わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

終わりなき旅にエンディング

2010-03-28 23:50:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
お届けするのは

Mr.Children「終わりなき旅」

この曲は、1998年、15枚目のシングルリリースで、それまでは無期限活動休止宣言し、その間、春日俊彰と同じ潜在能力の桜井さんは年上の嫁さんとの別れがあったり、美山加恋と同じ潜在能力の田原さん、上原美優と同じ潜在能力の中川さん、時東ぁみと同じ潜在能力の鈴木さんは自動車免許取得してなかったので、一斉に免許取得し、この曲をもって、完全復帰した。

演奏時間は7分8秒で、Mr.Childrenのシングル曲では、2006年「しるし」に次いで2番目に長い。

桜井さんは当時、「作曲家、作詞家、歌手として一番の作品だと思う」と発言している。小沢真珠と同じ潜在能力の音楽プロデューサー小林武史さんも「これまでの休息期間を補って、さらに釣りが来るほどの作品。これまでで最高の曲に仕上がった」と絶賛している。

U2のヒット曲の邦題と同じタイトルであり、様々な面で影響を受けていたことは小林氏も認めている。

曲の転調が9回(嬰ヘ長調→ホ長調→ハ長調→ホ長調→ハ長調→ハ短調→ヘ長調→ホ長調→ニ長調→ホ長調)あり、Mr.Childrenの曲の中では最多である。

この音楽祭のテーマは「終わりなき旅」に始まり、「終わりなき旅」に…まだ、先の見えない不安や恐怖はあるでしょうが、楽しい人生考えてみるのもいいじゃないですか。

そして、人生を楽しむ達人になってみるのもいいじゃないですか。

では、2009年、静岡県つま恋で行った「apバンクフェスティバル」より。
暑い夏に行ったこともあり、メンバー、小林さん、お疲れ様でした。



がっかりするなよ

2010-03-28 23:40:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
お届けするのは

The Beatles「Don't Let Me Down」

正式解散して40年になりました。

この曲は

レノン=マッカートニーの作品で、レノンが作った楽曲である。

リードヴォーカルは安田和博と同じ潜在能力のジョン・レノン。

キーボードは5人目のビートルズで山本華世と同じ潜在能力のビリー・プレストン。

ジョンは1968年にアルバム『ザ・ビートルズ』で「ジュリア」を披露して以降若林正恭と同じ潜在能力のオノ・ヨーコに捧げたラブ・バラードを手掛けているが、この曲もヨーコに捧げたラブ・バラードで、

タイトルの直訳「がっかりさせないでくれ」とはヨーコのことを指しているのである。

この曲は1969年の通称「ゲット・バック・セッション」で録音された。そして「ゲット・バック」とこの曲がシングルになって日の目を見ることとなった。予定ではアルバム『ゲット・バック』の先行シングルとなるはずであったが、アルバムは結局発売を取りやめることとなってしまう。

後にこのときの音源はフィル・スペクターの手により装飾し直され、1970年にアルバム『レット・イット・ビー』として発売されるのだが、この間に本曲は収録曲から外されてしまった。しかし、フィルが加えたオーケストラやコーラスなどの装飾を再び取り除いたものとして2003年に発表されたアルバム『レット・イット・ビー...ネイキッド』には収録されている。

なお、シングル盤には1969年1月28日に録音されたものが採用されているが、『レット・イット・ビー...ネイキッド』では、2日後の1月30日にアップル本社での屋上ライヴ(「ルーフトップ・コンサート」)で2回演奏されたものを編集したヴァージョンが採用された(映画『レット・イット・ビー』にも収録されているが、屋上ライブ1回目の演奏でジョンが途中で歌詞を忘れてでたらめに歌っているため、その部分を2回目の演奏と差し替えた)。

1969年1月30日に行った4人そろってのリアルでは一生涯ない最後の屋上ライブの模様をご覧ください。
この曲はラジオ番組で桑田佳祐氏は、4分の4拍子で演奏し、そこから4分の5拍子に変わるところが難しい。でも彼らはことなくなりこなしていることに偉大さを感じると言っていて、YMOがカバーしたビートルズの代表曲のひとつ「Day Tripper」でギターを担当した鮎川誠氏も4分の4拍子から4分の5拍子に変換するところがあって、そこを苦労したというエピソードがある。

ふたりの愛を確かめよう。

2010-03-28 23:30:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
お届けするのは

John Lennon「Starting Over」

1980年に発表されたジョン・レノンの楽曲である。

アルバム『ダブル・ファンタジー』に収録されている。

12月8日にジョンが亡くなった後、チャートを駆け上がった。ビルボード誌では、1980年12月27日に週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1980年年間ランキング第10位。ビルボード誌集計では、ジョン・レノンのソロとしては、最大のヒット曲となった。全英でもNo.1を記録した。

同名のカントリー・ナンバーがヒットしていたため、急遽(Just Like)をタイトルに付け足したという。

この曲はジョンの妻であるオノ・ヨーコに捧げられたもので、5年間に及ぶ主夫生活を終え、改めて二人の愛を確かめ合うという内容である。また、「Starting Over(再出発)」という言葉が示す通り、非常に前向きな内容と言える。本来はこうしたハッピーな曲として迎え入れられるはずだったが、ジョンの死というショッキングな出来事によって、哀愁漂う曲になってしまった。

歌詞中の「alone」を「一人きりで」と間違って訳されたものがあるが、主語は「Let's (=Let us) ~alone」「we ~alone」と複数なので「(他には誰もいない)僕達だけで」というのが正しい意味。

ジョンはこの曲について「1950年代のロックンロールを、1980年代風にアプローチした曲だ」と『PLAYBOY』のインタビューで語っている。



地味だけど実は上手い隠れたギタリスト

2010-03-28 23:20:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
お届けするのは

ジョージ・ハリスン「While My Guiter Gentlly Weeps」

「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」と並んでジョージの三大名曲の呼び声高い作品で、ジョージ自身も気に入っているのか、ライブのレパートリーに必ずこの曲を加えていた。ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では135位にランクされている。

ギターソロはジョージの親友であるエリック・クラプトンが演奏している。一説に、ジョージがこの曲の特徴であるギターの「泣き」を表現しようとしたがうまく出来ず、クラプトンに依頼したという。また、この頃のグループの雰囲気の悪さを少しでも緩和するための配慮でもあったといわれている(実際、クラプトンがスタジオに姿を現すと「それまで不機嫌だったジョンとポールが急によそいきの態度に変わったんだ」と「ビートルズ・アンソロジー」でのインタビューでジョージ自身が語っている。ここでの経験が、翌年の「ゲット・バック・セッション」でのビリー・プレストン起用に繋がっていった)。しかしクラプトンは「ビートルズの曲で演奏するなんて恐れ多くて……」と尻込みしており、相当なプレッシャーがかかっていたようだ。ジョージは「これはビートルズの曲ではなくて、僕の曲だ。僕の曲の演奏を、僕がやってくれと頼んでいるんだから、気にしないでいいんだ」といって説得したという。

クラプトンがこの曲を演奏したギター(ギブソン・レスポール)はジョージに譲渡されているが、後に盗難の被害にあってしまう。幸い、このギターは発見され、ジョージが盗んだ者に代わりのレスポールを買い与える事で取り戻した。

この曲は日本で初のアップル・レコードからのシングルとして発売されている。ちなみに日本でシングル発売された時のタイトルは「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」と何故か「ホワイル」が抜け落ちていた。

現在、この曲以降のジョージ作のビートルズ・ナンバーはジョージの個人楽曲出版社ハリソングス・コープスが保有しているが、この曲と同アルバムに収録されている「ピッギーズ」「ロング・ロング・ロング」「サボイ・トラッフル」の4曲は最初アップル・パブリッシングが保有していた。

この作品でジョン・レノンはエレキギター、ジョージはアコースティック・ギター、ポールはピアノを演奏している。 「"Eh,Up!"というジョン・レノンのカウントから始まっている」と言われているが、CDの曲区切りでいくと「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」の最後に言っていると言える。

1971年、ジョージがミュージシャンとして初めて行ったバングラディッシュ飢餓救済を目的としたチャリティライブより

リードギターには友情出演エリック・クラプトン

では、どうぞ


幸せの予感

2010-03-28 23:10:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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Paul McCartney and Wings 「With a Little Luck」(幸せの予感)

メンバーはポールと妻リンダら3人になってリリースしたアルバム『ロンドン・タウン』の9曲目に収録。

LP版ではB面冒頭の曲だった。また『グレイテスト・ヒッツ』『オール・ザ・ベスト』『夢の翼*ヒッツ&ヒストリー*』にも収録されている。

『ロンドン・タウン』の洋上セッションでレコーディングされた。シングルカットは1978年4月23日で、『ロンドン・タウン』からのカットでは1枚目に当たる。

同じ『ロンドン・タウン』から「なつかしの昔よ」(Backwards Traveller)~「カフ・リンクをはずして」(Cuff Link)をB面に採って発売された。アメリカのビルボード(Billboard)誌では、

1978年5月20日に週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1978年年間ランキングでは第28位。イギリスでは5位となった

これはこの曲のデモですが、時間は6分ほど、ベースがメインの音源となっていて、貴重なものになっている。

本曲



星がきれいに観える林檎の木のそばで撮った記念写真

2010-03-28 23:00:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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Ringo Star 「Photograph(思い出のフォトグラフ)」

かつて、「すりおろしリンゴ」のCM()に宮沢りえの後を継ぎ、小向美奈子と同じ潜在能力の彼が出演、「リンゴリンゴリンゴスター」と「リンゴリンゴリンゴスベッた~」に日本のビートルズファンには衝撃的で、商品はいつしか消えていったが…でも日本以外でも何本かCM出てますが・・・

さてこの曲は、アルバム『リンゴ』の先行シングルとして、1973年9月にアメリカで先行発売され、10月にはイギリスでも発売された。

参加ミュージシャン

リンゴ・スター - ボーカル、ドラムス

ジョージ・ハリスン - アコースティック・ギター、バッキング・ボーカル

ヴィニ・ポンシア - アコースティック・ギター

ジミー・カルヴァート - アコースティック・ギター

ニッキー・ホプキンス - ピアノ

クラウス・フォアマン - ベース

ジム・ケルトナー - ドラムス

ボビー・キーズ - テナー・サックス

ロン・ヴァン・イートン - パーカッション

デレク・ヴァン・イートン - パーカッション

ジャック・ニッチェ- オーケストラ・アレンジ、コーラス・アレンジ

と、ジョージ・ハリスンの友情での合作で、イギリスでは4位、アメリカでは初の1位を獲得した。




濡れ手で栗にブレてみる

2010-03-28 22:48:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)「Telephone Line」

イギリスのバーミンガム出身のロックバンド。1970年に活動を開始、1971年にレコードデビュー。1970年代から1980年代にかけて世界的な人気を博した。1970年代のアメリカで最も多くの(ビルボード40位以内の)ヒット曲を持つバンドであり、「ビートルズよりもビートルズらしい曲を持ったバンド」とも言われた。略称ELO(イー・エル・オー)。「ロックとクラシックの融合」を目ざし、全盛期には「世界、最小で最高のオーケストラ」と言う称号を得た。

この曲は1976年アルバム「オーロラの救世主」に収録、翌年シングルカットされ、全米7位を記録しているナンバー。

彼らのお豆な知識

リーダーのジェフ・リン(写真の人)は、ビートルズのコアなファンであり、「ジェフ・リンの自宅のレコード棚にはビートルズとバルトークのレコードしかない」と英国の音楽誌に書かれたことがある。

日本のミュージシャンにも影響を与え、奥田民生のELO好きは有名である。パフィーは後にELOの代表曲である「Don't Bring Me Down」をカバーした。また、奥田民生とパフィーは、アルバム『ズーム』の国内盤に推薦文を寄せている。

彼の歌う姿は子門真人さんに似てます。



生きている自分を愛してみよう。

2010-03-28 22:36:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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YMO「以心電信 (Live Earth)


彼らにとって9枚目のシングル。作詞;細野晴臣、ピーター・バラカン、作曲;坂本龍一、高橋幸宏

1983年、国際連合による「世界コミュニケーション年(WCY)」のテーマ曲として、アルバム『サーヴィス』に先駆けてシングルカットされた。NHKで頻繁に流されたが、そのことを録音前に知ったYMOの3人は「俺たちはゴダイゴか?」と苦笑した(1979年国際児童年キャンペーンソングとして使用された「ビューティフル・ネーム」と比較して)。

歌詞にある「七つのボタン」は軍服のことを指すが、NHKで放送されるか不安に思ったという。また細野晴臣はのちに、当時アメリカの自助運動に関心があり「自分を助けられない人間に他人なんか助けられない」と言う想いで、いわゆるチャリティーソングへの半ば皮肉もこめて作詞したと回想している。

坂本龍一のコメントによると、楽曲的にはビートルズのにぎやかな曲に影響されており、華やかさがある式典をイメージしているとのこと。

録音時期はアルバム『浮気なぼくら』と同時期に行われた。そのため、この曲の「予告編」がアルバム『浮気なぼくら』に収録されている。なお、アルバム『浮気なぼくら』以降、メンバーの確執に似たすれ違いのため、三人が同時にスタジオに入ることはなかったが、この曲だけは三人で作業を進めた。つまり、YMO散開(解散)前、メンバー三人が同時にスタジオで録音した最後の曲である。

正式リリース前に、坂本龍一がパーソナリティを務めていたラジオ番組「サウンドストリート」にてこのテイクとは異なる歌詞とミックスで放送されたことがあった。また、シングルバージョンは、アルバムバージョンとはフェイド・アウト部分が異なっている。

2007年7月7日に行われたライブ・イベントLive Earthより、14年ぶりにYMOとして演奏が行われた。これらのライブでは一部歌詞が変更されている。

<You got to help yourself>

たくさんの眩しい光、とけて消えちゃいそう…

2010-03-28 22:24:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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Perfume「ワンルーム・ディスコ」

2009年5月10日、代々木競技場第一体育館ライブより。

この曲は、2009年3月にシングルとしてリリースし、アルバム「トライアングル」に収録されている。

「わしやま音楽祭」では、VOL.1は「ポリリズム」、VOL.2は「Dream Fighter」、VOL.3は「Love the world」を取り上げましての登場、哀川翔さんと同じ潜在能力の‘Yes,we can’のっち(大本彩乃)、サモハン・キンポーと同じ潜在能力のかしゆか(樫野佑香)、椎葉ユウさんと同じ潜在能力のあーちゃん(西脇綾香)からなるグループであるが、作詞・作曲・編曲・プロデュースを手がけ、彼女たちを影で支え、「神」と言われる中田ヤスタカは、メンバーのあーちゃんと同じ潜在能力であり、大変特殊な能力の持ち主であり、縁がある。

人生初の一人暮らしを始めた女性の姿を描いた歌詞に注目です。
メンバー3人のうち、写真の人と同じ潜在能力の人は誰でしょう?


男達の別れは寂しいと・・・

2010-03-28 22:12:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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矢沢永吉「親友」

山川啓介さんが書いた作詞は男同士しかわからない友情の姿を描いてます。
ちなみに山川さんは永ちゃんのこの曲、「時間よ止まれ」、他アイドルや特撮ヒーローものなど多方面での作詞を残している。

山川さんの潜在能力は大江裕、小島よしお、小久保裕紀、柳沢慎吾らと同じで、相手に同化し、目標があればどこでもやりつづける凄い人です。

しんみり来る永ちゃんの歌唱をご堪能ください。


懐かしい歌を笑いあおう

2010-03-28 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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UNICORN 「すばらしい日々」

1993年にリリースし、この年を持って事実上の解散状態になったもの、2008年暮れにバンド再結成宣言し、今に至りますが、

メンバーは、ボーカル&ギターは、西川さとりと同じ潜在能力の奥田民生、

ギターは大山のぶ代と同じ潜在能力の手島いさむ、

ベースは小倉智昭と同じ潜在能力のEBI、

キーボードは森永卓郎と同じ潜在能力の阿部義晴、

ドラムは菅野美穂と同じ潜在能力の川西幸一

からなる。



草にねころぶ、あなたが好き

2010-03-28 21:48:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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太田裕美「木綿のハンカチーフ」

作詞:松本隆、作曲:筒美京平という日本音楽界において、最強といえるコンビによるもので、松本氏はそれまで、日本の音楽に「ロック」を取り入れようと活動したバンド「はっぴぃえんど」の一員でかつ、洋楽の風を浴びたロック音楽に日本語歌詞を乗っけ成功した張本人、バンド解散後は作詞家として出発したばかりの青年、当時流行っていた歌謡曲には興味なかったらしく、音楽関係者から『「ロック」音楽で日本語歌詞つけれるなら、歌謡曲もできるでしょ?』と挑戦状的に突きつけられ、完成したのが「この曲」で、できあがった詞に筒美氏は曲をつける事に難色を示したが、やってみないとわからない「成り上がり」な松本氏と「理性」・「知性」・「感情」の潜在能力のバランスのとれた筒美氏のザキヤマが「クル~」なメロディラインで、フォーク調な切ない歌詞は音調とともに人を寄せ付け、巧みなる心をつかみ、1975年暮れにリリース、子門真人「およげ!たいやきクン」に1位を阻まれ、最高2位止まりながらも、年間4位という大ヒットで、一緒にチャートインした荒井由実「あの日に帰りたい」、イルカ「なごり雪」、グレープ「無縁坂」、とともにこの時期の状態を表すかのように切ない叙情でコアなフォークソングからメインカルチャー化するニューミュージックの走りを物語る。

ブラックマヨネーズ小杉竜一と同じ潜在能力で「ヒーハー!」な太田さんですが、当時人気あった「キャンディーズ」と同じ事務所のアイドルで、清潔感あるルックスと歌詞が暗く、フォーク調な歌を歌うギャップで、独自の世界観で大学生を中心にファンがつき、学園祭では引っ張りだこにステージに立つほどで、「学園祭の女王」と言われ、その言葉は彼女から出てきたと言われる。
「木綿~」以降のシングルはしばらくベスト10入りする曲ヒットしたりするも、リクエストされるのは常に「木綿~」で、声が出ないほど歌い、苦しめられ歌いたくない時があり、コンサートリストから外したりしたこともあった。しかし、来たお客さんからの「この曲を聴きにコンサートに来た」、「この曲を聴くと和みます」という強い影響力に心打たれ、現在ではライブ活動をこなし、この曲を聴きたい人のために曲とともに自身歩いてる状態です(その他、石川ひとみ「まちぶせ」、松崎しげる「愛のメモリー」、秋川雅史「千の風になって」、夏川りみ「涙そうそう」も同様なことが言える)。

「フォークジャンボリー」お疲れ様です。

遠距離恋愛の切ない男女間の思い、「探偵ナイトスクープ」の岡部さん?が歌います。



暗示

2010-03-28 21:36:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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The Rolling Stones「悲しみのアンジー」

國母和宏、浅田舞と同じ潜在能力のVoのミック・ジャガー、福原愛、上村愛子と同じ潜在能力のGのキース・リチャーズの長年にわたる犬猿の仲ぶりで、ローリング・ストーンズの音楽が成り立っているのではと聴くたび感じますが、

この曲は、1973年、アルバム「山羊の頭のスープ」からのシングルカットで、アルバム、シングルともに全米1位を獲得し、日本ではTVドラマの主題歌として起用されたり、「ポンキッキーズ」出演していたデルモのあんじ(1975.8.30~)は父親がこの曲が好きということでその名前をつけたのは有名である。

この曲はデビッド・ボウイの妻アンジーのことを歌っていて、しんみりと来るメロディラインとあなたのことが好きと遠くから眺めている姿を思い浮かべる。



幸せなことを願います。

2010-03-28 21:24:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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アンジェラ・アキ「手紙-拝啓十五の君へ-」

西川きよしさんの息子忠志さんと同じ潜在能力の方で、今井美樹、hitomi、椎名林檎、松任谷由実らと並び背の高い女性ミュージシャン(男性なら黒田俊介:コブクロ、布袋寅泰、吉井和哉、平井堅など)に分類され徳島出身ということもあり、方言丸出し、しゃべると止まらない知的な彼女でありますが、

プロのミュージシャンになると決め、OLと並行で、自主で作ったCDをレコード会社に売り込んでいた時、関係者からルックスの良さから「ミュージシャンよりモデルのほうがいいじゃない」と言われ、このことが傷つき、悔しい思いを背負いつつ、目標に曲げず、ようやく願いが叶い、日本武道館ライブ達成と順調に進み、彼女にとって、力作といえるナンバーが紹介するナンバーである。

この曲は2008年秋になりかけようとしたときにリリースし、オリコンチャート最高位3位を記録し、長期にあたりTOP50以内に半年間滞在したナンバーで、

歌詞では15歳の「僕」が、悩みを未来の自分に宛てて“手紙”として書くことによって今を生きていくということを表している。

この曲は、元々第75回(平成20年度)NHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲「手紙」として作られた曲である。課題曲の編曲は鷹羽弘晃で調はハ長調だが、セルフカバーの編曲はアンジェラ・アキで調は変イ長調と課題曲より半音4つ分(長三度)低くなっている。

曲は、アンジェラ・アキが自分自身が15歳の時に自分宛に書いた手紙が30歳の誕生日に母親から届いたことをきっかけに作られた。

この曲を作ったアンジェラ・アキと合唱コンクールで歌う中学生たちとの交流を描いた3本のドキュメンタリーがNHKで放送されている。「拝啓 十五の君へ」が2008年5月、「続・拝啓 十五の君へ」が2008年9月の放送。「拝啓 旅立つ君へ」が2009年3月の放送。それぞれ数回の再放送を重ねている。また、2009年5月には「拝啓 十五の君へ 若松島編」が放送された。1年の間に1つの歌をテーマに4本の特番が放送される異例の展開となったほか、2009年3月にはポプラ社からドキュメンタリーの書籍化として「拝啓 十五の君へ」が出版された。




あーやーやーやーやー、テレ東LOVE!

2010-03-28 21:12:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
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アンジー「天井裏から愛を込めて」

1980年に山口県長門市で結成。

1982年メンバーは、福岡県福岡市に活動拠点を移し、アマチュア活動を行い、1986年に上京し、キャプテンレコードからミニアルバム3枚を発売。

デビュー目前、地元福岡のビブレホールでのサヨナラライブでは観客が盛り上がりすぎて、ビブレホール下のコンクリート天井に亀裂が入り今も痕が残っている。

1988年にシングル『天井裏から愛を込めて』(メルダック)でメジャーデビュー。この『天井裏から愛を込めて』では、ライブ観客にバナナを1本ずつ配って観客に振りかざしてもらうなど、場内一体となって盛り上がった(PVではバナナに関する情報提供を呼びかけていた)。この他に『素晴らしい僕ら』などのヒット曲を出した。独特の鼻にかかった三戸のボーカルスタイルは、一部に熱狂的な支持を得た。

1992年に活動停止(事実上の解散)。

1999年から2002年にかけて、一時的に再結成。アルバムを発売し、数回再結成ライブを行った。
メンバー

第一期
水戸華之介 (Vo.)
中谷のブースカ (B.)
植中ぼんじ (Gt.)
藤井がちゃ彦 (Dr.)

第二期
三戸(水戸改め)華之介 (Vo.)
中谷のブースカ (B.)
嶋尾ジョージ (Gt.)
藤井がちゃ彦 (Dr.)

第三期
三戸華之介 (Vo.)
中谷ブースカ (Gt.)
岡本様ひこ (B.)
藤井がちゃ彦 (Dr.)

現在

三戸は活動名義をインディーズ時代の水戸華之介に戻す。いくつかのバンドの結成・解散を経て、内田雄一郎(筋肉少女帯)や中山加奈子(プリンセス・プリンセス)らとバンド『水戸華之介&3-10chain』を結成する(その後メンバーの入れ替えがあり、一時は森若香織:GO BANDSも参加していた)。一時闘病生活を余儀なくされるが現在も様々なバンドで活動中。

中谷は本名の中谷信行の名義で『水戸華之介&3-10chain』向けの楽曲を提供するなどの活動を行っている。

岡本は三戸らと一時『水戸華之介&エレカマニア』を結成するも、解散。音楽活動は本名の岡本雅彦名義で継続中。

藤井は故郷の長門に帰り、音楽活動は行っていない。1999年の再結成以降はライブに参加しておらず、21世紀に入って完全なアンジーは組まれていない。

植中は地元に戻り、FM AQUA(コミュニティFM局)に出演中。音楽活動は行っていないが番組内やイベントでギター演奏を行ったりする。


和月伸宏の漫画『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の登場人物:悠久山安慈は、バンド名が名前の、三戸華之介が外見のモデルとなっている。 また、同漫画において、「マグマの人よ」の歌詞が書かれていた。

ダウンタウンの松本人志が、自身のラジオ番組などでしばしばTV番組「夢で逢えたら」(1988年~91年)の1コーナー「バッハスタジオⅡ」に出演したバンドの中で一番印象に残っているバンドとして彼らの名前を挙げることがある。特に「天井裏から愛を込めて」が好きだったとのこと。因みに、彼らとの思い出を語る際、「ボーカルの人(三戸華之介)は風貌こそ怖そうに見えるが、すごく腰の低い良い人だった」と必ず付け加える。
しかし、そこまで好きだったと言っておきながら、一度、自身のラジオ番組である「放送室」の中で「アンジー」のことを、ディレクターから指摘されるまで「ガンジー」と発言し続けていたこともあった。