労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

精神障害者の解放

2008-03-27 02:31:27 | Weblog
 名前は忘れたけれど、フランス革命の時、精神病院の重く閉ざされた扉を開けて精神障害を、隔離された場所ではなく、開かれた社会のなかで治療しようとした精神科医がいた。
 
 以来、何度かそのような試みがなされたときもあったが、結局、うまくいかなかった。
 
 そして、障害者自立支援法が制定された日本でもそのような試みがなされている。
 
 障害を持った人々に救いの手をさしのべ、自立を支援するというこの法案の趣旨全体は肯定すべきものであるのだが、社会は本当に障害を持った人々に救いの手をさしのべているのだろうか?
 
 私の姉は重度の精神病で若いときから精神病院へ入院したり、退院したりを繰り返してきたが、最近精神病院へ面会に行くと、たいてい医者に別室に呼ばれて、退院しろというようなことをいわれていた。
 
 しかし、私は県営住宅に住んでおり、子どもも多いから、無理だとしかいえなかった。
 
 子どもに姉がからかわれたり、いじめられたりするのは家族としてたえられないし、団地の人々も姉を受け入れるだけの寛容さをもちあわせてはいない。
 
 それで結局、医者の申し入れをお断りしていたのだが、母が赤星村のような田舎で小さな家を建てて、そこで暮らすのであれば姉も引き取れるかもしれないといったので、それを受け入れることにした。
 
 しかし、小さな家といっても、百万円や二百万円で家は建てられないので、結局、私個人が莫大な借金を背負うことになってしまった。
 
 そしてこういったことは、私の生活を一変させてしまっている。
 
 これまではどうせ“二足わらじ”なのだから、“一足目のわらじ”(生活費を稼ぐための労働)は軽い方がいい、人生の“重荷”はできるだけ背負わないようにしようという考えだったが、頭のてっぺんまで借金漬けになってしまったので、“一足目のわらじ”は編み直して、もっとしっかりしたものにする必要性が出てきた。そのためにの“二足目のわらじ”は多少薄くなっても仕方がないと思っている。
 
 だから、会社も変わることにした。
 
 本当は電気工事屋をやっているときに肝臓を悪くして、肉体労働はもう無理だと医者に言われているのだが、この際、そんなこともいっていられない。
 
 そこで、姉の話だが、姉にはまだ面倒を見てくれる家族がいる。母も私ももう若くはないし経済力もないが、それでもいないよりはましであろう。
 
 しかし姉の“友人”たちのほとんどは、精神病院に捨てられてしまっている人々である。彼らには本当にいくところがない。
 
 フランス革命の時の精神科医の「精神障害者に光を!」という叫びはまだ実施はされていないし、ブルジョア社会では無理なのかもしれない。 

そんなに気を使わなくても

2008-03-08 21:30:20 | Weblog
 となりで大きないびき声で寝ている人のジャマをして起こさないように気をつけなければならない以外は、ネットカッフェ通いも結構気楽な人生なのだが、どういうわけか光ファイバーが引けるのは1年後か数年後か分からないと言っていたNTTからは、あれからすぐ光ファイバーを引きますという訂正の連絡があった。

 それに年金特別便も来た。

 やっぱり、教育労働者をやっていた頃の記録は全部消されていた。私が教育労働者であったこと自体を認めたくない人々がいたということだろう。

 昔、社保庁の職員が、「アンタは年金をもらえないよ」と言っていたから、うすうすこういうことだろうとは思っていたが、今になって、実は、インチキやってましたといわれるのも何かしらける。

 もともと社会の片隅でひっそりと生きていくのがわれわれには似合っていると思っているから、皆さんにこんなに親切にされるとかえって心苦しい気持ちになる。

 それはともかく光ファイバーは今月の21日に開通します。
 

 

 

はぐれ右翼混乱派

2008-03-08 20:33:38 | Weblog
 一般的にいって、右は右翼から左(?)はマルクス主義同志会まで、日本のすべての政治組織にとって、赤星マルクス研究会は存在してはならない存在であるがゆえに、存在しないことになっている。
 
 要するに、われわれは幽霊、もしくは亡霊、もしくは白日夢のような社会的存在なのであり、そのようなものとして誰も相手にしない“決まり”になっている。もちろんこういうことはわれわれが決めたことではないし、頼んでそうなったというものでもないのだが、いつの間にか社会通念上そうなっているのである。
 
 そういう社会的な約束事を知りながら、あえてわれわれにからんでくる人はどこの組織にも属していない人にちがいないのだが、それにしても何が言いたいのかさっぱり分からない。
 
 言ってることも、やっていることも中途半端で、起承転結がない。
 
 自分は「落日のマルクス」というが、あとの方で「マルクス主義は復讐の哲学だった」というのであるから、むしろ「落日のマルクス主義」といった方が適切であろう。「落日のマルクス」というのは、死ぬ直前のマルクスのことであり、マルクスがもっとも光り輝いていた時代であり、こういう時に使う言葉ではない。
 
 そしてマルクス主義は復讐の哲学で、すでに落日をむかえようとしているイデオロギーであるというのであれば、なぜそのように否定的なものにいつまでも関わりをもとうとするのであろうか?
 
 それこそ自由民主党に入るなり、本当の反共右翼にでもなって、街宣車に乗ればいいではないか?と考えるのだが、この人はそうではないのである。
 
 このあたりが非常に興味深いところなのだが、この人、実は、れっきとした元“左翼”なのである。
 
 1990年代の、“古い社会主義”の崩壊期に、スターリン主義者は悔い改めて、社会民主主義へと純化していったが、新左翼の一部分、特にブント(第一次、第二次、第三次を問わずすべてのブント)のある部分は悔い改めて反共右翼になっていったのであるが、おそらく「落日のマルクス主義」氏もそんな一人なのであろう。
 
 なぜこういう奇妙なこと(右翼が左翼を僭称している)が起こっているのか?それはいうまでもなく彼らがスターリン主義とマルクス主義を一緒くたにして放棄してしまったからである。
 
 実際には、左翼運動からマルクス主義を取り除いたら何も残らないのだが、彼らは、マルクス主義を放棄したあとで、彼らにかろうじて残った「反権力」もしくは「反体制」といったあいまいな意識のみを自らの“革命性”の証(あか)しとして活動しているのである。
 
 では、その「権力」なり「体制」というのは何か?われわれにとってこのような設問にたいする解答は明確であろう。われわれにとってそれは「資本の権力」であり「ブルジョア的な体制」なのだが、スターリン主義とともにマルクス主義を放棄している彼らにとって、それは何よりも「共産党もしくは共産主義的政党の権力」であり「スターリン主義体制」を意味する。
 
 そして彼らにとってスターリン主義とはマルクス主義のことであり、マルクス主義とはスターリン主義のことであった。だから彼らにとって“革命運動”とは、何よりもマルクス主義に反対することであり、社会主義に向かおうとするあらゆる傾向の人々と闘うことなのである。
 
 かくして主観的には左翼だが、客観的には“反共右翼”という何とも奇妙で混乱し、自己矛盾している政治潮流が生まれることになる。われわれはこういう潮流に属する人々に“はぐれ右翼混乱派”という名前をつけたが、ブントの老舗(しにせ)であるマルクス主義同志会の最近の迷走ぶりもある意味ではこのような潮流に共通するものをもっている。
 
 そしてこういう人々を突き動かしているのは、いみじくも彼ら自身がいうような「報復の哲学」である。かつてはスターリン主義=マルクス主義を信奉していたが、裏切られたがゆえに、今ではスターリン主義=マルクス主義に報復してやろうという気持ちでいっぱいなのである。(この場合は、むしろ、スターリン主義とマルクス主義の区別さえつかなかった自己の無知無能を責めるべきであろうが、こういった人々は一様に尊大で病的に肥大した自己意識の虜=とりこになっている人でもあるので、反省するということがまずできない人種である。)
 
 そういった人々の“労働運動版”まで登場して、われわれのブログは結構おもしろいものになっているのだが、“労働運動版”の“はぐれ右翼混乱派”はどうもいただけない。
 
 この人はわれわれが労働現場や労働争議を知らないというのだが、こういう言い方はわれわれにたいして何度となく投げかけられている言葉である。
 
 この人は「バブルが崩壊して日本が底なしの不況に突入していった時代、倒産は多かった。 しかし、不況のなかでも目立った労働争議は起きなかった。これは労働者が必死になって自分と家族を守ろうとしていたからであった。
 
 労働争議をやったら、よその会社で雇ってもらえなくなるかもしれない、今しばらくがまんすればやがて景気が回復して何とかなるかもしれない、そんな思いが労働者が闘いに立ち上がることを妨げていた。
 
 おそらくこの人(橋下大阪府知事)は、この労働者の苦難の時代に、労働者はおどせば、何とでもなるという、というまったくまちがった認識をもってしまったのであろう。
 
 しかし、この労働者の苦難の時代に労働者が学んだことは、がまんしても、景気が回復しても、悪くなった自分たちの境遇は変わらないということだ。
 
 会社をリストラされて街頭に放り出されても、賃下げをがまんして会社に残っても、“去るも地獄、残るも地獄”という情況には変わりがないということ、労働者の断固とした闘争のみが事態を変えることになるという“階級社会の真実”に最近労働者はようやく気がつきつつある。」とわれわれが言ったことにたいして、「お前たちは、労働現場や労働争議のことを何も知らないのだから黙っていろ」というのである。
 
 そしてこの人はわれわれにたいして、われわれのような世間知らずが存在しているということは日本資本主義にとって安泰であるともいうのである。
 
 つまり、この人は労働者の断固とした闘争のみが、労働者の現在の苦難を緩和するのであるというわれわれに見解にたいして、それは労働現場や労働争議を知らない者のいうことであるというのである。
 
 これは一体どういうことであろうか?正直言って、この人のいうことがわれわれにはまったく分からないのだが、少なくとも「知っている」、「知らない」ということが問題になっている以上それは、労働現場や労働争議を知っている者はわれわれとは違う見解をもっているということであろう。
 
 そしてそれがわれわれの「労働者の断固とした闘争のみが、労働者の現在の苦難を緩和する」という見解と違うというのであれば、「労働現場や労働争議を知っている者」のそれは「労働者の断固とした闘争は、労働者の現在の苦難を緩和しない」というようなものにならざるをえないであろう。
 
 ではどうやって「労働現場や労働争議を知っている者」たちは、現在の労働者の苦難を緩和しようとするのであろうか?この人はわれわれが闘争を主張していること自体がまちがっているというのであるから、当然それは、闘争ではなく交渉、話し合いによってということであろう。
 
 そしてこれは「労働現場や労働争議を知っている者」たちが、われわれが問題にしている90年代以降ずっと行ってきたことである。われわれははっきりと断言するが、闘争ではなく交渉、話し合いによって労働者の苦難を緩和しようという「労働現場や労働争議を知っている者」たちの試みはいまや最悪の結果を労働者にもたらしつつあるのである。
 
 会社(資本)と話し合ったが、会社(資本)の態度が強行なので仕方がない、というのはまだいい方で、「労働現場や労働争議を知っている者」たちなかには会社と一体になってリストラの承認や希望退職者の募集への協力、労働者の労働強化や長時間労働、サービス残業を受け入れ、正規雇用の不正規雇用への切り替えを積極的に推進してきた者たちまでいるのである。
 
 だから現在の労働者の苦難という点についていえば、これらの「労働現場や労働争議を知っている」という者たちのこれまで果たしてきた役割はけっして小さくはないのである。もちろん、ここでわれわれがいう「労働現場や労働争議を知っていると称する者たち」の果たしてきた役割というのは、否定的な意味で、つまり日本資本主義がバブル崩壊後の経済的困難を相対的過剰人口の創出、つまり劣悪な労働条件と日々の生活にも事欠く低賃金のもとで労働に従事しなければならない労働者層を大量に(日本の非正規雇用者は一千万人をはるかに越えている!)生みだすことによって、日本の労働者階級の平均賃金を抑え、そうすることによって資本の利潤を確保する一方で、その結果として日本の労働者階級の生活状態が一般的に年々劣悪化してしまうという悪循環のことであり、こういった現在の日本の労働者階級の苦難という点について、「労働現場や労働争議を知っていると称する者たち」が闘わずして資本の軍門に下った、むしろ資本の先兵となって労働者階級の窮乏化を推し進めてきたことの意味と責任は大きいといっているのである。
 
 そもそもがだ。「労働現場」や「労働争議」を知っているのか、知らないのか、ということが労働運動や労働組合について語ってもいいのか、いけないのかという基準になるというのは一体全体どういうことであろうか?それが労働者の大衆的な運動であり、自分の労働条件や生活に関わることであるのであれば、労働者は労働組合のなかで何を言ってもいいのであるし、むしろ組合員に積極的に発言を求めるのが労働組合というものであろう。
 
 ところが日本の労働組合運動は現実にはそのようなものになってはいない。日本の労働組合は、それこそ「労働現場や労働争議を知っている」と称する一握りの組合幹部や組合活動家たちだけの“私的所有物”になっており、その入り口には「関係者以外立ち入り禁止」という張り紙がしてあるのである。そしてその「関係者以外」の人々のなかには「労働現場や労働争議を知らない」、一般の組合員、つまり普通の労働者も含まれているのだから、「労働現場や労働争議を知っている」と称する一握りの組合幹部や組合活動家たちは普通の労働者に背を向けることによって、彼らの運動をますます狭いものにしており、普通の労働者が組合の意志決定から事実上排除されていることは、彼らの運動の堕落と形骸化と腐敗に拍車をかけるのみである。
 
 われわれ赤星マルクス研究会は、結成以来一貫して、左翼団体が労働組合を専一的に支配しようとする試みは、労働者と労働者政党の信頼関係を破壊し、労働者と労働者政党のまったく正しくない関係を作り上げることによってわれわれの事業、すなわち、労働者階級の解放というわれわれの偉大な事業を阻害するがゆえに、断固として反対してきた。このことは日本共産党にも、革共同革マル派にも、革共同中核派の天田氏にもはっきりと申し上げてきた。
 
 そして、同じ理由で、われわれは「労働現場や労働争議を知っている」と称する一握りの労働組合幹部や組合活動家たちが専一的に労働組合を支配することにも反対である。
 
 日本の労働者階級の生活状況がかつてないほど悪化し、日々の生活にも窮乏している人々が大量に生みだされてしまっている現状は、労働運動が蘇生することなしには解消されないし、労働運動が再生するためには、労働組合が「労働者一人一人のための労働組合」という労働組合運動の原点に立ち返る必要があることを教えている。
 
 つまり、現在の日本では、労働者による、労働者のための、労働者の労働組合が必要とされているのであり、社会的にそのようなものが必要とされているのであれば、そのような主張を掲げるかどうかにかかわらず、それは遅かれ速かれやがて生まれてくるのである。それが歴史的必然性というものであろう。
 
 そういうときにわれらの“はぐれ右翼混乱派”(労働運動版)氏はいうのである。「餅は餅屋にまかせて、労働運動は“経験豊かな”労働組合活動家にまかせよ」と。赤星マルクス研究会のような、“素人(しろうと)”がわけのわからないことをいっているようでは日本資本主義は安泰であると。
 
 これについてはわれわれは何も言うつもりはない。われわれはつねづね言っているように、われわれの運動は歴史的必然性に身をゆだねているがゆえに不滅であるし、われわれは労働者階級の真に信頼できる友になりたいと思っているのであり、そのためにいろいろな助言をするが、それを聞くかどうかは一人一人の労働者の判断にゆだねられているからである。
     

具体的労働による価値の“移転”

2008-03-08 20:31:52 | 経済
 マルクス主義同志会の今週の“お題”は具体的有用労働による価値の“移転”である。
 
 マルクスは労働を、価値を形成する抽象的人間労働と使用価値を形成する具体的有用労働という二重のものとしてとらえていた。
 
 ところが、価値増殖過程ではマルクスは具体的有用労働によって生産手段(原料、機械、道具等)の価値が商品に移転すると説明されている。
 
そのマルクス主義同志会によれば、「資本主義の理解のカギは具体的労働にあるのではない、商品の「価値」の秘密の究明は(したがってまた資本の本性の究明は)、抽象的人間労働がとる歴史的な形態(“物的な”形態)、価値の形態の追求と認識の中にこそあるのであって、その場合、具体的労働やその「意義」や「役割」についてのおしゃべりは、その重要性の強調はどんな意味をもってくるのか。大した意義があるようには思われない、あるいはむしろ問題の本質から、決定的に重要なことから目をそらさせる役割を演じているにすぎないのである。」(『海つばめ』第1063号)そうである。
 
 われわれにはマルクス主義同志会が何を言っているのかさっぱり分からないのだが、要するに、抽象的人間労働は神秘に彩られた崇高のものであり、マルクス主義同志会の諸会員氏らにとって信仰の対象になるということであろうか?(散文的に言えば、商品の価値の秘密の究明と資本の本性の究明はまったく別のことがらであるし、また労働が抽象的人間労働の形態をとるということ自体が商品生産社会に特有な歴史的な形態なのであり、価値形態の発展は価値表見の発達なのであって、価値の“物質化”の過程ではない。マルクス主義同志会はありとあらゆる誤解と曲解と混乱と錯乱の果てに、抽象的人間労働を神に祭り上げる新興宗教に到達しており、ここではその信仰の告白が行われているのである。)
 
 ここでマルクス主義同志会は抽象的人間労働は尊く、具体的人間労働は卑しいといった観点から、「具体的労働は『価値』に対しては無関係であり、直接にかかわりをもつことは決してできない」(『海つばめ』第1063号)、「抽象的人間労働は『価値を作り』、具体的労働は『価値を移転する』といった対置は、一般化されるなら空虚なドグマに転化するのである。」(『海つばめ』第1063号)とまでいうのであるから、これまでのように、愚かなマルクスの間違いを正して、彼らが真に正しいと思っているアダム・スミスの見解、すなわち、社会的生産物の全価値は収入(賃金、利潤、地代、すなわち、v+m)に分解するという見解に固執するべき場面であろう。
 
 ところが今回はそうではない。マルクス主義同志会は一方で、「抽象的人間労働は『価値を作り』、具体的労働は『価値を移転する』といった対置」は空虚なドグマであると断じながら他方で、『資本論』のつぎの個所を妥当なものとして承認するのである。
 
 「価値形成過程の考察のさいに明らかになったように、一使用価値が新たな一使用価値の生産のため、その目的にそくして消耗される限りでは、消耗された使用価値の生産のために必要な労働時間の一部分をなすのであり、したがってそれは、消耗された生産手段から新生産物に移転される労働時間なのである。したがって労働者が消耗された生産手段の価値を維持するのは、すなわちそれらの価値を価値構成部分として生産物に移転するのは、労働一般をつけ加えることによってではなく、この付加的労働の特殊有用的性格によって、それの独特な生産的形態によってである。このような目的にそくした生産活動としては、すなわち紡ぐこと、織ること、鍛造することとしては、労働は、ただ接触するだけで生産諸手段を死からよみがえらせ、それらに精気を吹き込んで労働過程の諸要因にし、それらと結合して生産物となるのである。
 
 労働者の独特な生産的労働がもし紡ぐことでないとすれば、彼は綿花を糸には転化しないであろうし、したがって綿花と紡錘との価値を糸に移転しもしないであろう。これに反して、同じ労働者が職業を変えて指物工になるとしても、かれは相変わらず一労働日によって彼の材料に価値をつけ加えるであろう。したがって労働者が彼の労働によって価値をつけ加えるのは、彼の労働がある特殊有用的な内容をもつからではなく、それが一定の時間続けられるからである。したがって紡績工の労働は、その抽象的一般的属性おいては、すなわち人間労働力の支出としては、綿花と紡錘との価値に新価値をつけ加え、紡績過程としてのその具体的、特殊的、有用的属性においては、これらの生産手段の価値を生産物に移転し、こうしてそれらの価値を生産物において維持する。そこから、同じ地点における労働の結果の二面性が生じる。
 
 労働の単なる量的な付加によって新たな価値がつけ加えられ、つけ加えられる労働の質によって生産手段の旧価値が生産物において維持される。労働の二面的性格の結果として生じる同じ労働のこの二面的作用は、さまざまな現象において手に取るように示される。」(『資本論』第1巻、新日本出版社文庫版2分冊、P341~342)
 
 ここではマルクスははっきりと「抽象的人間労働は『価値を作り』、具体的労働は『価値を移転する』といったマルクス主義同志会がいうところの“空虚なドグマ”に立脚して価値増殖過程を説明している。
 
 ところがマルクス主義同志会は、この部分を説明して、「マルクスも言うように、『生きた労働との接触』こそが、つまり『労働過程への生産物の投入』こそが、『これらの過去の労働の生産物を使用価値として維持し、また実現するための唯一の手段』(『資本論』三篇五章、岩波文庫二分冊一九頁)なのだから、我々は『生きた労働との接触』という視点にもっと注意を払うべきなのである(もちろん、『生きた労働』とは結局『具体的労働』ではないかと言われれば否定すべくもないが、しかしそこには“微妙な”違いがあるように思われる、というのは、『生きた労働』からその有用性を捨象して行くなら、そこには労働一般、抽象的人間労働が現われるからである)。」(『海つばめ』、第1063号)ともいう。
 
 「具体的有用労働の有用性を捨象すれば、つまるところ抽象的人間労働ではないか」というのは、社会的生産物の全価値はつまるところ収入(賃金、利潤、地代、すなわち、v+m)に分解するというアダム・スミスの“空虚なドグマ”を言い直したものにすぎない。マルクス主義同志会はアダム・スミスから出発してマルクスに戻るふりをして、再び密かにアダム・スミスの“v+mのドグマ”へと回帰しているのである。
 
 このようなアダム・スミスにたいしてマルクスはこのように批判していた。
 
 「アダム・スミスの第一の誤りは、彼が年間生産物価値を年間価値生産物と同一視している点にある。価値生産物のほうは、ただその年の労働の生産物だけである。生産物価値の方は、そのほかに、年間生産物の生産に消費されたとはいえそれ以前の年および一部分はもっと以前の諸年に生産されたすべての価値要素を含んでいる。すなわち、その価値がただ再現するだけの生産手段――その価値から見ればその年に支出された労働によって生産されたのでも再生産されたのでもない生産手段――の価値を含んでいる。この混同によって、スミスは年間生産物の不変価値部分を追い出してしまうのである。この混同そのものは、彼の基本的な見解のなかにあるもう一つの誤りにもとづいている。すなわち、彼は、労働そのものの二重の性格、すなわち、労働力の支出として価値をつくるかぎりでの労働と、具体的有用労働として使用対象(使用価値)をつくるかぎりでの労働という二重の性格を、区別していないのである。一年間に生産される商品の総額、つまり、年間生産物は、その一年間に働く有用労働の生産物である。ただ、社会的に充用される労働がいろいろな有用労働の多くの枝分かれした体系のなかで支出されたということによってのみ、すべてこれらの商品は存在するのであり、ただこのことによってのみ、それらの商品の総価値のうちに、それらの商品の生産に消費された生産手段の価値が新たな現物形態で再現して保存されているのである。だから、年間生産物の総体は、その一年間に支出された有用労働の結果である。しかし、年間の生産物価値の方は、ただその一部分だけがその一年間につくりだされたものである。この部分こそは、その一年間だけに流動させられた労働の総量を表す年間生産物価値なのである。」(『資本論』、第2巻、全集24巻、P463~464)
 
 マルクス主義同志会は、「具体的有用労働の有用性を捨象すれば、つまるところ抽象的人間労働ではないか」ということにより事実上、アダム・スミスの見解へと“先祖返り”をしており、このような観点から、「大谷にあっては、何か商品の価値は、有用的労働の結果たる“旧”価値と、抽象的労働の結果たる“新”価値の和として表されるのであるが、しかし実際には、価値は本質的に抽象的労働の対象化としてのみ価値である。」ともいう。
 
 しかし、マルクスがいうように「一年間に生産される商品の総額、つまり、年間生産物は、その一年間に働く有用労働の生産物」であって、抽象的人間労働の総計ではないのだから、マルクスの見解とアダム・スミスの見解は量的にも食い違うということになる。そういう点では、マルクス主義同志会は「もし具体的労働によって、生産手段の価値が移転されるというなら、具体的労働は直接にその量にも関係するということになるが、どんな形で価値の量と関係するのか、なぜ、またいかにして、生産手段と同じ量の価値が生産物の中に再現するのか、の説明は決してなされ得ないであろう。」(『海つばめ』、第1063号)というバカなことをいっている場合ではないのではないか。
 
 また、「『生きた労働との接触』こそが、つまり『労働過程への生産物の投入』」というように、「労働は、ただ接触するだけで生産諸手段を死からよみがえらせ、それらに精気を吹き込んで労働過程の諸要因にし、それらと結合して生産物となる」というマルクスの言葉を「労働過程への生産物の投入」(???)というように理解しているが、これも正しくない。むしろ逆に、「生産物」(生産手段という形態で存在している対象化された労働)にたいして労働力が投入されるのである。
 
 これはどうでもいいということではない。同じ『資本論」の第2巻でマルクスは次のようにもいっている。
 
 「生産の社会的形態がどうであろうと、労働者と生産手段はいつでも生産の要因である。しかし、一方も他方も、互いに分離された状態にあっては、ただ可能性から見てそうであるにすぎない。およそ生産が行われるためには、両方が結合されなければならない。この結合が実現される特殊な仕方は、社会構造のいろいろな経済的時代を区別する。当面の場合には、自由な労働者がその生産手段から分離されているということが、与えられた出発点である。またどのようにしてどんな条件のもとで、この二つが資本家の手の中で――すなわち彼の資本の生産的存在様式として――一つにされるかは、われわれがすでに見たところである。それゆえ、こうして一つにされた商品形成の人的要因と物的要因とがいっしょに入っていく現実の過程、生産過程は、それ自身が資本の一機能――資本主義的生産過程になるのであって、その本性は本書の第1部ですでに詳しく説明されている。商品生産の営みはすべて同時に労働力搾取の営みになる。しかし、資本主義的生産がはじめて一つの画期的な搾取様式になるのであって、この搾取様式こそは、それがさらに歴史的に発展するにつれて、労働過程の組織と技術の巨人的成長とによって、社会の全経済的構造を変革し、それ以前のどの時代よりもはるかに高くそびえ立つのである。
 
 生産手段と労働力とは、それらが前貸資本価値の存在形態であるかぎり、それらが生産過程中に価値形成において、したがってまた剰余価値の生産において演ずる役割の相違によって、不変資本と可変資本とに区別される。生産資本の別々の成分としては、それらは、さらにまた、資本家の手にある生産手段は生産過程の外でもやはり彼の資本であるが、労働力のほうはただ生産過程のなかだけで個別資本の存在形態になるということによっても区別される。労働力は、ただその売り手としての賃金労働者の手のなかだけで商品だとすれば、それは、逆に、ただ、その買い手であってその一時的な使用権を持っている資本家の手のなかだけで資本になるのである。生産手段そのものは、労働力が生産資本の人的存在形態として生産手段に合体されうるものになった瞬間からはじめて生産資本の対象的な姿または生産資本になるのである。だから、人間の労働力は生まれつき資本なのではないし、生産手段もまたそうではない。生産手段は、ただ歴史的に発展した特定の諸条件のもとでのみ、この独自な社会的性格を受け取るのであって、それは、ちょうど、ただそのような諸条件のもとでのみ、貴金属に貨幣という社会的性格が刻印され、さらにまた貨幣に貨幣資本という社会的性格が刻印されるようなものである。」(『資本論』、第2巻、全集24巻、P49~50)
 
 マルクス主義同志会は生産過程を単に「労働過程と価値形成過程の統一」という観点からしか見ることができないがゆえに、いとも簡単に「労働との接触」を労働力と生産手段の結合を「労働過程への生産物の投入」という意味不明な概念で説明しようとしているが、マルクスはこの言葉で「生産手段そのものは、労働力が生産資本の人的存在形態として生産手段に合体されうるものになった瞬間からはじめて生産資本の対象的な姿または生産資本になるのである」、「労働力は、ただその売り手としての賃金労働者の手のなかだけで商品だとすれば、それは、逆に、ただ、その買い手であってその一時的な使用権を持っている資本家の手のなかだけで資本になる」というように、資本家によって別々に買われた生産手段と労働力が資本の手で一つのものとして結合されるときに資本は生産資本になるのであり、マルクスはこの両者の結合のされ方が「社会構造のいろいろな経済的時代を区別する」ともいっているのである。
 
 われわれがつねづね主張しているように、マルクス主義同志会は資本主義的生産様式そのものを見失っているということがここでもやはりマルクスの『資本論』の正しい理解から彼らを遠ざけているのである。
  

しばらく大変です

2008-03-01 00:07:12 | Weblog
 赤星マルクス研究会は、本来の地、赤星村(名古屋市中川区冨田町千音寺)へ帰ろうとしていますが貧乏人の引越しはなかなか大変です。

 光ファイバーを引こうとしていますが、失敗しました。NTTに事前に、家の前の電柱に光の中継ボックスらしきものは見当たらないと言ったのですが、大丈夫ということでしたので、いままでの電話を解約して、その日を待っていたのですが、その日に来たNTTの人は、家の前の電柱を一目見て、光ファイバーが来ていないから、工事はできませんといって帰ってしまいました。

 なんでも、あと数ヶ月後ぐらいのいつかに工事をやって家の前まで光ファイバーを引っ張ってくれるそうですけど、それまでは音信不通です。

 せいぜい今日みたいにネットカフエで短文を送ることができる程度です。

 いろいろおもしろい話もあるのですが、おもしろい話は少しずつ聞いた方が、おもしろさも倍加するということでご容赦願います。

なお、われわれは次の時代はもう始まっているといいました。次の時代、すなわち、自民党とその補完勢力が労働者の怒りによって駆逐されていく時代というのはわれわれの果たすべき役割が相対的に縮小していく時代でもあります。

 この時代をわれわれはいかに進むべきか?少し前までそのことに苦慮していましたが、われわれはより原則的な立場に立ち返るべきであると考えています。

 そういう点でも思いがけない音信不通は、天が与えた時であるのかも知れません。