マルクス主義同志会の60年安保50周年集会が盛大に行われ、多数の人々が集会に参加し、マスコミにも注目され、ひがみ根性だけで生きている同志会の会長さまが久しぶりに気をよくしている。
しかし、この集会である労働者が提起した問題にマルクス主義同志会は答えたのだろうか?
彼が提起した問題は、マルクス主義同志会はブントに対して批判的だが、その批判的なブントにマルクス主義同志会が執着するのはなぜか、という問題であった。
マルクス主義同志会はこの質問に答える変わりに、6月15日の集会にふれ、早稲田大学では60年安保闘争やブントについて語る資格のない連中(ある事象を語るのになぜ資格が必要か)が集会をやっている、東大では、六〇年安保闘争やブントとは全く無関係な連中が集会をやっている(マルクス主義同志会の集会には60年安保の関係者だけがあつまっているのか)等々と毒舌を述べた後で、「半世紀前に始まった、『社共に代わる』新しい社会主義・共産主義の新しい運動の担い手が、推進者が、正当な後継者が、つまり『嫡子』が、我々以外では決してない」と自分たちマルクス主義同志会がブントの正統な後継者であることを宣言する。
しかし、そうはいってもマルクス主義同志会は、「この運動を指導したブントは、そうした正しい方向性を提示したものの、それを空文句に変えました。ブントは本質的に小ブルジョア急進主義であり、その後生まれてきた新左翼も含めて労働者はそれを美化することは出来ません。」ということはことを認めざるをえない。
つまり、マルクス主義同志会は、「『社共に代わる』新しい社会主義・共産主義を」というブントの言葉が単なる空文句であったことを認めつつも、ブントの偉大な意義は空文句、つまり“たわごと”をほざいたことであるというのである。
そしてマルクス主義同志会は、この立場について、「我々はブントを『止揚した』のである、つまり正しく総括し、それを徹底的かつ根底的に否定した」のであるという。
しかし、止揚(肯定的なものを保存した否定)と「徹底的かつ根底的に否定」することは同じではない。前者は「否定の否定」であるのに対して、後者は単純な意味での「否定」である。
ブントの運動は本質的に小ブルジョア急進主義であったことは事実である。彼らは安保闘争を果敢に闘い、そして崩壊した。一つの大きな闘争が山場を過ぎると途端に潮が引いたように活動家が消滅しするところに、この運動の小ブルジョア性が典型的に現れているが、わずかに残った部分はその後、新左翼となり、60年代後半の全共闘運動へとつながっていった。そしてここでもまったく同じことが起こった。実際、ブントの小ブルジョア急進主義は否定されたのではなく、「止揚された」だけなのだから、その本質は何も変わっていなかったのである。
この廃墟の中から、われわれ(社労党)は出発したが、われわれもまた80年代に壁につきあたり、90年代に明確に退化を始めた。そして21世紀にはいるとマルクス主義同志会は公然とマルクス主義(この中にはレーニンの諸著作も含まれている)を否定して、日本の“ティー・パーティー”(保守的な“小さな政府”論者)にまでおちぶれている。
こういう集団が、ブントの“正統的後継者”を自称するのは、ある意味で理にかなっているのだろう。
しかし、この集会である労働者が提起した問題にマルクス主義同志会は答えたのだろうか?
彼が提起した問題は、マルクス主義同志会はブントに対して批判的だが、その批判的なブントにマルクス主義同志会が執着するのはなぜか、という問題であった。
マルクス主義同志会はこの質問に答える変わりに、6月15日の集会にふれ、早稲田大学では60年安保闘争やブントについて語る資格のない連中(ある事象を語るのになぜ資格が必要か)が集会をやっている、東大では、六〇年安保闘争やブントとは全く無関係な連中が集会をやっている(マルクス主義同志会の集会には60年安保の関係者だけがあつまっているのか)等々と毒舌を述べた後で、「半世紀前に始まった、『社共に代わる』新しい社会主義・共産主義の新しい運動の担い手が、推進者が、正当な後継者が、つまり『嫡子』が、我々以外では決してない」と自分たちマルクス主義同志会がブントの正統な後継者であることを宣言する。
しかし、そうはいってもマルクス主義同志会は、「この運動を指導したブントは、そうした正しい方向性を提示したものの、それを空文句に変えました。ブントは本質的に小ブルジョア急進主義であり、その後生まれてきた新左翼も含めて労働者はそれを美化することは出来ません。」ということはことを認めざるをえない。
つまり、マルクス主義同志会は、「『社共に代わる』新しい社会主義・共産主義を」というブントの言葉が単なる空文句であったことを認めつつも、ブントの偉大な意義は空文句、つまり“たわごと”をほざいたことであるというのである。
そしてマルクス主義同志会は、この立場について、「我々はブントを『止揚した』のである、つまり正しく総括し、それを徹底的かつ根底的に否定した」のであるという。
しかし、止揚(肯定的なものを保存した否定)と「徹底的かつ根底的に否定」することは同じではない。前者は「否定の否定」であるのに対して、後者は単純な意味での「否定」である。
ブントの運動は本質的に小ブルジョア急進主義であったことは事実である。彼らは安保闘争を果敢に闘い、そして崩壊した。一つの大きな闘争が山場を過ぎると途端に潮が引いたように活動家が消滅しするところに、この運動の小ブルジョア性が典型的に現れているが、わずかに残った部分はその後、新左翼となり、60年代後半の全共闘運動へとつながっていった。そしてここでもまったく同じことが起こった。実際、ブントの小ブルジョア急進主義は否定されたのではなく、「止揚された」だけなのだから、その本質は何も変わっていなかったのである。
この廃墟の中から、われわれ(社労党)は出発したが、われわれもまた80年代に壁につきあたり、90年代に明確に退化を始めた。そして21世紀にはいるとマルクス主義同志会は公然とマルクス主義(この中にはレーニンの諸著作も含まれている)を否定して、日本の“ティー・パーティー”(保守的な“小さな政府”論者)にまでおちぶれている。
こういう集団が、ブントの“正統的後継者”を自称するのは、ある意味で理にかなっているのだろう。