中心に、様々な人間模様が綴られてゆく。

また、青森ねぶた祭りや唐津くんちなど、全国各地の有名な祭りの場面が登場するのも、このシリーズの特色である。結局、恋は成就せず物語はクライマックスへ。天下御免のトラック野郎に戻った桃次郎は、時間が足りない悪条件の仕事を引き受け、一番星に荷(人)を載せてアクセルを踏み込み大爆走させる。

そのアクセルを踏み込んだ時の加速力(メーターの上がり方)は圧巻である。追っ手の警察を蹴散らし、強化された検問を突破し、トラック野郎達の応援・協力を得て、道なき道を走り一番星号をボロボロにしながらも(劇中に障害物で行灯が割れたり、泥水でトラックが汚れるなどの描写がある)時間内に無事送り届け、修理を終えた一番星号とジョナサン号が走り去る-というシーンで「完」を迎える。

その後10作に上るシリーズで、2010年7月、シリーズ完結30周年記念として、研究本「映画『トラック野郎』大全集 」が出版された。


エピソードとして

第1作の撮影前、監督鈴木則文と脚本澤井信一郎とで、長距離トラックに同乗する5日間の取材旅行を敢行し、シナリオの執筆にあたった。

一番星号の正面下部にある「雪の下北」「はぐれ鳥」の装飾は、取材旅行で最初に同乗したトラックにあった装飾を、そのまま引き継いだものである

この曲の作詞作曲は、

ダウンタウンブギウギバンド「港のヨーコヨコハマ」の大ヒットで、勢いついた、

入江雅人と同じ潜在能力の阿木燿子、安田美沙子と同じ潜在能力の宇崎竜童の夫婦で手がけ、

この曲には宇崎さんが在籍するダウンタウンブギウギバンドも演奏として参加している。

眠れぬ夜は電話しておくれ

2010-12-29 23:40:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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浜田省吾「愛という名のもとに」

本日は浜田省吾さんのお誕生日ということでアップしました。

この曲は、1992年リメイクした形でシングルリリースし、初のTOP10以内ランクインと初の1位を獲り、わしやま音楽祭VOL.6で取り上げた「悲しみは雪のように」のカップリングに収録されたものをあっぷしました。

この曲はもともと1981年アルバム「愛の世代のために」に収録されたものである。

そんな押切もえと同じ潜在能力の浜省でありますが、

今年DVD「僕と彼女と週末に」をリリースし、未発表のライブ映像をベースに、歴史上の記録写真や映像をミックス、池上彰氏による解説文と共に日本と世界の近代・現代史を体感できる、次世代に贈る映像作品である。

またベストアルバム「The Best of Shogo Hamada vol.3 The Last Weekend」もリリース、浜田省吾のレパートリーの中でも社会的なテーマを表現した楽曲を集めたコンセプチュアルなベスト・アルバムと映像作品。

CDには、1982年に発表され未だ色褪せることのないリード曲「僕と彼女と週末に」を筆頭に、核・戦争・経済格差や環境といったテーマに対するメッセージを内包した楽曲群をほぼ全曲リメイクバージョンで収録。

来年ソロデビュー35周年を迎える。

「おめでとうございます」

このごろ椿鬼奴はジェームズ・ディーンになろうとしている

2010-12-29 23:36:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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Bon Jovi「These Days」

エアロスミスに続き、エアロと人気を二分するハードロックバンドBon Jovi。

今年は、昨年リリースしたオリジナルアルバム「ザ・サークル」とベスト版「グレイテスト・ヒッツ」を引き下げ、来日公演を行いましたが、

この曲は6枚目のオリジナルアルバムのタイトルチューン。

前作『クロス・ロード』の発表後にベースのアレック・ジョン・サッチがバンドを脱退した。

その後、後任ベーシストは迎えずサポートメンバーとしてかねてからの旧友ヒュー・マクドナルドを起用する(ただ、ボン・ジョヴィの深いファンはヒューを含めた5人をボン・ジョヴィと認知している)。本作はヒュー起用後初のアルバムである。サウンド的にはダークな曲やダウンビートな曲が多く収録されている。全米9位、全英1位を獲得し、日本のオリコンチャートでも1位を獲得した。

このアルバムを引き下げてのワールドツアーで来日、1996年横浜アリーナでのライブより。

リッチーのテレキャスとデヴィッドのピアノで始まるイントロ、最後にジョンのハモニカが心に響くロックナンバーをご覧ください。

ベイビー、もうお前に飽きたぜ

2010-12-29 23:32:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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Aerosmith「Jaded」

2010年映画「SPACE BATTLE SHIPヤマト」の主題歌をボーカルのスティーブン・タイラーが担当しましたが、歌うきっかけは映画版ヤマトはアルマゲドンを意識し制作し、主題歌を「アルマゲドン」の主題歌を歌った彼らにというビジョンがあったとか・・・

で、この曲は2001年13枚目のアルバム「JUST PUSH PLAY」に収録されたもの。

本作のレコーディングは、Pro Tools等、当時では最新のテクノロジーを駆使して行われた。スティーヴン・タイラーの娘やジョー・ペリーの息子もレコーディングに参加し、アルバムのクレジットにも載っている。ジャケットのイラストには、日本人アーティスト空山基の作品「Sexy Robot #22」が使用された。

映画『アルマゲドン』(1998年公開)の主題歌「ミス・ア・シング」(本作の日本盤CDにも収録)の大ヒットを受けて、本作もヒットを記録した。お届けするこの曲は全米7位となり、日本でもコカ・コーラの2004年のキャンペーン"Special Magic Coca-Cola"においてCMソングに起用された。
(Live.Tokyo.4.4.2001).wmv

いつかきっと夢がある

2010-12-28 23:28:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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ウルフルズ「明日があるさ」

本日はトータス松本さんのお誕生日ということと、今日で今年の仕事が終わった方への「おつかれさま」の意、そうでなくにぎやかになる年末年始の影で働いている方への応援の意をこめてあっぷしました。

この曲は2001年21枚目のシングルとして、前作『夢』から約2年ぶりのリリース。

坂本九の「明日があるさ」を2001年の社会情勢にあわせて歌詞を一部変えたほぼカバー曲。

同年、Re:Japanとのコラボレーションで再び『NHK紅白歌合戦』への出演を果たした。

「ガッツだぜ!!」「バンザイ 〜好きでよかった〜」のブレイク後、人気もしばらく落ち着いたウルフルズだったが、このシングルで再び人気を盛り返した。

初登場順位は5位だったが、徐々に人気を博し、その後5週連続で4位になるなど50万枚以上を売り上げた。実に「かわいいひと」以来、6作ぶりのオリコンTOP10入りと売上10万枚を記録した。

2010年現在、ウルフルズの最大ヒットシングルである。

2009年に無期限の活動停止に入りましたが、

その中で、高井麻巳子(元おニャン子クラブメンバーで現在秋元康の妻であり秋元康事務所監査役)と同じ生年月日であり同じ潜在能力であるトータスさんですが、ソロ活動に入り、本日は単独ライブ「ハイウェイマイウェイ」ツアーで大阪にいて、今はライブを終え、関係者らと酒を飲み交わしお誕生日祝いをし、べろんべろんになっているとことでしょう・・・


「おめでとうございます」

くりきんとん食べたいです。わたりです。

2010-12-28 23:24:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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渡哲也「くちなしの花」

本日は渡哲也さんのお誕生日ということであっぷしました。

この曲は、1973年にリリースし、150万枚の大ヒットとなり、1974年のオリコン年間シングルチャートでは9位を記録している。

そんな、岩佐美咲と同じ潜在能力の渡さんは、2代目の石原プロ社長であり、舘ひろしら石原軍団所属俳優からは、社長と呼ばれている。

1964年に日活でデビュー、1971年日活がロマンポルノ路線に伴い退社、石原プロに入る入るわけであるが、

きっかけは渡が石原と誕生日が同じで、交友関係ができてから、石原から服や靴などの譲渡を受けるなど公私共に付き合いが深かったことに加え、日活時代から親しかった小林正彦が石原プロへ参加していたことだったという。色々と世話になった石原の窮地を救うため当時180万円(現在の価値で1000万円に相当)の全財産を持って石原の元へ赴き、「社員の皆さんのお茶代にでも使って下さい」と差し出したのは有名な話である(無論、石原は気持ちだけ受け取った、このエピソードはドラマ『弟』でも触れられている)。

青山学院大学時代は空手道部に在籍し、空手弐段。柔道初段。

日活デビュー当時、食堂で食事をしていた石原裕次郎に挨拶に行った際、他の俳優達と違って裕次郎はわざわざ立ち上がって握手し「石原裕次郎です。君が新人の渡君ですか、頑張って下さいね」と声を掛けられ渡自身が非常に感激したエピソードがあり、それが後の石原プロに入社する経緯にもなった。ベテランとして若手から挨拶を受ける立場となった現在においても、日活デビュー当時にわざわざ立ち上がって握手して声を掛けられた裕次郎と同様に接しており、『西部警察』での共演をきっかけに初対面した舘ひろしや、ドラマで共演したV6の岡田准一や滝沢秀明、世界のナベアツらはかつての渡同様に感激している。

日活の新人時代には、取材に来た記者の失礼な態度に激怒して記者に強烈なアッパーカットを見舞って気絶させた。後年、渡はこのことについて「若気の至りというか、恥ずかしい限りです」と語っている。

『大都会 PARTIII』撮影時、共演していた宮本刑事役の苅谷俊介の夫人が入院しており苅谷が金に困っているという話を聞き、撮影終了後に苅谷を呼び止め「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ」と言って金の入った封筒を渡した。苅谷は帰っていく渡の後ろ姿を涙でまともに見られなかったと、自身の著書『土と役者と考古学』で語っている。

『西部警察』で演じた大門圭介でサングラスをかけるきっかけになったのは、当時40歳で「40歳にもなってマシンガン持ってドンパチやる姿が恥ずかしいから」という理由であった。2004年放送の『西部警察スペシャル』では、殉職したはずの大門が課長として復活しているが、これを受けてのもの。2003年、『西部警察2003』の撮影中に石原プロ所属俳優が運転するスポーツカーが見物人に突っ込み5人が重軽傷を負う事故が発生した。それを受け、即全ての予定をキャンセルして、すぐさま背広姿で、被害者の入院先を訪れ、病室で靴を脱ぎ、土下座で謝罪した。このことは記者会見で自らカミングアウトした形で判明した。このとき、「私が土下座したことは話してもよいのでしょうか?」と同席した石原プロ専務の小林正彦や石原プロ関係者に尋ねる声がマイクに入っている。

趣味は「焚火」。火が上がるような焚き火ではなく、煙が一筋昇るくらいがよいとのこだわりがあり、たなびく煙の行方を眺めているのが好きだとのこと。

意外なようだが甘党で、ケーキやソフトクリームが大好物である(石原プロワールドでは「渡哲也のヘルシーソフトクリーム」なる商品が販売されている)。大方の甘党がそうであるように下戸で、飲めない酒を無理して飲んでいたことは有名。石原裕次郎の晩年にヤケ酒のような飲み方をしていたが、次第に人並みに飲めるようになったとの本人談もある。60を過ぎた最近はガン闘病以降、心境の変化もあってか酒量が減ったと語っているが、同年代で付き合いのあるみのもんたは逆に酒量を上げているため、渡が「少しは酒を控えろよ」と窘めたというエピソードも。しかし、当のみのはまったく無視して酒量を上げ続けている。また、タバコも昔は『西部警察』などのドラマの中でも吸っていたが、タバコもガン闘病以降は吸わなくなった模様。

歌手の長渕剛の熱烈なファンとして知られる。「プロ野球の清原選手以上の長渕ファン」とは本人の弁である。渡の入院中に長渕が見舞ったり、長渕のコンサートに渡が出向くなど、非常に親しい関係である。

『西部警察』などで渡が演じた役柄のイメージで性格が短気であるように誤解されがちだが、実際は温厚な人柄。石橋貴明が『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』のドッキリ企画で、石原プロに保管されている『西部警察』の特殊車両や渡の車を洗って「綺麗になっただろ?テツ」と言った際、舘の仕掛けにより渡が怒るシーンがあったが、渡は当初「そんなことで怒ることはできない」と困惑していたが、実際にはテーブルを蹴り「石橋ー!」と怒鳴り、石橋が見事に驚く結果になった(実際に石橋が渡に言った言葉は「いいジャケット着てるな、テツ」)。

出身地ともいえる淡路島が阪神淡路大震災で大きな被害を受けた時に、弟の恒彦と共に淡路や神戸を訪れ炊き出しを行い、被災者を勇気づけた。被災地に赴く前には、「お世話になった淡路島の人々に少しでも恩返しをしたいが、売名行為と取られたり、芸能人の自分が行くとマスコミを呼ぶことになり、かえって迷惑なのでは」と悩んでいたが、石原プロの小林専務の「売名行為と言う奴には言わせておけばいい。阪神淡路は渡さんだけでなく、裕次郎さんが育った土地なのだから、行くべきだ」との言葉に後押しされて駆けつけている。

近年松坂慶子と夫婦役で共演することが多い(『義経』、『熟年離婚』、『マグロ』)。また、徳重聡と親子役で共演することも多い(『弟』、『熟年離婚』、『夫婦(2006年2月)テレビ朝日系』、『マグロ』、『おいしいごはん』)。

西川きよしの歌「子供が三人おりますねん」で息子が渡に似ているという歌詞があるが、それを受けてかきよしの息子の忠志・弘志が二人揃って1996年の大河ドラマ『秀吉』で渡演じる織田信長の息子(忠志…織田信忠・弘志…織田信雄)を演じている。

2007年1月4日・1月5日放送のテレビ朝日系特別ドラマ『マグロ』で釣ったマグロは本人が釣り上げたものである(渡がマグロを釣り上げた話題はスポーツ紙の芸能面でも記事になった)。

新撰組の近藤勇、土方歳三を演じた俳優でもある。


ちなみに、くちなしとは、アカネ科クチナシ属の常緑低木。野生では森林の低木として出現するが、園芸用として栽培されることも多い。

様々な利用がある。

鑑賞用として、人家周辺に栽培されることが多い。ただし、クチナシを植えるとアリが来るといって敬遠する例もある。品種改良によりバラのような八重咲きの品種も作り出されている。

料理として、果実にはカロチノイドの一種・クロシン(Crocin)が含まれ、乾燥させた果実は古くから黄色の着色料として用いられた。また、発酵させることによって青色の着色料にもなる。これは繊維を染める他、食品にも用いられ、サツマイモや栗、和菓子、たくあんなどを黄色に染めるのに用いられる。また、大分県の郷土料理・黄飯の色づけにも用いられる。クロシンはサフランの色素の成分でもある。

薬用として、果実は山梔子(さんしし)と呼ばれ、日本薬局方にも収録された生薬の一つである。煎じて黄疸などに用いられる。黄連解毒湯、温清飲、五淋散などの漢方方剤に使われる。

渡さんの潜在能力点火法でのラッキーカラーは「黄」である。

「もしひとつだけ願いが叶うとしたら・・・あなたは何を願いますか?」

2010-12-27 23:20:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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Aimez la Chanson「愛のうた」

この曲は2007年にリリースした倖田來未の39枚目のシングル曲のカバー。

オリジナルエピソードとして、

この曲の作成のきっかけは、彼女の友人、ファンからの恋愛相談から生まれたもので、自分には経験のないグレーゾーンを題材にしたものである。なお、曲名の「愛のうた」は、「夢のうた」で2006年の第48回日本レコード大賞受賞を逃したことへのリベンジの意味を持たせて似せているとのこと。

2000年エイベックスからデビューをし、10周年を迎えたトミー・リー・ジョーンズと同じ潜在能力の倖田來未であるが、

彼女は、

お酒とタバコは一切やらない。しかし、20代後半になってお酒を飲んだが、苦手であることを公言している。

一時期はマクドナルドのセットを3セット食べるなどの大食いであったが、ダイエットで絞った。その方法は「夕飯を食べないこと」である。夕飯は食べずにダイエットコーラをよく飲んでいた。

3歳頃より、尺八を教えていた祖父と琴を教えていた母親の勧めで、日本舞踊の演者として初舞台を踏んでいる。

2000年12月のデビュー後しばらくの間はクラブでの活動をしていた。この時、当時デビュー前だったSOUL'd OUTも同じクラブで歌っていたという。

犬を飼っている。名前は「ラム」で、犬種はキャバリア・キングチャールズ・スパニエルである。

プロ野球・広島東洋カープの赤松真人外野手は藤森中学校時代の同級生であり、しかも当時野球部員(マネージャーではなく、選手として)だった彼女とは内野の要である二遊間を守るコンビだった。またブラックマヨネーズ・吉田敬の弟とも同級生で、仲良くしていた友人グループで吉田の実家に泊まりに行ったこともあった。

とんねるずの大ファン。元々母親がとんねるずのファンだったことに影響されたという。

敬愛しているアーティストは、DREAMS COME TRUEと岡本真夜。エイベックスのオーディションで歌った曲は岡本真夜の「Alone」。またR&B・ヒップホップアーティストが所属するrhythm zoneに入るきっかけは「DOUBLEみたいなアーティストの曲を歌いたい。」とスタッフに告げたことから。

苦手な食べ物はゴルゴンゾーラのピザ(「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)の「新・食わず嫌い王決定戦」に出演した際に判明)。

テレビ欄では「倖田来未」である。(來は常用漢字外かつ旧字体)

仲の良い芸能人として、西川貴教、DJ OZMA、SMAP、鈴木亜美、松浦亜弥などがいる。

腰にタトゥーを入れている。

彼女には音楽アーティストで喰っている以上、体格を意識した路線でなく、音楽で音楽に志を示している若者たちの手本として活躍してほしいものである。

だからいい曲はカバーされているわけで、アップしたアコースティックバージョンもしんみり来るものとなっている。

2008年10月パッションビート定期ライブより。


青の青さで

2010-12-27 23:16:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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CHARA(Yen Town Band)「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」

1993年にメジャーデビューをし、着実にファンを獲得し今に至っている状態であるが、

この曲は、1996年CHARA主演、岩井俊二監督の日本ヘラルド映画配給・映画「スワロウテイル」主題歌。

このシングルで、CHARA、音楽プロデューサー小林武史らで映画内の架空のバンド、YEN TOWN BANDが実際にデビューした。

このシングルで、1996年10月にCHARAは自身初のオリコンシングルチャート1位獲得を果たしている(2009年1月現在、ソロ名義での同チャート1位は未達成)。

CHARA名義のアルバム『Caramel Milk -THE BEST OF CHARA-』などにも収録されている。また、CHARAのライブでも歌われている。

この曲のカバーは、

プロデューサーの小林武史がメンバーだったMY LITTLE LOVERが、「あいのうた 〜Swallowtail Butterfly〜」(アルバム『singles』収録)としてセルフカヴァーしている。

つじあやのによるカバーがカバーアルバム『COVER GIRL』(2004年)に収録。

甲斐よしひろによるカバーがカバーアルバム『10 Stories』(2007年)に収録。
cinnabomによるカバーがオムニバスカバーアルバム『SOUND OF KULA』(2007年)に収録。着うた配信ではOMI feat cinnabom名義。

ゲーム『THE IDOLM@STER』の登場人物である菊地真(声:平田宏美)によるカバーが、『THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 04』(2007年)に収録。

アリスターのスコット・マーフィーによるカバーがカバーアルバム『Guilty Pleasures II』(2008年)に収録。

moumoonによるカバーがミニアルバム『SPARK (moumoonのアルバム)』(2010年)に収録。

倖田來未によるカバーが企画アルバム『ETERNITY〜Love & Songs〜』(2010年)に収録。

歌番組で演歌歌手の長山洋子がCHARAと同じ生年月日という理由でカバーもしている。

1997年 AKASAKA BLITZでのCHARAライブより。

素直に愛してる

2010-12-27 23:12:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

いきものがかり「未来予想図Ⅱ」


2010年オリコン好きな音楽アーティストでは、5人組グループ嵐に続き2位、アーティストセールスでは5位と大活躍、オリコン年間アルバムではベスト版と4枚目のアルバム「ハジマリノウタ」がベスト10に入り、「ハジマリノウタ」が日本レコード大賞最優秀アルバム賞、18枚目のシングル「ありがとう」はレコード大賞優秀作品賞を受賞と音楽的高評価を経て、2010年代の音楽で、これから志す卵たちに影響を与えたのは確かで、アイドル級に注目されるグループに成長を果たしたわけですが、

わしやま音楽祭では初登場なのでメンバー紹介。

ボーカルはうるる日生まれで佐藤すみれと同じ潜在能力の吉岡聖恵。

ギター、コーラス、リーダーで益田有華と同じ潜在能力の水野良樹。

ギター、ハーモニカで前田敦子と同じ潜在能力の山下穂尊。


このバンドは、小学校時代からの同級生である水野良樹と山下穂尊が男性2人組アマチュアバンドを結成し、1999年2月に路上ライブを開始する。同年11月にボーカルの吉岡聖恵が加わり現在の男女混成3人組の形となった。

バンド名はメンバーの水野と山下が小学生時代生き物係(金魚の世話係)だったことに由来する。当初「いきものがかり」の名称は仮称で吉岡の加入を契機にバンド名の変更が検討されたが(「イッキーモンキー」や「ガーデンパーティ」、「ピンクモンスター」などが候補に挙がった)、吉岡が「いきものがかり」の名称が気に入っていたとのことで、結局改称は行われないまま現在に至っている。

当初は小田急線の相模大野駅周辺で、主に相模女子大学高等部の女子高生を相手に演奏活動を行っていたが、吉岡の加入を機に本厚木駅や海老名駅周辺に拠点を戻し、メジャーデビューまで主に厚木市・海老名市など、神奈川県央地域を中心とした音楽活動を行うようになった。

メンバーの進学に伴う活動の休止後、2003年8月25日にアルバム『誠に僭越ながらファーストアルバムを拵えました…』でインディーズデビュー。約2年半インディーズで活動した後、2006年3月15日にシングル「SAKURA」でエピックレコードジャパンからのメジャーデビューを果たす。

ストリートミュージシャン出身のアーティストとしては珍しく、非常に幅広いファン層を持つ。そのためかテレビ番組(特にNHK関連)の楽曲やCMソングなどのタイアップ曲も多く手掛けている。

この曲は1989年DREAMS COME TRUEの2枚目のアルバム「LOVE GOES ON・・・」に収録された今でも愛され続けている名曲であるが、

いきものがかり以外でも、

SOTTE BOSSEが2006年発売のアルバム『Essence of life』にてカバーした。

徳永英明が2006年発売のアルバム『VOCALIST 2』にてカバーした。

河村隆一が2007年発売のアルバム『evergreen anniversary edition』にてカバーした。

大橋純子が2007年発売のアルバム『Terra』にてカバーした。

つるの剛士が2009年発売のアルバム『つるのおと』にてカバーした。

新垣里沙、嗣永桃子率いるZYX-αが2009年発売のアルバム『チャンプル(1)〜ハッピーマリッジソングカバー集〜』にてカバーし、若手ベテラン問わず声に出して歌いたいほど愛されていることがわかる。

ではどうぞ。

あなたがここにいてほしい

2010-12-26 23:08:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

Pink Floyd 「Wish You Were Here(あなたがここにいてほしい)」 - Live (Pulse)

「Echoes」、「吹けよ風、呼べよ嵐」に続き、「わしやま音楽祭」3作目の登場。

ピンクフロイドは、1960年代半ばから活動を開始、サイケデリックロックからプログレッシブロックに至り、幻想的かつ実験的な音楽性やスペクタクルに富んだライブ、現代社会における人間疎外や政治問題をテーマにした文学的・哲学的な歌詞で世界的に人気を博した。芸術面で高い評価を得る一方で、1973年アルバム『狂気』は4,000万枚、1979年アルバム『ザ・ウォール』は3,000万枚のメガ・セールスを記録した。このことから1970年代に最も成功したロックバンドとも言われている。

クラシックやジャズの素養を持った技巧派の奏者が多いプログレッシブ・ロックの中にあって、ブルースやサイケデリック、アシッド・フォークを出発点とする。彼らの演奏は一般的なプログレッシブ・ロックに見られる細かい符割りや変拍子とは無縁であるが、その音楽は独自の浮遊感・陶酔感を湛えている。彼らの音楽性はジ・オーブやKLFなどのいわゆるエレクトロニカ関連のアーティストにも影響を与えている。

メンバーは、

北乃きいと同じ潜在能力のデヴィッド・ギルモア(G,V)、

黒木メイサと同じ潜在能力のロジャー・ウォーターズ(B)、

新垣結衣と同じ潜在能力のリチャード・ライト(Key)、

仲里依紗と同じ潜在能力のニック・メイスン(Drs)、

初期メンバーの真木よう子と同じ潜在能力のシド・バレット(G,V)。


この曲は、1975年アルバム「炎-あなたがここにいてほしい-」に収録されたナンバー。

1973年に発表した前作『狂気』が大ヒットし、バンドは一躍スターダムにのし上がりって億万長者となった。1973年にコンサートをこなした後バンドは長期休暇に入り、メンバーは各々好きなことをして時間をすごしていた。したがって、バンドとしての活動が長期にわたって中断したため、実質的に解散状態となっていた。

バンドは1974年にコンサートツアーがあるため活動を再開し、数曲新曲も出来たが、1975年に入ってレコーディングをしようとした際、バンドのメンバーがレコーディングに集中できず、レコーディングが遅々として進まない状態が続いた。ロジャー・ウォーターズは、このため、この状況下であくまでアルバムのレコーディングを続けるなら、現在のバンドの状態を具現化したもの、またそれに関連した曲を作り上げて収録しようと決定したのだった。

こうして完成したアルバムについて、ウォーターズは「とうとうアルバムをつくったら、そのアルバムの内容は何も作り出せないということだった」と説明している

この曲は初期メンバーで、デビッド・ボウイなど音楽的影響を受けたボーカルとギターを担当していたシド・バレットのことを思い出しここにいればこのバンドはどうなっていたのだろうかという想いを歌にしたのでは・・・

レコーディングの逸話として、

シド・バレット本人が何の前触れもなくスタジオに姿を現した。しかし、丸々と太った体に禿げ上がった頭という以前とは変わり果てた風貌のため、フロイドのメンバーですらバレットだと気付かなかったという。バレットはまだ自分がバンドのメンバーだと思い込んでおり、「どのパートのギターを弾こうか?」と聞いてきたらしい。その男がバレットである事に気付いたウォーターズは、いたたまれなくなってスタジオを飛び出して行ったという。

前作とは地味な完成であったが、アコースティックギターで歌うギルモアがギターの音色とハモッているところが上手い。


終わらない祭り

2010-12-26 23:04:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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桑田佳祐「祭りのあと」

2010年のクリスマスが終わり、残りはどうおすごしですか?

さて、今年の音楽界はAKB48の旋風が話題になりましたが、その中でも激震的話題になったのが、桑田佳祐さんが人間ドックでの初期の食道がんが見つかり、制作途中だったアルバム制作中止を余儀なくし、治療に専念、がんは除去し、順調な回復力で、担当していたナースに胸を顔で挟まれたいほどの元気さで退院、現場復帰し、アルバム制作再開、ようやく完成したとのことで発売が待ち遠しい状態でありますが、

この曲は1994年10月にリリースしたもので、TVドラマ「静かなるドン」の主題歌で、内容がヤクザを扱った作品ということで、義理人情な歌詞に仕上がっているナンバーである。

メディアでは夏の終わりに流す場合が多いが、クリスマスというイベント後に聴くのもいいじゃないですか。

みなさんよいお年を。

愛の灯をともしたい

2010-12-26 23:00:00 | わしやま音楽祭Vol.12
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甲斐バンド「安奈」


浜田省吾、漫画家小林よしのり、よしりんつながりで漫画家秋本治らとの交流が深い甲斐よしひろを中心としたバンドであるが、

最近の状況は、

2009年7月、甲斐よしひろと甲斐バンドのデビュー35周年を機に活動を再開を発表。

2009年10月、8年ぶりのオリジナル・アルバム『目線を上げろ』を発表。同月から翌年2月まで全国ツアー『KAI 35th Anniversary KAI BAND NEVER END TOUR』(追加公演を含む全24公演)を開催。

2009年12月、初のバラードベスト『ロッカ・バラード』を発表し、発売日にJR新橋駅SL広場前にて、1996年の再結成時に福岡・天神で行われて以来13年ぶりにストリートライブを行う。

2010年4月9日~11日、福岡のライブ喫茶照和にて『甲斐バンド Live at the 照和』を開催。当初は、10日・11日の2Days3公演の予定だったが、エントリーが多数寄せられたため急遽2公演追加された。参加者限定特典として、当日のライヴ音源CD(セレクトされた3曲『三つ数えろ』・『地下室のメロディー』・『バス通り』)がプレゼントされた。また当日の音源が着うた・着うたフルで配信された。

2010年10月1日、4月の照和にて開催されたライブ『甲斐バンド Live at the 照和』を映画化した『照和 My Little Town / KAI BAND』が12月18日の全国ロードショーに向けて、福岡の『ソラリアシネマ』にて1週間先行ロードショーされた。先行ロードショー初日には、甲斐よしひろが舞台挨拶に訪れ、サプライズとして『HERO(ヒーローになる時、それは今)』をアコースティック・ヴァージョンにてギター一本で披露。その音源が11月、Amazon.co.jp限定でMP3配信された。

2010年12月18日、映画『照和 My Little Town / KAI BAND』全国ロードショー。公開初日、シネセゾン渋谷にて甲斐バンド(甲斐・田中)と監督のフカツマサカズ、映画の中で語りを担当している大森南朋が舞台挨拶を行った。


この曲は、1979年シングル「HERO」の大ヒットで人気を確立しリリースした、今は定着しているクリスマスソングの先駆け的ソングであるが、ここはあえてクリスマスが過ぎた時に聴くっていうのはどうかなということで、12月26日にアップしました。

この曲の収録には無名状態からニューミュージック全盛とともに徐々に知名度を上げつつあった浜田省吾が参加、イントロのギターを弾いている。

1980年日本武道館より