お届けするのは
織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」
本日は織田哲郎さんのおたんじょうびということであっぷしました。
1990年代のヒット曲の仕掛け人であり、長戸大幸とともにビーイングの創立に関与する。1990年代に同じくヒット曲を量産した小室哲哉と並ぶ作曲家として知られてますが、
この曲は、織田さんが1990年作曲編曲プロデュースに関わったB.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」での社会的現象になるほどの大ヒットで一躍実力を魅せた音Pとして話題になりましたが、1992年自身が作詞作曲編曲と12弦ギター、シンセサイダーを担当、ポカリスエットCMソングで起用されたこの曲が話題となり、シングル発売後のオリコンチャートで初登場15位、徐々にチャートを上げて、ついに1位を獲得し、大ヒットしたナンバー。
一般にはラブソングとして定着しているが、実は、
中学時代の兄は通信簿がオール5の優等生で、織田にとっては身近にいる憧れの存在だったという。ところが受験戦争の精神的重圧から引きこもりになってしまい病院に通院していたとのことで引きこもりになり29歳で心臓発作のため他界、天国の兄にささげるナンバーである。
2007年に河村隆一がカバーアルバム『evergreen anniversary edition』、2010年にコブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーした。
エピソードとして、2007年5月に出演したフジテレビ「Dのゲキジョー」にゲスト出演した際に様々なエピソードを明かしている。
番組放送時点で筒美京平、小室哲哉に次ぎ日本の作曲家別シングル売上第3位を誇る。
多くのミュージシャンに楽曲を提供しているものの、提供したミュージシャンに会うことは殆ど無く(自他のサウンドプロデュース、レコーディング参加を除く)、曲を渡した後はおまかせだった。それゆえ、渡した曲を聞くのも一般人と同じタイミングで知る。
ヒットした曲はあまり苦労して作ったものではない。かつてのインタビューで、「楽曲提供は楽しい。ゲーム感覚でやれる」と言ったことがあった。また楽曲を提供する時は特に何も思わないが、ヒットした曲を聞いた後に「もったいなかった」と感じることはあると正直に告白した。
中学3年でイギリスから帰国後、帰国子女という事で、孤立し自殺まで考えたが、エルトン・ジョンの『Your Song』を聞いて心を救われた。
長戸大幸には「たいへん世話になった」と袂を分った今も感謝の気持ちを持っている。デビュー当時全く売れずに悩んでいた織田に「好きにやっていいから」と励ましてくれたことで挫けずに頑張れた、と語った。
2000年、スペイン滞在中に強盗に襲われ、その際に首を絞められ声帯を痛めてしまう。その結果声帯の骨が歪んでしまい、満足な声を出せなくなった。それ以後リハビリを続けて回復しつつあるが、それでも全盛期の40%程でしかない。普段は作曲家としての活動が多い織田であったが、この事件以後、改めて歌うことへの情熱を思い出したという。
番組内で司会のみのもんたから「番組のために1曲作って欲しい」と要求され、「難しい事に立ち向かうのは嫌いじゃない」と快諾とのこと。
最近の近況として、
本人WEBサイトの日記
3/7
今日は昼から某番組の収録。
正直目が覚める前にすべて終わってしまいましたわ。
うーむ。
それにしてもYOUTUBE。
子供の頃に好きだったアーティストの当時の映像を観られるのは
ひっじょ~に有り難くも面白い。
なんせ昔は相当に珍しい洋楽番組かフィルムコンサートなんてものに
出かける位しか映像を観る機会はなかったもんでな。
だが自分の昔の映像ってのはなかなか冷や汗が出るっての。
いやあお恥ずかしい。
正直『GROWING UP』をまとめるまであまり自分の歴史に
きちんと向き合った事がなかった。
つーか思い出すと恥ずかしい事しんどい事ばかり過ぎて避けて通ったと言いますか。
でもあれはすごく大事な作業だった気がする。
もともと様々な“許せない”という事自体が本質的には当時の
しんどさやら恥ずかしさの元凶だったとも言えるわけで。
ちなみに“許せない”という思いは結局全部自分に対してですぜ。
一見外向きの“許せない”部分も鏡の中の自分の首絞めてるだけだからな。
最近は昔の自分の映像も許せるよ。
冷や汗はでるけど。
そんなある意味根っからの鬱気質の俺だが現実に対しては
底抜けの楽天家でもあるのだよ。
言い方を変えれば現象にさほど興味がないとも言える。
そこで起きている現象は常に象徴でしかないわけで。
実相と仮相は実相が仮のものであると実感すれば仮相こそが“実”である
というややこしい話になるのは云々ああもうやめやめ。
グダグダ書いてたけどここから先は消しちまった。
10年位前にはこのダイアリーでグダグダ書いたりしてたっけなあ。
単に自分の思考を整理するための順路を残してただけっつうか
エンターテイメント性意識的に無視っつうか。
たまにはこんなんも良かろうて。
まあ昔の映像を観てあの頃は良かったとかカケラも思わず
恥ずかしくてたまらんのは基本的にハッピーな人生と言えるんだろうな。
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織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」
本日は織田哲郎さんのおたんじょうびということであっぷしました。
1990年代のヒット曲の仕掛け人であり、長戸大幸とともにビーイングの創立に関与する。1990年代に同じくヒット曲を量産した小室哲哉と並ぶ作曲家として知られてますが、
この曲は、織田さんが1990年作曲編曲プロデュースに関わったB.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」での社会的現象になるほどの大ヒットで一躍実力を魅せた音Pとして話題になりましたが、1992年自身が作詞作曲編曲と12弦ギター、シンセサイダーを担当、ポカリスエットCMソングで起用されたこの曲が話題となり、シングル発売後のオリコンチャートで初登場15位、徐々にチャートを上げて、ついに1位を獲得し、大ヒットしたナンバー。
一般にはラブソングとして定着しているが、実は、
中学時代の兄は通信簿がオール5の優等生で、織田にとっては身近にいる憧れの存在だったという。ところが受験戦争の精神的重圧から引きこもりになってしまい病院に通院していたとのことで引きこもりになり29歳で心臓発作のため他界、天国の兄にささげるナンバーである。
2007年に河村隆一がカバーアルバム『evergreen anniversary edition』、2010年にコブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーした。
エピソードとして、2007年5月に出演したフジテレビ「Dのゲキジョー」にゲスト出演した際に様々なエピソードを明かしている。
番組放送時点で筒美京平、小室哲哉に次ぎ日本の作曲家別シングル売上第3位を誇る。
多くのミュージシャンに楽曲を提供しているものの、提供したミュージシャンに会うことは殆ど無く(自他のサウンドプロデュース、レコーディング参加を除く)、曲を渡した後はおまかせだった。それゆえ、渡した曲を聞くのも一般人と同じタイミングで知る。
ヒットした曲はあまり苦労して作ったものではない。かつてのインタビューで、「楽曲提供は楽しい。ゲーム感覚でやれる」と言ったことがあった。また楽曲を提供する時は特に何も思わないが、ヒットした曲を聞いた後に「もったいなかった」と感じることはあると正直に告白した。
中学3年でイギリスから帰国後、帰国子女という事で、孤立し自殺まで考えたが、エルトン・ジョンの『Your Song』を聞いて心を救われた。
長戸大幸には「たいへん世話になった」と袂を分った今も感謝の気持ちを持っている。デビュー当時全く売れずに悩んでいた織田に「好きにやっていいから」と励ましてくれたことで挫けずに頑張れた、と語った。
2000年、スペイン滞在中に強盗に襲われ、その際に首を絞められ声帯を痛めてしまう。その結果声帯の骨が歪んでしまい、満足な声を出せなくなった。それ以後リハビリを続けて回復しつつあるが、それでも全盛期の40%程でしかない。普段は作曲家としての活動が多い織田であったが、この事件以後、改めて歌うことへの情熱を思い出したという。
番組内で司会のみのもんたから「番組のために1曲作って欲しい」と要求され、「難しい事に立ち向かうのは嫌いじゃない」と快諾とのこと。
最近の近況として、
本人WEBサイトの日記
3/7
今日は昼から某番組の収録。
正直目が覚める前にすべて終わってしまいましたわ。
うーむ。
それにしてもYOUTUBE。
子供の頃に好きだったアーティストの当時の映像を観られるのは
ひっじょ~に有り難くも面白い。
なんせ昔は相当に珍しい洋楽番組かフィルムコンサートなんてものに
出かける位しか映像を観る機会はなかったもんでな。
だが自分の昔の映像ってのはなかなか冷や汗が出るっての。
いやあお恥ずかしい。
正直『GROWING UP』をまとめるまであまり自分の歴史に
きちんと向き合った事がなかった。
つーか思い出すと恥ずかしい事しんどい事ばかり過ぎて避けて通ったと言いますか。
でもあれはすごく大事な作業だった気がする。
もともと様々な“許せない”という事自体が本質的には当時の
しんどさやら恥ずかしさの元凶だったとも言えるわけで。
ちなみに“許せない”という思いは結局全部自分に対してですぜ。
一見外向きの“許せない”部分も鏡の中の自分の首絞めてるだけだからな。
最近は昔の自分の映像も許せるよ。
冷や汗はでるけど。
そんなある意味根っからの鬱気質の俺だが現実に対しては
底抜けの楽天家でもあるのだよ。
言い方を変えれば現象にさほど興味がないとも言える。
そこで起きている現象は常に象徴でしかないわけで。
実相と仮相は実相が仮のものであると実感すれば仮相こそが“実”である
というややこしい話になるのは云々ああもうやめやめ。
グダグダ書いてたけどここから先は消しちまった。
10年位前にはこのダイアリーでグダグダ書いたりしてたっけなあ。
単に自分の思考を整理するための順路を残してただけっつうか
エンターテイメント性意識的に無視っつうか。
たまにはこんなんも良かろうて。
まあ昔の映像を観てあの頃は良かったとかカケラも思わず
恥ずかしくてたまらんのは基本的にハッピーな人生と言えるんだろうな。
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