1945年、日本の敗戦直後、何人もの将軍たちが、毒を飲んだり、腹を切ったり、拳銃で自分の頭を撃ち抜いたりして死んでいる。
彼らは一様に、死んでお詫びをするといって自殺していったのだが、彼らのなかにはアメリカ軍が進駐してきて戦争犯罪者として逮捕されることを恐れて自殺したものが何人もいる。
例えば、名前を出して恐縮だが、満州事変の時、関東軍の司令官をしていて、後に昭和天皇の側近にまでなった本庄繁氏もその一人だ。
もちろん、彼が死を選んだのは、「お詫び」というよりも、アメリカ軍に逮捕され、追求され、満州事変の真実が明るみに出ることを恐れたからである。本庄繁氏が命をかけても守りたかったのは誰か、ということは、もちろん満州事変の首謀者とされている石原完爾氏ではなかったことだけは確かである。
「死んでお詫びをする」といえば聞こえはいいが、何かを秘匿するために死に逃避するのは無責任な行為そのものであろう。
そして同じことが現在の日本でも起き始めている。
「死んでお詫びをいたします」そのように言われても、たかが経済犯罪ぐらいで死なれては、労働者としては「君は誰をかばって死を選んだのか、そういう選択は人間として卑怯ではないか」と言わざるをえない。
近年、日本では人間の命がだんだんと軽いものになっている。それはいうまでもなく、「国のために死ね」と人々をさんざん煽っている心卑しい人間が内閣総理大臣をやっているからである。
この内閣のもとで、死ななくてもいい人間が何人も死んでおり、そのことだけでもこの内閣の即刻退陣を求めることは労働者にとってにとっての正義である。
日本には自分の政治的な野望を達成するためには、死体の山を築いても、という人間はいらない。
彼らは一様に、死んでお詫びをするといって自殺していったのだが、彼らのなかにはアメリカ軍が進駐してきて戦争犯罪者として逮捕されることを恐れて自殺したものが何人もいる。
例えば、名前を出して恐縮だが、満州事変の時、関東軍の司令官をしていて、後に昭和天皇の側近にまでなった本庄繁氏もその一人だ。
もちろん、彼が死を選んだのは、「お詫び」というよりも、アメリカ軍に逮捕され、追求され、満州事変の真実が明るみに出ることを恐れたからである。本庄繁氏が命をかけても守りたかったのは誰か、ということは、もちろん満州事変の首謀者とされている石原完爾氏ではなかったことだけは確かである。
「死んでお詫びをする」といえば聞こえはいいが、何かを秘匿するために死に逃避するのは無責任な行為そのものであろう。
そして同じことが現在の日本でも起き始めている。
「死んでお詫びをいたします」そのように言われても、たかが経済犯罪ぐらいで死なれては、労働者としては「君は誰をかばって死を選んだのか、そういう選択は人間として卑怯ではないか」と言わざるをえない。
近年、日本では人間の命がだんだんと軽いものになっている。それはいうまでもなく、「国のために死ね」と人々をさんざん煽っている心卑しい人間が内閣総理大臣をやっているからである。
この内閣のもとで、死ななくてもいい人間が何人も死んでおり、そのことだけでもこの内閣の即刻退陣を求めることは労働者にとってにとっての正義である。
日本には自分の政治的な野望を達成するためには、死体の山を築いても、という人間はいらない。