名前は忘れたけれど、フランス革命の時、精神病院の重く閉ざされた扉を開けて精神障害を、隔離された場所ではなく、開かれた社会のなかで治療しようとした精神科医がいた。
以来、何度かそのような試みがなされたときもあったが、結局、うまくいかなかった。
そして、障害者自立支援法が制定された日本でもそのような試みがなされている。
障害を持った人々に救いの手をさしのべ、自立を支援するというこの法案の趣旨全体は肯定すべきものであるのだが、社会は本当に障害を持った人々に救いの手をさしのべているのだろうか?
私の姉は重度の精神病で若いときから精神病院へ入院したり、退院したりを繰り返してきたが、最近精神病院へ面会に行くと、たいてい医者に別室に呼ばれて、退院しろというようなことをいわれていた。
しかし、私は県営住宅に住んでおり、子どもも多いから、無理だとしかいえなかった。
子どもに姉がからかわれたり、いじめられたりするのは家族としてたえられないし、団地の人々も姉を受け入れるだけの寛容さをもちあわせてはいない。
それで結局、医者の申し入れをお断りしていたのだが、母が赤星村のような田舎で小さな家を建てて、そこで暮らすのであれば姉も引き取れるかもしれないといったので、それを受け入れることにした。
しかし、小さな家といっても、百万円や二百万円で家は建てられないので、結局、私個人が莫大な借金を背負うことになってしまった。
そしてこういったことは、私の生活を一変させてしまっている。
これまではどうせ“二足わらじ”なのだから、“一足目のわらじ”(生活費を稼ぐための労働)は軽い方がいい、人生の“重荷”はできるだけ背負わないようにしようという考えだったが、頭のてっぺんまで借金漬けになってしまったので、“一足目のわらじ”は編み直して、もっとしっかりしたものにする必要性が出てきた。そのためにの“二足目のわらじ”は多少薄くなっても仕方がないと思っている。
だから、会社も変わることにした。
本当は電気工事屋をやっているときに肝臓を悪くして、肉体労働はもう無理だと医者に言われているのだが、この際、そんなこともいっていられない。
そこで、姉の話だが、姉にはまだ面倒を見てくれる家族がいる。母も私ももう若くはないし経済力もないが、それでもいないよりはましであろう。
しかし姉の“友人”たちのほとんどは、精神病院に捨てられてしまっている人々である。彼らには本当にいくところがない。
フランス革命の時の精神科医の「精神障害者に光を!」という叫びはまだ実施はされていないし、ブルジョア社会では無理なのかもしれない。
以来、何度かそのような試みがなされたときもあったが、結局、うまくいかなかった。
そして、障害者自立支援法が制定された日本でもそのような試みがなされている。
障害を持った人々に救いの手をさしのべ、自立を支援するというこの法案の趣旨全体は肯定すべきものであるのだが、社会は本当に障害を持った人々に救いの手をさしのべているのだろうか?
私の姉は重度の精神病で若いときから精神病院へ入院したり、退院したりを繰り返してきたが、最近精神病院へ面会に行くと、たいてい医者に別室に呼ばれて、退院しろというようなことをいわれていた。
しかし、私は県営住宅に住んでおり、子どもも多いから、無理だとしかいえなかった。
子どもに姉がからかわれたり、いじめられたりするのは家族としてたえられないし、団地の人々も姉を受け入れるだけの寛容さをもちあわせてはいない。
それで結局、医者の申し入れをお断りしていたのだが、母が赤星村のような田舎で小さな家を建てて、そこで暮らすのであれば姉も引き取れるかもしれないといったので、それを受け入れることにした。
しかし、小さな家といっても、百万円や二百万円で家は建てられないので、結局、私個人が莫大な借金を背負うことになってしまった。
そしてこういったことは、私の生活を一変させてしまっている。
これまではどうせ“二足わらじ”なのだから、“一足目のわらじ”(生活費を稼ぐための労働)は軽い方がいい、人生の“重荷”はできるだけ背負わないようにしようという考えだったが、頭のてっぺんまで借金漬けになってしまったので、“一足目のわらじ”は編み直して、もっとしっかりしたものにする必要性が出てきた。そのためにの“二足目のわらじ”は多少薄くなっても仕方がないと思っている。
だから、会社も変わることにした。
本当は電気工事屋をやっているときに肝臓を悪くして、肉体労働はもう無理だと医者に言われているのだが、この際、そんなこともいっていられない。
そこで、姉の話だが、姉にはまだ面倒を見てくれる家族がいる。母も私ももう若くはないし経済力もないが、それでもいないよりはましであろう。
しかし姉の“友人”たちのほとんどは、精神病院に捨てられてしまっている人々である。彼らには本当にいくところがない。
フランス革命の時の精神科医の「精神障害者に光を!」という叫びはまだ実施はされていないし、ブルジョア社会では無理なのかもしれない。