今日の日経新聞の一面を見て驚いた。何と、あの日経が昭和天皇の発言を載せているではないか。もちろん内容は昭和天皇が靖国神社に参拝しなかったのはA級戦犯が祭られているからであるという昔から言われていたことで、あまり目新しい発言ではない。
こういう昔から言い古されてきた話を蒸し返さなければならないほど現在の良心的ブルジョア諸氏の苦境のほどがしのばれるのだが、残念ながら時すでに遅しであり、昭和ははるか彼方である。
そもそもがだ、わが友、『日本経済新聞』氏は、われわれが現在の排外主義的民族主義者のことをわざわざ「バカ右翼」と「バカ」をつけて呼んでいるのかまるで分かっていない。これは修辞ではなく、言葉の本当の意味でそうなのだ。
わが友、『日本経済新聞』氏は、彼らのうち、「大御心」を「おおみこころ」と読める人間が果たして何人いると思っているのか、そしてその意味を正しく理解できる人間が果たして何人いると思っているのか。
はっきりいってゼロだ。彼らは「昭和時代」の排外主義的民族主義者ではなく、21世紀のそれなのだから、「大御心が発せられたのである」などといわれても、「あの人はあの人、自分は自分、だから関係ない」(小泉純一郎の言)などと平気で言えるのである。
基本的に彼らは戦後民主主義の中で生まれ育ってきた“鬼っ子”で、民主主義の爛熟と退廃の産物であり、その否定物でしかない。彼らはブルジョア民主主義に社会の分裂のみを見て、自分たちの心のよりどころを日本国家に求めているのだが、その日本国家というのは、現実の日本国ではなく、自分の観念の中にある日本国家なのであって、自分の都合のいいように観念化された日本国家でしかない。その観念の中でのみ、日本は「強く、正しく、美しい」国であるのだが、現実はそれとは正反対で、あまり強くもなければ、正しくもないし、美しくもない。だから現実そのものが彼らの自尊心をひどく傷つけるのであって、傷つけられた自尊心はますます狭隘な排外主義と民族主義に転化していく。
その彼らがもうすぐ政権を手に入れる。われわれは強制収容所で餓死する決意ができているが、わが友、『日本経済新聞』氏はどうなのか?今問われていることはそういうことであろう。